三重県立美術館の「美術にアクセス!―多感覚鑑賞のすすめ」展

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 6月25日、三重県立美術館で8月1日まで開催されている「美術にアクセス!―多感覚鑑賞のすすめ」展を見学しました(詳しくは、美術にアクセス! 多感覚鑑賞のすすめ 2021年度企画展)。事前に美術館に電話して、この「美術にアクセス」展を見学してみたいと希望を伝えると、とても運のよいことに、この展覧会を企画された学芸員に、25日の午後に案内・解説していただけることになりました。自宅から往復6時間余、久しぶりの遠出でしたが、魅力たっぷりの、楽しい鑑賞でした。
 実は私は、2006年に2回同館に行ったことがあります。当時美術館がしていた子供たちや視覚障害者のための活動について説明してもらったり、シャガールやムリーリョなどの絵画や柳原義達やザッキンの彫刻について丁寧に鑑賞することができ、とても思い出深い美術館です(三重県立美術館の試み――視覚障害児の美術支援教材を中心に、および三重県立美術館再訪)。今回、15年ぶりに、これらの作品にも再会することができました。
 
 予定よりだいぶ早く、12時過ぎに美術館に着きました。時間があったので、まずエントランスに展示されているザッキンの「ヴィーナスの誕生」に触りました。このブロンズ像は、高さ1mくらいの台の上に乗っていて、15年前は正面から手の届く範囲で触っただけでしたが、今回は脚立を用意していただき、正面からばかりでなく側面や裏側からも触り、ほぼ全体を触ることができました。像の高さは120cmくらい。右手前に幅30cm近くもある大きな帆立て貝が内側の凹面を斜め上にして置かれ、その中央にヴィーナスが立ち、ヴィーナスの左後ろと右後ろにも女神たちが密接して立っています。3人の女神たちの顔は浅いお椀のような凹面になっていて、その中に細かく線で描かれており、3つのお椀型の顔が重なるくらいに密接しています。ヴィーナスは左腕を頭の後ろに回して向って左の女神の頭の後ろまで手を伸ばして当てています。左の女神は左肘を上げて腕で三角形をつくっています。各女神たちの腕や脚は凹面と凸面の組み合せになっていて、触って面白いです。ただ、右後ろの女神の左足とお尻の辺はとてもリアルな形で、前の二女神を後ろから支えるように力が入っています。
 
 この展覧会の趣旨は、大きく二つあります。ひとつは、障害のある方や子どもたち(赤ちゃんまでふくめて)など美術館に来ることさえ難しい人たち、また、来館しても鑑賞することが難しい人たちにどのように対応するのかについて、これまで同館が行ってきた試みを紹介しています。もうひとつは、視覚中心の作品を言葉の説明や触覚で鑑賞したり、あるいは視覚中心の作品から呼び起される嗅覚や皮膚感覚など他のいろいろな感覚にスポットを当ててみることです。展覧会は5章で構成されていて、序章「鑑賞の前に」と第1章「鑑賞するために」は前者、第2章「美術と感覚」、第3章「彫刻にさわる」、第4章「オノマトペと共感覚」は後者ということになります。以下、出品作品リストなども参考にしながら順に紹介します。
 
 序章の「鑑賞の前に」では、三重県立美術館が昨年度行った「美術館のアクセシビリティ向上推進事業」について紹介しています。美術館に来ても鑑賞が難しい見えない・見えにくい人向けの鑑賞プログラム(スタッフによる言葉による説明や立体コピー図、彫刻の触察など)、美術館に来ることが難しい乳幼児とその家族向けのオンライン鑑賞会、自閉症スペクトラムのある人などコミュニケーションが苦手で初めての場所には不安を感じやすい方向けの平易な文章やイラスト・写真で説明したガイドの開発などです。また、常設展示の一部について、一般向けの音声解説とともに、見えない・見えにくい人向けのとても詳しい解説文も作成しています(音声ガイドのページ )。
 
 第1章の「鑑賞するために」では、これまで三重県立美術館が障害のある方向けに開発してきた鑑賞ツールを、2点の絵画作品について紹介しています。ムリーリョの「アレクサンドリアの聖カタリナ」(1645〜50年)と佐伯祐三の「サンタンヌ教会」(1928年)です。この2点はいずれも、私が15年前に同館に行った時に立体コピー図を触りながら詳しく説明してもらったもので、今回も立体コピー図、点字による解説文、詳しい音声解説を聞いて、しっかりと思い出しました。また、ムリーリョの「アレクサンドリアの聖カタリナ」をテーマに、「あいうえおブロック」という面白いものが展示されていました。大きなテーブルの上に、直径7cmほどの円盤がたくさんおいてあります。その円盤の表には「あ」「い」などひらがな1文字が書かれ、円盤のうらには、特別支援学校の生徒さんたちが「アレクサンドリアの聖カタリナ」を見て感じた印象や連想したことを、表に書かれている文字で始まる言葉で書かれているとのこと(これって、かなり難易度が高そう)。一部展示でも書いてあって、面白かったです。
 
 第2章は「美術と感覚」。ここは私が一番気に入ったところでした。美術館に展示されている作品はほとんどが視覚を通して鑑賞するものとして展示されているわけですが、その中には、作家自身が体感した視覚以外の様々な感覚が表現されていることもあるでしょうし、あるいは鑑賞する側が視覚中心の作品からそれ以外のいろいろな感覚を呼び覚まされることもあるでしょう。ここには、そのような作品が多数展示されていました。
 まず、中澤弘光の6枚の絵葉書セット「美人と感覚」(1905年、木版・紙、18×12cm)。これは、五感+「睡」の感覚が、それぞれ絵で表現されていて、この章にぴったりのものです。以下、それぞれの絵について書きます。
 「聴」は、巫女さんが遠くの鹿の鳴き声を聴いているようです。巫女さんは後ろ姿で、回りにもみじの葉が散り、遠くに2頭の鹿が見えます。秋のもの悲しさのようなのが感じられます。「嗅」は、女学生の横顔で、百合の花を持ち、そのにおいを嗅いでいるのでしょう、うっとりした表情のようです(回りには銀色の星がちりばめられていて、木版の技術の高さが感じられるとか)。「睡」は、まどろんでいるといった感覚のようで、舞妓さんが眠そうな顔で扇を持っています。回りには桜の花が散っていて、春のおだやかな雰囲気が伝わってくるようです。「味」は、令嬢がビワの実を持っているところです(おいしいのかな?)。「視」は、芝居を見ていると思われる女性で、ハンカチのようなのを鼻の下に当てています(悲劇を見て感動して鼻をぐすぐすさせているのかもしれません)。「触」は、若い娘の後ろ姿で、ホオズキの実を触っています(記憶が鮮明ではありませんが、ホオズキは実が熟して少し乾燥してくると、中の小さな種を取り出し、口の中に入れて膨らませてなんとか音を出そうとしたように思います。たぶんホオズキの熟し度合いを触って観察しているのでしょう)。
 
 次は「聴覚」のコーナー。
 まず、向井良吉の「発掘した言葉」(1958年、ブロンズ、53×32×30cm)。これは、とても複雑な形の立体のようです。ただ、大まかに言えば、左右にラッパのような形が表われているようです。作者はこの作品について「音響感を造形としてとりあげた」と言っているとのことです。ラッパから、なにか音・言葉のようなのが発せられるのでしょうか?向井良吉(1918〜2010年)は、京都出身の、戦後の代表的な抽象彫刻家で、制作にあたってデカルコマニーという手法を用いていたらしいです(デカルコマニーはフランス語で「転写法」の意。紙にたっぷり絵具を塗り、それを二つ折りにしたり、別の紙に押し付けたりして、偶然にできる不定の形を得る方法)。この作品がデカルコマニーを用いたかは確実ではありませんが、当時のスケッチブックは墨によるデカルコマニーでうめられ、粘土や蝋でよごれているとか。
 駒井哲郎の銅版画「束の間の幻影」(1951年)は、幻想的な抽象画のようで、具体的にどんな作品なのかよくは分かりませんが、この作品のタイトルは、作曲家プロコフィエフが1915〜1917年に作曲したピアノ曲集からとられたものだそうです。
 カンディンスキーの「小さな世界」という版画シリーズ(1922年、全12点)から4点が展示されていました。具体的にどんな作品なのかわかりませんが、いろいろな色や形がおどっているのでしょうか?カンディンスキーは音を聴いて色が見えた(例えば、トランペットの高温は黄色、チェロは紺色)ということですが、カンディンスキーはもしかするとこのような絵からきれいなメロディーを聴くことができたのかもしれません。
 木村荘八の油絵「戯画ダンスホール」(1930年)は、大正末から昭和初めの東京のモダンなダンスホールを描いたもので、男女6組が踊っていて、右奥には楽隊も見えているそうです。生き生きとしたにぎやかな雰囲気が伝わってきます。
 
 次は「聞こえない人と見えない人」のコーナー。
 まず、盛岡の旧制中学校に入学した直後に脳髄膜炎に罹って聴覚を失った松本竣介(1912〜1948年)の作品2点が展示されていました。「街」(1946年)は、東京の街を素描したもの、「駅の裏」(1942年)は旧東京駅をよく描写した油絵だそうです。
 また、40代に聞こえなくなったゴヤ(1746〜1828年。彼の代表作はすべて聞こえなくなって以降のもの)の作品4点が展示されていました。まず、版画集「戦争の惨禍」(1810〜1820年)より「戦争の惨害」と「これは何の騒ぎだ?」の2点。(ここで言う戦争とは、ナポレオンに支配されるようになったスペインで1808年から続いた内乱=スペイン独立戦争のことで、ゴヤがそれをテーマにして描いた「マドリード、1808年5月3日」は有名。)「戦争の惨害」は、何かが爆発したのでしょう、強い爆風で人も家具もなにもかも飛散してしまっている痛ましいシーンだそうです。「これは何の騒ぎだ?」は、女性が亡くなった人の名前を読んで(夫などかも知れない?)、顔を覆って叫び声をあげている場面だそうです。次に、版画集「妄」(1815〜1829年)より「滑稽の妄」と「葬いの妄」の2点。「滑稽の妄」は、枝に(鳥ではなく)人物が7人も乗っていて、今にも折れそうな感じがするとか。「葬いの妄」は、横たわっている人から人形(ひとがた)のような亡霊(魂?)が現われ、その亡霊のようなのに他の人が話しかけているそうです。これらは、現実にはあまり有りそうにないが、現実の底に潜んでいるかも知れないなにかを表わしているようにも思われます。
 次に、見えない人関連で、伊勢出身の彫刻家橋本平八(1897〜1935年)の「弱法師(よろぼし)」(1934年、木彫、高さ40cm弱)が展示されています。頭に大きなかつら(黒頭)を被り、目は閉じています。右肘を曲げて右手に細い杖を持ち、左手は肩くらいの高さまで上げて前に伸ばしています。これは能の曲目の「弱法師」の1場面だそうです(この演目については、能って、知ってる? その11 能「弱法師」 - YouTube などで見られます)。河内国の高安の里の通俊(みちとし)は、人の告げ口で我が子の俊徳丸を追い出してしまいます。俊徳丸は悲しみのあまり盲目となり、乞食になってよろよろと放浪し、弱法師と渾名されます。季節は梅の花が舞い散る春、自分の行いを恥じた父は四天王寺で貧しい人々に施行(せぎょう)をします。ちょうどそこに弱法師がやって来て、父は我が子だと気付きますが、名乗り出ることはできず、仏教の観法のひとつである日想観をすすめます。弱法師は見えない目で難波の海に沈み行く陽を観想して、見える!見える!と言って狂い舞います。夜になってようやく父は我が子の手を取って帰郷します。見えない目で見たいものを観想する、この場面に私は心引かれました。
 
 次は「嗅覚と味覚」のコーナー。嗅覚と味覚は分かちがたく結びつく感覚だということで、ひとつのコーナーにしたそうです。ここにもいろいろな作品がありました。
 まず、ルドン(1840〜1916年)の連作石版画「ヨハネ黙示録」(1899年)より「御使、香炉を手に持って」と「するとたいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。」の2点です。前者は、背中に白鳥のような翼のある天使がやや手前下を見ながら立ち、右手にしずく形の香炉を持ち、その香炉から細い煙がもくもくと立ち上っているそうです(天使の立ち姿はとても優雅に見えるらしい)。後者は、燃え盛る大きな星が地に落ちてくるところです。これはヨハネ黙示録8章10〜11節に書かれているもので、ニガヨモギという星が水源に落ちて川の水が苦くなり、それを飲んだ人たちが死んだということになっています。
 川村清雄(1852〜1934年)の「梅と椿の静物」(制作年不詳)は、かなり縦長の作品(123×44cm)で、床の間に飾る掛軸のような印象を受けるそうです。花器として釣瓶が使われ、梅の花と桜や桃が生けられ、釣瓶の外には白と赤?の椿も見え、手前には蒔絵の箱?も置かれているとか。背景には金箔が張ってあるように見え、一見日本画と思ってしまいますが、油絵だそうです。日本の伝統的な画題や画法に、遠慮がちに新しい洋画の手法を取り入れているのでしょうか?
 黒田清輝(1866〜1924年)の「薔薇の花」は、ガラスの花瓶にたくさんの薔薇の花があふれんばかりにぎゅうぎゅう詰めになっているそうです。薔薇の芳香がしてくるようです。
 中谷泰(1909〜1993年、三重県松阪市出身)の「烏賊のある静物」は、ちょっと変った静物画のように思いました。小さ目の嘱託の上に、左側にワイングラス、中央奥に青緑っぽいポット、手前に、金目鯛のように目が大きな魚と、その上に足がくねくねし生っぽい烏賊が重ねて置いてあるそうです(なんか生臭そう)。さらに、植物のつるのようなものや新聞を折り畳んだようなもの、石膏像と思われるものの頭部まで見えているとか。また、食卓にかかっている蛍光オレンジのテーブルクロスは今にもずり落ちそうな感じだとか。生臭さとともになにか奇妙な感じが伝わってきます。
 清水登之(1887〜1945年)の「チャプスイ店にて」(1921年)は、アメリカの1920年前後の庶民的な中華風料理店内の様子を描いたもの。チャプスイは、もともとは肉や野菜をいろいろ取り交ぜていため煮した広東料理だったようですが、19世紀後半からアメリカに多くの中国人が流入するようになり、アメリカの都市部ではアメリカ風にアレンジした安くておいしい中華風料理が人気だったようです。店内には、例えば若い黒人の男性と黒人ではない女性のカップル、食事をしている東洋人など、まさに人種のるつぼを思わせるようにいろいろな人たちが見えているそうです。
 最後に、長原孝太郎(1864〜1930年)の「焼芋屋」(1896年ころ)と「牛肉屋の二階」(1892年)の2点です。いずれも食をそそるような匂いがただよってきそうです。「焼芋屋」は、箱の蓋のようなものから湯気のようなのが出ていて、その回りに老若男女が集まり、さらに犬や猫、鶏までいるとか。中には、待ちかねてでしょう、箱に手をかけて覗き込むようにしている子どももいます。「牛肉屋の二階」は、明治に流行した牛なべ屋の様子で、お客も店員もにぎやかに楽しんでいる活気のある情景のようです。座敷に座って飲んだりなべをつついたりしているなか、ちょうど次の牛なべが運ばれてきたところです。
 
 続いて「皮膚感覚」のコーナー。ここは、ちょっと痛々しい感じがしました。
 ウィリアム・ブレイク(1757〜1827年)の版画集『ヨブ記』の「第6図:腫物でヨブを撃つサタン」は、旧約聖書のヨブ記第2章に書かれている場面を描いたものです。全身腫物でおおわれたヨブが地面に横たわり、痛痒さに耐えかねて全身を硬直させ、頭も反らしています。足元にいる妻は直視することができず、顔を背けています。(私は詩人としてのブレイクしか知りませんでした。)
 ナティビダー・ナバローン(1961年〜、スペインの現代の女性アーティスト)の「私のからだ:鎮痛と恐れ(パートV) あなたが私をかばう時、私は安心して休む」(1997年)は、かなり大きな立体作品(183×173×20cm)です。ビロードの布の中にクッションのようなものが入っていて、そのビロードの両端を長い針と糸で縫い合わせている途中です。半分くらいはまだ縫い合わされていなくて、閉じられていないクッションのところに糸がついたままの針が刺さっています。クッションがからだ、ビロードが皮膚だとすれば、なんとも痛々しい感じがします。でも、最後まで縫い合わされて完全に閉じられれば、外の刺激から保護されてからだは安心できるのかもしれませんが。
 
 第3章は「彫刻にさわる」です。ここには、柳原義達の作品を中心にブロンズ像が展示されていて、すべて触って鑑賞できます。その中の1点は、できるだけ目を使わないで触って鑑賞してほしいとの意図からでしょう、左右と上が囲われたトンネルのようなものに入っていて、入口から手を入れて触るようになっていました。なお、三重県立美術館には柳原義達記念館が付属していて、記念館に展示されている大部分の彫刻は見えない人は触って鑑賞できます。
 柳原義達(1910〜2004年)の作品5点に触りました。まず、「猫」(1963年)です。前足と左の後ろ足は分かりましたが、右の後ろ足がありません。探していると、背中の上に指のようなのがあって、たぶん右足で背中を掻いているのではないかと思いました。顔は鼻のようなふくらみがあるくらい、尻尾は上にぴんと立っていました。次も、同じく「猫」(1964年)。これは触っても、とても「猫」とは思えないものでした。長さ50cmくらいの細長い物体が展示台にべたあっと置いてあります。いちおう頭らしき所はありますが、足も尻尾もありません。地面を這っているなにか爬虫類のようなものかと思いました。猫が足を全部体の下に折りたたんで床に伸びているところなのでしょうか?
 「座る女」(1958年)は、ほぼ等身大の女性が、両脚を伸ばして座っています。顔は少しだけ左を向き、上半身もわずかに左にねじっているようです。両腕は下がっていて、両手は太ももの上にあるようですが、あまりはっきりとは表現されていません。両足先は重なっています。広い背にボリューム感を感じます。「しゃがむ女」(1958年)も、両脚を前に伸ばして座っていますが、かなり苦しそうな姿勢です。上半身をやや左にねじりながらこれでもかというほどに前屈させ、顔はほぼ真左を向いています。そして左脚を右脚の上に乗せて膝のあたりで交差させそのまま真っ直ぐ伸ばし足先は宙に浮いた状態ですが、(安定のためなのでしょうか)右足のかかとからは足先とは反対方向にも長い突起が伸びていて台に接しています。分厚い腹部と胸部は内側に押しつけられてしわがより胸の膨らみもやや下向きに出ています。背中側のほうは大きく引き伸ばされていて、その広い曲面は形もきれいで、触って心地よく感じました。
 「鳩」(1960年代)は、長さ30cm余で、羽を閉じ、とくに胸の部分が大きいです。その大きな胸が台に接していて、胸で支えられているようでした。全体にかわいい感じがしました。柳原義達の作品は実際の姿に忠実と言うよりも、それらの特徴をとらえてそれを極端なほど強調してつくっているように思います。また、指あとのようなのや粘土のきずのようなものまで残っていて、ダイナミックな感じもしました。
 佐藤忠良(1912〜2011年)と舟越保武(1912〜2002年)の頭像がそれぞれ1点ずつ展示されていました。佐藤忠良の「群馬の人」(1952年)は、頬が両側に少し出っ張っているふつうの男の人という感じがして、あまり特徴を感じませんでした。この作品は、佐藤が自分の知っている多くの人たちの顔の特徴をとらえてつくったもので、日本人っぽい顔だと高く評価されているそうですが、私にはあまりよくわかりません。舟越保武の「OHNO嬢」(1982年)は、とても整った、きれいな女性の顔だと思いました。とくに頬あたりの曲面はなんともきれいだし、耳が少し隠れるくらいまでの髪の形と流れもとても好ましく感じました。ある女性の忠実な姿なのかもしれませんが、私には理想的な形のようにも思えました。
 ほぼ同時代の、日本を代表する3人の彫刻家の作品の特徴が少しとらえられるのではないかと思われる展示でした。
 
 第4章は「オノマトペと共感覚」。ここには、元永定正(1922〜2011年、三重県伊賀市上野出身)の作品が10点近く展示されています。
 元永定正は抽象画家・前衛画家として有名な方で、キャンバス上に絵具をたらし込んだり、絵具ではなくアクリルやエアブラシを使って制作しているそうです。どんな絵なのか説明しにくそうですし、また私もよくは理解できませんでした。でも、作品のタイトルを並べてみるだけでも
「作品」 「Piron Piron」 「作品 funny 79」 「O.-O.-O」 「Nyu Nyu Nyu Nyu」 「せんせん」 「かたちちちち」 「せんがおおゆれ」
となっていて、その発音やリズムだけでもちょっと感覚がゆさぶられるというか、ひきつけられます。例えば「Piron Piron」は、そのタイトルから私はなにか巻貝のように巻いているものがほどけて広がり、ぶらぶらしているような感じを受けます。この作品について、全体の形はなにかオウムガイのようにも見え、ピンクから黄色あるいは水色で、中には液体が詰っていてはちきれそうな感じで、なにか生き物っぽい印象を受けるというような説明していました。また、「作品 funny 79」では、生き物っぽいオレンジのゴム人形のようなものと黄緑のゴム人形のようなものが向い合い、互いに手あるいは腕のようなのを上げて会話しているように見えるとか。そしてこの生き物っぽいものが、「O.-O.-O」では3体に、「Nyu Nyu Nyu Nyu」では6体?に増えているらしい!「せんがおおゆれ」は、ネットのようなのがゆらゆら揺れていて、そのネットの網目からは足や尻尾のようなのが十数本も出ているとか。本当のところは私にはやはりよく分からないのですが、なにやらいろいろな感覚を刺激する作品たちです。
 
 以上、すっかり長くなってしまいましたが、担当の学芸員さんが言葉で解説してくださった内容を中心に文章にしてみました。2時間以上にわたって、ほとんどすべての作品について説明してもらいましたが、まったく飽きることもなく、次々と興味をひくような作品があらわれてきます。視覚中心の作品を、こんな観点からも鑑賞することができるのだということが体感できる、とても刺激的で楽しい展覧会でした。 (帰りには、常設展示のシャガールの作品も案内してもらい、思い出の「枝」と再会できました。)
 
(2021年7月5日)