芦屋市立美術博物館の植松奎二展

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 3月20日、芦屋市立美術博物館で開催中(3月13日から5月9日まで)の植松奎二展「みえないものへ、触れる方法 − 直観」(Ways of Touching the Invisible: Intuition)に行き、関連イベントのアーティストトーク「みえないものへ、触れる旅」に参加しました。
 きっかけは、偶然知ったこの展覧会のタイトル「みえないものへ、触れる方法 − 直観」に心ひかれたからです。アーティストトークの前日に美術博物館に電話し、展示物の中に実際に触れられるものはあるのだろうかおたずねすると、まったくないとのことでしたが、どんな作品なのか、どのような考えでこのようなタイトルにしたのだろうかが気になり、アーティストトークに参加することにしました(アーティストトークの案内は館の方がしてくださるとのことでした)。
 それにしても、「触れる」という言葉は要注意ですね!多くの場合、実際に物に触ることよりも、なにかを深く感じ取る、感じ取って共感してもらうといった意味合いで使われていて、このタイトルの「触れる」もそうだったわけです。また、「みえないもの」は、この場合、重力や引力、張力や摩擦の力など、常に私たちの身の回りで作用しているが、目にははっきりとは見えないもの、意識にのぼらないものを指しているようです。ただ私は、もともと見えないからでしょうが、目に見える物体などと同様、これらの力も時折体感し、また頭の中で想像しイメージしているので、とくにこれらが見えないという感じはしません。(逆に言えば、目に見える物体などと同様、これらの力もあまりよく見えない・把握しにくいということでしょうか。)
 
 JR芦屋駅からバスに乗り、緑町(美術博物館前)で下車、美術博物館は松林のある静かな所にありました。受付を済ませ、アーティストトークの始まる午後2時まで30分余待機。参加者は30〜40名くらいはいたでしょうか、コロナ禍でまた難しそうなテーマにもかかわらず、かなり多かったように感じました。アーティストトークは、前半の1時間弱は展示会場を回りながらアーティストの植松さんが自分の作品について解説し、後半1時間弱は、映像を見ながらこれまでの自身の作家活動や作品を振り返るというものでした。展示会場では、マイクを通した声が天井の高い室内に反響して聴き取りにくかったですが、私の隣りに付き添ってくれた館のスタッフの方が適宜説明してくれて、ある程度理解できた作品もあります。作品は、インスタレーションをはじめ、写真やドローイング、映像など滝にわたる数十点。以下、私が理解できた数点を紹介します。(なにしろまったく触れて確かめていないので、誤解もいろいろあるかと思います。)
 「摩擦のあいだ―宇宙からの贈りもの」 床に、直径50〜60cmくらいでしょうか、ブロンズの球体が置かれています(この球体は、カミオカンデのニュートリノ検出装置をイメージしたものだそうです)。その横に、高さ14mの天井からワイヤーで大きな石がつり下げられています(これは芦屋川から拾った石で、地球をイメージしているらしい)。そしてこの二つの物体の間に、十数cmほどの大きさの隕石(鉄隕石らしい)がはさまっています。これら三つの物体はどれも固定されていなくて、摩擦の力と重力の微妙なバランスで安定しているようです。
「まちがってつかわれた机―隕石孔・結晶・水) 大きな鉄の台があり、その上面が少しへこんでいて、そこに水が満たされています。これはクレーター(隕石孔)をイメージしたものだとか。そしてその横?に、鉱物(大理石)の結晶が置かれているようです。
 「Triangle: Stone / Cloth」 5、6mくらいはあるでしょうか、大きな三角形の布が広げられていて、その上に石が置かれています。そのため、その石を中心にへこみ、また布の縁がゆがんでいるようです。地球のような球面では、その上に3点をとるとき、2点間の最短距離はまっすぐ進む直線ではなく、ゆがんだ曲線になることを示しているものらしいです。でもこれは、一般相対論における時空のゆがみについて簡易に説明するものとしても使えそうかなと思いました(その場合は、素材としては、布ではなくゴム膜のほうがより適切でしょう)。
 「見えない力―軸・経度・緯度」 長さ3mくらいから、5、6mくらいの角材8本を、ジグザグに、また奥から手前に段段に高くなるように工具でつなぎ合わせ、それがワイヤーで天井からつり下がっています。天井には滑車のようなのがあるのでしょう、そのワイヤーは真下の床にある水盤とつながっています。水盤は100数10kg、その中の水は300kgくらい、計400数10kgだとのことで、これと天井からつり下がった角材が釣り合っているわけです。また、角材のところどころには水が入ったコップも下げられていて、微妙なバランスを保つようになっているようです。
 その他、展示室を回っていると、時々2つの机の間に石がはさまっていたり、展示室のガラスの壁面の縦の細い溝にゴムの木の大きな葉が差し込んであったり、いろいろ仕掛けっぽいものもありました。ゴムの木の葉が枯れかかっていたのでしょうか、参加者からこういうのはどうするのか質問があり、植松さんは1週間くらいで葉を換えていけばいいんじゃないかなあとのことでした。
 また、私にはよく分かりませんでしたが、いろいろな写真に石を描き込んで「浮く石」とした作品が何点もありました。上下運動を連続的に撮って波のようにしたり、月から見た地球をテーマにしたものなどもありました。さらに、「みえないもの」などに関連して思いついた言葉や文章を並べたものもあり、これは少し読んでもらいました。
 
 後半の、映像を中心にこれまでの活動や作品を振り返る場は、植松さんの略歴のようなのが少し分かったくらいです。植松さんは、1947年、神戸生まれ。子供のころは、毎月届く「子供の科学」を楽しみにしていたそうです。中学生になると、幾何学が得意で、直感で仮説を立て演繹的に考えるのが好きだったようです。1969年に神戸大学教育学部美術科を卒業、同年には初個展をします。1975年からドイツに行き、翌年にはストックホルムで個展をしたそうです。しかし当時はアートだけでは生活できなくて、ペンキ塗りのアルバイトをしながらだったとのこと。アートで生活できるようになったのは、1986年にフランスのギャラリーと契約を結んでからのことだそうです。なにしろ作品のテーマが、一貫して目にはなかなか見えにくい重力など様々な力やはたらきだったので、一般に受け入れられるのにはかなりの努力が必要だったのだと思います。大阪とデュッセルドルフを拠点に活動し、国内外で展覧会をし、またパブリックコレクションも多いようです。西宮市の兵庫県立芸術文化センターにもあって、私は数年前Mさんと同センターに行った時に、「花のように―螺旋の気配」を説明してもらっていました(螺旋形も、円錐とともに、しばしば作品のモチーフになっているようです)。トーク終了後には、植松さんに声をかけていただき、少し話もしました。私は好みとしては植松さんとよくフィットしていますので、今回の展覧会、直接触れたりはできませんでしたが、けっこう楽しみまた考えることができました。
 
(2021年3月22日)