青谷上寺地遺跡出土品のレプリカに触る

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 4月23日、「弥生時代の美」をテーマに、インクルーシブデザインのワークショップがオンラインで開催されました。
 鳥取県鳥取市の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡が、2008年に国の史跡に指定され、さらに2019年には出土品の一部1353点が重要文化財に指定され、注目されているようです。青谷上寺地遺跡は、今から約2200年前から1700年前(弥生時代中期から古墳時代前期)にかけての遺跡で、当時この付近には潟湖(砂州などによって外海から仕切られてできる湖)が広がり、その周辺の低湿地に集落がつくられていたようです。この遺跡では、地下の水に守られて、木製品もふくめ出土品の保存状態がとても良いそうです。人骨も 5千点以上、100人分以上が見つかり、その中には脊椎カリエスの病変のあるもの(日本最古の結核の症例)も見つかっているとか。(青谷上寺地遺跡について、弥生人の脳と殺傷痕のある人骨が出土した青谷上寺地遺跡が参考になりました。)この遺跡の出土品を展示する施設が新たに計画されていて、今回のインクルーシブデザインのワークショップはそのために行われたものです。
 東京、京都、大阪、鳥取の4会場がオンラインで結ばれ、私はKさんとともに大阪会場に参加しました。大阪会場には、私たちのほかに、この展示施設の設計をしている会社の方々が加わりました。鳥取会場には、とっとり弥生の王国推進課の皆さんや鳥取盲学校の方々がおられました。東京と京都からは、このワークショップの企画者と進行・調整役の方が加わり、全体をうまくまとめてくれました。
 ワークショップ前半では、まずこのインクルーシブデザイン・ワークショップの目的や意図について企画者より示され、続いてこのワークショップのテーマに関連して、「平成の美」を各参加者が一言で言ってみよう、が行われました(私の一言は「ひろがり」)。その後、遺跡の重要文化財になっている出土品5点のレプリカ(重要文化財になれば実物には触れない)について、私を中心にとにかく言語化してみよう、が行われました。ここでは、そのレプリカ5点について、私の触察記録だけを記します。
 
 まず、銛の先につける突具(これは銛の柄からはずせるようになっていて、「離頭銛頭(りとうもりがしら)」と言うそうです)。長さ10cmくらい、直径2cmほどの円錐形で、先が少しとがっています。先端から3分の1くらいの所に、手前のほうに向って鋭くとがったカエシが付いていて、銛頭が獲物にいったん突き刺さると抜けないようになっています。銛頭の根元のほうは2つに別れていて、それぞれ、楕円形の穴が開いています。たぶん、この2つに別れた窪みの所に柄がつけられ、また2つの穴には長い紐がつけられると思います。遺跡からは、マグロなどの大型の魚やアシカなどの海獣の骨が出ていて、この銛頭はそれらの捕獲に使われたのでしょう。実物の素材が何だったのか訊き忘れましたが、シカなどの角なのでしょう(あるいは骨かも)。釣り針や舟材なども出ているとのことで、漁労も盛んだったようです。
 
 次に、琴の側面の板。長さ40cmくらい、幅5cmくらい、厚さ1.5cmほどで、中央には小さな穴があります。裏面の両端近くには溝や切れ込みがあって、前面や後面の板と組み合せるようになっているようです。全体は、左右・前後・上下の計6枚の板を組合せた箱状のもの(上面の板には円い穴があるとのこと)で、6本の絃が張られていたようです(鳥取のほうではこの琴を試作していて、その音も聴かせてもらいました。小さな、少し高めの音でした)。この琴の側面の板の表面には、触ってはあまりよく分かりませんが、5匹の動物の絵が刻されています。よく触ってみると、脚が斜めに伸び、頭や尾が上に伸びているようで、中央の穴の左側に2匹、穴の右側に3匹、向い合うように描かれています。絵は凹線で示されているために、輪郭を触ってたどるのはちょっと難しいです。私は、最初触ったときには、全体として波のような模様なのかと思いました(各動物の胴の上の部分の輪郭をつなげて想像していたようです)。見た目では、これら動物の絵には躍動感が感じられるとのことです。(この板の裏面には、ふつうの木目のほかに、薄く削ったような窪みがいくつかあって、これは音の響きをよくするためのものでは、と鳥取の方は言っておられました。)
 
 私が一番すごいと思ったのは、穴や裂けめのある肩甲骨。ちょっと細長い三角形のような形で、長さ10?cm余、大きな貝殻のように湾曲した窪みがあり、一部分はかなりつるつるしていて、その手触りでも骨だろうと思いました。細くとがったほうの角は、直径3cm弱の関節の窪んだつるつるの面になっています。ゆるく膨んだ面の一部には、筋肉がくっついていたのではと思われるようなざらついた部分がありました。そして、骨の中央付近には、円い穴とその両側に続く裂けめがあります。これはイノシシの肩甲骨で、この穴や裂けめは、占いのために骨を焼いた時にできたものだとのことです。このような肩甲骨が270枚も出ていて、骨を使った占い(卜骨と言うそうです)がひろく行われていたようです。
 
 次に、長さ10cmくらい、刃の幅が5、6cmくらいの斧です。表面はざらざらしています。弥生時代なので、私は石製なのかと思いましたが、鉄製だそうです。(表面のざらざらは、鉄さびなのでしょう。)日本で鉄の生産が始まったのはおそらく古墳時代からだろうとされているので、大陸からもたらされた鉄の地金を加工してつくられたのでしょうか?いずれにしても、当時としてはかなり珍しいものだったでしょう。
 
 最後が、大きな高坏。高さ40cmくらいで、下の台(円錐台のような形)の直径が20cm弱、上の坏(大きな深皿のような形)の直径が25cmくらいです。高坏ということから私はすぐに土器なのかと思いましたが、これは木製だそうです。青谷上寺地遺跡からは、坏の裏面に花弁が浮き出した木製の高坏が多数出ていて、「花弁高坏」と呼ばれています。私は最初ざっと触った時には坏の裏面までちゃんと触っていなくて花弁にはほとんど気がつきませんでしたが、丁寧に触ると、6弁の花びらが3mmくらいの浮き出しでとてもきれいに出ていました。触ってまず気がつくのは、花弁よりも、大きな坏の円い縁から外側にほぼ水平に突き出している三角形の飾りのようなものです。辺の長さ10cmくらいのややとがった二等辺三角形で、先端部は下にくるうっと巻くようになっています。また、三角形の底辺の中央(坏の縁に連なっている)には小さな二等辺三角形の穴が開き、さらに三角形の底辺の両側の坏の縁の上には縁に沿って細長い突起があります。
 そして、この高坏、なんと、台と坏の間の細くなっている所で、二つに別れるのです。二つに分けてもらうと、それぞれの裏面や内側もよく観察できます。坏の裏面の花弁は、坏の部分をひっくり返して上から触ると、6弁が円をきれいに6等分するようになっていることなど、とてもよく分かります。下の台の表面は、ほぼ等間隔に12本の細い溝が縦に走っていますが、ひっくり返して内側を触ってみると、たんに内側がくりぬかれているだけではなく、表の12本の溝に合せて12個の三角柱を切り取ったような形になっており、切り取った三角柱の外側の辺の所はよく触ると2、3mmくらいの細い縦のスリットになっていて、外からも透かし見ることができるようです。さらに、台の12等分された部分の2つ分が、上の坏の花弁1枚分にちょうど対応するようになっていました。なんと幾何学的で、精巧な職人技なのだろうと、感心するばかりです。
 この木製の花弁高坏には、6弁のものばかりでなく、4弁や5弁のものもあり、それに対応して台のスリットの本数も、花弁の2倍、12本、8本、10本になっているそうです。また、4弁のものは島根県で、6弁のものは島根県と石川県でも数点ずつ見つかっており、青谷上寺地の職人たちがつくった花弁高坏が近隣の日本海沿いの地域に運ばれたのかもしれないということです(弥生の至宝〜花弁高杯とその背景〜)。
 
 今回は青谷上寺地遺跡の出土品5点のレプリカを触っただけですので、もちろん遺跡の全体像をつかめたとは言えませんが、山陰地方の弥生の先進的な文化?の一面にふれたような気がします。日本海を介して大陸や近隣の地域と交流し、琴や木製の花弁高坏あるいは卜骨などを用いて祭り・儀礼を行い、また銛を使って大型魚を捕獲するなど、いろいろ想像してみました。新しい展示施設ができたら、ぜひ鳥取に行ってみようと思っています。
 
(2021年4月28日)