3月12日から2泊3日で富山に行きました。
■富山市科学博物館
まず、富山の地形ないし地質の模型のようなのがあればと思って、3月12日午後、富山市科学博物館に向かいました。3000m級の立山連峰から水深1000m以上の富山湾まで、わずか50km余の間で変化する地形がどんなものなのか具体的に知りたいと思ったのですが、残念ながらそのような模型はありませんでした。それでも、いくつか触れられる展示もあったので、紹介します。
音川層貝化石密集層:30cmくらいの岩の塊ですが、どこを触っても貝また貝、2枚貝の殻がどの面にも連なり、また一部重なり合って密集しています。この化石は、富山市八尾町の音川層の露頭のものだとのこと。音川層は、1000万年~500万年前に堆積した地層、この地層で見つかる貝は、多くは浅く少し冷たい海に生息する寒流系の貝で、このことから、音川層が堆積した当時の富山には、現在の富山湾よりも浅く少し冷たい海が広がっていたと推測されるとのことです(現在は富山湾には対馬暖流が流れ込んでいて、水深300mくらいまでは暖かい)。なお、どうしてこんなにも貝が集積したのかについては、洪水や地滑り、強い風や波で、特定の一所に集まったのではということです。
黒部川花崗岩:15cmほどのごろっとした岩で、触っては小さな結晶などは分かりませんでした。この花崗岩は、約80万年前に形成されたもので、露出している花崗岩としては世界でもっとも新しいものだそうです。花崗岩は、地下数km以上にあるマグマがゆっくり冷えてできる深成岩で、それが地上で見られるようになるのには隆起など地殻変動を経て数億年から数千万年かかるのが普通です。それが80万年ですから、この地域でそれだけ激しい隆起があったということになります(マグマ溜まりの位置は詳しくは分かりませんが、マグマ溜まりから地上までの垂直距離を4000mとすれば、単純計算で、年間5mmの割合いで隆起し続けたことになる)。
ボーリングコア:直径6cmくらいのボーリングコアが4本くらい展示されており、各コアの片側の半円柱が触れるようになっていました。泥のようなするするの面、粗い砂のようなざらざらした面、小さな礫が多く混じった面と変化していますが、上から下まで同じような繰り返しになっているようでした。このボーリングコアは、富山市堀川町のものだとのこと。おそらくその辺は扇状地で、堀っても堀っても、砂と礫が繰り返すような地層なのだと思います。
柱状節理:1辺が10cm弱から3cmほど、高さ50cm余くらいの、ほぼ完全な六角柱でした。立山町のものだとのことで、立山火山の大量の噴出物などが氷河や川によって浸食されて、もっとも堅い部分が露出して見られるようになったものでしょうか。柱状節理は、地上に出てきた溶岩が冷え固まってゆく時に体積が縮むために蜂の巣状に割れ目ができて生じるものです。
その他、硫黄溶岩、月長石流紋岩質溶結凝灰岩、飛騨片麻岩などに触りましたが、とくに特徴などは分かりませんでした。触ってはいませんが、玉滴石には興味を持ちました。見た目は、小さな粒粒が集まったもののようです。玉滴石は、地下深部から二酸化珪素を含む熱水が地上に出てくる時に、小さな岩石片などの回りに析出してできる水を含む非晶質の粒で、オパールの一種だそうです。富山の玉滴石は、1858年4月に起きたマグニチュード7クラスの飛越地震(本震による直接の被害のほか、その時にできた堰止め湖がその後の余震で決壊したことによる被害も大きかった)で立山カルデラ内に温泉が湧き出し(立山の新湯)、その時に出てきたものだそうです。
もちろん地学関係だけでなく、ナウマンゾウや恐竜などの化石(ティラノの足跡化石に触った)、ライチョウやギフチョウをはじめいろいろな生物(コマドリ、ツツドリ、エゾムシクイ、キビタキ、ルリビタキなどの鳴き声も流れていた)、また私の好きな隕石の展示(鉄隕石、石質隕石とともに磁石も置いてあって、石質隕石も磁石にくっつくことが確かめられる)、さらに実験や体験できる展示もいろいろありました。例えば、高山での強風体験、きれいな音色の水のハープ、その都度異なった模様を描く震り子のサンドアート(原理はよく分からないが、高い天井からY字形に長いロープが下がり、その先には砂の入ったカップがつけられていて、カップを揺らすとカップの底から砂が台に落ちて振り子の軌跡の模様ができる)、リニアモーターの動く原理の体験などいろいろありました。最後には、プラネタリウムでゆっくりして帰りました。
■富山県美術館
3月13日の午前は、富山県美術館の展示を学芸員の案内で鑑賞しました。富山県美術館は、ピカソをはじめ20世紀の西洋美術の名品が多く、事前にそれらをできればスタッフの方に解説していただけないかと電話で問合わせてみたところ、学芸員が案内しますという、なんともうれしい対応をしてくださいました。以下、コレクション展の作品たちです。
まず、開催中のコレクション展を 学芸員のTさんに案内してもらいました。今回のコレクション展は、「20世紀の多様な表現」、「日本の女性作家」、「夢の世界」がテーマでしたが、デルボーの作品が展示されているという「夢の世界」は時間がなくて残念ながら鑑賞できませんでした。
ジョルジュ・ルオー(1871~1958年)の「パシオン」(1943年)。タイトルのパシオン Passion は、キリストの受難のこと。ルオーは、キリスト教とくにキリストの受難をテーマとした絵を多く描いており、この作品もその1つで、ローマの直轄地だったユダヤの総督ピラトによるキリストの裁きの場面を描いたものだとのことです。大きさは、縦1mくらい、横70cmくらい、鑑賞者はピラトの視点で見るようになっているとか。手前に2人、奥に3人の男性が描かれていて、奥の真中の人がキリストのようです(全体に青で、キリストの部分は光が当てられているのか明るくなっているよう)。手前の2人は甲冑のようなのを身に着けているとかで兵士かも、またキリストの両脇の人は引き立ててきた役人のような人かも知れませんが、各人の表情とかは分からないこともあり、この絵の意味するところはよく分かりません(ルオーは、キリストのほか娼婦や道化師なども描いており、社会の弱い立場の人たちが強者から無責任な裁きを受けている不正義をあらわしているのかとも思ったり)。
マルク・シャガール(1887~1985年)の「山羊を抱く男」(1924~25年)。大きさは、縦70cm余、横60cm弱くらい。この作品については、富山県美術館の前身の富山県立近代美術館時代に製作された「タッチガイド」に触図版が載っていて、触ることができました。画面中央には、帽子を被り長いひげをはやした男が、左手で山羊を抱えるようにして立っています。山羊の大きな頭と目、角も分かりました。男の後ろには木造の家と戸口に立つ女性、さらに遠くには教会が見えているようです。このような風景は、シャガールの生まれ故郷ロシアの村(現ベラルーシ)のもので、それは記憶にずうっと残り何度も描いた風景で、いわば原風景とも言えるものなのでしょう。(シャガールはユダヤ系で、その作品はナチス政権下頽廃芸術とされ、この作品もフランスを占領していたナチスによって没収された。)
パブロ・ピカソ(1881~1973年)の「座る女」(1960年)。縦1mくらい、横80cmくらいの大きな作品。ピカソ79歳の晩年の作で、見てすぐキュビズムッポイと言っていました。左目は正面を向いているのに、右目は横向き、鼻から口にかけては左から見た横顔で、しかも大きなとがった鼻と口がずれているとか(いろんな方向からばらばらに描いているような感じ)。両手は大きく膨らみ、胴体はソファーと一緒になっているようです。ピカソの典型的なキュビズム時代と言えば1910年前後ですので、晩年に復活している感じがしました。
利根山光人(1921~1994年)の「工業地区」(1958年)。縦130cmくらい、横170cmんほどもある大きな横長の作品。全体にダークトーンで、近くで見ると、赤や緑、黄やオレンジなどの三角や四角など幾何学的な形をタイルのように並べているように見えるとのこと。そして遠くから見ると、とくに右側のほうには建物群(工場)が並んでいるようにも見え、また左側のほうには煙突のようなものもいくつか見えているようです。この作品の隣りには、同作家の佐久間ダムをテーマにした「いけにえ(ダムシリーズ)」(1956年)が展示されていました。これらの作品は、1950年代に盛んになったルポルタージュ絵画(ダム建設や米軍基地など住民の生活を脅かすような深刻な社会問題を記録し報告する絵画)とも言えるようです。
吉澤美香(1959~)の「に-24」(1991年)。ABS樹脂のパネルを3枚横につなげ、それに工業用インクで描いた作品で、縦2m、横3mの大きな作品。額はなく、パネルを直接壁にねじで止めていて、遠くから見ると壁に直接絵が描かれているように見えるそうです。円が3つ一部重り合うように描かれていて、こちらに向かって、渦巻きのようなものが回転しながら向ってくるような感じがするとか。
秋岡美帆(1954~2018年)の「See (Blow the wind」(1984年)。これは、ネコプリントの手法による作品だとか。ネコプリントは、写真や図版をスキャナーで分解し、コンピューターと連動したプロッターにより、青・赤・黄・黒の4原色のインクで紙や布に大きく印刷する方法(NECO はNew Enlarging Color Operationの略)。この作品は、木の葉の写真をキャンバスにヘコプリントしたもので、木の葉の緑が主ですが、黄や白などのかすれのようなのが点在して、幹や空らしきものも見え、樹の動きが感じられるそうです。
続いて、開催中の企画展「没後20年 東野芳明と戦後美術」について、学芸員の Nさんに案内してもらいました。東野吉明については私は名前はきいたことはありましたが、ほとんど知りませんでした。以下長文になりますが、富山県美術館のホームページからこの企画展の趣旨についてそのまま引用します。
東野芳明(1930-2005)は戦後に活躍した美術評論家です。1950年代末に渡欧・渡米した東野は、そこで目にした欧米の「現代美術」をいち早く国内に紹介することに努め、60年代以降は、「反芸術」と称した同世代の芸術家たちの伴走者として、彼らの活動を後押ししました。東野は、創作現場での体験を交えた、臨場感に満ちた批評を執筆するのみならず、展覧会の企画にも携わり、国内外の芸術家たちと多くの時間を過ごしました。後年は、水をめぐる思索を深め、趣味の素潜りによる写真作品も制作しています。
東野の没後20年を記念して開催するこの展覧会では、当館のコレクション・資料を中心に、東野の美術評論家としての歩みを紹介します。当館の前身である富山県立近代美術館にとって、東野は特に関わりの深い評論家の一人であり、当館のコレクション形成にも大きな影響を与えました。展覧会を通して、東野の批評と彼が見つめた美術を振り返ります。
(引用終わり)
そして、東野吉明の書籍や資料と、それに関連した作品が一緒に展示されており、また本については実際に手にとって読めるようにもなっており、東野の批評などと対応させながら作品鑑賞ができるという展示構成になっていました。
最初に展示されていたのが、なんとパウル・クレー(1879~1940年)の作品3点。1ヶ月ほど前、愛知県美術館で開催されていた「パウル・クレー展 ── 創造をめぐる星座」を見学していたので、ワクワクしながら説明を聴きました。なお、東野は1954年に東京大学文学部美学科を卒業しますが、同年に執筆した「クレー論」で賞をもらったとか。
「内なる光の聖女」(1921年)は、リトグラフで、A4くらいの大きさ。内側を金で縁どりした大きな黒い額に入り、太い輪郭線で女性の裸の上半身が描かれているようです(女の肌の色はほぼ紙の色)。
「レールの上のパレード」(1923年)は、紙に、油絵具をインクのようにして転写したもの(私にはよく理解できない)で、大きさは横置きにしたA4くらい。これも、銀に光る木の立派な額に入っているとのこと。画面中央をレールが少しうねりながら通り、その上を馬に乗った騎士たちが進んでいます。4人が馬に乗り、1人の巨人が馬に乗っている人の手綱を持ち、もう1人は馬の横に立っているとのこと。人はみな棒人間(頭は円、胴や手足は棒)で、馬も直線的に描かれているということで、クレーらしく感じました。
「名誉毀損」(1934年。原タイトルは Durch Verleumdung)は、銀色の額に入り、紙に鉛筆で描いたもので、大きさはA4よりやや小さい。人の顔に雲のような輪郭が5つ見えるとのこと。輪郭線で描かれているが、輪郭線にハッチングがほどこされていて広がりを感じるようです(例えば唇はふっくらした感じ)。この作品の意味するところはよく分かりませんが、1934年と言えば、33年末にベルンに亡命したクレーが、なおナチス要員の監視を受けスイス国籍の取得もうまく進まず、引きこもった状態で、作品もあまり描いていない時期です。
続いて、マックス・エルンスト(1891~1976年。シュールレアリスムの代表者で、フロッターズやコラージュの手法を発表)の版画集『博物誌』より3点です。制作年はいずれも1926年で、大きさはB4くらい。いずれもフロッタージュによる素描だとのこと。「光の輪」は、女の大きな目のようなのが枯葉の上に見えているとか。「振り子の起源」は、樹の間に、翼を広げた長いくちばしの鳥が浮いているように見えるとか。「葉の習性」は、木の板の間に、葉の軸を足のようにして立っているように見えるとか。
クレーやエルンストのこれらの作品の近くには『グロッタの画家』(1957年)という本も一緒に展示されていました。
次に、ジャクスン・ポロック(1912~56年)の「無題」(1946年)。大きさは、A3よりやや大き目。樹脂の板の上に黄色の下地、その上に赤、青、グレーなどの絵の具が塗られ、さらにその上に黒いエナメルの線が細かく網のように塗られているとか。何だかよく分かりませんが、ポロックは抽象表現主義で有名な画家。床に広げたキャンバスに、絵の具やインクを次々垂らし流していく手法で、前のものに何度も一部上描きすることになり、破壊しながら創造するということになるようです。
ジャスパー・ジョーンズ(1930~)の「消失II」(1961年)。大きさは、ほぼ1m四方の正方形。そのキャンバスの上に、さらに正方形の四隅を中に折り込んだ菱形のキャンバスが乗っているようです。そして、白や緑(蜜蝋を混ぜた絵具らしい)などが所々見えているとか。なんだかよく分かりません。ジョーンズは、ポップアートの先駆者の1人で、星条旗のような旗や数字などを絵にしているとか。なお、ジョーンズは当時パートナーを失っていて(彼はゲイ)、そのことがこの作品に関係しているのではということです。
アンリ・ウォーホル(1928~87年)の「マリリン」(1967年)。1m四方くらいの紙に、マリリン・モンローの写真をもとにしてシルクスクリーンで印刷したものが、横に5枚、縦に2段、計10枚壁に並んでいるそうです。だれでも見たことのある写真ですが、背景や、顔や髪の毛などが、それぞれ異なる色になっていて、新たな印象を与えているようです。
山口勝弘(1928~2018年)の「港 No.2」(1967年)。これは、2mくらいはある立体のインスタレーション作品のようです。青?のアクリル樹脂の板を組み合わせ光に照らされているようです。都市などの建築物をイメージさせるのでしょうか。山口勝弘はメディア・アートの先駆者として知られ、とくに周囲の環境に配慮した作品が多いとか。
マルセル・デュシャン(1887~1968年)の「トランクの箱(シリーズG)」(1968年)。40cm余ほどのふつうのトランクで、中には書類?のようなものとともにデュシャン自身の作品の写真やミニチュアがいろいろ入っているとのこと(有名な小便器のミニチュアもある)。
斎藤義重(1904~2001年)の「T/S-遊牧」(1984年)。これもインスタレーションで、幅20~30cmくらいの黒く着色した板をいくつも組み合わせた作品で、5m前後もある大きな作品のようです。(昨年秋に宝塚市で開催された小清水漸の展覧会に行きましたが、その時の作品と似ているかもと思いました。)インスタレーションについて、 Nさんは、空間全体を作品を構成する場所としている、と説明していました。
以上、 1時間ほどの案内で私が解説していただいた作品たちでした(他にもデュビュッフェやフォンタナなど気になる作家の作品もありました)。もちろん本企画展のほんのごくごく一部なのですが、それでも、東野芳明が国内外の時々の最新のアートに注目し関わってきたかが少し伝わってきました。
13日午後は、富山市ガラス美術館を見学、触れられるものはまったくありませんでしたが、ガラスの不思議な、きれいな世界を少し味わうことができました。14日午前は、富山城周辺を散策し、富山市郷土博物館(主に富山城の発掘品や資料を展示)に立ち寄ったりなどしました。昨年の地震の影響なのでしょう、富山城周辺では修復工事が行われ、またひび割れた歩道を手作業で丁寧に補修していました。富山市内はバスとともに路面電車がとても便利で、あちこち回りやすく、小さな美術館などたくさんあり、食べ物もおいしいし、また行ってみたいですね。
(2025年3月30日)