ラジオで展覧会:岡本太郎

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 8月13日の午前1時台のラジオ深夜便は「ラジオで展覧会 岡本太郎」。大阪中之島美術館で10月2日まで開催されている展覧会の「展覧会 岡本太郎」の紹介です。
 この展覧会は、1970年に開催された大阪万博のテーマ館「太陽の塔」で知られ、今でも幅広い世代の人々を魅了する芸術家岡本太郎の芸術と人生を振り返る大回顧展。川崎市岡本太郎美術館や岡本太郎記念館などの所蔵作品を中心にした没後最大規模の展覧会。聞き手は中村宏、解説は担当学芸員の大下裕司です。各作品について、見えない私でもある程度は理解できるように、大きさなどの基本情報から、モチーフや色などよく解説されていて、実際に会場に行って展示解説をしてもらっているような感覚でした。以下、放送内容の書き起しです。ごく一部ですが、展覧会のみどころ岡本太郎年表を参考に、訂正したり補足説明を入れたりした部分があります。
 
 中村:この展覧会の趣旨から教えてください。
 大下:岡本太郎と言えば「太陽の塔」が非常に有名だが、大阪では長らく岡本太郎の芸術全体を紹介することはなかったので、生誕110年を越えて新たに見つかった作品もあり、そういったことを総覧的に紹介する機会が必要かと思い企画した。
 中村:規模としてこの展覧会はかなり大きいですね。
 大下:小さいものもふくめて、全部で300点ほど展示されている。若き日の画業の始まりから、晩年の絶筆までをふくめて展示している。
 中村:会場に入って、いったん少しだけ進むと、「第1章 岡本太郎誕生」から、パリ時代制作作品3点。回りとはちょっと違う特別なコーナーになっているが、どういうことでしょうか。
 大下:これまで岡本太郎の研究は盛んに行われてきたが、戦前パリで描いた作品は、岡本太郎自身が日本に持ち帰って第2次世界大回の空襲ですべて燃えてしまったと言われていたが、今回なんと戦前にパリで修業していた時代に描かれた作品が3点も発見されたということで、そのお披露目の展覧会としての意味もある。
 中村:そのパリ時代というのが、意味があるのですね、岡本にとって。
 大下:東京美術学校(今の東京芸術大学)の画学生だった岡本太郎は、父親の岡本一平が渡欧するのに伴って、一緒にパリに行き、とどまる。途中で、東京美術学校を中退する。現地でピカソの絵に出会い、涙するほど感動して、そこから自分の画業の始まりとして制作がスタートすることになる。岡本太郎は、パリに18歳で渡り、20代のほとんどをパリで過ごし、30歳になって戻ってくる。ナチスの侵攻などに伴い、日本に帰ることになる。パリから持ち帰った作品はすべて燃えてしまったと言われていたが、なんとパリにそのまま残されていた作品があった!今回、筆跡鑑定や絵具の成分などの分析を行って、岡本太郎の作品であるということが極めて高いという結果が出て、今回岡本太郎の作品だろうということで展示している。
 中村:3点はいずれも1931年から33年の間に制作されたもので、油彩(油絵)の抽象画。表題は不明。3点は、縦が80cmから110cm余、横が80cmから90cmと、いずれも縦長の作品。展示番号1の7。(右側が)作品A。少し暗く、青い背景に左側には白い横長の楕円が描かれている。真ん中には、縦に黒い紐のようなのがふわあっと空中に浮かぶように描かれている。真ん中が作品B。黒い画面の左側に白いさらしの布のようなものが縦長に描かれている。右側には、紐のついた青い風船のようなもの、そして青い葉っぱのようなのが描かれている。左側の作品cは、黒地に白で、少し幅の広い紐かさらしの布のようなものが、縦長に複雑にふわあっと舞っているように揺かれている。
 大下:この3点それぞれ違ったモチーフが描かれているが、もうすでに今後の岡本太郎の作品につながっていくようなモチーフが散見される。作品Aの中では、この黒い紐のようなものが画面を上下に渡っているが、この後の岡本太郎の作品の展開の中にも、こういった黒い細長いもの、蛇のようなもの、流れのようなものといったものが多数描かれてくるので、岡本芸術の様子をうかがえる貴重な作品なのではないかと思う。また、画面の中に見える卵や鳥の羽といったモチーフは、当時シュルレアリズムの作家たちがたぶんに用いたモチーフの1つでもあるので、他の作品にも例えば葉っぱのようなあるいは紐のような、例えば女性の体の抽象的な表現であるようなものとか、いろんな見方ができるとは思うが、すでに岡本太郎が十代で当時の風潮であるシュルレアリズムの影響を受けながら作品をつくり始めていただろうということが垣間見えると思う。
 中村:いかにも若いなあという感じがするのですが。
 大下:後年に向かって描き込みの量とかも増えていくが、筆致とかもふくめてまだやはり若描きだなあというところが見える。なのでしょうか。まず、
 中村:順路を少し戻る。「第1章 岡本太郎誕生」から、展示番号1の4 「傷ましき腕」。1936年。1949年に再制作。油絵。縦およそ112cm、横およそ162cm。頭に大きなリボンを着けた女性がテーブルに上半身を伏している、それを正面から見ている。顔は見えない。反袖の右腕だけが見えている。よく見ると、その右腕5箇所に、輪切りにでもされたような線が入っている。これは傷なのでしょうか。まず、再制作とはどういうことなのですか。
 大下:岡本はパリから日本へ戻る時、パリで描いた作品を持ち帰るが、持ち帰り先の東京は空襲に遭ってしまい、戦争から復員して戻ってみると、そこは焼け野原で、作品はすべて燃えていた。岡本は持って帰った作品の中から数点、後年になって、当時の内容のまま描き直している。それを再制作と呼んでいる。
 中村:この作品、どこをどう見たらいいのでしょう。
 大下:先ほどのパリ作品との大きな違いは、1936年以前は具体的なモチーフというのは見当たらなかった。なにかの「ように」見えるというような表現は多数あったが、この絵を見ると、明らかにリボンだし、明らかに人の腕だ。抽象表現は、そういったものが何かに具体的に見えるといった描き方はしないが、シュルレアリズムとなると、例えば有名なのはダリやマグリットだと思うが、絵には具体的に人の顔だったり時計だったり木だったりというのが多数描かれている。この絵も、リボンと人の腕と髪の毛のようなものが、見るからにそれに見えるように描かれている。ただどんな意味を持ってどんなイメージでこれが描かれたのかということは、見え切らない。この絵を見たシュルレアリズムの提唱者の1人であるアンドレ・ブルトンが、良い作品だから出しなさい、ということでシュルレアリズムの世界に入っていく1作目になる。[1936年に制作した「傷ましき腕」は、翌年サロン・デ・シュルアンデパンダン展に出品された。]
 中村:これも抽象画と言っていいんですか。
 大下:抽象的に描かれた部分はあるが、具体的に描かれている部分もあるので、その2つが同居しているというか、画面の中でぶつかり合っているという意味では、その後の岡本太郎の画風のはじまりになっているのかも知れない。
 中村:同じく「第1章 岡本太郎誕生」から、展示番号1の5 「露店」。1937年。1949年再制作。油絵。縦およそ129cm、横およそ125cm。正方形に近い作品。露店を正面から見て、露店全体ではなく店先だけを切り取っている。商品を置いたテーブルの上には、向って右側にピンクや緑のリボン、左側に紅白の縞模様のメガホンのようなもの、真ん中には腕輪が並んでいる。そのほか、ラッパや風車も売られている。暗い店の奥では、頭に赤いリボンを着けた人が横を向いて笛を吹いている。
 大下:この作品もふしぎな雰囲気を持っている。露店と言えば、市場だとかお祭りだとかにぎやかしい雰囲気だと思う。販売している人はお客さんに向けてこっちの店に寄って買ってくださいと声をかけるものだと思うが、絵を見ると、画面手前はにぎやかに陳列されているにもかかわらず、中央の女性はふさぎこんていて、色も茶色でついていない(リボンにだけは赤が入っているが)。そういった、明るい場面と暗い場面が同居し、にぎやかな所と暗い所、人の外側と内省的な場面を描いたような対比的な作品になっている。この作品は、1949年に先ほどの「傷ましき腕」と同じタイミングで再制作されていて、日本でもその当時発表された。その後しばらく経ってから、岡本自身によって1983年ニューヨークにあるグッゲンハイム美術館に寄贈され、長らく展示されてこなかったが、今回館のご厚意で貸し出していただき、再制作された4点がすべて一堂に会すという素晴しい機会となった。
 中村:「第2章 創造の孤独」から、展示番号2の11 「重工業」。1949年。油絵。縦206cm、横267cm。工場の中、画面の右半分くらい、大きく、背の高い機械がでーんと置かれていて、赤と黄色で火花のようなものも表現されている。その下で働く人もいる。画面左には、大きく真っ赤な歯車、その回りを5人の人が踊るようにというか泳ぐように回っている。その画面を左右に分けるように、大きな葱が2、3本束になって斜めに描かれている。この作品、迫ってくるような迫力がある。
 大下:この作品は、岡本太郎が工業化する社会や近代化していく社会にたいしてアプローチした作品だとも言われている。通常、工業製品を使って人間が便利に暮らすというのが工業化・近代化の主たる考え方だと思うが、実際はこの絵に描かれた歯車で回されているように、人間のほうが工業の有り方に振り回されていないか巻き込まれてはいないかというところに、岡本太郎は疑問を持ったのではないか。いっぽうで、画面にはなぜか大きな葱が横たわっており、画面中央下部にはなにかに対して意見を言いたげな人物が描かれている。これは、工業化する中で追いやられかねない立場の農業・畜産といった立場の人たちが工業と対比的に描かれている場面なのかも知れない。この絵を見ていくと、工業と農業、あるいは無機物・有機物というのが対比的に描かれていたり、人間と機械が対比的に描かれていたり、そうやって意味を考えると葱にも意味は出てくるが、一見葱と工場という関係性のなさそうなものがぶつけ合わされているというところで、岡本太郎が戦後提唱する「対極主義」という、ある物とまったく反対の物、あえて対極にある物をぶつけ合うことで発生するある種のひらきというか、それの要素同士がぶつかり合って新しい世界を開いていくということを体現した絵だと言われている。(対極主義がよく分かる絵。)
 中村:その隣り、「第2章 創造の孤独」から、展示番号2の14 「森の掟」。1950年。油絵。縦181cm、横260cm、横長の作品。森の中のような背景の真ん中に、どーんと下向きに泳ぐ真っ赤なクジラかシャチか、そういう生き物が描かれている。目がぎょろっとして、ふしぎなことに背中にチャックがついている。鋭い歯の間から人の上半身が見えている。食べられた人でしょうか。右下には、3匹の猿のような物動が大きな木の穴(うろ)の中に隠れている。左上のほうは、水中を泳ぐように人や猫、これは逃げているように見える。
 大下:この作品は、社会を取り巻くある種の権力構造だとか権威主義的なものに、世間が襲われたり脅かされている場面のように見られてもいる。ただ、中央の怪獣のような生き物の背中には大きなチャックがついていて、中になにかが入ってそうだと思わせる。ただ、岡本太郎は、このチャックが開いた時には中身がないとすれば、なんと空虚なものだ、つまり意味がない、意味がないものを構成することによって、権力や権威の空虚さを表現しようとしたとも言われている。描かれている内容は意外と具体的な人や猫や猿のようなものとかがちりばめられているが、どれもそれとは言い切れない。画面上部の猫の背中にはぜんまい(ねじ巻き)のようなのがついていたり、ふしぎな造形や形の生き物や木々が描かれている。いっぽうで、この絵には奥行というのがそれほど描かれていない。この絵を見た当時の画家たちは、色音痴だとかへたくそだとか岡本太郎を糾弾するが、実際は今見ると我々はそんなに違和感を感じない。岡本太郎の父親は岡本一平という漫画家だったが、こういったところからも、漫画家岡本一平の影響も垣間見えるのではないだろうか。
 中村:「重工業」もこの「森の掟」も、楽しく見える作品でもありますね。
 大下:そうですね。多くの人は当時社会風刺だとか社会批評だと読み取った人もいたが、そういった側面も当然あると思うが、岡本太郎はそれだけではなく絵そのものの面白さというのも画家として追及したのではないかと思う。
 中村:さらに進んで、「第3章 人間の根源:呪力の魅惑」から、展示番号3の12 「愛撫」。1964年。油絵。縦227cm、横417cm、横長の大きな作品。黒い不気味な生き物が舞っているような作品。中央には、猫のような顔をして、角があり、体は蛇のような黒い生き物が描かれている。その左側には、やはり黒くて細長い生き物が、右側には、黒で太くなにかが描かれている。後ろに赤や黄色の縦に細長い生命体が描かれていて、手前の黒い生き物が際立って見える。解説には「中央部分に描かれた角のある生き物は、岩手の民俗舞踊であるしし踊りに着想を得たものという説もある」と書かれている。
 大下:岡本太郎は、1950年代に入って2つの大きな出会いをする。1つは東京国立博物館で縄文土器に出会い、それまで弥生時代から考えられていた日本人像というのを、縄文の土器に美を見出して、こんな日本もあったのかという驚きをどのように作品として表現するかに取り組んでいく。同時に、1950年代に「芸術新潮」という雑誌で「芸術風土記」を連載1957年4〜12月]のために、日本各地の伝統・伝承あるいはお祭りなど取材して、日本の根元のようなのをさぐる旅に出る。この2つから得られた要素が、この第3章の中心になっている。「愛撫」という作品は、「芸術新潮」の取材の中で訪れた岩手のしし踊りを実際に彼が見て、そこから着想されたとも言われているが、いっぽうで、左や中央のなぞの生き物の左下に描かれているものは、絵というよりも、線あるいは文字・記号のようにも見える。これは、他の作品でも出てくる梵字のような表現、実際に岡本太郎は「字は絵だろう」という考えから書画のようなことにも取り組んでいく。そういった文字・記号を絵的に表現する要素もふくまれた過渡期的な作品だと言える。また、この絵で使われている黒、黒というのは絵画にはなかなか用いづらい色だと思う。いっぽうで、岡本太郎はそこに日本の根元的なものを見出していたのかも知れない。この時期の岡本は、以前よりもずっと黒の色を使うようになっている。
 大下:大阪万博のテーマ館として建てられた太陽の塔。最初の構想スケッチなどを見ると、まるでトーテムポールのような顔がたくさんついた様相をしている。それがだんだんとブラッシュアップされて行って今のような姿になるというのが、今回展示している各種のドローイングからも見えるかなと思う。万博は「人類の進歩と調和」をテーマにしていて、そのプロデュースを頼まれた時に、岡本太郎は、人類は進歩などしていない、また調和も、頃合いのいいものが頃合いよくそろうというのは調和ではないと。彼はずうっと対極主義をやってきたから、ぶつかり合うことこそが調和だと。なので真逆なものをぶつけてやるということで、丹下健三がつくったパビリオンの大屋根広場[お祭り広場の大屋根]とぶつかり合うようなかたちで作品をつくり上げた。
 中村:それで、縄文の土偶のようなのをつくったんですか。
 大下:はい。また、太陽の塔の地下には原始世界を表現するような、今で言うインスタレーション、空間演出のような場面もあったり、あるいは生命の樹の模型にも見えるように、原生生物からどんどん進化していって人類の今にたどるというような時間の系譜が描かれている。この模型を見ると、興味深いのは、なんと一番上、今の人間の姿はない(服を着ている人はだれもいない)。進歩なんかしていないということをここに批評的な気持ちを込めてなのか、進歩はもう原始人でとまっている、今の人間は進歩などしていない、だからどうするか、ということで、このような表現になっているのではないか。
 中村:同じく第5章から、「明日の神話」。1968年。東京渋谷駅の連絡通路に展示されている幅30mの巨大な壁画。その下絵。今目の前にあるのは、展示番号5の10 川崎市岡本太郎記念館所蔵の下絵。下絵と言っても、縦177cm、横1087cm。原爆が炸裂した瞬間をイメージして描かれた。暗闇に赤や黄色の炎が激しく広がり、真ん中には焼かれて燃える人や骸骨でしょうか、左端には数人の燃える人も描かれている。炎が見る人を圧倒するような迫力のある絵。下絵と言っても、これはかなり気合が入っていますね。
 大下:下描きというわけではなく、ここまで完成したものを最後に大きな壁画に写し替えるためのある種完成版の1つと言っても過言ではないかと思う。この作品は1968年に制作されているが、ちょうど岡本太郎が万博のテーマ館のプロデュースを進めていて、太陽の塔のドローイングを先ほど見ていただいたが、あれを描いていたころと重なっている。ドローイングのメモの一部はホテルのレターセットだったりするが、そこに「メキシコ」という文字が入っていたり、メキシコのホテルで太陽の塔のデッサンを描いていたりする。この作品、今は渋谷駅にあるが、もともとはメキシコのホテルに壁画として設置されることで依頼されて、制作が進んでいた。ただ、その完成と時を同じくしてそのホテルが倒産してしまい、行く場所を失って、結果的に行方不明になっていた。それが後年[2003年]発見され、修復され、今渋谷駅に展示されている。1968年当時の表現としてはなかなかアグレッシブな表現で、すでに以前にも描かれていたテーマで、第五福竜丸を取材して作品に取り込んでいた部分も垣間見え、画面の右側には擬人化された漁船と魚を釣る様子が描かれていたり、原水爆の炸裂する瞬間のようなものを描いている。ただ、原爆の表現はどうしても痛い、辛い、苦しいという絵画が非常に多いと思うが、岡本太郎はそこに対極主義の考え方を持ってくる。ぶつかり合ってそれを乗り越えていくんだと。この骸骨、どこか面白い動きをしているというか、首を傾げて、メキシコで描かれた部分も大きく影響はしていると思うが、乗り越えてやるぞという心意気のようなものも感じるかも知れない。
 中村:その隣りには、目をモチーフにした作品ばかりを集めた部屋もある。圧巻だ。ほとんどの作品の前にはガラスがない。筆のタッチもよく分かる。また一部を除いて、写真撮影もOKという展覧会。大下さん、この展覧会、どんな点を、あるいはどんな風に見てもらいたいですか。
 大下:まず1つめは、この展覧会、従来岡本太郎研究では出てこなかった貴重な発見だとか、ふだんでは展示されないような貴重な資料が多数出ている。合計で300点くらいある。なので、岡本太郎よく知っているよという人もぜひ見ていただきたい。と同時に、最初期から晩年の絶筆まで漏れることなく重要な作品を展示できていると思うので、岡本太郎初心者の皆さまにもぜひ見ていただきたい。もう1つは、岡本太郎は、先ほどガラスの話があったが、作品をガラスケースで展示することを非常に嫌ったそうだ。岡本芸術は、作品は大衆の物だという考え方があったので、多く開かれて見られなければならない、特定のコレクターなどに販売されることによって作品が見られなくなるということは、作品にとっても人々にとってもよくないという考えを持っていた。こういった美術館で、大阪、東京、愛知と、各地で最大規模で巡回して、多くの方に見ていただければなと思っている。最後に、この展覧会は、単純に岡本太郎の作品だけを展示しているわけではない。岡本太郎は生前いろいろなことをしているが、本職は何ですかと訊かれて、「人間」だと答えている。この展覧会を通じて、岡本太郎というアーティスト全体を知って、あるいは楽しんでいただけたらと思っている。
 
(2022年8月19日)