ふれる博物館の「手でみる彫刻」展

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 7月5日、日本点字図書館附属 池田輝子記念「ふれる博物館」で開催中の第10回企画展「手でみる彫刻」を、同館のIさんの案内で見学しました。
 午前11時過ぎに高田馬場駅に到着、Iさんが迎えにこられていて、早速日本点字図書館へ。まず、日本点字図書館の現会長 田中徹二氏、理事長 長岡英司氏、館長 立花明彦氏のお三方と歓談する機会が設けられ、その思いもかけない厚遇に恐れ入りつつ、なつかしくいろいろとお話させていただきました。感謝の念とともに、日本点字図書館が、創設以来当事者である視覚障害者が活動の先頭に立ち指導しておられることに感銘を受けました。
 続いて、本間一夫記念室を案内してもらいました。
 ここで一番印象に残っている図像は、1953年に授賞した朝日社会奉仕賞の楯です。この賞により、本間一夫の苦しい図書館活動が一般に広く知られることになり、光明が見えたとか。30cm四方くらいのブロンズ製のレリーフです。中央に左右に大きく翼を広げた天使(女性)、向って左にスフィンクス、右に少年が配されています。女性は右手をスフィンクスの背の後ろに、左手は少年に伸ばしています。スフィンクスは頭を頂点にして全体が三角形(底部の端には2本の前脚の指が、反対側には尾のようなのがしっかり確認できる)で、そのどっしりした感じも好ましいです。少年は、左手に円い皿のようなもの(パレットだとのこと。縁にはつぶつぶがあり、絵具だろうか)、右手にはなにか幅広の棒のようなのを持っています。この像がどんな意味合いを持っているのかよくわかりませんが、心魅かれる作品でした。
 その他にも、1967年の点字毎日文化賞(本間一夫の面長の顔)、2000年の鳥居賞(鳥居篤治郎の横顔)、2003年の井上靖文化賞(井上靖の和服姿の顔)の楯などもありました(これらのレリーフに触れながら、私は本間先生のおだやかな声、鳥居篤治郎の力強い声を思い出していました)。本間先生のお顔は、実物大の胸像も触ってよく分かりました(あまり年を感じさせないような、しっかりした面長の顔立ち)。
 本間先生がふだん使っていた机や録音器など、愛用品も展示されていました。その中で注目したのは、片面が32マス、反対の面が37マスの点字板。それぞれ32マス用と37マス用の定規があり、1ページに書ける行数も37マスのほうが3行ほど多いようです。実際にどんな風に使い分けていたのかあれこれ想像します。
 日本点字図書館創立当初の品々もありました。幅1メートル余のあたたかみのある木製の本棚。釘など1本も使わない組み立て式で、増毛に疎開し、また戦後東京に戻って来る時にも、とても便利だったとのこと。増毛に疎開していた古い点字書も、中の本が酸化しないように特殊な厚紙でつくられた保管箱に入った状態で、数十箱もありました。点字でも書名の書かれた図書カードも、時代を感じました。
 
 記念室の展示品ではありませんが、関連して、ルイ・ブライユの生家と日本点字図書館の建物模型に触りました。両方とも、見えない人たちも十二分に分かる素晴しい傑作です。
 ルイ・ブライユの生家模型は25分の1の縮小だとのこと。大きな三角屋根の家とともに、家の回りの地面(道?)まで再現されています。高さ40cmくらい、幅は道まで含めて60cmくらい(家は40cmくらい)、奥行は道も含めて50cmくらい(家は30数cm)だったでしょうか、縮小割合から換算すると、実際の家は高さ10mほど、幅も10mくらいある大きな家だったようです。そしてこの模型、大きな屋根を取り外し、さらに家の前面と後面の壁、2階部分を取り外すことができるようになっており、屋根裏部屋や2階と1階の各部屋も触れられるようになっています。1階の右手前の広めの部屋は父の作業場で、ここでブライユは3歳の時に錐のようななにかとがった刃物で目を傷付け、それがもとで失明したとか。中央からやや左奥には螺旋階段があり、その付近で家が大きく2つの部分に仕切られるような構造になっているようです。さらに驚いたのは、家の回りの左側の地面も取り外せるようになっていて、地下に続く階段があらわれ、断面が半円形のトンネルのような大きな穴が開いています。縮小割合から換算すると、幅3m弱、高さ2mくらい、奥行5m弱ほどもある大きな空間で、壁面はさらさらした手触りで、土を直接彫ったような感じです。この大きな穴を何に使ったのかはっきりとは知りませんが、馬具職人だったブライユの父は、(他のクーブレ村の人たち同様)ブドウ畑も持っていたということなので、ワインの保存、あるいは製造にも使ったのではと思ったりしました。
 日本点字図書館の模型は、廊下でつながった本館と別館で、75分の1の縮小だとのこと。本館は幅60cmくらい、奥行20cmくらいの細長い建物、別館は20cm四方くらいの小さな建物でした。回りの植え込みや、外壁に数百本も垂れているという鎖まで再現されていました。この模型も、各階を順に取り外して内部を詳しく触れるようになっています。とくに別館では、地上3階の下の地下にある、地下2階までが取り外せるようになっていて(深さは10cmくらいあったでしょうか)、中に並んでいる書架の配置もはっきり分かります(さすが図書館!と思いました)。
 
 昼食後、ふれる博物館に向かい、「手でみる彫刻」展を見学しました。この企画展では、有名な彫刻の小さな樹脂製のレプリカや、実物大のデッサン用の石膏像が展示されているとともに、私の木彫作品のコーナーが設けられ、7点出品させていただいています。
 まず、常設されている「最後の晩餐」に触りました。レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノの修道院の食堂の壁に描いた巨大なフレスコ画(縦4m余、横9m余)で、それを触って分かるように半立体的に翻案した石膏製の作品です。縦60cmくらい、横130cmくらいあったでしょうか、中央にキリスト、その両側にそれぞれ3人ずつ2組、計4組12人の弟子が並んでいます。キリストは大きく描かれ、頭の後ろの壁には光輪のように半円形の輪があります。弟子の多くは中央のキリストのほうを向いていますが、向って右端の3人は互いに向かい合っているようで、ちょっと別の世界という感じです。弟子はそれぞれ様々な姿勢・姿で描かれていますが、細かく触察する気力はありませんでした。向って左から4番目がユダだとか。各人物の前のテーブル上には皿とカップのようなのが置かれていて、それぞれの皿には2、3個なにかが入っています(ワイン、パン、正餐の料理のようです)。テーブルの下からは各人物の足が出ていて、サンダルのようなのを履いているようです。
以下、企画展に展示されている彫刻の小さなレプリカたちです(詳しくは、第10回企画展 「手でみる彫刻」 - 日本点字図書館 )。
サモトラケのニケ:レプリカの高さは23cmくらい(実物は244cm)。なんと言っても、後ろに伸びている大きな両翼が印象的です。ただ、翼の外側の面は、なんか細かくがたがたしていたのが気になりました(20年近く前に、ルーブル彫刻美術館で実物大のこの像に触ったことがあって、その時は翼の細やかさ・きれいさに感動した)。頭部と腕がなく、衣を着けていて、その衣が風になびいているのでしょう、多くのひだがあって、体そのものの形を想像するのはちょっと難しかったです(後ろに大きくふわあっとなびいている衣は好ましかった)。
ミロのヴィーナス:高さ30cm弱だったでしょうか(実物は204cm)、右脚に重心をかけ、左脚を前に出している立像です(私は全体の形には初めて触れた)。体をちょっとねじっているような印象を受けました。上半身は裸体で、右腕は肘から、左腕は肩から下が欠けています。顔は正面向きですがわずかに上向きのようです(遠くを見ている?)。胸の乳房の先が外を向いていて、胸を開いて、このきれいな裸体を見てよ、とアピールしているような印象を受けました。上半身には衣をまとい、足先がちょっと出ていました。頭部については実物大のレプリカも用意されていて、整った顔だと思いました。
ダビデ像:高さ20cm余(実物は高さ5m余もある巨大な大理石像)。右脚に重心をかけ(右足の後ろには、3本に枝別れした添木のようなのがあった)、右手に小さな石を握り、左手は肩の高さで、肩から背中、腰へと垂れている幅広の帯のようなのを掴み、顔はやや左を向いているようです。左手で掴んでいる帯はスリングと呼ばれるもので、この帯に石を包んで、帯の端を中心に回して石を遠くまで飛ばす道具だとのこと。ミケランジェロ(1475〜1564年)作のこの像は、旧約聖書に出てくるイスラエル王国のダビデが巨人ゴリアテとの戦いで石を投げつける場面をあらわしたもので、1504年に完成してフィレンツェ市の広場に置かれたとのこと。きっとゴリアテに対する敵意や力強さも表現されていると思いますが、そういうところまでは感じることはできませんでした。
プロセルピナの略奪:冥界の王プルートー(ギリシャ神話のハデス)がプロセルピナ(ギリシャ神話のペルセフォネ)を連れ去ろうとする神話の場面をあらわした像です。レプリカの高さは20cm余ですが、実物は高さ225cmの大理石像。向って右側がプルートーで、左足を前に出して体重をかけ、右手でプロセルピナの太ももを掴み上げ、左手で背中を押し上げています。プロセルピナは細身の体で、逃れようとするかのように体をくねらせて右腕を斜め上に伸ばしています(プロセルピナの衣はくしゃくしゃになっていて、体部分は分かりにくかった)。抱き上げられたプロセルピナの下の空間を埋めるように、3つ首の犬が立ち、その1つの顔は口を大きく開けて威嚇しているようです。この作品は、教皇庁に依頼されてローマの多くの建築や装飾を手掛けたというベルニーニ(1598〜1680年)が1622年に完成させたもの。神話の場面をドラマチックに表現していて、バロック期の特徴がよくあらわされている作品のようです。
自由の女神:レプリカの高さも40cm近くはあったでしょうか、右手で長いトーチを掲げ、左手にはアメリカ独立記念日(JULY のほかもアルファベットのようで、数字をローマ数字で示しているようだ)の書かれた銘板を持っています。頭には帽子を着け、その帽子の回りには7つの薄い突起があります(これらは7つの大陸と海をあらわし、全世界への自由のひろがりを示しているようだ)。また足元を触ってみるとなにかがあって、自ら引きちぎった鎖や足枷を踏み付けているとか。実物の像は高さ46m、台座も含めると90m以上もあり、帽子の下の額あたりには展望窓があるとか。1886年のアメリカ独立100年祭にさいしてフランスからアメリカに贈られたもので、本体は鉄筋コンクリートで、それを銅板で覆い、その表面はきれいな緑青色になっているとか。(設計は、フランスの彫刻家フレデリック=オーギュスト・バルトルディ(1834〜1904年)で、像の正式名は「世界を照らす自由 Liberty Enlightening the World」。)
テミス:テミスは、ギリシア神話の法・掟の女神で、欧米では司法における法と正義の象徴になっているとか。高さ30cmくらいで、右手に天秤(水平の棒の中央を手で持ち、棒の両端から鎖で皿が下がっている)を持ち、左手には長い剣(悪徳に立ち向かうのでしょうか)を持っています。目には眼帯のようなのを着けていますが、これは見えなくすることで公正無私を示そうとしているようです。さらに足で蛇(邪悪の象徴)のようなのを踏み付けています。(この像の作者や実物の大きさは分かりません。)
考える人:ロダンの有名な作品で、小さなレプリカには幾度か触ったことがあります。その度に、そのちょっと無理な姿勢(上半身を深く折り曲げ、左手で膝を抱え込むようにし、右肘を左膝に突き、右手をぎゅっと曲げて手の甲を顔の下に入れている)から、「考える」というより、悩みもだえているような印象を受けます。実物は、「地獄の門」の上部に設置されている、2m近くもある大きなブロンズ像。
14歳の小さな踊り子:画家として有名なエドガー・ドガ(1834〜1917年)が1881年に制作した彫刻作品(オリジナルは蝋でつくられ、その後鋳造によるブロンズ像がつくられる)。高さは20cm余(実物は1mくらい)。左足は前向き、右足は横向きにして立ち、顔を上向け、両手を腰の後ろあたりで組み、背中をぎゅっと反らしています。胸が前に出てその中央にボタンでしょうか、丸い粒のようなのが5個ほど並んでいます。腰から下はスカートのようにふわあっとふくらんだ感じになっています。ドガは多くの踊り子の絵を描いていて、それら踊り子たちのポーズを浮き出しにした触る絵も並んでいて、いろんなポーズを楽しめました。ちなみに、ドガは60歳ころには、普仏戦争従軍時の目の負傷が原因で、ほとんど失明状態になりますが、その後もぼんやりした視力と手でパステル画や蝋による彫刻を続けたと言います。
ラオコーン:ラオコーンは、ギリシャ神話で、トロイアのアポロン神殿の神官。トロイア戦争の終盤でアテナの怒りを買い、2人の息子たちとともに巨大な蛇に襲われている場面を示したもの。レプリカは2種類あって、1つは高さ20cm弱(実物は高さ184cmの大理石像)、ラオコーンが左手で蛇の頭を、右手で胴体をつかみ戦っているようです。もう1つはもっと小さくて高さ10cm余、中央にラオコーン、その左右に息子たちが立ち、息子たちは長ーい蛇にぐるぐる巻きになっていて、触ってとても分かりにくかったです。
ブルータス:実物大の石膏製(実物は大理石製)の胸像で、高さは80cm弱、幅も50cmくらいはあったでしょうか、どっしりした感じでした。ミケランジェロが1540年ころに制作したもの。ブルータスと言えば、シーザーの裏切り者として有名ですが、この像のモデルはメディチ家のロレンツィーノだとのこと(ロレンツィーノも暗殺者であり、後で自身も暗殺される)。像の右肩には直径5cm余の円いメダルがあり、そこにはロレンツィーノの横顔が描かれているとか。
ルイ・ブライユ:点字の考案者ルイ・ブライユの実物大の胸像です。顔は目鼻立ちがしっかりしているとは思いましたが、頬の回りや目の下など、なんだか貧弱で痩せこけた?ような印象を受けました。思い過ごしでしょうが、栄養状態がよくないのか、病気がちなためなのかなどと思ったり…。
ナポレオンの帽子:本を読んだりしていてしばしば出くわしますが、触ったのは初めてでした。帽子を左右に引き伸ばして両端を鋭角にした形で、二角帽子とも言われるそうです。
弥勒菩薩半跏思惟像:高さ40cmくらいだったでしょうか(実物は高さ85cmくらい、京都・太秦の広隆寺に安置されている)、手足が細長くて体も細身で、全体に角張った所がなく滑らかな曲面で、やはり優れた作品だと思いました。円い台座に腰かけ、左足を下げて右足を左腿の上に乗せ、右膝の上に右肘をついて右手の親指と薬指で輪をつくり薬指で右頬に軽く触れています。上半身はやや前かがみになっていて、背中から腰にかけてゆるやかなカーブになっており、触ってとてもきれいに感じます。 頭の上には、後ろにちょっとなびいているような、円いシンプルな宝冠を着け、大きな耳が垂れ下がり、顔もなんだかやさしいような感じが伝わってきます。
 
 続いて、私の木彫7点です。
鎖輪:長さ10cmほどの鎖が14個、輪のようにつながっています。(長さ41cm、幅13cm、厚さ6cmの直方体からつくっている。)
考える:2016年11月に、大和正信さん制作の弥勒菩薩半跏思惟像に触る機会がありました。その時のイメージを参考に2ヶ月後くらいにつくったものです。上で紹介した半跏思惟像と比べてみると、雲泥の差、私の彫刻はまだまだだと実感しました。
考えるU:船の形に似せた台に座し、頬杖をついて考えている姿を、磨崖仏のように、彫り込んでみました。
あやうい:平皿の上にたまごが6個乗っていて、そのうち2個は皿からはみ出して転がり落ちそうです。日常のどこにでもある、あやうい感じを表現してみました。
 祈るU:多くの人たちが祈っています。
 さわる鏡:鏡に映る像を触って分かるようにと、つくってみました。向って左は凸の人形、右は凹の人形で:それぞれの鏡から45度の位置にもう1つ鏡が立っていると仮定してみてください。
風:なびく・ゆらぐ:セット作品。風になびいたり揺らいだりする姿をイメージして彫ってみました。触るとゆらゆら揺れますし、2つを一緒に回してみても面白いです。このセット作品は、1つの円柱を螺旋状に2つに切り分けて作ったものです。出き上がるまでは「難産」でした。

 以上、今回の企画展の作品たちでした。
 見学後、ふれる博物館のスタッフをはじめ10人くらいが集まり、私の木彫の制作について、皆さまからの質問にお答えするかたちで、いろいろお話しさせていただきました。今回はいろいろな彫刻に出会えましたし、また図書館の方々、ふれる博物館の方々とも交流もでき、楽しい1日でした。ありがとうございました。
 
(2022年7月11日)