ミニ銅鐸鋳造体験

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 10月7日午前、茨木市立文化財資料館で開催されたミニ銅鐸の鋳造体験に、Yさんと一緒に参加しました。この体験講座は、今年が東奈良遺跡(茨木市)でほぼ完全な形の銅鐸の鋳型が発見されて50年ということでいろいろな催しが開催されており、その一つとして開かれたものです。11月25日までの毎週土曜日(10月28日と11月4日は除く)の午前と午後に行われるとのことですが、定員が各回先着順で2名と少なく、私たちは8時半過ぎに文化財資料館に行きました。すでに2人が並んでいてこれは無理なのかと思っていましたが、担当者は、新聞で報道されたこともあり応募者が多くなっている、できるだけ対応するということで、私たちも午前の部に参加することができました。
 体験までに時間があったので、展示されていた発見された銅鐸鋳型(第1号流水文銅鐸鋳型と呼ばれる)の複製品と、それを使ってできるであろう樹脂製の銅鐸を触りました(この鋳型からつくられた銅鐸は東奈良遺跡では見つかっていないが、我拝師山遺跡(香川県善通寺市)など3箇所で発見されている)。鋳型は石(凝灰質砂岩)製で、縦40cm余、横30cmくらい、厚さ15cm弱くらいの大きさで、重さは28kgもあるとのこと(複製品なのでとても軽かった)。その表面に、鈕や鰭の部分もふくめて縦30cmくらい、横20cmくらいで銅鐸の形と文様が凹面であらわされています。この鋳型と、この鋳型を使ってできる銅鐸を触り比べてみると、当然のことですが、銅鐸本体ばかりでなく鈕(銅鐸上部にある吊り下げる所)や鰭(銅鐸の両側面に上から下まで伸び広がっている幅の狭い飾りのようなもの)の文様までぴったり一致していました。
 体験講座では、シリコンゴム製の外型2個と内型(中子)のセット(これらは1つにまとめて4本のゴムで井の字型に強く固定されている)、余分な金属部分を取り除くためのカッターやニッパー、型を金属から離れやすくするための粉を塗る筆などが各人に配られます。また、金属を溶かすためのヒーターもあります。金属は銅ではなく、融点の低いビスマスなどの合金のようです(ビスマスの融点は270℃ほどですが、200℃以下、ちょうど油で揚げるくらいの温度と言うことでしたので、錫などと混ぜてより融点が低くなっているようです)。
 まず、セットからゴムをはずして外型2個と内型それぞれの表面に、筆を使ってするするのパウダーのような粉をごく薄く振りかけます。粉が多過ぎると細かい文様が金属に写し取れなくなるので、とんとんと型をたたいて余分な粉を落とします。それから、外型2個をぴったり合わせ、その中に内型を入れ、これらを最初に渡された状態のようにゴムで横2本、縦2本が井の字型になるように強く縛ります(縦10×横7×厚さ6cmほどのほぼ直方体の形になる)。なお、内型には、外型との空間を保つための小さな突起(型持孔と呼ばれる)が計10個あります(舞に2個、鐸身の上部に4個、鐸身の低縁に4個)。また内型の上部の片端には、流し込んだ金属が冷える時に出てくるガスを逃がすための円い穴のようなのがあります。
 ヒーターに直径10cm余の片て鍋(鍋の縁に2cmくらいのゆるやかな窪みがあり注ぎ口になっている)を乗せ、ビスマス合金の小塊を入れて暖めます。5分余でしょうか、十分に溶け、鍋に入っている溶けた金属を、外型と内型の間に流し込みます(この作業は一緒に行ったYさんにやってもらいました)。この時同時に、溶けた金属が細かい文様までくまなく入り込むように、型を小さく振動させます。流し込み終わったら、冷えていくのを待ちます。冷却時間は5分で、タイマーを使いました。5分後、まずゴムをはずし、外型2個を開きます。そうすると、銀白色?の文様まできれいにあらわれたミニ銅鐸が出てきます。さらに、中に入っている内型を引っ張り出します(内型には小さな突起がいくつもあるからだと思うが、かなり強い力が必要だった。シリコンゴムなので、小さな突起は損傷することなく、繰り返し使えるようだ)。
 この後、ミニ銅鐸の下に伸びているスカートのような輪をカッターでごりごりと切り落とします(これはけっこう難しかった)。また、ミニ銅鐸と一緒に出てきた小さな舌になる細い棒をニッパーで切り取ります。この後本来は紙やすりで余分な出っ張りなどを削り落とすのですが、今回は多くの人たちに体験してもらうためにこの作業は紙やすりを自宅に持ち帰ってすることになりました。私も帰ってから30分くらいでしょうか、その作業をしました。また、銅鐸に空いているはずの小さな穴のうち4個は外側まで十分に貫通していなかったので、細いドライバーのようなもので穴を開けました。これで私のミニ銅鐸は完成です。大きさは、鈕などもふくめて、高さ7.5cm、横幅5cm、奥行2.5cmくらいで、実物の4分の1程度です。
 
 体験終了後、展示室を少し回ってみました。「旅する江戸時代の人びと」という展示があって、茨木の村から木野崎温泉?に行ったり、伊勢参りに行ったり、なかには旅の途中で路銀の大部分を奪われながらもなんとか帰ってこれた例など面白かったです。
 また、銅鐸の鋳造に関する展示もあり、取瓶(とりべ。溶けた金属を入れて鋳型に流し込むための容器)と簡易な鞴のようなもののレプリカに触ることができました。取瓶は、直径30cm余の、上下の高さを低くした高坏のような形で、下の台と上の深皿の間に4箇所取手が付いていて、直接熱い容器に触れなくても持てるようになっていました。鞴のようなものは、50cm余ほどの土製の直径5cmくらいの管(内径は手前が3cmくらい、先端が1cmくらいと、先のほうが細くなっている)に、開いたり閉じたりできる袋のようなのが付いています。袋の口には2本の横棒がついていて、この棒を開いたり閉じたりするのですが、なかなかうまく行きません。近くにおられた係の方に使い方を教えてもらいました。2本の棒を閉じた後に、袋を上から下につぶすようにすれば良いということでやってみると、管の先端からかなり強く空気が出ました。
 その係の方に、私が疑問に思っていることを尋ねてみました。銅鐸の型は粘土だと思っていたが、石製の型は珍しいのか、ということについては、石製の型が使われたのは初期のころで、その後は使われなくなったとのこと。石製としては、軟かく通気性のよいものが適している(軟かいと削りやすく、溶けた金属が冷える時に出てくるガスを逃がすためには多孔質のものがよい)が、急激な温度変化のために割れやすく何度も使うことはできないとのこと。東奈良遺跡の銅鐸鋳造は2000年くらい前に途絶えるが、繰り返す水害などのために暮らしにくくなって移動したのではないか、東奈良遺跡の工人の技術は、その後滋賀県付近、さらに東海地方に移っていったのではないかとのことでした。

(2023年10月11日)