愛知県美術館の視覚障害者のためのプログラムで多くの彫刻などに触る

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 7月22日の午前、愛知県美術館の「2023年度 視覚に障がいのある方とのプログラム」に参加しました。愛知県美術館では、おそらく30年近く前から視覚障害者対象のプログラムを年に数回経続的に行っていて、私も10年くらい前からしばしば参加しています。
 今回は、私を含め視覚障害の方が7名、アートな美の方々が10人ほど、それに美術館のスタッフ2名の計20人くらいでした。アートな美の方とペアになり、その方の案内で各自彫刻を中心に10点くらい見学しました。ブラックやピカソのキュビズムの企画展が開催されていたこともあるのでしょう、キュビズムを連想するような作品も含め、20世紀初期から現代までのいろいろな作品にふれることができました。以下にそれらの作品を紹介します(点字の作品解説も頂いたので、それも参考にしました)。
 
 まず、本郷新(1905〜1980年)の「無辜の民『仏生』」(1970年制作、ブロンズ)。高さ30cm、奥行50cm、幅40cmくらい。両脚を60度以上も開いて地面にべたあっと座り、頭を除いて上半身全体に布をまとって前にやや屈めるようにし、頭を布にうずめるようにうつむいています(頭には目鼻などもないようで、ボールのように丸いです)。両腕を下に伸ばして股の間で両手を組んで拳をつくり、その拳を右側にぎゅっと90度も曲げています。またぴんと伸ばした両脚の爪先も上に伸ばしていて、全体に身体に力を入れてなにかに耐えているような感じが伝わってきます。(両脚の膝や足がきゃしゃなことから、たぶん若い女性かと思います)。像全体の形は頭を頂点としたほぼ三角錐で、どっしりとした安定感を感じます。作品解説によれば、この作品は、当時激しさを増しつつあった中東戦争に巻き込まれた民衆を主題とした15点のシリーズの1つだそうです。(なお、10年近く前、姫路市立美術館の庭で、本郷新の「花束」に触ったことがあります。)
 次に、柳原義達(1910〜2004年)の「黒人の女」(1956年制作、ブロンズ)。高さ60cmくらいの、全体としてはやや細身の全身像ですが、触った第一印象は体がくねくねしていてなにか動きやボリュームを感じます。脚は細目で、左脚にしっかり重心をかけ、右脚は前に軽く出しています。右の太腿の後ろから左のお尻の上にかけて斜め上に向ってどっしりとした膨らみがあり、力を感じます。右手をお腹の上あたりに当て、左肘をぎゅっと引いています。胸にはほとんど膨らみがありません。顔はやや右下を向いているようですが、左右からつぶして前後に広がったような感じであまり特徴は分かりません。柳原の作品らしく、凹凸が多く粘土を張り付けたような感じの所もあります。(もう20年近く前になりますが、同作品を三重県立美術館の柳原義達記念館で触ったことがあります。なお、作品解説によれば、上の本郷新、柳原義達、佐藤忠良等が1939年に新制作派協会 彫刻部を創設したとのことです。)
 次に、アレクサンダー・アーチペンコ(Alexander ARCHIPENKO: 1887〜1964年)の「歩く女」(1912年制作、ブロンズ)。高さ70cmくらいの、人物をあらわしたものですが、角張った面や滑らかな曲面、数箇所の空洞部などから、私の第一印象は、これはザッキンの作品かな、でした。(アーチペンコは、私には初めての作家です。作品解説によれば、ロシアのキエフに生まれ、キエフとモスクワで絵と彫刻を学んで1908年にパリに移り、古代彫刻の影響を受けるとともに、キュビズムのグループにも加わったそうです。)身体の各部は角張った分厚い板のようですが、足の間、お腹から胸にかけて、それに頭部の3箇所に、正面から裏の面まで貫通した曲面の空洞があります(頭部の空洞は、もしかすると、頭部の上に伸ばした両腕でつくられた輪のようなのかも知れない)。とくにお腹から胸にかけての空洞部は細長く続いていて、そのちょうど真中辺りに横向きにまるで乳房のような先のとがった膨らみがあり、細長い空洞部を上下に分けているようでもあります。角張って広がった面は身体が着けている衣服をあらわしているかも知れませんし、3箇所の空洞部は、それぞれその内部を想像させます。なお、左脚の前面には、杖のような細長い棒がちょうど入り込むような、断面が反円の細長い窪みが伸びていて、示唆的です。
 その隣りには、私の好きなオシップ・ザッキン(1890〜1967年)の「チェロのトルソ」(1956〜57年制作、ブロンズ)がありました。高さ120cmくらい、幅30cmくらい、奥行20cm弱ほどの、全体としては反円柱に似た形で、これで、女性の足首から胸までの体をあらわしています。表面は全体に凹凸が少なくとても滑らかで、これまでに私が触ったことのあるザッキンの作品とはだいぶ違った印象でした。両足の間に少し隙間があり、膝は小さく、
前面の腿からお腹、胸にかけては全体に丸みを帯びた曲面、背面の脚部からお尻、背中にかけては平面的にあらわされており、両方の面が接する側面の奥は直線的になっています。背中の中央には背骨をあらわす深い窪みが縦に走っていて、それに呼応するようにお腹から胸にかけてはやや反らしぎみの面になっています。そして、前面の体の滑らかな面に、4本の弦などチェロの形が凹線でしっかりと刻されていて、なにか絵を触っているようでした(右腕も凹線で示されていた)。女性の滑らかな体が、楽器の音が共鳴する胴体にもなっているようです。さらにちょっと驚いたのは、この半円柱の像の上面が、まるで木の切り口を思わせるような手触りになっていました(年輪を思わせるような数本の曲線もあった)。解説によれば、このブロンズ像は黒檀製の像を原型として鋳造されたとのこと、質感と言い全体の形と言い硬質の木彫の雰囲気が反映されているのだと納得しました。
 続いて、高田博厚(1900〜1987年)の「女のトルソ」(1937年制作、ブロンズ)。高さ60cmくらい、幅も奥行も40cm近くあるでしょうか、堂々としたトルソです。大きなお尻で大地にしっかり立ち、背をぎゅっと反らして大きな胸を上へと突き出していて、とても力を感じます。実は私は、3年ほど前、豊科近代美術館で、「カテドラル」というタイトルで、この「女のトルソ」と形はほぼ同じで大きさが半分くらいのセメント製の像に触ったことがあります(豊科近代美術館で高田博厚の彫刻に触れる)。形は女性のトルソですが、セメント製で手触りはさらさらした感じで、石造り?の教会を想像しやすかったです。作品解説によれば、この作品には、高田がフランス南部のランスにある15世紀のゴシック大聖堂を訪ねた時、「(第1次世界大戦の)砲弾で無残に傷ついたカテドラルが、地に膝を突き胸を張って空を仰ぎ、祈っている若い女のように立っていた」と感じたイメージが重ねられているとのことです。
 次に、中原悌二郎(1888〜1921年)の「平櫛田中像」(1919〜21年制作、ブロンズ)。平櫛田中(1872〜1979年)と言えば有名な彫刻家、どんな人物なのかなと思って触りました。高さ40cm弱の頭部の像です(ほぼ実物大?)。口をぎゅっと噛みしめ、その上の口ひげとともに、印象的です。鼻はやや低く、目は窪み、頬骨が張って頬はちょっとこけている?かなと思いました。耳は小さく、左右で形に違いがあるようです。また、頭の後ろはべたあーとした面になっていて特徴がありません。この作品は、32歳で亡くなった中原の絶作で、未完成品だとのことです。
 続いて、戸張孤雁(1882〜1927年)の「をなご」(1910年制作、ブロンズ)。高さ30cmほどの頭部の像です。上瞼が分厚くて、その下が弧を描くように深い窪みになっています。また、やや高い鼻の両端と下がぐっと窪んでいて特徴的です。頬骨は高く、その下に内側から外側へとゆるやかな窪みがあります。髪はふわあっとした感じで、滑らかな髪の流れ?のようなのが分かります。作品解説によれば、この作品は本来は横座りしている裸婦の像だったが、石膏の原形が壊れて現在はこの頭部だけが残っているとのことです。上の中原悌二郎とともに戸張孤雁も、ロダンに代表されるフランスの近代彫刻を日本にもたらした荻原守衛に強く影響されて絵から彫刻に転向し、この「をなご」は荻原が亡くなった1910年に戸張が第4回文展に出品したものだそうです。(以前愛知県美術館の鑑賞会で、戸張孤雁の「煌めく嫉妬」に触ったことがあり、印象的でした。)
 次は絵画で、島田章三(1933〜2016年)の「石庭女人図」(1976年、油彩・キャンヴァス)。162×194cmの大きな油彩画で、A4サイズの立体コピー図版が用意されており、私はそれを触りながら説明してもらいました。画面中央やや下に、スカートを着けた若い女性がこちら向き?にかなり無理な姿勢で座っています。右手を画面左下方向に長く伸ばし(左手は花のようなのを持っている)、スカートからは画面右下方向に両足が出ていて、上中央の頭、右手、左足でうまく正三角形を成しています。右の胸のふくらみが凹んだ円で、顔の左側が凹んだ半円で示されていて、ちょっとキュビズムらしいかも。女性の両側には、石庭のつぶつぶしたような小石がたくさん続いています。頭の上付近に赤い?横向きの線があり、この線で手前と背景の風景が区別されているそうです。背景にはざらついた岩場のようなのが伸び、その両側には木らしきもの(葉が触って少し分かる)があり、さらに雲?のようなのもかすかに分かります。解説によれば、島田は1966年に開学した愛知芸大の講師を長くつとめ、ブラックやピカソの産み出したキュビズムの様式をいかにして日本の地で描くことができるか考え続けて、「かたちびと」という独自の人物像を描いたということです。
 次は、袴田京太朗(1963〜)の立体作品で、「ハルガ」(2008〜09年制作、アクリル板と木製テーブル、高さ197cm)と「Inner Hulga」(2011年制作、アクリル板、高さ107cm)。この2点は、2017年の愛知県美術館の秋の鑑賞会で触ったことのあるものですが、今回も印象を新たにしました。詳しくは、芦雪の襖絵などを体感:愛知県美術館のプログラム を参照ください。とくに、ハルガの首から上にあるボールを何十個も重ねたような塊は、体から噴出してきたなにか、内臓の痛みとか心の今にも爆発しそうな感情を感じさせますし、またInner Hulgaはハルガの身体の内部、心の内を静かに考えさせられます。
 最後に、大田黒衣美(1980〜)の「sun bath」(2021年)。これは、写真と陶がセットになった作品です。写真では、日向ぼっこしているのでしょうか、猫の背中の毛並みにいろいろな形のチューイングガムがくっついています。なんとはない風景ですが、それにしても変な組み合わせ。このチューイングガムを大きく拡大したものが陶で表現されていました。縦10cm、横30cm弱、厚さ1cmくらいの板状で、2点あり、1点は右側がゆるく曲がり、もう1点は右側がくるうっと1回巻いて筒のようになっています(それぞれのカーブした内側の面を触ると、曲げた時にできる粘土のしわしわの細線が確認できた)。そしてガムの表面には、切れ目でしょうか、横にぎざぎざに波打つような線が数本走っています。小さい時に、ぱきぱきのチューイングガムを口に入れてゆっくり湿らせていった時の変化を思い出し、かなりリアルな緻密な作品なのだと思いました。
 
(2023年7月29日)