国立民族学博物館の南アジア展示

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 4月27日午前、国立民族学博物館に行き、MMPの案内で、常設展示の南アジアを案内してもらいました。南アジアは、国で言えば、インドを中心に、西のパキスタン、東のバングラデシュ、南のスリランカやモルディブ、北のネパールやブータン、さらにはアフガニスタンまで含む地域だとのこと(ただし、アフガニスタンの物は展示されていないとのことでした)。これだけ広い地域ですから、民族も宗教も文化も様々、時間的にも紀元前1500年くらい前のバラモン教やヴェーダの時代から現代までと変遷し、とにかく内容たっぷりの展示のようです。4つのセクションに別れており、それに従って触れられる物を中心に説明してもらいました(一部言葉だけの説明もあった)。以下各セクションごとに紹介します。
 
●宗教文化-伝統と多様性
 ガネーシャの像:高さ60cmほどの、たぶんブロンズの像。頭部はゾウで、長い鼻が伸び、牙も1本少し出ています。腕が4本あり、それぞれの手、および鼻の先にもよくは分からないがなにか物を持っています。腰の両側には、なにかひらひらしたものが広がっています(腰を結わえている帯のようなものに付いたものでしょうか?)。脚は少し上げたような姿勢で、右脚の下にはネズミが立っています(なにか土俗的)。ガネーシャは、ヒンドゥー教の破壊神シヴァと妃パールバティーの息子とされます。
 ジナの像:ジナは、ジャイナ教の祖師バルダマーナ(マハービーラ)の尊称。ジャイナ教はジナの教えの意。高さ1mほど、幅60〜70cmほどもある堂々とした座像です。頭がとても大きく、耳も長く肩まで達しています。脚は結跏趺坐の姿勢で、その上に左手のひら、右手のひらの順に重ねており、右手のひらの中央にはなにか分かりませんが径2cmほどの膨らみがあります。また胸の中央には、径5cm、高さ3cmほどの4弁の花飾り?のようなのがあります。ほぼ完全な左右対称の形で、厳格にアヒンサーを説いたというまじめそうな感じが伝わってくるようです。ジャイナ教の人たちのほとんどは商業に携わっていて、いわば商人のカースト(ジャーティ)のようになっているようです。人口は450万(2001年の統計)くらいですが、経済的にはそれなりの力を持っているようです。
 モスクの扉:高さ3m余、幅も3m弱ある大きな木製の扉です。真中で開くようになっています。扉の表面には、曲線的な多くのアラビア文字(中には、直径30cmくらいの大きさの円の中になにか絵でも触っているような曲線美を感じさせられるものもあった)、花模様、幾何学的な繰り返し模様などが多数浮き彫りになっています。
 キリストの磔刑像:十字架の前にキリストが両手を広げて立っていますが、キリストは蓮の花の上に立ち、広げた両手の下には孔雀が見え、冠を被り金色など装飾的な衣服も見えるとか。キリスト教は1世紀ころインドに伝わったという伝承がありますが、仏教やヒンドゥー教の影響を受けて磔刑像もすっかり変化したのでしょう。
 シク教の聖典台:幅1m余、高さ1m弱くらいはある大きな山車?のようなものだとか。大きなベッドのようなものの上に、横30cm、縦20cmくらいの横長の本(聖典『グル・グラント・サーヒブ』)が開いた状態で置かれているようです。シク教徒にとって聖典は極めて大事なもので、丁寧に慎重に取り扱われるべきもののようです。シク教は、15世紀にグル・ナーナクによって始められ、英領時代のインドではイギリス軍と争うほどの勢力にまで拡大した教団です。現在も本山(ゴールデン・テンプル)のあるパンジャーブ州では人口の過半数を占め、インドばかりでなく世界各地に合わせて2400万人ほどおり、いろいろな分野で活躍している人も多いようです。
 ゾロアスター教の儀礼具:ナオジョテと呼ばれるゾロアスター教への入信式で用いられる品です。入信式では、白い紐(クスティーと呼ばれる)と白いシャツ(スドラと呼ばれる)を与えられ、この白い紐とシャツは、入浴時以外一生身に着けるべきものだとか(白は生まれ変わりと純潔を象徴するようだ)。ナオジョテは子供が10歳くらいになった時に行われ、親類縁者も集まる祭りのようなもので、それに使うのでしょうか銀器なども展示されていました。ゾロアスター教は7世紀以降衰退し、今ではインドに数万人信徒がいるくらいですが、経済分野では影響力を持っているようです。
 ネパールのマニ車:幅1m余ある台の上に直径20cm弱、高さ30cmくらいの金属製のつるつるの円筒が5個並んでいて、どの円筒もまるでこまのようにぐるぐると気持ちよく回ります。円筒の中には経文あるいは真言が入っていて、マニ車を回した数だけ経文あるいは真言をとなえたことになるとか…。
 
●生態となりわい
 ブータンのテント:ブータンの高知で夏に使われるもので、スパイダー・テントと呼ばれるそうです。ヤクの毛を織ってつくったもので、手触りはかさかさと毛羽立った感じです。厚さは1cm近くもあってかなり厚いです。25cmくらいの幅の細長い織物を何枚もつなぎ縫い合わせており、全体の大きさは直径5mくらい、高さ1.6mほどだとか。
 バター作り用の子牛の皮袋:子牛丸ごと1頭分の皮袋です。長さ60cm、幅40cm、高さ30cmくらいだったでしょうか、お腹を上にした状態で、向って左が口、右がお尻のほうでした(後ろ脚の付け根がちょっと孔のようになっていた)。口からヤクの乳を中に入れ、お腹の所についている持ち手のようなのを動かして中を攪拌し、脂肪分を分離させるそうです(残った脱脂粉乳からは乾燥チーズもつくるとか)。その隣りには、直径10cm弱の円筒のバター入れと、そのバターを整形するためのへらも展示されていました。(ヤクは牛の仲間で、体長3mにもなる大型種のようです。毛や乳ばかりでなく、肉はもちろん、糞も乾かして燃料とし、いわば使い切っているようです。)
 牛車:長さ5m弱、幅1.5mくらいもある大きな牛車です。左右に1頭ずつ牛が並んで引くようになっています。車輪も直径1mくらいもあり、木製ですが、6分割された円形のつなぎ目は鉄でしっかり固定され、また地面に接する車輪の外面には鉄が巻かれています。
 ネパールのビーズの首飾り:2、3mmほどの小さなビーズが60〜70cmくらいの長さに連ねられたのが10本くらいでしょうかひとまとめになっています。ビーズはチェコ製だということです。
 パキスタンのラッシー作りの容器:直径60cm、高さ30cmほどもある大きな素焼きの容器です。ラッシーは、牛の乳からつくるヨーグルト状のものだとのことですが、この容器を使って何をどのようにするのかは分かりませんでした。
 ネパールの水差し:高さ30cmくらい、上縁の径は5cmほど、口の下は細くくびれ、その下の胴の部分は径10cmくらいあります。側面の中ほどから10cm以上はある細長い注ぎ口が上に伸びていて、口の先端の手前はぷくっと丸く膨れています(これで口から滴が垂れるのを防げるとか)。この水差しは銅製で、失蝋法(ロストワックス)の技法でつくられているそうです。
 その他、記憶が曖昧ですが、婚礼の時に母方の叔父から花嫁に贈られる大きな衣装入れ箱、靴、肩掛けのセットもありました。いずれも赤(赤は血液を象徴する)で、衣装入れ箱は幅1m余、高さ70cmくらい、箱の蓋の部分は大きく半円形になっていて、その手前には鍵のようなのも付いていました。また、数百人が集まる祭りのような時に使われるのでしょうか、直径1m以上、高さ20cmくらいもある大きな捏ね鉢や、高さ1m、直径70cmくらいもある巨大な水入れもありました。巨大な1つの鉢や水入れから、多くの人たちが食べ物や水を分かち合うのですから、ちょっと心配になりました。
 
●染織の伝統と現代
 絞り染めなど、布にも少し触りながら説明してもらいましたが、あまりよくは分かりませんでした(私は具体的に染織について知らないので)。
 印象に残っているのは、ミラー付の女性のスカートです。厚手のスカートで、刺繍も施されていて、私は大きく羽を広げた孔雀の輪郭をたどらせてもらいました。また、あちこちに径1cmくらいから3cm弱ほどのつるつるの円い鏡?が縫いつけられています。この鏡?は、ガラスの表面に錫箔を張ったもので、光をきらきら反射して、魔除けの意味があるとか。
 染織法として興味を持ったのは、ムスリムの人たちに古くから伝えられてきたアジュラクという方法です。捺染の1種のようで、布面(布は更紗)にあらわす色模様の型が、木版になっているそうです。板の両面が木版になっていて、赤・青・黒を主に各色ごとにとても細かく刻まれた版がつくられ、それらから多色に染め上げられた更紗がつくられているとのこと。繊細な、時間のかかる作業工程が想像されます。この更紗は主に男性の服に使われるそうです。
 
●都市の大衆文化
 カート:長さ150cm、幅70cmくらいある4輪のカートで、上にいろいろな商品が並んでいます。私が触ったのには、女性用の腕輪や化粧用の粉?、それにいろんなシール類が乗っていました。その他、食料品や衣類、日用品などいろいろな品がカートに乗せられて売れているそうです。こんな風景は、南アジアのどこの街にもありそうですね。
 オートリキシャ(三輪タクシー):人力車の三輪車版のようなものです。長さ2m以上、幅1mくらい(前のほうはちょっと狭まっていたかも)もあり、かなり大きいです。前に運転手が乗り、後ろにお客さん2、3人が乗ります(お客さんの座る席はふかふかのよいものだった)。運転手が持つハンドルは自転車のようなもので、これを操作しながらにぎやかな往来の中を上手に、けたたましく進むのでしょう。このオートリキシャの屋根の前の先端には、向って左に牛、右に鳥のような置物が乗っていました。オートリキシャは込み合う街中では便利なので、インドばかりでなく各国で利用されているようです。
 
 以上解説していただいた展示品について羅列的に紹介しましたが、これでは超多様な南アジア世界のほんのごく一部にふれたにすぎないようです(実際展示場はかなり広く、数百点は展示されていたでしょう)。ただ、それぞれの品々の製作工程には、細かく分業された多くの職能集団(ジャーティ)が関わっていることが多いので、それぞれの展示品の製作工程を詳細に知ることができると、ヒンドゥーを中心とした社会・文化のふところの深さ・広さといったものを感じることができたかも知れません。
 
(2023年5月3日)