「石と植物」展

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 11月19日、滋賀県立美術館で11月20日まで開催されていた企画展「石と植物」に行きました。お忙しいなか、担当の学芸員に案内と解説をしていただくという好機にめぐまれ、1時間半ほど大いに楽しませていただきました。
 この企画展は、同館所蔵の様々の作品の中から、石と植物を素材ないしモチーフとするなど関連のありそうな作品を選んで展示しており、絵画や彫刻、工芸、映像など多様なジャンルの作品が並んでいました。これらの作品を通して、人間と自然の関係を考えるひとつのきっかけとしてはという意図なのかも知れません。
 作品は計70〜80点くらいはあったようですが、私が解説していただいたのは10数点です。それらについて、当日の学芸員の説明とともに、帰りに頂いた「石と植物」展の冊子をテキストにしてもらいましたので、それも参考に以下に紹介します。
 
 まず初めに、イサム・ノグチ(1904〜1988年)の石の作品「幼年時代」。木の台の上に、幅40cmほどの直方体の各角をなくしてちょっと丸っぽくしたような、グレーっぽい庵治石の塊のようです(庵治石は、香川県高松市の庵治町から牟礼町にかけて産する黒雲母の交じった御影石。牟礼町には、イサム・ノグチ庭園美術館がある)。あまり手を加えていないようで、ごつごつした感じは坊主頭のようにも見えるとか(下のほうにはくちばしのように見える所もあるとか)。イサム・ノグチは石や鉄など自然の素材を生かしてその中に原初的なものを求めようとしたようです。
 次に松延総司(1988〜)の「私の石」というセメントの作品(これは触ることができた)。40cm前後のごろんとしたかたまりで、見た目は石そのものに見えて、とてもセメントとは思えないとのこと。触った感じは、全体にそれなりに凹凸があって石っぽいとも言えなくもないが、表面がどこもざらついていて細かい粒子はほぼ一定のようで、自然の石とは感じられませんでした。庭園をのぞむ休憩コーナー?にもセメントの作品がありました。これは、どでかいセメントの塊から持ち運べるくらいの大きさに割り出したものだとか。大きさは先ほどのセメントの石とあまり変わりませんが、表面にちょっと貝殻の内側の面を思わせるようなゆるやかな凸面がいくつも並んでおり、また、牡蠣殻の割れ目を思わせるような、薄い剥離面を示す鋭い長い線が何本もあったりして、どでかいセメントの塊の中の独特の構造の一部のすがたを観ているような気がしました。さらに、昨年のリニューアルオープンに合わせて、美術館の庭園にはふつうの砂利に交じってこのセメントの砂利も置かれているとのこと。大きさは変わらないが、見慣れてくると、セメントの砂利は白っぽくて区別がつくようです。
 次は、コンスタンチン・ブランクーシ(1876〜1957年)の「空間の鳥」。(ブランクーシの名前はしばしば聞いていましたが、作品を直接目の前にするのは初めてでした。)高さ160〜170cmくらいの大理石?の台の上から、ブロンズの優に1m以上はある細いつののような形(たぶん少し湾曲しているのだろう)がすうっと上に伸びています。そしてこの台も作品になっていて、3段から成り、1段目は砂時計?(たぶん中央部分が細くなっている)のような形、2段目が十字形、3段目が円筒形(各段の石の色合いも異なっているようだ)で、その円筒形の中心にブロンズのつのがすっと立ち輝いているとのこと。見た目はぜんぜん鳥っぽくはないようですが、空間を切るように高く飛び立とうとする鳥の特徴・本質をとらえた作品のように思いました。この他にも、ブランクーシの卵型の「世界の始まり」などの作品の写真が10数点展示されているとのことです。ブランクーシの物事の本質を求めようとしたすがたにちょっとふれたような…。
 
 次は日本画で、植物の絵です。冨田溪仙(1879〜1936年)の「牡丹図」は、水の入った器にふわあっとした感じの牡丹の花が生けられ、側に鳥がとまっているとか。加納凌雲(1878〜1958年)の「菊図」は、上が白、下がピンクの大きな花で、糸のように細い1枚1枚の花びらまで繊細に表現されているとか。また、葉の上には鎌を振り上げたカマキリもいて、生き生きした感じのようです。江馬天江(1825〜1901年)の「竹図」は、笹のように細い竹で、しなやかさと勢いを感じると(一緒に行った方も)言っていました(軸装の墨画で、私にはよくわかりませんが文人画風らしいです)。
 
 工芸作品もありました。まず、酒井栄一(1919〜2022年)の大きな刺繍の作品です。「畠」は、幅150cm余もあるやや横長の作品で、全体としては西瓜のようなのが表されていて、地面を這うつるが目立っているようです。そして三角形のような幾何学的な模様も見えるとか言っていました。別の「トランススケール」というコーナーにも酒井栄一の「岩はだ」という刺繍の作品がありました。縦横とも150cmくらいはある大きな作品で、紐のようなのも使って、縦にも横にもごつごつと大きな凹凸があって、ふつうの刺繍のようにはとても見えないということです(「トランススケール」のコーナーですから、石の表面を大きく拡大して示しているということでしょうか)。なお、酒井栄一さんは1919年生まれで守山市出身だそうですが、この展覧会が始まって間もない9月に103歳で亡くなったとか。刺繍の作品は触ってもしばしば分かることが多いので、つい触ってみたくなります。
 杉田静山(1932〜2017年)の竹細工の作品もありました。タイトルは分かりませんが、壺型のかごは、細い竹ひごのようなもので編まれていて、編み目の大きさが細かく変化して立体的な形を自在につくっているようです。また、かごの形を安定させるために内側にもかごがあって二重になっているものもあるとのこと。そしてその形も六角形のようなものなどいろいろあるようですし、また外側のかごと内側のかごのわずかな隙間で光が反射するなどして見え方にも変化があるようです。これらのかごも、触ってみるといろいろ発見がありそうです。
 
 李禹煥(リ・ウファン、1936年生、韓国出身で主に日本で活躍)の「点より」がありました。同シリーズの「点より」は、昨年国立国際美術館で鑑賞し、またワークショップにも参加しました。岩絵具を染み込ませたたんぽを、画面の上段の左から右へと押して行き、また顔料をたんぽに染み込ませて次の段に押して行くことを、画面の下まで繰り返します。左側のほうは濃く、次第に薄れて右のほうはかすれてほとんど見えなくなったりしているようです。国立国際美術館のほうは朱色でしたが、こちらは青っぽいそうです(岩絵具に含まれる粒のため乱反射して光っているようにも見えるとか)。さらに、この作品とまったく同じ大きさ(横2m余、縦2m弱)の画面に、岩絵具の代わりに香川県産の醤油を使って同じ手法で描いたという小沢剛(1965〜)の「醤油画(李禹煥)」が並んで展示されていました。色は醤油そのものの色(茶色っぽい)で、臭いまでしてきそうとか言っていました。小沢剛は、この他にも、醤油画でいろいろな作品を模写して発表しているとか。
 岡田修二(1959〜)の「水辺」というようなタイトルの作品では、琵琶湖畔のたぶん数cmくらいしかない水草を2m近くもある大きな画面に拡大してとても細かい所まで描いているとか。(この近くにすでに紹介した酒井栄一の「岩はだ」が展示されていた。)
 クリスト&ジャンヌ=クロード夫妻(2人とも1935年6月13日生まれ、1959年結婚、妻ジャンヌは2009年、夫クリストは2020年死去)の「包囲された島」は、ピンク?の布で島を囲うようにしているようですが、実際どうなっているのかよくは分かりませんでした。クロード夫妻は、小さな物から大きな物まで何でも梱包して展示することで有名な方で、パリの大きな橋とか旧ドイツ帝国議会とかを包むというプロジェクト、さらに昨年には長年構想していたパリの凱旋門を布で包むというプロジェクトが実施されて話題になったりしました。
 車季南(チャ・キーナム。1953〜)の「Flowing」は、麻を樹脂で固めたという巨大な作品。長さ5m余、幅2m余、高さも2mはあるでしょうか、大きく細長い2ブロックに別れていて、そのブロックの間を歩いて通り抜けることができました。樹脂のような独特の臭いがし、ほんのちょっとそっと触れてみると古い土壁のような感じ。布として使われているものがこんなものに変るんだなあと思いました。
 茨木杉風(1898〜1976年。近江八幡出身)の「沖の白石」は水彩画で、琵琶湖上に突き出ている高さ十数mの岩の風景を描いたもの。長年鳥の糞が積み重なって白っぽく見え、白石と呼ばれるようになったとか。この辺は琵琶湖の最深部付近で、湖底からだと高さ100m近くにもなります。琵琶湖周辺の岩盤は8千万年くらい前(白亜紀後期)のもので、下からマグマが隆起して激しい火山活動が起こり、沖の白石はその時にできた溶結凝灰岩から成っているとか。(溶結凝灰岩は、火砕流によって流れ出た溶岩など大量の火山噴出物が急激に冷え固まってできたもの。調べてみると、沖の白石ばかりでなく近くの竹生島や周辺の湖東地域の山々は、同じような種類の岩石(湖東流紋岩類と呼ばれるそうです)から成っているとのこと。)今の琵琶湖が現在の場所に移動してきてできたのは30〜40万年前くらいのこと。その琵琶湖上に、まだ日本列島の影も形もなかった時代の痕跡がぽっかりと見えているとは、まるでタイムカプセルか一種の化石のようで、興味を持ちました。
 野村仁(1945〜)の「アナレンマ」は、同じ場所で同時刻に10日から14日ごとに1年間にわたって太陽の位置を写真に撮ったものをつなぎ合わせたもので、8の字に近い形をしているそうです。私たちが今採用しているのは平均太陽時で、毎日正午にきっかり南中するということになっていますが、実際の太陽(視太陽)の位置は(地球の公転速度が微妙に変化しているなどのために)それから東西にわずかにずれていて、そのずれの程度の軌跡がこの8の字型になっているということです。(調べてみると、平均太陽からの視太陽のずれ(均時差と言う)は、2月13日ころに東に14.4分、4月17日ころに0、5月15日ころに西に3.8分、6月16日ころに0、7月27日ころに東に6.4分、9月2日ころに0、11月6日ころに西に16.4分、12月25日ころに0となっている。)ふつうは目には見えないあるいは気付かない自然の周期的なリズムを可視化して見せている作品だということですね。
 その後、暗室に入って、東加奈子(1991〜)の映像作品「Eternal beloved」。蘭は多くの人たちに好まれる花ですが、この作品はその蘭が生産されている工場?のような所の様子を映したもののようです。研究者のような人が液を調合しているようなすがたが見えるとか(遺伝子を操作しているのかもと思ったり)。蘭に限らず多くの園芸・鑑賞用の植物は野生の状態からはすっかり離れてしまって、人間の意のままに扱われています。自然と人の関わりを考えさせられる作品のようでした。
 
 その後屋外に出て、外に展示されている彫刻作品2点も案内していただきました。山口牧生(1927〜2001年)の「夏至の日のランドマーク」は、幅150cm、奥行60cmくらいで、高さは5mくらいあるでしょうか。大きな縦長の御影石が地上から10度余くらいでしょうかわずかに斜めに傾いてすっと立っています。この方向は夏至の時の太陽の方向だとのこと(夏至の時太陽は北回帰線 北緯23°27′の真上にあるので、この辺りの緯度との差の約12度南に傾いていることになる)。石の表面は磨いたつるつるの面と少し窪んだざらざらの面が繰り返しの模様になっていて、触っても心地よかったです。
 植松奎二(1947〜。昨年3月に芦屋市立美術博物館で開催されていた植松奎二展に行ったことがある)の「トライアングル」は、大きな4つの石が数mから10mくらい離れて置かれていて、その石の間の上の方で鉄の柱のようなもので結ばれています。4個の石のうち3個は一直線に並んでいて、全体としては三角形に見えます。また一直線に並んでいる3個の石の向かって左と中央の石の間は鉄の柱で結ばれておらず空いていて、中に入れるようになっていました。何を表現している作品なのか、よくは分かりませんでした。
 
 今回の「石と植物」展、石も植物も私は好きなので単純に見学に行ってみたのですが、石や植物が素材やモチーフになっているばかりでなく、より広く自然とアート、自然と人間との関係を考えるヒントになるような作品も多くあり、なかなかよかったです。
 
(2022年11月23日、12月31日更新)