6月29日から7月7日まで、京都の高瀬川沿いにある高瀬川町家ギャラリーで、
「指先のランドスケープ―浦尻貝塚と南相馬を中心に、小原二三夫 木彫展」を開催させていただきました。この展覧会の趣旨については、上のリンクページにコンパクトかつ的確に書かれています。また、南相馬での現地滞在や成果発表会の様子については、
南相馬で行われているアートと考古学ハマカルプロジェクトに参加を参照してください。
高瀬川町家ギャラリーは、昭和9年に建てられたという、2階建ての、奥行3間ほとの小さな町家です。玄関を入って奥のほうは高瀬川に面し、その向こうは木屋町通りという、とてもよい立地です。実際私は木屋町通りを通ってギャラリーに通っていましたし、何度か高瀬川に入って陶片などを拾ったり、向こう岸に咲いていたムクゲを観察したりしました(これまで私はムクゲとフヨウは花の形も似ていてよく区別がつかなかったのですが、調べてもらうと、ムクゲはめしべが真っすぐ立っているのにたいし、フヨウはめしべが湾曲ししかも先が5つに別れているということで、私が触っているのがムクゲであることがよく分かりました)。
京町家で展覧会を開催したこともあり、京町家の保存に携わっておられる方々にいろいろと教えていただきました。町家の長い梁はいつも細かく振動していて、それを横壁につないで固定する部材(長さ1m以上ある太くて少し湾曲した部材で、ネコノテ?とか言うらしい)に触ったり、古い柱や梁などの一部を新しいものに入れ替えて古いものと新しいものを組み合せつなぎ合わせる2つのモデルも試してみました。また、伝統的な大工仕事の一例として、岐阜の長良川の鵜飼船の作業工程の映像も聴きました(長さ13m、幅1mくらいの、船首の上部が突き出した細長い丸木舟のような形だが、多くの板材を組み合わせ、水に浸かった時の状態を考えてつくられているようだ)。
7月5日には、ギャラリーから10分ほど歩いて、もみじの小路という、100年以上経つという京町家が立ち並んでいる所にも行きました。町家と町家の間のごく細い路地を10mくらい歩くと、開けた場所に出ました。この場所は、回りを9軒?の町家が取り囲んで、中庭のようになっている所だとか。そして、その庭には幹の直径が20cm以上ある大きなもみじの木が斜め上に伸び、枝葉を大きく広げていました。秋にはきっときれいな紅葉が見られるのでしょう。回りの町家の太さ20cm弱角ほどの柱に触れてみると、下から30~50cmくらいまでの部分が新しい部材に置き換えられていました(2つの接合部は2段の階段状や、逆T字型になっていた)。庭に面した格子戸(その辺りは町家内に茶室が設けられているらしい)を触っていたら、六角柱の各面に規則的に削いだ跡のあるような棒がありました。これはなぐりと言って、ちょうなでうまく削ってつくられる手法のようです。庭の隅に、直径10cmくらい、深さ20cmくらいの穴があり、内面に触ると上のほうは乾いていますが、下のほうは湿っていました。これは塵壺というもので、町家内から塵をはき出すなどした所なのでしょうか。
私はごく限られた人たちにしか知らせていなかったのですが、今回の南相馬のプロジェクトのリーダーの安芸さんやギャラリーのオーナーのHさんの紹介もあり、毎日20人くらい、計100人くらいご来場いただきました。子ども連れの家族、若い学生、外国の方など、またいろいろな職種の方々が来られました。毎日数回作品解説をし、その都度皆さまからの感想などをうかがい、私も得るところがとても多かったです。(昨年春に南相馬に行った方や、数年前、浪江、閖上、女川など被災地を回ったことのある方もおられました。)また、粘土(木質粘土)による制作体験や、木彫の実演も適宜しました。粘土では、高瀬川から拾ってきた陶片を組み込んで作品にした方も多かったです。6月30日の木彫の実演では、ちょうどその日が夏越の祓(なごしのはらえ)で参加者が水無月(京都近辺ではこの日に水無月を食べる)を持って来られていて、それをつくってみることになったり、7月7日の実演ではその日に触察したムクゲの花をつくることになったりと、私も大いに楽しませていただきました。
展覧会では、南相馬関連の作品として「つながる」と「龍のかなしみ」、ランドスケープ関連で「走馬灯」と「風の音」を展示し、その他ギャラリーが高瀬川沿いに立地していることからいくつもの水生生物たち、さらに木彫を始めて間もないころに制作した思い出深い作品などを展示しました。以下、作品解説です(写真はいずれもギャラリーで展示している状態のものではありません)。
◆南相馬関連
●つながる (2024年1月)
この作品は、「ハマカルアートプロジェクト」(経済産業省の令和5年度 福島県12市町村アーティスト・イン・レジデンス事業)の1つ「アートと考古学国際交流研究会実行委員会」のメンバーに加えてもらって、制作したものです。南相馬市の南端にある国史跡・浦尻貝塚(5000年前からの縄文遺跡)を中心にして、多分野のアーティスト、考古学や文化遺産などについての専門家、地域住民が集い様々な活動をしています。
作品制作のきっかけは、東日本大震災で今も行方不明のままのたくさんの人たちをどのように受け止めたらいいのか、どのように位置付けたらいいのかという私の想いからです。このテーマを、時間的にも空間的にもひろがりのある中に位置付けあらわしたいと思って制作しました。
・陸の部分(本体) (幅57cm、奥行50cm、高さ30cm) (
写真)
本体の手前は、ほぼ真っすぐな現在の海岸線で、それと平行して防潮堤が走っている。
本体の中央部から前に飛び出しているのは、数十年前まであったという砂浜と遠浅の海。この砂浜の右側には、見えにくいと思うが、防潮堤の下を通って海が入り込み、縄文のころの浦尻貝塚の深い入り江につながっている。浦尻貝塚は細長くちょっと高台になっている所(現在は海面から25mくらいの高さだが、縄文のころは10数mだったと思う)。浦尻貝塚の右後ろに大きな樹、その右に、両腕を顔の横に広げて海に向けている人。
砂浜の左側には、防潮堤が切れて海とつながっている所がある(ここは浪江町の漁港。南相馬では現在船を出せる場所がないとのこと)。その後ろに立っているのが、時の棒(ボーリングコアからイメージ。一番下が5千年前で、現在、さらに未来へと続く)。時の棒には、見て分かりにくいと思うが、片側に規則的なメモリ、もう片側には不規則なイベントが刻まれている。時の棒の左には、原発の格納容器とタンク群。その後ろはなんにもない斜面、さらにその向こうにソーラーのパネル群。
本体の左奥に飛び出しているのは、穴に入って祈っている人(江戸時代初め、現浅川町の、疫病の終息を願っての即身仏からイメージ)。
本体の右に飛び出しているのは、南相馬市で近接して見つかっている古生代から新生代までの地層と化石(古生代は三葉虫とスピリファ、中生代はアンモナイトとシダ植物、新生代はクジラなどの脊椎骨とサメなどの歯)。さらにその手前に、貝塚の表面、その前の垂直の面に土器片。
本体のずうっと後ろにある高い山は、南相馬から真西100kmくらいの所にある磐梯山(南側はきれいなかたちの表磐梯、北側はがたがたしたかたちの裏磐梯。1888年大爆発が起こり、山頂部の北側が崩落、多量の岩・土石流により北麓の集落が大きな被害を被り、またいくつもの堰止湖や沼ができて今のような険しい山容になった)。
・船 (長さ20cm、幅4.5cm、高さ10cm) (
写真)
遠く太平洋の対岸まで流された船。船の上では、肋骨が飛び出した人が、腕を陸のほうに向けて目いっぱい伸ばして手を合わせている。
・全体 (
写真)
南相馬を含む陸の部分(本体)から約1.2m離れて船が位置し、海岸部の両端と船が細い糸で結ばれて、船を頂点に鋭角の三角形になっている。行方不明者の想いと陸の人たちの想い・祈りが交差・つながることができれば…と願う。上の写真の視点とは異なるが、船の側の低い位置から覗き込むように見ると、遠く陸が海に浮かんでいるように見えると思う。
●龍のかなしみ (2024年3月) (幅42cm、高さ35cm、奥行13cm)
2月の成果発表会後に制作したもので、南相馬の大蛇物語に関連した作品です(物語を一部改変しています)。(南相馬の大蛇伝説については、
大悲山蛇巻山、南相馬小高に伝わる、山を七巻半する大蛇伝説)
山の麓の小さな沼(今は龍の尾の下になっている)で龍がすくすくと育ち、沼に入り切れないほど大きくなって、山の上に飛び出そうとします。その際、龍の体の中の多量の水から黒雲が生じ、大雨となりさらに洪水になるということで、その地の殿様は家来に命じて沼の回りにたくさんの鉄釘を打たせます。釘のために龍の体が侵されてばらばらになり、右の耳と左の角がそれぞれ山の麓に落ち、また剥げ落ちた鱗は黒雲の先に連なる鱗雲になり、そこから涙雨が2本落ちています。
写真
*展覧会最終日、「龍のかなしみ」の解説後、来場者として書家の福角窓月さんがおられて、奇偶にもちょうど仕上がったばかりだという龍の大きな書に触らせていただきました。もちろん触っただけではほとんど分からないのですが、3mくらいもある大きな半紙に力あふれる昇り龍を思わせるような龍の文字が書かれているのかもと想像しました(その龍を立体コピーなどにして触ってある程度分かるようにしたいと思っています)。
◆ランドスケープ関連
●走馬灯 (2023年3月) (幅38cm、奥行21cm、高さ37cm)
若いころ、崖から途中まで落ちた時に、走馬灯のように生まれ故郷の風景が流れ行くようなイメージが浮かびました。上下の2つの部分を組み合わせていて、上の部分は故郷の山々や谷川と、崖の途中の棚のような所に立っている私、下の部分は故郷の田畑や小屋と、崖下の道とそこに落ちた杖です(この杖が落ちた音で、自分がどんな所にいるか気付きました)。
写真
●風の音 (2018年1月 横34cm、縦24cm、厚さ5cm レリーフ)
モンゴルのような草原を、画面左から右に向かって吹き渡る風に向かって疾駆している馬に、横笛を吹く少女が乗っている姿をイメージして作りました。馬は、小さいころちょっと触れたり、お腹の下に入ってみたりしたことがあるくらいで、駆けているところはほとんど想像できず、手元にあるレリーフを参考にしたり、数枚の馬の絵の写真を立体コピーにしてもらって触ったりしました。できるだけ風を感じられるような作品にと思って作りました。
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■水生生物たち
●マンタ (2023年3月) (幅17cm、長さ14cm、厚さ4cm)
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●タコⅡ (2021年5月) (長さ 22cm、幅 25cm、厚さ 6.5cm)
タコをつくるのは2度目。足を太く、できるだけうねっとした感じにしようとしましたが、吸盤のぶつぶつ感などなかなか難しい。
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●オサガメ:竜宮へ (2020年 8月) (長さ 18cm、幅 20cm、高さ 8cm)
オサガメは、世界最大のウミガメで、大きいものは体長150cm以上にもなるとか。水深1000mくらいまで、1時間ほども潜水できるらしく、このような亀なら竜宮まで往復できたかもと思いながら彫ってみました。(私は2012年に鳥取県立博物館でオサガメの剥製に触ったことがある。オサガメの表面は甲羅ではなく滑らかな皮膚で、背には7本の縦筋が走っている。)
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●オオサンショウウオ (2020年8月)
大きいほう:長さ 16cm、幅 8cm、高さ 3.5cm
小さいほう:長さ 14cm、幅 8cm、高さ 2.5cm
オオサンショウウオの雰囲気、以前からなんか好きで、(かたちもよく知らないのに)彫ってみました。(オオサンショウウオをたくさん飼育しているという京都の水族館に行ったり、ぬいぐるみや小さな模型のようなのも触りましたが、あまりイメージはつかめませんでした。)大きいほうは、ただノターッとした感じ。小さいほうは、小さなオオサンショウウオが3匹、少しずつずれながら重なるようにくっついているイメージで、かわいく見えるようにと思って彫りました。
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●巻貝 (2019年5月) (16.5×7×6cm)
巻貝は種類も形も多様で難しいですが、今回はサザエなど典型的な巻貝と思ってつくってみました。螺頭の辺がくっきり彫れず、あまりうまく行きませんでした。
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●さんまの塩焼き (幅12.5cm、奥行6.5cm、高さ2.5cm) (2021年11月)
お皿の上に、さんまと、スダチ、大根おろしです。
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●ペンギン (2003年ころ) (高さ12cm、幅6cm、奥行5cm)
20年以上前に行った関西バードカービング展で、直径30cmくらいの松の丸太を荒く彫り出したようなペンギンを触り、これくらいなら自分でもできるかもと、彫ってみたものです。当時私は一度もペンギンに触ったことはないし、ペンギンのイメージもあまりないまま彫ったのですが、皆さんに見てもらうと意外にも好評で、2014年から本格的に木彫を始めるきっかけにもなった作品です。
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◆その他
●サソリ (2020年5月) (長さ 24cm、幅 9.5cm、高さ 8cm)
20年以上前にサソリの標本を 1度だけ触ったことがあって、その時のわずかな印象と、ネットで体の構造を調べたりなどして、想像でつくってみました。
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●カメレオン (2020年4月) (幅14cm、高さ9cm、奥行4cm)
カメレオンの小さな模型があったので、それを参考にしてつくってみました。カメレオンってどんな動物なのかまったく知りませんでしたので、生態なども調べながら彫ってみました。知らないものを彫ってみるのも楽しいです。
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●すけすけのヒョウタン Ⅱ (2020年12月) (直径9.5cm、高さ22cm)
ヒョウタンのあちこちに穴を空けて、できるだけすけすけの、ちょっと透明感のあるようなものにしようと思って彫りました。
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●折鶴Ⅰ (2019年3月) (横幅15cm、奥行10cm、高さ7cm)
折紙の鶴を木彫にしてみました。金沢に行った時に、木の折紙で作った鶴を触って、それなら木彫でもと思って作ってみました。
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●子安 (2014年) (11×4×6cm)
宝貝が2個セットになったものです。とても仲よい感じではないでしょうか。子どもたちも安心です。(ちなみに宝貝は子安貝ともいいます。)
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●願う(2014年) (直径12cm×高さ23cmの半円柱)
2014年初めから木彫を始めて半年くらい経っての作品です。 なにかただ祈っているような像が作りたかったです。石でも木でも、彫り込んであるような像が好きです。それにしても、願わずにはいられないようなことが本当に多いです。
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●飛ぶ (2014年) (6×12×23cm(直径12cm×高さ23cmの半円柱より))
20年くらい前、国立民族学博物館で、南アメリカのアンデスの部族の神様?をちょっと触りました。それは、山の上に立っている鳥のようでした。そのイメージがずうっとあって、作ってみました。(小さなワシの模型も参考にしました。)
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以上です。展覧会のタイトルとは関わりなくつい多くの作品を展示してしまいました。作品解説で取り上げたのは、「つながる」「龍のかなしみ」「走馬灯」「風の音」でしたが、その他の作品についても皆さんよく観ておられたようです。国立国際美術館の教育担当の方から、以下のようなコメントを頂きました。私自身あまり気づいていないこともよく書かれていて、私も作品もこのような文章により、また来場者により育てられていくのだなと思います。以下、引用です。皆さま、本当にありがとうございました。
「どの作品も、単純に、どれどれを表現しているだけではなく、小原さんのそれまでの、今までの経験と、その都度様々にそのテーマに触れてきた思いが詰まっていて、時間と小原さんの歴史を感じられるものばかりでした。
特に、震災関連の作品。小原さんの調査活動、そこで聞かれたこと、感じられたこと、思われたこと、知られたこと全てが余すことなく表現されていて、それは、その土地、そして、そこで生きてこられた方々への慈愛が満ちているものでした。
手もとても印象的でした。大きく広げられていたり、上に突き上げられていたり、上に伸ばされていたり、全ての人を受け入れようとしている、自分達はここにいるよと言われているような気になりました。
小原さんが大事に大事に彫られてきた彫刻を直に触れたからでしょうか。ものすごく身近に感じられ、小原さんの息遣いと共に、龍伝説の龍も含め、なんだか生きとし生けるものの暖かさ、大切さに触れたような滞在時間となりました。」
(2024年7月16日)