参考:ミケル・バルセロ展の作品紹介

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 昨年3月27日、国立国際美術館で開催されていた「ミケル・バルセロ展」を30分余の短い時間でしたが、スタッフの案内で見学しました。その手法と言い表現されている内容と言い多彩かつ奔放で、驚きのようなものを感じました。ぜひもう1度丁寧に見学したいと思っていましたが、コロナ禍のため会期途中で閉幕となり行けませんでした。また、三重県立美術館でも昨年8月から10月まで同じくミケル・バルセロ展が開かれていましたが、この時もコロナ禍で休館になったりして行けずじまいになりました。しかし幸いにも、国立国際美術館のYoutubeチャンネルでオンラインレクチャー ミケル・バルセロの仕事がアップされていて、バルセロの各作品についてもかなり具体的に紹介されていました。このレクチャーの内容に私が見学時に書いていた簡単なメモなども加えて、作品紹介としてまとめてみました。今年11月29日、三重県立美術館で開催中の「西洋美術へのまなざし―開館40周年を記念して」展を見学したさいに、バルセロの「人物」も展示されていて説明してもらいました。改めてバルセロの作品に心動かされて、以前にまとめておいた「ミケル・バルセロ展」の各作品紹介をアップすることにしました。
 ミケル・バルセロ(Miquel Barcelo)は、1957年、スペイン・マジョルカ島ファラニチ生まれ。早くも1976年には故郷のマジョルカ島で初個展をしています。ミケル・バルセロ展では100点近くも展示されていましたが、ここに掲載しているのは20点ほどです。
 
●「海のスープ」 1984 ミクストメディア/カンヴァス 縦238cm x 横320cm × 奥行9cm
 とても大きな画面。向って左上のほうに、赤っぽい棒が突き出している。これは実際の木材。この棒は、スープを入れる大きなボウルの中に突き刺さっていて、これでスープを攪拌するのだろう。このスープ入れのボウルは、青い海で、その中にあるものはスープの具のようにも見える。海というのは、様々な生物を誕生させ、死滅させ、攪拌させるというような、生命の暗喩としてもとらえられて、こういう絵が生まれたのだろう。マチエールは非常に厚い。作品のサイズの表記を見ると、最後に9cmという表記がある。これだけ棒が突き出していることを示している。バルセロの多くの絵画作品は、縦 x 横 × 奥行という表記になっている。つまり、バルセロのほとんどの絵画作品は、こうした厚みを持った作品だということ。
 
●「良き知らせ」 1982 ミクストメディア/厚紙 180 x 142.5 × 3
 バルセロは、1982年、現代美術の国際展として名高いドイツ・カッセンの「ドクメンタ7」にスペイン代表としてデビューします。この作品はこれに関連して制作されたようで、左手にハートマーク付きの手紙のようなのを持ています。
 
●「ファラニチのジョルジョーネ」 1984 ミクストメディア/カンヴァス 300 x 200× 6
 非常に大きなカンヴァスの作品。バルセロの最初期の作品の1点。中央に描かれた黄色い色をした人物。左手をカンヴァスに置き、右手に赤い色の絵具を握っていて、絵画を制作している姿だろうと分かる。誇張された大きなパレットの上に、半分に切られた瓜が乗っている。明らかにこれは画家、つまりバルセロ自身の姿と言ってよいだろう。そして自らをルネサンスの巨匠ジョルジョーネになぞらえたと言ってよいのかも知れない。「ファラニチのジョルジョーネ」という題名だが、「ファラニチ」はバルセロが生まれたマジョルカ島の地名、「ジョルジョーネ」はよく知られるイタリア・ルネサンス時代の画家の名前。このように、自らをルネサンスの巨匠の画家になぞらえて描いたと言ってもよいのではないかと思う。この人物は、下半身が馬のからだのように描かれている。ギリシア神話に出てくるケンタウルスという怪物のように見えるように思う。画面に近寄って見ると分かるが、絵具はたいへん厚塗りで、さらにカンヴァスにはいろいろな物が張り付けられている。画面の背景も、パレットの上も、人物の姿も、けっして滑らかなマチエールを持っているわけではなく、大まかな、ある意味で乱暴な画面づくり、そこで絵画が持つ物質性が生きるような画面づくりをしている。
 ちょうどこの絵が描かれた1980年代という時代は、ニューペインティングと言われる新しい具象絵画というスタイルが世界的に大流行した時期だった。そしてニューペインティングの作品の多くがこの絵のようにたいへん凹凸のある激しいタッチで描かれたものだった。若きバルセロも、そうした時代の流れを強く意識したものと思われる。
 
●「事象の地平」 1989 ミクストメディア/カンヴァス 200 x 300
 これは、地面と、風だとか海の渦潮とか渦を巻くもの、つまり生命の一つのシンボルとしての渦を描いている。地面、大地を描くと言っても、バルセロは、地表そのものを描く。つまり、遠近法にのっとった風景としての大地などは描かず、自分が肉眼で見て、歩いて、体験して、触って、そこで得られた大地というものを絵画の平面にうつし替えていく、そういう仕事をする。
 
●「小波のうねり」 2002 ミクストメディア/カンヴァス 235 x 375 ×12
 幅4m近くもある大きな作品。この作品も一見したところまるで抽象絵画のように何が描かれているかよく分からない作品だが、水を描いている。上の「事象の地平」と同じように、自分が視覚的にあるいは触覚的に体験した水を描いている。この作品の題名は「小波のうねり」。画面をよく見てみると、ちょうど海を上空から見下ろした眺めというイメージだろうか、まるで絵具そのものが細かくうごめいているように見える。見る位置を変えると、海面が時間とともに変化していくように、絵の色彩も変化してゆく。この絵を制作するに当たって、バルセロはたいへんユニークな方法を考案した。画面が床に向くようにカンヴァスを釣り上げて、厚塗りをした絵具がまるで鍾乳石やつららのように垂れながら固まっていくようにした。その結果生まれたのが、このたいへん立体的な画面というわけだ。マジョルカ島に生まれたバルセロにとって、海はただの水の集積ではなく、無数の生命をやどす存在だった。この絵でも、絵具はまるで生き物のようにイメージを産み出していく。抽象絵画のように見えたものは、実際には極めて具体的に海を表現した絵であったというわけだ。
 
●「雉のいるテーブル」 1991 ミクストメディア/カンヴァス 235 x 285 ×6.5
 絵画のジャンルで言えば、いわゆる静物画。しかし、ふつうの静物画とはまったく違う。確かに画面の右後ろのほうに花瓶にさされた花があるし、左のほうには頭蓋骨が置いてある。だが、テーブルの上に置かれたものは、雉の死骸だとか正体のよく分からない腐敗する死のすがたというものと、花に象徴されるような生命のあるもの、こういう生と死が一緒くたになってテーブルの上に置かれている。
 
●「とどめの一突き」 1990 ミクストメディア/カンヴァス 200 x 203 ×5
 非常に明快で、そして力強い迫力のある作品。一見、赤い背景の中に黒いまるい円が描かれているような抽象絵画のように見える作品だが、画面をよく見てみよう。この絵のタイトルは、「とどめの一突き」。これは何を意味するのか。バルセロはスペイン出身。このまるい形はおそらく闘牛場であることが分かると思う。そしてそのまるい円の中に小さな黒いかたまりのようなものが見えるが、それが牛と闘牛士であることも分かると思う。(「とどめの一突き」は、闘牛士が牛に対して最期の一突きを刺す場面を意味する。)ちょうどこの絵は、上空から闘牛場を見下ろしているような構図をとっているが、見ようによっては、まるで火山が赤い炎を吹き上げながら噴火しているような様子にも見えないだろうか?(画面は厚みがあり、壺のようにへこんだ形になっている。)バルセロはかつてナポリのベスビオ火山を訪ね、その噴火口をのぞいた時に、「まるで空の闘牛場のようだ」と感じたそうだ。火山も闘牛場も、膨大なエネルギーに満たされた空間という点が共通しているようにも思える。二つのイメージを結び付けて、この絵が生まれたのかも知れない。カンヴァスには、まるで火山岩のような小石のかけらが無数に張り付けられていて、まるで闘牛場の地面そのもののように、とても迫力ある画面のように仕上がっている。
 
●「影/太陽」 2014 ミクストメディア/カンヴァス 220 x 270 ×6
 白一色、純白の世界。そして大きなまるい円が、中央に大きく立体的に描かれている作品。一見たいへんシンプルな作品に見えるが、同心円がつくりだす動きは、空間性やスケール感を感じさせる。この絵のタイトル「影/太陽」というのは、闘牛場の観客席が日陰か日向かを示す用語なのだそうだ。カンヴァスを床に置いて、白い絵具をスプレーを吹き付けることで、こうした絵具の層ができると言う。その動きは、牛の動きに合わせて観客の目が動く、闘牛の様子に似ているのかも知れない。バルセロは、このように絵具や道具の性質に任せて描いていくという方法をよく用いる。それはまるで、現実の世界で起こる物事の動きをカンヴァスの上で再現しようとしているかのようだ。バルセロの絵は、常に具体的であり続けるわけだ。
 
●「午後の最初の一頭」 2016 ミクストメディア/カンヴァス 162 x 162 × 4
 闘牛の午後の出し物の始まりの場面。光り輝く青い画面、真ん中の下のほうに小さく牛が描かれ、その右に闘牛士が1人立っている。
 
●「イン・メディア・レス」 2019 ミクストメディア/カンヴァス 285 x 235 × 4
 この絵であらわされているのは、闘牛士が突進してくる牛をかわす劇的瞬間。真ん中に赤い布を持った闘牛士と、黒い闘牛がいる。
 
●「銛の刺さった雄牛」 2016 ミクストメディア/カンヴァス 140.5 × 240
 バルセロの闘牛の絵では、広い円形の闘牛場に小さく闘牛と闘牛士との闘いの場面があらわされていることが多いが、この絵では、このように牛だけを拡大して描いている作品も何点かある。この作品は、闘牛士との闘いの中で銛を刺されてしまった牛の姿を描いている。この作品には奥行の表示はなく、画面はわりあい平らだが、画面上にいっぱい直線状の傷跡がついている。これは、絵具の塊をバルセロ自身がグラインダーでどんどん傷付けていく、その傷痕を銛の刺さったかたちになぞらえて闘牛の最後の姿を描いている。これも、非常に迫力のある絵。
 
●「恐れと震え」 2018 ミクストメディア/カンヴァス 243 x 244 × 13.5
 ほぼ正方形の大きな画面いっぱいに、立体的に、一部画面から飛び出すように、大蛸が描かれている。下地に皺が寄せられていて蛸の足がくねくねと動いているかのよう。
 
●「時を前にして」 2018 ミクストメディア/カンヴァス 220 x 281 × 5
 これまでの絵と違って、一見してこの絵のイメージを理解できるのではないだろうか。黒い空、そして荒れた海、その中に小さな1艘の小舟が漂っている。波にもまれて、その白い波頭も描かれている。この舟のモチーフというのは、バルセロが繰り返し描いてきたもののひとつだ。島で生まれ育ったバルセロにとって、舟はごく身近なものであると同時に、一種の宗教的な意味も込められていると考えられる。聖書や様々な文学作品に登場する船のイメージが思い浮かぶかも知れない(ドラクロワの「ダンテの小舟」の図像とも関連があるかも)。さらに見ると、舟には人影が描かれているのが分かる。バルセロの中で「舟に乗る」という行為は、例えば現代に生きる移民たちの悲劇と結び付いているのかも知れない。実際この時期、多くの難民が舟を使ってヨーロッパに亡命して来るという事件が、大きな国際問題になったりしていた。もちろんこの絵の正解は分からない。解釈は見る側に委ねられていると言ってもいいだろう。絵の題名である「時を前にして」も暗示的だ。バルセロの壮大な世界感が感じられる1点と言えるだろう。
 
●「下は熱い」 2019 ミクストメディア/カンヴァス 234.5 x 285 × 9
 たいへん面白い作品。近付いて見ると分かるが、小さな魚がたくさん波間から頭を出している。この魚の頭は、実際に画面から飛び出している。別のカンヴァスの布地を魚の頭のような形につくってカンヴァスの上に張り付け、そして実際に波間から、水面から魚たちが顔を出しているような、その様子をリアルに再現している画面を見て取ることができる。素潜りやダイビングを得意とするバルセロは、この絵のように、魚であるとかタコであるとか、海洋生物の姿を頻繁に作品に描いている。ところで、なぜこの魚たちは水面から顔を出して浮かんできたのだろう。それが、この絵のテーマということになる。絵の「下は熱い」というふしぎなタイトルとも関係がありそうに思える。魚たちが見舞われたなにか不穏な状況、それは私たち人間に向けられたメッセージになっているのかも知れない。私たち自身がこの絵の前で胸に手を当てて考えてみなければならないことのようにも思える。
 
●「小林康夫」 2012 ミクストメディア/亜麻布 80 x 60 × 3.5
 この部屋には、ブリーチ・ペインティングと呼ばれる絵画作品10点ほどが並んでいる。バルセロが自らの家族や親友、知人、そういった人たちのポートレートを描いた絵のコーナー。この絵のモデルは、哲学者で東大の先生でもあった小林康夫さん。バルセロとはたいへん心の通じ合った友人の1人。ところで、この部屋にある作品はすべて黒一色の作品だが、ブリーチ・ペインティングという名前が付いている。「ブリーチ」というのは「脱色」という意味。水で溶いた漂白剤で絵具を脱色しながら描くという絵画技法。脱色の効果があらわれるにはある程度時間が必要だ。そのため、バルセロは制作中は作品を目で確認することができず、ただ腕の感覚だけを頼りに、頭の中で輪郭や形をなぞっていくことになる。そのことによって、人間の外見を超越した本質的な姿を描き出そうとした。どの作品を見ても、暗闇の中で見る人物の姿が目が慣れるにつれて徐々に浮かび上がってくるような、ふしぎな、あるいは不気味な迫力を持っている。これは、そのような作品の1点。
 
 これまでは、バルセロの絵画作品を紹介してきた。次に紹介するのは、陶器の作品。18点ほどバルセロの陶の作品が並んでいる。この作品は、大ぶりの素焼きの鉢の上に、小さな素焼きのパーツがいくつも張り付いている。さらに下のほうには動物の絵が描き加えられることで、どこか怪しげな、なにか呪術的な雰囲気のようなものが伝わってくる。バルセロが陶芸と出会ったのは、1995年、西アフリカのマリ共和国に滞在していた時。地元の陶器工場で働く女性と知り合い、粘土で小さな人形をつくったのが始まりだった。その後は、ヨーロッパ各国の陶芸作家との共同制作を経て、独自の陶芸作品に取り組むようになっていく。地球の自然や環境に関心を抱くバルセロにとって「土」という素材は、格別の物であったようだ。粘土をこね上げ窯で焼き上げる時、ひび割れやゆがみなど、思いもよらない変化が生じることも魅力的だった。
 
●「トーテム」 2019 セラミック 176 x 217 x 77
 上の作品は、壺のようないわゆる焼き物という形をしていたのに対して、こちらはオブジェと言うか、彫刻のようなかたちをした陶の作品。
どこか古代の神殿の柱を思わせる3個の煉瓦のようなパーツの上に、それぞれ野生の動物か怪物のような頭が乗っている(向って左は犬のような、中央は兎のような、右は豚のおばけのようなもの)。
 バルセロは、「陶芸は絵画の一つの形態である」と語っている。陶芸は人類の歴史が始まる太古の時代までさかのぼる技術で、バルセロの生まれた地中海の地域でもたいへん重要なものだった。この作品のタイトルにある「トーテム」とは、人々が祖先の神々として信仰する自然物や動植物のことを言う。バルセロの作品の様々な側面を凝縮したようなこの像は、全人類にとってのトーテム、という意味なのかも知れない。彼の独創的な陶器の表現というものをよく示す作品と言えると思う。
 
●カサゴの群れ 2020 セラミック 73.5 x 46 x 30
 壺の側面に5匹の魚が描かれ、その魚の口に当たる所が切れ込みになっていて、穴が空いている。(もちろん実用的な壺にはまったくならない。)
 
●「猿」 1993 ブロンズ 81 x 75 x 45
 ブロンズの作品は、4点ある。その中の「猿」という作品。積み上げられた本の上に、1匹の猿が乗っている。手足も胴体も全体的に細く、引き伸ばされたような姿は、余計なものをそぎ落とした本質的な猿の姿と言えるかも知れない。バルセロは、「自分はあらゆる点で画家だ」と話しているが、こうしたブロンズの彫刻作品も実は数多く発表している。猿は西洋絵画では自然を模倣する芸術家の寓意として用いられることがあり、猿をモチーフにしたこの作品でもどこか風刺的な雰囲気が感じられる。何冊もの本はバルセロの知識をあらわしているようだ。つまりこの猿は、バルセロ自身を暗示しているのかも知れない。実際にバルセロは、アフリカに滞在していた時期、猿を飼っていた。その姿にインスピレーションを受けてモチーフに取り入れたと考えられる。(「細長い図書室」も、同じようなテーマだと思う。)
 
●「マッチ棒」 2005 ブロンズ 254 x 60 x 60
 たくさんのマッチ棒が燃えて残ったものの大きなかたまりのように見える。
 
●「カピロテを被る雄山羊」 2006 ブロンズ 200 x 170 x 60
 カピロテは、スペインで罪人や異端者に被せたという円錐形の帽子。山羊とも言えないようななにか怪物のようなものがとがった帽子を被っている。
 
(2022年12月13日)