メトロポリタン美術館展を見学

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 昨年末の12月25日、知り合いのKさん、Mさんと一緒に、大阪市立美術館で1月16日まで開催されている「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」展を見学しました。
 15世紀から19世紀までの巨匠たちの60数点の絵たちを一度に鑑賞できるというすごい展覧会で、私のように絵についてあまりよくわかっていない者にとっては、ちょっと尻込みしそうになりますが、せっかくの機会なので行ってみました。この展覧会で、15世紀から19世紀まで、ルネサンス期からバロック、ロココ、新古典主義、ロマン主義、写実主義、印象主義、ポスト印象主義といった、西洋美術史の流れを勉強することにもなりました。ちなみに、早わかり!西洋美術の歴史はとても参考になりました。私がとくに興味深く感じ、また印象に残ったのは、17世紀オランダの黄金期(貿易で巨富を得て豊かな暮らしをし、また強力な政治的・宗教的権力からもかなり自由だった時代)に生まれた、風景画、風俗画、静物画など先進的とも思える絵たちでした。そしてそこに、豊かな暮らしの裏にある虚しさのようなものまでしばしば登場するのもよかったです。
 2時間半くらいかけてほぼ全部の作品をざっとですが説明してもらったのですが、途中から私たちのグループに偶然にも美術史についてとても詳しそうな方が加わり一緒に回ってくれて、しばしば補足的にいろいろ説明してくださり、とても参考になりました。以下私のごく簡単なメモをもとに作品について書いてみます。なお、今回の展覧会の全作品65点について、各作品を1分で解説した動画があり(美術史チャンネル)、音声の解説だけでもとても参考になりました。以下の文中「解説によれば」とあるのは、この美術史チャンネルの音声解説のことです。もちろん私の記述には、私自身画面を直接見てはいないし、多々間違いがあると思いますが、勉強だと思って書いてみました。
 
T 信仰とルネサンス(15〜16世紀、17点)
 ヘラルト・ダーフィット(1460?〜1523年、フランドル(オランダ))の「エジプトへの逃避途上の休息」(1512-15年ころ)。青い衣の聖母が幼子を抱いています。背景には山や森などが見え(遠くは青っぽくかすんだようになっていて、空気遠近法になっているかも)、よく見ると奥のほうにも聖母子が描かれているようです(こちらのほうがヘロデ王の迫害を避けてエジプトに逃げてゆく母子らしい)。
 ダヴィデ・ギルランダイオ(1452〜1525年、イタリア・フィレンツェ)の「セルヴァッジャ・サッセッティ」(1487-88年ころ)。胸から上の、若い女性の肖像画で、金髪を中央で分けて垂らし、緑のドレスからは白いシャツがのぞいているとか。とくに目立つのは首飾りで、丸い小さな玉が連なったネックレスに真珠が3個と金のパーツがついているようで、豪華な感じが伝わってきます。このモデルは、フィレンツェの銀行家の娘だとか。
 フィリッポ・リッピ(1406〜1469年、イタリア・フィレンツェ。ボッティチェッリの師でもある)の「玉座の聖母子と二人の天使」(1440年ころ)。タイトル通り、椅子に腰かけ右手にバラの花を持つマリアが膝の上に幼子を抱き、マリアの左右に天使がいます。天使の髪の毛や本(聖書?)の文字なども細かく描かれ、また聖母子は立体的に描かれ威厳?を感じられるとか。なお、この作品はもともとは三連祭壇画の中央のパネル(テンペラ)として制作されたもののようです。
 フラ・アンジェリコ(14世紀末〜1455年、最初期ルネサンス期でリッピとともに重要の画家)の「キリストの磔刑」(1420-23年ころ)。キリストが磔にされた十字架の下に、多くの人が集まり、また女性(聖母)がショックで倒れ込み5人(聖人?)に支えられているようです(十字架の下には頭蓋骨も見えているようだ)。十字架の近くには槍を持った男、十字架の回りには馬に乗った兵士も見えています。集まった人々の悲しみなどの表情や衣装は細かく描き分けられ、人間味が感じられるとか。背景は金地で、十字架の回りには天使も見えているそうです。人の描写や奥行感のある配置などに、ルネサンスの特徴があらわれているようです。なお、解説によれば、フラ・アンジェリコはドミニコ会の敬虔な修道士で、没後まもなく「天使のような修道士」(フラ=修道士 アンジェリコ=天使のような)と呼ばれるようになったとのこと(本名は、グイド・ディ・ピエトロ)。また彼は、1点透視図法を用いて三次元空間を表現した最初の画家の1人だということです。
 カルロ・クリヴェッリ(1430ころ〜1495年、イタリア)の「聖母子」(1480年ころ)。聖母が赤子をなにかクッションのようなものの上に座らせ支えています。聖母マリアは金糸で飾られた青い衣を身に着け頭の円光も金に輝き宝石?も見えているようですが、身体はほっそりしていて、とくに指はとても細長いとのこと。赤子の手には小さな鳥が握られ、下には小さな虫(ハエ)が見えているとのこと。このハエは実物大でとてもリアルに描かれているそうです。調べてみると、小さな鳥はゴシキヒワで、ゴシキヒワは贖罪の象徴であり、またハエは罪と悪の象徴だとか。いろいろな要素が混在している絵のような感じがしました。
 ディーリック・バウツ(1410-1420ころ〜1475年、ネーデルラント)の「聖母子」(1455-60年ころ)。聖母マリアが赤子を胸の高さまで抱き上げ、頬を寄せ見つめ合っています(赤子は裸体ですが、お尻から足にかけては白い布が当てられマリアの両手で支えられている)。毛髪の1本1本や指の細かい所まで、とても細密にリアルに描かれているそうです。
 ペトルス・クリストゥス(1410-1420〜1475-1476年、フランドル)の「キリストの哀悼」(1450年ころ)。丘の上の十字架から下ろされたキリストと、その回りの人たちが描かれています。キリストは白い布に横たえられ、手や脚、脇からは血も流れているよう。回りには釘や金鎚、ばらばらになった頭蓋骨まで散らばっていて、磔の場面が想起されます。キリストの奥には、倒れ込むマリアを数人の人が支えています。これは小さな絵(26×36cmくらい)で、キリストの受難を視覚的にも共感できるものとして、個人の礼拝用に制作されたのではということです。
 ジョヴァンニ・ディ・パオロ(1400ころ〜1482年、シエナ派)の「楽園」(1455年)。青い空の下、木々(中にはりんごの木も)、花々が咲き乱れるなか、仲よく集う人たち、さらに動物や天使まで描かれていて、まさに楽園なのでしょう。この絵はもともとはシエナのサン・ドメニコ教会のために制作された祭壇画の下の部分を飾っていたもので、この絵にも他の人たちとともにドメニコ会の修道服を着た聖人たちが描かれているそうです。
 ラファエロ・サンティ(1483〜1520年、イタリア。若くして亡くなったが、大きな工房を持ち多くの作品を残して、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに盛期ルネサンスの三大巨匠とされる)の「ゲッセマネの祈り」(1504年頃)。ゲッセマネの祈りは、キリストが最後の晩餐の後、弟子たちを連れてオリーヴ山のふもとのゲッセマネの園に向かい、磔刑への恐れに苦悩しながら祈る場面で、弟子たちは見張るように言われていますが、眠ってしまいます。この絵はその場面を描いています。遠くの風景は青っぽく空気遠近法になっているようです。右上に天使が見え、キリストは木の下で天使に向って祈っていますが、弟子たちは座り込んで眠っているようです。繊細な描写とともに、緑、赤、青、黄色など、色がはっきりと使い分けられているのが特徴のようです。この作品も、祭壇画の下の部分にあったものだそうです。
 ドッソ・ドッシ(1490ころ〜1540年、イタリア・フェラーラ)の「人間の三世代」(1515年頃)。風景の中に、子供、若者、老人がそれぞれ2人ずつ計6人描かれています。若い男女が頬を寄せ合ってむつまじくしているのを、背後の茂みに数頭いるヤギが見ており(この若者は羊飼いなのかも)、また岩陰から子供たちが興味深げにのぞいています。人の3世代・3段階をテーマとした絵は多く描かれていて、若者も子供もやがては老いていくという教訓的な意味合いを持つとともに、この絵の場合は人が管理すべき家畜に人が見られているという逆転が表わされているようです。
 パオロ・ヴェロネーゼ(1528〜1588年、イタリア・ヴェネチア)の「少年とグレイ・ハウンド」(1570年代?)。豪華な上着と半ズボンを着け剣を下げた男(少年というより中年のように見えるとか)の肖像です。かたわらに大きな細身の筋肉質の犬が寄り添うように立ち、背景は空と建物です。グレイ・ハウンドは猟犬で、ハンティングは当時の貴族のたしなみ。モデルは貴族の息子で、絵のサイズも大きく、その邸宅にでも飾られたのでしょう。
 ティツィアーノ・ヴエッチェリオ(1488〜1576年、イタリア・ヴェネチア)の「ヴィーナスとアドニス」(1550年代)。アドニスはギリシャ神話に出てくる美少年で、この作品は、キプロス島の美少年アドニスに恋をしたヴィーナスが、危険な狩りに出ようとするアドニスを制止する場面を描いたものだそうです。アドニスは槍を手にし、犬を従え、狩りに行こうと足を踏み出しています。それをなんとしてでも止めさせようと、裸のヴィーナスが身をよじりながら抱きついています。そしてキューピッドは愛の女神ヴィーナスを象徴する鳩を抱きながら様子を見ているそうです。この後、ヴィーナスの不安は的中し、アドニスはイノシシに突き殺されてしまいます。ティツィアーノは、片足を踏み出すアドニスと彼を引き留めるヴィーナスの動作の絶妙な対比や、雲間から差すドラマティックな光によって、緊迫した雰囲気を巧みに強調しています。(この後、ヴィーナスの不安は的中し、アドニスはイノシシに突き殺されてしまい、流れ出た血からアネモネの花が生まれたということです。)
 エル・グレコ(1541〜1614年、クレタ島生まれで、イタリアの後、主にスペインで活躍、マニエリスム)の「羊飼いの礼拝(1605-10年頃)。夜の闇の中、天使たちが空を舞う下で、イエスの誕生に興奮と驚きを示す羊飼いたちなどの人々が描かれています。幼子イエスが画面中央に配され、そこから強い白い光が回りに放射して、その光で周囲の聖母や羊飼いたちの表情や身振りまで暗闇のなかに輝くように浮かび上がらせているそうです。(人物の体は少し長く引き伸ばされているようだ。)なにかドラマチックな感じのする絵です。
 ピエロ・ディ・コジモ(1462年ころ〜1521年、イタリア・フィレンツェ、本名はピエトロ・ディ・ロレンツォ)の「狩りの場面」(1494-1500年頃)。これは、なんともすごい絵だと思いました。森の中、木々の間に火が見え、動物が逃げ出し、鳥が空を舞い、人や半獣人が動物と戦い、さらに動物同士も戦っているようです。ギリシャ神話に出てくるサチュロス(下半身がヤギ)やケンタウロス(下半身が馬)とともに、獣の皮を着た人たちが棍棒を持ち動物を殴り、鹿や猿などが逃げ出し、また熊とライオン?が戦ったりしているようです。原始の人間が火を使って狩りをし始めたころの様子を神話のモチーフも使ってあらわしているのでしょうか。
 ハンス・ホルバイン(子)(1497-98ころ〜1543年、南ドイツ生まれ、後にイングランドで活動)の「ベネディクト・フォン・ヘルテンシュタイン」(1517年)。腰から上の若者の肖像画だそうです。(モデルのヘルテンシュタインは、スイスの行政官の息子だそうです。)顔は、小さな目、大きな鼻、厚い唇が特徴で、当時の流行の衣装や宝石も着けていて、豊かさも感じられるとか。
 ヒューホ・ファン・デル・フース(1440ころ〜1482年、ネーデルラント)の「男性の肖像」(1475年ころ)。タイトル通り、男性の肖像で、手を合わせ、髪も衣装も黒いようです。顔の輪郭がはっきり描かれひげや爪など細部もよく描かれているようです。
 ルカス・クラーナハ(父)(1472〜1553年、ドイツ)の「パリスの審判」(1528年ころ)。パリスの審判はギリシャ神話に出てくるお話で、ペレウス王の結婚式に自分だけが招待されなかったことを恨んだ不和の女神エリスが、宴席に黄金のりんごを投げいれ、そのりんごに「最も美しい女性に」と記されていたため、3人の女神(ヘラ・アフロディテ・アテナ(ローマ神話では、ユノ・ヴィーナス・ミネルヴァ))が美を競い合うことになり、ゼウスがトロイアの若い王子パリスにその審判をさせた、というものです。左側のパリスは鎧を着けて座り、右側のヘルメス(老人の姿)が水晶のような玉(りんご)を持っています。中央の3人の女神は、側面、正面、背面と、それぞれ異なった方向から、しなやかな裸体が描かれているそうです。3人のうちヴィーナスがだれかは分かりませんが、一緒に行った人は正面向きの赤い大きな帽子をかぶった人ではないかと言っていました。背景は岩山のようで、大木の上のキューピッドは矢をヴィーナス?に向けているとか。なお、同画家による同タイトルの絵が10点くらい現存しているようです。
 
U 絶対主義と啓蒙主義の時代(17〜18世紀、30点)
 ディエゴ・ベラスケス(1599〜1660年、スペイン、フェリペ4世の宮廷画家)とその工坊の「オリバーレス伯公爵・ガスパール・デ・グスマン」(1636年ころ)。ベラスケスが好んで制作した権力者の騎馬像です(私は、2018年の秋に兵庫県立美術館で開催されたプラド美術館展で、「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」を解説してもらいました)。つばが広い羽根飾り付きの帽子をかぶるひげの男性が、黒く光る鎧を着け、手袋をした右手に指揮棒を持ち、前脚を上げて立ち上がろうとする白い馬に乗っています。遠くには白い煙のようなのが見え、戦場に向うのでしょうか。ただ、この絵、それぞれの部分はよく描けているものの、全体のバランス・かたちがもうひとつで、なんか出来がよくないのではということです。たぶん多くの部分をベラスケスではなく工房の人たちが描いたからでしょう。
 ジャン・シメオン・シャルダン(1699〜1779年)の「シャボン玉」(1733-34年ころ)。少年が窓の上に手をかけ、ガラスのコップに入れた石鹸を溶いた水を付けたストローでシャボン玉を吹いています。もう1人の子供はそれをうっとりと興味深げに見ているようです。この子供たちは身形からそんなに上流階級ではなさそう。シャルダンは庶民の生活の場面、とくにコマ回しやカードゲームなど子供の遊びの場面をよく描いているそうです。このころ、シャボン玉は命のはかなさを暗示するモチーフとして絵に描かれているそうですが、この絵では単純に子供の遊びをあらわしているだけかも知れません。シャルダンと言えばロココの画家と思っていましたが、この絵では現実のすがたをよくとらえた風俗画になっているようです。
 ヤン・ステーン(1626〜1679年、オランダ)の「テラスの陽気な集い」(1670年ころ)。音楽がながれる宴会場での飲み会なのでしょうか、多くの人たちでにぎわい、なかには酔っぱらったような人もいて、あちこちで盛り上がっているようです。弦楽器や笛を演奏する人、顔を寄せ合う男女、男を誘うかのような女性、車付きの木馬のおもちゃで遊ぶ子供など、雑然とざわついたいろんな場面があらわされているようです。ヤン・ステーンは、多くの人たちが登場する生活や祭りなどの場面をよく描いているようです。
 ルーベンス(1577〜1640年、イタリアで絵を学び、バロック期オランダの代表的画家として活躍)の「聖家族と聖フランチェスコ、聖アンナ、幼い洗礼者聖ヨハネ」(1630年代)。この絵は縦横とも2mくらいある(やや横長?)の大きな絵のようです。聖母マリアの母アンナが幼子イエスとマリアをやさしく見守り、夫のヨセフは奥に目立たないように描かれているようです。粗末な衣の聖人フランチェスコが身を乗り出すようにして幼子とマリアを見つめ、イエスの足には毛皮の衣を着けた幼いヨハネがすがりつくようにしているようです。幼子イエスやマリアの肉体の表現がやさしい感じで、一緒に行った人はちょっと見入っていました。私は、千年も後のアッシジのフランチェスコが聖家族の絵の中に入っていることがふしぎでした。背景には教会も見えているようです。
 サルヴァトール・ローザ(1615〜1673年、イタリア)の「自画像」(1647年ころ)。黒い服の男性が、頭蓋骨の表面にペンで文字を書いているそうです。解説によれば、それはギリシャ語で「見よ、最後にはどこに行こうというのか」といったような内容だとのこと。そしてこの言葉が記された頭蓋骨の下にある本の著者は、人生を死への旅だと考えたローマの哲学者セネカ。また頭に被っているのは墓地に植えられるイトスギの枝葉を編んで作った冠だとのこと。このように、この絵は死に深く関わるモチーフでいっぱいだが、なんと友人への贈り物だったということです。
 ピーテル・クラース(1597ころ〜1660年、オランダ)の「髑髏と羽根ペンのある静物」(1628年)。石の机の上に、人の骨、本、ペン、グラス、ランプなどいろいろの物が見えるようです。解説によれば、灯が消えたばかりのランプは、命の炎がいつか燃え尽きることを、頭蓋骨は、命の尽きた肉体はやがては骨だけになることを、不安定で倒れそうなグラスは、先の見えない人生を、本とペンは、学問を積み本を書くこともはかない現世で時を費やさせるだけのものということを暗示しているようです。17世紀のオランダでは、事物や花を描く静物画が独立したジャンルになったとのこと。当時オランダは貿易により黄金期を迎え、市民は豊かな暮らしぶりを誇示していましたが、そのような世相に対する寓意・教訓として、このような人生のはかなさ・虚しさを思わせる静物画(=ヴァニタス)が多く制作されたようです。
 グイド・カニャッチ(1601〜1663年、イタリア)の「クレオパトラの死」(1645-55年ころ)。有名なクレオパトラの自殺の場面です。豪華な衣装と宝石を着けた女性が、天を仰ぎ、はだけた胸に蛇を向けています。毒蛇の頭は見えていませんが、隠されることで毒の牙はどこだろうと、かえって見るものの恐怖をそそるのかも知れません。
 アンニーバレ・カラッチ(1560〜1609年、イタリア・ボローニャ派)の「猫をからかう2人の子ども」(1587-88年ころ)。黄色い服を着た少年が、机の上で、左手で猫をなでながらもう片方の手でザリガニを向けています。そして隣りの女の子はその机の上に手を置きながら成り行きを見ているようです。この絵を見ると、すぐに「あぶない!」(女の子が手を猫に引っかかれる)と思うようです。宗教画が圧倒的に優勢な地域・時代において、このような日常の何気なさそうな瞬間をとらえ、そしてそこに「寝た子を起こすな」風の教訓的な意味も盛り込んでいることに感心します。
 シモン・ヴーエ(1590〜1649ころ、フランス。長くイタリアで研鑽し、フランスにイタリア美術の新しい様式をもたらした)の「ギターを弾く女性」(1618年ころ)。派手派手しい?サテンの服と赤いスカートを着け、弦楽器を弾いている女性です。もしかすると、そんなに身分の高くない女性かも(その視線からは、なにか諦めたような感じがするとか)。解説によれば、背景は黒で、強い光が差し込むことで、明暗のコントラストが強調されるというこの絵の特徴は、イタリア留学のさいのカラヴァッジョの影響らしいです。
 カラヴァッジョ(1679〜1610年、イタリア)の「音楽家たち」(1597年)。4人の少年が描かれています。3人は楽器を演奏したり歌ったりしていて、リュートを弾いている人、角笛を手にしている人、楽譜ではなく本に目を向けている人です。もう1人キューピッドのような翼のある少年がいて、ブドウの房に手を伸ばしています。この絵は、カラヴァッジョの最初のパトロンであるデル・モンテ枢機卿のために描かれたもので、そこで催された若者たちの音楽の集まりがモデルになっているようです。カラヴァッジョと言えば、光と陰の明暗をくっきりと描き分けて人の姿をまるで映像のように写実的・劇的に描と聞きますが、初期の作品だからでしょうか、そのような特徴はあまり見て取ないようです。
 ニコラ・プッサン(1594〜1665年、フランス。主にローマで活躍、)の「足の不自由な男を癒す聖ペテロと聖ヨハネ》(1655年)。人々が集まっているエルサレムの神殿の階段の所で、聖ペテロと聖ヨハネが足の不自由な物乞いの男を癒している場面です。階段が手前から奥に向って遠近法的に描かれ、その三角形の中に人々が配置されているようです。階段のいちばん上、三角形の頂点にいるペテロとパウロが、階段に座っている2人の足の悪い男を癒しています。プッサンは、フランスの古典主義様式の先駆者で、1648年に設けられた王立絵画彫刻アカデミーで模範とされたそうです。
 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617〜1682年、スペイン)の「聖母子」(1670年代)。聖母マリアが裸の幼子(赤子)を膝の上に乗せやさしく見守っています(乳を与えるところなのでしょうか)。赤子はこちらを振り返るようにしていて、額が広いようです。母子の上半身に光が当たっていて、母子間の人間味あふれる情愛がよりいっそう劇的に感じられるようです。一緒に行った方は、これまでいくつか見てきた聖母子像の多くは表情がなにかきびしいと言うか人間らしい母子感があまり伝わってこなかったが、これはとても人間味があって良いと感じ入っていました。バロック期の特徴がよくあらわされている絵なのかもと思いました。(プラド美術館展でもムリーリョの「小鳥のいる聖家族」が展示されていて、あたたかい雰囲気だったことを思い出しました。)
 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593〜1652年、フランス・ロレーヌ地方)の「女占い師」(1630年代)。金持ちの若い男を、老女の占い師と身分の低そうな3人の女性(すりを働くグループ?)が取り囲んでいます。老女は占いに使うのか若者からコインを受け取っており、占いに夢中になっている若者のすきを狙って、左の女が若者のポケットから財布を抜き取ろうとしており、奥の女はその財布をすぐ受け渡してもらえるように手を出し、さらにもう1人の女ははさみで若者のメダル?の鎖を切ろうとしているようです。金持ちの坊ちゃんが女4人にすってんてんにされそうな場面ですね。同じような女占い師のテーマは、カラヴァッジョが描いて以来他の画家も何度も描いているテーマだとのこと。また、ラ・トゥールは、このような昼の明るい風俗画とともに、夜の闇のなか1点の光源で照らされている宗教画もたくさん描いているそうです。
 ハブリエル・メツー(1629〜1667年、オランダ)の「音楽の集い」(1659年)。女性がリュートを、男性がビオラのような弦楽器を演奏する準備をしているようです。召使の女性が細長いグラス?を持って来ています。床には、寒い時に足を暖める足温器があります。この絵は、当時のオランダの富裕な市民が音楽などを楽しむ快楽的な暮らしぶりをあらわしているもののようです。
 ピーテル・デ・ホーホ(1629〜1684年、オランダ)の「女主人への支払い」(1670年ころ)。安宿ないし酒場のような所で、裕福そうな(上着には金ボタンがついている)男性が女主人に代金を渡しているようで、女の手にはコインが見えるそうです。奥のほうには他のお客たちも見えていますが、その受け渡しは暗がりで行われていて、ひとときの愛のたのしみ(買春?)も想像させるようです。ホーホは、フェルメールとともに、オランダ黄金期の風俗画家だということです。
 ヨハネス・フェルメール(1632〜1675年、オランダ)の「信仰の寓意》(1670-72年ころ)。大理石の室内で、金色に縁取られた鮮やかな白と青(これはラピスかも)のドレスを身に着けた女性が台の上に座っています。女性の背景はキリストの磔刑の絵になっています。女性は右手を胸に当て、右足で床にある球体(地球儀)を踏み、天井から青いリボンで吊り下げられたガラスのような玉を見ているようです。また、床にはりんごと、石に押しつぶされている蛇が、テーブルには十字架、杯、本?が見えているようです。キリスト教関連のモチーフがいっぱいのようです。解説によれば、プロテスタントの国オランダでは、カトリック教徒は家の中に隠れてミサや集会を行っていて、この作品は隠れ教会に集うオランダのカトリック教徒のために制作された絵だったかも知れないということです。フェルメールと言ば風俗画で知られており、このような作品は極めて異例のようです。
 レンブラント・ファン・レイン(1606〜1669年、オランダ)の「フローラ」(1654年ころ)。フローラと言えば花の女神、多くの画家が描いていますね。真珠のネックレスと耳飾りお着け、頭にも花の冠、黄色のスカート?には花が集められ、手にも花を持っています。解説によれば、このフローラにはティツィアーノの描いたフローラの影響が認められるとのこと(よくは分かりません)。また、レンブラントはこの作品よりも20年前に、結婚して間ない妻サスキアをフローラの姿で描いており、その影響もあるだろうということです。
 メインデルト・ホッベマ(1638〜1709年、オランダ)の「森の道」(1670年ころ)。明るい青空の下、木々が茂り、奥に向って道が続いているようです。犬を連れた2人の人、折れた木、農家など見えているようです。空と道が目立つようですが、あまりよく分かりませんでした。静かな田舎の風景といったところでしょうか?
 ヤーコプ・ファン・ライスダール(1628-29〜1682年、オランダ。ロイスダールと表記されることが多いようだ)の「穀物畑」(1660年代中頃)。これも風景画です。広い空の下、畑が広がっており、木々のほか、風車や教会の塔も見えます。畑の左には道が続いていて、道には車のわだちが見え、犬を連れた男の人や男女の組も見えているようです。
 クロード・ロラン(1604-05〜1682年、フランス)の「日の出」(1646-47年ころ)。木々が生えた丘の上にある町の家並の上のほうからきらめく太陽がのぼっています。空は、グレーっぽい空から青っぽい空に。手前のほうの森では、羊飼いたちが家畜を追っています。とてもよい感じの風景画のようです。
ジャン=バティスト・グルーズ(1725〜1805年、フランス)の「割れた卵」(1756年)。かごから落ちて割れてしまった卵のそばで、女の子がふてくされたような顔をして座り込んでいます。回りには不機嫌そうな大人がおり、また画面の端のほうには、その割れた卵を元に戻そうとしている男の子がいます。一緒に行った人は、ちょっと作為的すぎるなあと言っていました。解説によれば、割れた卵は処女性の喪失を、男の子の動作は子供の純真さを象徴しているとのこと。そして、この割れた卵というテーマは17世紀オランダの画家の作品をモデルとしたもので、さらにこの作品に見える室内や衣装は、当時グルーズが滞在していたイタリア・ローマのものだということです。
 フランソワ・ブーシェ(1703〜1770年、フランス)の「ヴィーナスの化粧」(1751年)。身支度をしているヴィーナスを描いたもので、一緒に行った人はとてもきれいな絵だと言っていました。小首おかしげて座っているヴィーナスの肌は磁器のように白くなめらか。回りは真珠や貝のかたちのたらい?、花々、ソファやカーテンなど豪華なものでいっぱい、翼のある子ども(キューピッド)や白い鳩も見えています。18世紀フランスのロココ期を代表する画家の作品なのでしょう。解説によれば、この作品は、ルイ15世の愛人だったポンパドゥール夫人のために建造された城の、入浴の際に用いた部屋を飾るために制作されたものだそうです。
 アントワーヌ・ヴァトー(1684〜1721年、フランス)の「メズタン」(1718-20年)。50cmくらいのちょっと小さめの絵のようです。タイトルの「メズタン」は、イタリア喜劇「コメディア・デラルテ」の登場人物の一人で、報われない恋をむなしく追い求める使用人だそうです。男の人が庭の石のベンチに座り、ギターを奏でながら口を開いて歌っているようです。男の背後には、まるで女性の影のような背を向けた彫像が見えています。いくら恋の歌を歌っても、女性には届かない、そっぽを向かれてしまうことを暗示しているようです。
ジャン・オノレ・フラゴナール(1732〜1806年、フランス)の「二人の姉妹」(1769-70年ころ)。画面右側が姉、左側が妹のようです。ピンクの服を着けた姉はこちらに視線を向け、黄色の服の幼い妹をおもちゃの木馬?に乗せて遊ばせているようです。妹は姉のほうを見つめているようです。2人はいずれも髪の毛を上にまとめて巻いているようです。画面左下には人形のようなのも見えるとか。解説によれば、18世紀のフランスでシャルダンが繰り返し描いた子供の遊びのテーマに、肖像画のジャンルを組み合わせた作品だということです。一緒に行った方々も、この作品は全体にバランスのとれた良い絵だと言っていました。
 フランチェスコ・グアルディ(1712〜1793年、イタリア)の「サン・マルコ湾から望むヴェネツィア」(1765-75年ころ)。これは見ごたえのある作品のようでした。広い青空の下、画面手前には大小の船(高いマストの船や、ゴンドラのような小さな舟も)がひしめき合い、その向こうには大鐘楼、サン・マルコの教会堂、総督の宮殿などヴェネチアの建物群が見えています。青空の下、近景に船、遠景に建物群というコントラストが効いた作品のようです。
エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン(1755〜1842年、フランス)の「ラ・シャトル伯爵夫人」(1789年)。暗い室内で豪華な長椅子に座っている女性の肖像です。つばの広い黄色の麦わら?帽子をかぶり、白のモスリンの服を着て腰に幅広のリボンを巻き、手には本を持っています。このシンプルなモスリンのドレスを着て、(コルセットは使わず)腰に幅広のリボンを巻くスタイルは、解説によれば、マリー・アントワネットが身に着け流行したファッションだとのことです。ル・ブランは王妃マリー・アントワネットに重用された女性画家で、肖像画を多く描き、当時としては極めて珍しくアカデミーの会員にもなっています(革命後は1802年まで国外に出ている)。
 マリー・ドニーズ・ヴィレール(1774〜1821年、フランス)の「マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ」(1801年)。室内で、白いドレスを着て腰にはリボンを帯のように巻き、デッサンをしている女性の肖像です。部屋の割れた窓からは、仲良さそうな男女のペアが見えているとか。肖像画はふつう正面からの光で顔をはっきり描きますが、この絵では(右後ろからの)逆光で描かれているそうです。ですので顔は暗めではっきりしないようですが、金髪や左肩の白い肌が輝くようにあらわされていて、目を魅くようです。この作品は以前は新古典主義のダヴィッドの作とされていましたが、20世紀末になってヴィレールの作ということになったそうです。(当時美術界でも女性はなかなか認められず、男性の名前で発表することもあったらしいです。)
 
V 革命と人々のための芸術(19世紀、18点)
 ジャン=レオン・ジェローム(1824〜1904年、フランス)の「ピュグマリオンとガラテア」(1890年ころ)。暗い室内で、苦悶の表情の男性に、女性がキスをしています。女性は、膝まではまるで石像のように見えるのにたいし、膝から上は生身の裸体の女性で、肌は筆のタッチがまったく分からないくらい陶器のようにつやつやしているそうです。石彫用のハンマーや、キューピッドも見え、示唆的です。この絵は、ギリシャ神話の物語を絵にしたものだとのこと。ピュグマリオンはキプロス島の王で彫刻家でもあり、自分の造った理想の女性像ガラテアに恋してしまいますが、像はあくまでも大理石の像なのでそれには応えてくれません。ピュグマリオンは美の女神アフロディテ(ヴィーナス)にガラテアに命を与えてくれるよう懸命に祈ります。この絵は、ガラテアに命が宿った瞬間おあらわしたもので、とてもうまく表現されているなあと思いました。ジェロームは19世紀後半のアカデミズムの代表的な画家で、その絵はとにかくきれいなようですが、同時に彫刻家でもあり、「ピュグマリオンとガラテア」という群像も造っているそうです。もしかすると、自身にピュグマリオンを重ねて制作しているのかもと思ったりです。なお、一緒に回ったス方は、ジェロームはとても好みだと言っていました。
 ギュスターヴ・クールベ(1819〜1877年、フランス)の「水浴する若い女性」(1866年)。森の奥から流れてくる小川に足を浸している裸婦の絵です。女性の裸体はやわらかそうな肉付きや滑らかな肌、微妙な凹凸などありのままのすがたを忠実にあらわしているようです。また水しぶきなどは粗いタッチで描かれているそうです。この絵は上のジェロームの作品と並べて展示されていて、ジェロームのアカデミズムとクールベの写実主義・自然主義が比べられるとのことです。ちなみに、クールベは1855年のパリ万国博の際、自信作の「画家のアトリエ」や「オルナンの埋葬」などが出品を拒否されたので、博覧会場の近くに小屋を建てて自分の作品を多数展示、これが世界で初の個展になったとか。
 J・M・ウィリアム・ターナー(1775〜1851年、イギリス)の「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む」(1835年ころ)。この作品は、前に紹介したフランチェスコ・グアルディの「サン・マルコ湾から望むヴェネツィア」に描かれた同じ場所を45度角度を変えて見える風景を描いたものだそうです。中央に手前から奥に向って水路が続いていくつもの船が行き交い、その両岸に建物群が並んでいて、遠近法で描かれているそうです。青空の下、水面に影が映り透明感も感じるとか。遠くのほうほどぼんやりと靄っているように描かれていて、湿気のある空気感も伝わってきて、水の都ヴェネチアの雰囲気が出ているようです。ターナーはイタリアに何度も滞在していて、ヴェネチアの風景を好んで描いています。
 クールベの作品がもう1点「漁船」(1865年)。これは風景画です。画面手前に、海岸の岩場に打ち上げられたような感じ?で帆船が見えます(ロープや帆布も細かく描かれているとか)。空は薄く赤っぽくなっていて、海は水色から青、波は粗いタッチで描かれ波立っているようです。ちょっとひなびた漁村の風景のように感じました。
 オノレ・ドーミエ(1808〜1879年、フランス)の「三等客車」(1862-64年ころ)。もっとも安い料金の車内の様子です。車窓から光が入り、幼子を抱えている母親、バスケットを持っている老婆、眠りこけている少年が見え、その前後にも多くの老若男女が見えているようです。全体にくすんだような色が多く使われ、貧しい人たちでごった返している狭い車内の様子がよくわかるようです。ドーミエは多くの風刺画で有名ですね。絵画でも貧しい人たちの暮らしぶりをそのまま描いているのでしょう。
 カミーユ・コロー(1796〜1875年、フランス)の「遠くに塔のある川の風景」(1865年)。川が手前から奥に向かい、遠くには高い塔が見え、近くには木々や家々、川には船と漁師、陸地には女性と子供が見えているようです。解説によれば、いろいろなモチーフが対比的に示されている風景画だということです。
 フランシスコ・デ・ゴヤ(1746〜1828年、スペイン)の「ホセ・コスタ・イ・ボネルス」(1810年頃)。おそらく注文に応じて制作されたのでしょう、上流階級の男の子の肖像画です。金糸の刺繍付きの緑色の服などよい身形をし、右手に羽根飾り付きの黒い帽子、左手に車輪付きの板に乗ったおもちゃの馬の手綱、おもちゃの太鼓や銃剣も見えています。将来勇敢な軍人への道を暗示するような絵ですが、当時スペインはナポレオンの支配に対して抵抗運動をしていたので、現実の悲惨な戦いをも隠喩しているのではと思ったりです。
 エドゥアール・マネ(1832〜1883年、フランス)の「剣を持つ少年」(1861年)。グレーの背景の前に、白い襟の暗い色の衣装を着け、ベルトの付いた剣を手にして、じっと前を見ている少年の肖像画です。上のゴヤの少年の肖像画と比べると、ずっとシンプルな肖像画です。解説によれば、この絵には、白い襟の暗い衣装を着けて堂々と立っているなど、マネが高く評価した17世紀スペインの画家ベラスケスの肖像画の影響が見られるとのことです。
 アルフレッド・シスレー(1839〜1899年、フランス)の「ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌの橋」(1872年)。水平に伸びる川に、大きな吊り橋(橋脚は石)が手前から奥に向って架かっています。川の水面には、青空や雲、土手の緑の草が映っているようです。橋の下には小さな船や人物が見え、橋の巨大さが強調されているようです。この橋はパリの北のセーヌ川に架かる橋で、普仏戦争で破壊されてすぐ再建されたものだそうです。
 ポール・セザンヌ(1839〜1906年、フランス)は「ガルダンヌ」(1885-86年)と「リンゴと洋ナシのある静物」(1891-92年ころ)の2点展示されていました。ガルダンヌは、セザンヌの故郷エクス・アン・プロヴァンスの南にある村だそうです。縦長の画面で、丘の斜面に下から上にちょっと不揃いに?赤い屋根の家々が配され、その上に教会の塔も見えているようです。解説によれば、白い下地のままの塗り残しのような部分があちこちにあり、それは赤や青、緑などであらわされたモチーフを相対的に強調する役割を果しているらしいです。「リンゴと洋ナシのある静物」は、青い壁の前の茶色の机の上の白い皿に、赤と黄のリンゴと緑のナシがそれぞれ4個ずつ?見えます。壁や机はちょっとゆがんだように見えるようですが、全体としては安定感がありしっかり存在感が伝わってくるようです。解説によれば、皿は上のほうから見たように、果物は横から見たように描かれており、異なる視点からのイメージを合わせたような表現になっているとのこと。両作品とも、20世紀のキュビズムなど抽象絵画につながる手法がうかがえる作品のようです。
 クロード・モネ(1840〜1926年、フランス)は「木馬に乗るジャン・モネ」(1872年)と「睡蓮」(1916-19年)の、若いころと晩年の2点です。「木馬に乗るジャン・モネ」は、三輪車になっている木馬に乗っている5、6歳の帽子をかぶった男の子(女の子っぽく見える?)で、モネの息子だそうです。モネと言えば印象派の騎手旗手ですが、この作品ではそういう感じはあまりしないようです。「睡蓮」は、明度の変化する青や緑が全体に広がっていて、その中に赤や黄、白も見えますが、何が描かれているのかよく分からないようです。当時すでに視力が衰えていたことも関係しているのでしょうか、物の輪郭のようなのは見ても分からないようです。解説によれば、この作品を描くころにはモネは細長いタッチを連ねて色の面をつくる流動的な絵のスタイルを確立しており、この作品でも抽象芸術の出発点とも言うべき内容を示しているということです。
 フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890年、オランダ)の「花咲く果樹園」(1888年)。1888年2月にゴッホはパリから南仏アルルに移り、間もなく訪れた春、この絵をふくめ生命力あふれる明るい花々の絵を数多く描きます。春の静かな農園の風景です。画面手前に、細く伸びる緑のタッチで草地と厚塗りの黄色やピンクの花々、その向こうに、葉が芽吹き、枝や幹は茶色、根元は輝くようなグリーンの木々が見えます。この画面、もし直接触ることができれば、私もその息吹のようなのに触れることができるかも知れません(2018年2月に行った、京都国立近代美術館のゴッホ展を思い出しました)。
 エドガー・ドガ(1834〜1917年、フランス)の「踊り子たち、ピンクと緑」(1890年ころ)。ドガはバレエのダンサーをモチーフとした多数の絵を描いている画家。この絵では、物陰から覗き見るような視点から、舞台裏で衣装や髪の毛を整えて準備している踊り子たちの何気ない姿が描かれているようです。また、右側には、パトロンでしょうか、シルクハットの帽子の男性のシルエットも見えているようです。この時期すでにドガはかなり視力が衰えているはずです(蝋を使った彫刻も始めている)が、画面は鮮やかな色彩が多いようです。
 オーギュスト・ルノワール(1841〜1919年、フランス)は「海辺にて」(1883年)と「ヒナギクを持つ少女」(1889年)の2点です。「海辺にて」は、海岸の風景の前で、黄色の椅子に女性が座っています。海岸はノルマンディーの海岸らしく、素早いタッチで大胆に描かれているのにたいし、女性は顔の輪郭や表情がはっきりと描かれ、肌も滑らかに丁寧に描かれているようです。解説によれば、ドガは前年までイタリアを旅してルネサンスの古典主義の影響も受けたようで、この作品には新旧のスタイルの特徴がともに見られるということです。「ヒナギクを持つ少女」は、風景の前で、ヒナギクやポピーを手に持ち、髪の毛を三つ編みにした血色のよさそうな若い女性が椅子に座っています。風景も人物も様々な色が組み合わされ、人物は光が強く当たる所を厚塗りして立体的に見えるようにしているとのことです。

 以上、61人の65点の作品をざっとまとめてみました。1部や2部の画家では、名前さえ聞いたこともない、あるいは名前は聞いたことはあっても作品についてはほとんど知らない画家が多く、いちおう全画家についてネットで調べながら文章を書いたので、美術史のよいお勉強にはなりました。それにしても、実際に絵を見ることのできない私がこんなことをするのはなんとも難しいことだなあとつくづく実感しながらの作業でした。絵の良さ素晴しさは私には本当には分からないんだなあ、とくに光あるいは光と影・陰の効果を使っている絵は想像するのが極めて難しくてどうすればよいのだろうかと思いながらでした。でも、私はずうっと美にあこがれてきましたし、これからも機会があればこのような展覧会にも行ってみようと思っています。

(2022年1月11日)