大和郡山で郡山城と箱本館「紺屋」

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 9月27日、金魚で有名な大和郡山市に行き、郡山城と箱本館「紺屋」を見学しました。
 JR大和路線で郡山駅へ、そこから近鉄の郡山駅のほうへ向って歩き、途中で道を尋ねながら郡山城に向かいました。石垣や堀は残っていて、城跡は公園になっていました。案内・説明してくれるボランティアの方がおられて、私たちも少し説明してもらいました。
 まず、地面のコンクリートに描かれている江戸時代の郡山城の絵図を見ながら(私ははいつくばって触りながら)説明してもらいました。1580年ころから筒井順慶が築城を始め、1585年に豊臣秀長が紀伊・和泉・大和 3国百万石の太守として郡山城に入り、大坂城に近いこともあって大規模に増築し、さらに増田長盛が修築してほぼ出き上がったそうです。外堀はほぼ四角形で6km近くあり、斜めに流れている秋篠川を付け替えて堀の一部にしているそうです。東西南北に4つ門があり、夜10時以降は中に入れなかったとか。外堀の内側には、税金を免除された専業の職人や商人を集めた13の町がつくられ、現在も紺屋町、鍛冶町、魚町、豆腐町など住んでいる人たちの職業が分かる町名があり、また奈良町や堺町のように商人がどこから来たのかが分かる町名も残っているそうです。江戸時代に入ってから郡山城の主は次々に代わりますが、1724年に柳沢吉保の長男吉里が甲斐国から郡山に転封となり、その後柳沢家郡山藩15万石として明治に至ります(柳沢文庫もあった)。
 次に、「さかさ地蔵」と呼ばれているものを触らせてもらいました。石垣に近付いて触ってみると、いろいろな形の石が適当に積まれている感じ(野面積(のづらづみ)と呼ばれるもの)です。下のほうを触ると、幅50cm余、高さ30cm余の大きな石があり、その下が大きく空いています。そこから手を入れて奥のほうに伸ばしながら触っていくと、なんと石仏が背を上にし頭を奥のほうに向けてうつ伏すような姿で石垣の中に組み込まれているのです。石仏のお腹側を触っている状態で、手になにか持っていることが分かりましたし、がんばって1m近く手を入れると、顎、口、鼻らしきものも分かりました。たぶん1mくらいは十分ある石仏だと思います。とにかく急いで石垣を築こうとしたのでしょう、周辺の寺院などから石垣の材料になりそうな石なら何でも、石仏、石塔、墓石、石臼、礎石など多数集めたようです。転用石と呼ばれ、石垣の表面に見えて確認できるものだけでも700以上もあるとか。権力者は何でもやりたいほうだいだなあと思いました。
 
 それから、藍染の体験ができるかもということで、箱本館「紺屋」に向かいました。郡山城から来た道を戻り、JR郡山駅に向かう道の途中で左に曲がってしばらく行くと紺屋町です。東西に細長い町のようで道路がまっすぐ伸びていますが、なんと道路の中央に幅1mもないくらいの小川?が流れています(これは堀から水を引いたものらしいです)。この小さな川で、以前は染めた布や糸をさらしていたそうです。
 箱本館「紺屋」は、代々染物屋をしていた奥野家の町屋を再利用したもので、大和郡山に残っているものとしてはいちばん古い町屋だそうです。館内には金魚に関連したコレクションや藍染関係の資料などが展示されており、また隣りでは藍染の体験もできます。私たちは午後1時からの体験に参加できればと思って行ったのですが、体験は予約制で定員5人ということで、できませんでした。
 館内の展示品にはほとんど触れませんでしたが、キンギョツバキという珍しいものに触りました。葉の先が 3つに割れるように分かれていてくちゃくちゃした感じ。見た目には金魚の尾鰭のひらひらした感じのようにも見え、この名になったようです(キンギョツバキはヤブツバキの突然変異種らしい。ちなみに、城に行く途中に、ヤブツバキの直径4cmくらいもある大きなほぼ球形の実、それが割れかけて中の種子が露出したもの(種子は4個ほどあった)に触りました)。また、綿の花(たぶん萼の部分)、径3cm弱ほどの実、それが割れて中の綿が分かるものにも触りました。中庭?には中国から伝わった?海鼠釉の大きな鉢(径が40cmくらいの大きさで、中にはメダカが泳いでいるらしい)が置かれていて、表面を触ると釉薬が厚いのでしょう、表面はつるうーっとした手触りでゆるやかな凹凸がありました。(色は全体に濃い紫色?のような感じで、ところどころ斑紋のようなのもあって海鼠らしく見えるようだ。)
 館内には直径が40〜50cm前後の藍甕がいくつもあり、その一部は土の中から発掘されたもので、竈に2個あるいは4個の藍甕が組み込まれている状態のものもありました。また、藍甕の側に「スクモ」と言う細い藁のようなのを堅く束ねたようなのがあり、なんだか焦げ臭いような独特のにおいもしました。スクモは、タデアイの葉を乾燥させ、それに水をかけ天地返して発酵させる作業を何度も繰り返してつくる染料です(本藍染の産地の徳島県では、水かけと天地返しを5日に1回、計20回、約100日間続けるそうです)。この染料を石灰や糖分とともに藍甕の中に入れ、藍甕の中の微生物のははたらきもかりて発酵を続けさせるようです。(藍染には、スクモを使わず、直接生葉を水に漬けて藍の成分を水に溶かして発酵させ、その液を酸化・沈殿させる泥藍という方法もある。)
 箱本(はこもと)の意味が分かりませんでしたが、郡山城の外堀の内側の13の各町が月ごとに順番に治安維持・消火・伝馬(藩のためなど公用に馬を出すこと)などの任務に当たる自治的な制度のことです。当番になった町は、職業の独占権を示す特許状などの入った朱印箱を預かり保管することになっていて、その特許状や朱印箱が展示されていました。
 
 大和郡山は初めて行きましたが、むかしの暮らしの雰囲気がよく感じられる所で、まだまだ見所もたくさんありそうです。藍染体験もしていませんし、ぜひもう1度行ってみたいと思っています。
 
(2020年10月2日)