7月30日午後、岩手県立博物館を見学しました。きっかけは、同博物館に P/T境界の地層が展示されていることを知ったからです。もちろん地層そのものには触れたりできないでしょうが、説明だけでも聞いてみたいと思って、博物館に連絡し見学を申し込みました。また、岩手県立博物館では現在、岩手県沿岸部で採取された古生物標本のデジタルデータを活用して「三陸希望遺産デジタル・アーカイブ構築プロジェクト」を始めておられるとのこと、その成果の一部も紹介しましょう、ということになりました。
まず別室に案内されて、あらかじめ用意してくださっていた触れられる資料を触りました。この中には、上のプロジェクトで製作された3Dの模型も一部含まれているようでした。
最初に、モササウルス類(海生の肉食の大型爬虫類で、現生のトカゲに近い仲間)のティロサウルスの歯のレプリカです。(採取地:久慈市長内町元木沢。時代:後期白亜紀)実物代のものとそれを3分の1くらいに縮小したものがありました。実物大は長さ10cmくらい、縮小版は長さ3cm余、細長い円柱状で、先が少し細くなり先端は丸くなっています。実物大では側面に、縦に走る筋や細かい多数の横線などが確認できますが、縮小版では触ってはそれらはほとんど分かりませんでした。モササウルス類は当時の海では食物連鎖の最上位に位置し、ティロサウルスはモササウルス類の中でも大型の種で、体長10mくらい、体重も20トン近くもあったとか。
次に、ドウビレイセラスという小さなアンモナイト。(産地はよく覚えていませんが、モロッコ?など海外だったと思います。時代は白亜紀)これは実物で、表面はとてもつるつるしていて硬そうです。直径は3cm余と小さいですが、厚さが2cm弱もあって、くるくるっと丸まっている感じ。とくに中心部が両面とも深く窪んでいて、厚さはたぶん2、3mmくらい、薄板のようになっています。また、つるつるの表面にはごく細かい粒々のようなのがびっしり並んでいるようです。このような突起は捕食者から食べ難くしているようです。
ドウビレイセラスは普通に螺旋状に巻いているアンモナイトですが、いわゆる異常巻きのアンモナイトもありました(いずれもレプリカ)。ポリプチコセラス(岩手県洋野町、後期白亜紀。語源は、Poly 「たくさんの」、ptycho 「折り畳まれた」、ceras 「角」)は、まるでゴムホースを2つに折り畳んだような形!大きさは、長さ10cm弱、幅6cmくらいだったでしょうか、真っすぐ伸びた管が途中で180度方向転換して戻り、U字形のような形になっています。管の表面には5mmくらいの間隔で肋が並び、Uターンの部分では肋の内側の間隔はより狭くなっています。これは全体の一部分で、完全なものでは、1回だけでなく、3回も4回も折り返していて、その形はトロンボーンのような金管楽器にたとえられるとか。
ユーボストリコセラス ヴァルデラクサム(岩手県野田村、後期白亜紀)は、母岩付きで、長さ10cm余、幅7~8cmくらいの板上に、幅3cm弱、長さ10cm余の管がごく緩やかにカーブして直線に近い状態で伸びています。管には、5mm余の間隔で肋もきれいに並んでいます。ユーボストリコセラス ヴァルデラクサムは、北海道で発見されたユーボストリコセラスの新種だそうですが、それが岩手県でも見つかったということです。
続いて、メガロドンの歯の化石。岩手県平泉町出土で、時代は新第三紀中新世(約2500万年~500万年前)。低部の幅10cmくらい、高さ6~7cmほどのほぼ2等辺3角形で、斜辺にはごく細かいギザギザが確認できます。底部の1cm幅くらいは、少しだけ厚くなり、手触りも歯冠部のつるつるした感じよりもするするした感じになっていて、たぶんこの部分は顎に埋まっていた歯根部なのでしょう。メガロドンは現生のホホジロザメに近縁とされる絶滅種のサメで、体長10m以上、中には20mにも及ぶという史上最大のサメだそうです。
マエサワクジラの尾椎。長さ10cm余、直径も10cmくらいのごろっとした感じ。左右には翼のように3角の板のようなのが広がり、上下には中央に縦に溝、その溝の両側に長く縦に高さ2cm弱の高まりが走っています。マエサワクジラは、1981年2月、岩手県奥州市前沢生母の道路上で偶然尾骨が見つかり、その後近くの崖の地層からほぼ全身の骨格が発見されたそうです。マエサワクジラは、ヒゲクジラ類で、現在のミンククジラに近いとのことです(このマエサワクジラの全身骨格復元模型が展示場に展示されていて、体長は5mくらい)。同じ地層からは、いろいろな貝をはじめカニやヒトデ、サンゴ、サメの歯、植物の葉などの化石も出てきて、陸地に近い浅い海だったようです。当時(新第三紀鮮新世(約530万~260万年前)は、仙台付近から岩手県南部まで内湾が広がっていたとのことです。
その他、7~8cmくらいの三葉虫の化石(これは海外産。岩手県でも三葉虫は出るが、ほとんどは2~3cmほどの小さなものだとか)、モシリュウの上腕骨の半分くらいに縮小したレプリカ(モシリュウについては後で展示場で解説してもらった)などに触りました。
また、考古関係の資料も用意されていました。まず、陸前高田市立博物館のキャラクターになっている「せき坊」と名付けられた、土偶を思わせる人の顔(レプリカ)。大きさは5cm四方くらい(わずかに縦長かな)で、そこに横長の顔が浮き彫りになっています。鼻も横長で、両頬がふっくら膨らみ、鼻の上にやや大きな目、鼻の下に細長い小さな口、なにかとてもかわいい感じがします。これは実は土偶ではなく、陸前高田市矢作町板橋山の縄文晩期の遺跡から見つかった石棒で、それにこのような人の顔が彫刻されていたとのこと、とても珍しい石棒のようです。陸前高田市立博物館も、2011年3月11日の東日本大震災で発生した大津波により壊滅的な被害を受けます。全国からのレスキュー活動により、瓦礫とともに海水に漬かったりなどしていた46万件もの資料が救い出され、修復・安定化処理が行われて、2022年11月陸前高田市立博物館は復活します。この石棒は、被災から1ヶ月半後に救出され安定化処理されて、「せき坊」(石棒は男性の象徴なので)として、同博物館のマスコットになっているとのことです。
岩手町の豊岡遺跡(縄文晩期)の土器の破片のレプリカも多数ありました。土器片は、大きな深皿や浅めの皿、大きな壺のようなものの縁に当たるものが多かったです。厚さは1cmくらい、10cmから20cm弱の曲面の裏面には、同心円や斜線など、様々な文様がはっきりと描かれています。
2階のグランドホールでは、正面にくっきりと岩手山が見えているとのこと(岩手山山頂はたぶん博物館の北西20kmくらいの所だと思う)。産業総合研究所が製作したという岩手山の地形模型に触りました。模型の大きさは横(東西)30cmくらい、縦(南北)20cmくらい(縮尺は分かりませんが、たぶん5万分の1くらいでしょうか?)。東側に岩手山山頂(標高2038m)があり、東側と北側・南側は滑らかに裾野が広がりきれいな円錐形になっていますが、西側はゆるやかに傾斜したあと、少なくとも3つくらいの火山がリング状に一部重なり合って複式火山になっていることが分かります。この西側の複式火山のほうが古くて、その後に新しく岩手山の本体ができたようです。岩手山山頂部には小さな火口があり、その中央は火口丘になっていてそこが最高点になっています。岩手山山頂部からは、南側と西北西に向ってかなり深い谷のようなのが走り、とくに西北西に伸びる谷は西側の複式火山の裾野にまで達しています。また、山頂から北東の斜面には数列のざらざらした小さな粒のような突起が並んでいて、これは焼走り溶岩流の跡かも知れません。
岩手山も活火山で、常時観測火山になっています(111の活火山のうち、50火山が常時観測火山)。岩手山周辺にも多くの温泉があり、地熱発電も行われていますが、やはり何度も噴火しています。以下、Wikipediaより。
1686年 噴火により溶岩流や泥流が発生、家屋破損等の被害も。
1687年 噴火による噴石や噴煙
1731-32年 噴火、北東山麓に溶岩流(焼走り熔岩流)が発生、現在の八幡平市西根町平笠地区の住民が一時避難
1919年 大地獄谷で水蒸気噴火
1998年 地震回数が増加し地震活動が活発化
2024年 黒倉山付近を震源とする火山性地震が継続しており、また山頂の深部で地殻の膨張を示す変動が観測、9月26日には地下の浅い部分でも地殻の膨張が観測されたことから、噴火警戒レベルがレベル2(火口周辺規制)に引き上げられる
その後、常設の展示を案内していただきました。私が興味を持つ主に地質と考古の分野で、露出展示の物は触ってもよいようです。まず触ったのが、エドモントサウルスの大腿骨と下腿部の骨の化石。これらには欠けた部分はまったくなく、完全なものでなかなか迫力がありました。大腿骨は長さ120cmくらい、直径も20cm余はあったと思います。その下に、関節部の隙間なのでしょう5cm弱間をおいて、長さ60~70cmくらいの下腿部の骨(1本)が置かれています。両方合わせて脚の長さは 2m近くになるでしょうか。エドモントサウルスは北米で発見された鳥脚類の草食恐竜で、後期白亜紀(7000万年前前後)に生息し、体長は10mくらいはあったようです。
続いて、私が一番興味を持っていた、P/T境界(Permian/Triassic boundary。古生代末のペルム紀と中生代初めの三畳紀の境界で、約2億5100万年前)の地層です。岩手県岩泉町安家川の上流にある大鳥層の中に、P/T境界での大量絶滅を示す地層・黒色粘土岩層があり、それがここに展示されています。厚さは20cmくらい。
大鳥層は主に、深海底に放散虫など珪質の遺骸が降り積もってできたチャートからなっています。その中にこの黒色粘土岩層があるとのこと(現場では、黒色粘土岩の上下に珪質粘土岩、さらにその上下にチャートの順になっているようだ。黒色粘土岩の黒色は、主に鉄の硫化物・黄鉄鉱によるようだ)。この黒色粘土岩は、微化石をほとんど含まず、有機物がそのまま泥とともにヘドロのような状態で沈澱してできた岩石だとのこと。この黒色粘土岩層がどのようにしてP/T境界に当たる地層であるのかたずねてみました。一番の根拠は、黒色粘土岩層付近に含まれているコノドントという微化石だそうです。コノドント類は、具体的にどんな動物のどの器官なのかは未だ特定されていませんが、古生代カンブリア紀から中生代三畳紀までの世界中のいろいろな海成層に広く見つかる1mm前後の微化石で、多くの種類が区別されて、それぞれの時代を特定する示準化石になっています。黒色粘土岩層の中生代型のコノドント類と古生代型のコノドント類が見つかっており、黒色粘土岩層の最下部からは前期三畳紀のコノドントが見つかっていて、その上の層がP/T境界に当たるということです。
このような研究は、20年近く前、当時東北大学の大学院生だった高橋聡さんらのグループが発表したもので、その他の根拠としては、放散虫の現象や、世界の他のP/T境界でも確認されている有機炭素同位体比(12Cと13Cの比の相対値)の負異常も挙げられています
北部北上帯のペルム紀/三畳紀境界層セクションにみられるペルム紀末の放散虫の減少と有機炭素量の増加 。P/T境界付近で大量絶滅が起こった原因についてはよくは分かっていませんが、有力な原因の1つとして、シベリア洪水玄武岩と呼ばれる、大規模で広範囲の火山活動が上げられています。PT境界は日本では岐阜県など数箇所で見られるようですが、私は3年余前岐阜県の金華山で大きなチャートの露頭に触ったことがありますが、このチャートはペルム紀後期から三畳紀中期(約2億6000万年前から2億3000万年前)に赤道付近の海洋底で形成されたものらしいとのこと、もしかするとこのチャートの露頭を詳しく観察すると、黒色粘土岩ないし泥岩のようなのがあったかも知れません。
次に、大きな四放サンゴ類(ケイチョウフィルム)の化石に触れました。40~50cmくらいはあるごつごつした硬そうな塊で、表面には細かなとがった突起が密集して並んでいます。採取地は大船渡市日頃市町、時代は石炭紀のものだそうです。四放サンゴは古生代オルドビス紀からペルム北末まで(約4億8800万年~2億5100万年前)の地層に見られる化石種で、中生代三畳紀以降は六放サンゴに代わり、現在のサンゴ礁も六放サンゴだそうです。
その他、化石としては、二枚貝が密集した60cmくらいもある大きな岩塊(田野畑村の宮古層郡、前期白亜紀)、テキサニテスという径が30cmくらいはある大型のアンモナイト(久慈市、後期白亜紀)などに触れました。また、アンモナイトの面白い展示にも触れました。アナパキディスカスは、径が20cmくらいあったでしょうか、表面はつるつるで巻いている管の膨らみはわずかで巻く角度もゆるやかなようでしたが、裏面は表面から厚さ2cm弱くらいで水平に切断されていて、内部の構造が分かるようになっていました。裏面の切断面には、長さ2~3cm、幅1cm、深さ1cm弱くらいの弧状に湾曲した溝のようなのが2cm間隔くらいでリング状に連なっていて、巻いている管の中が細かく隔室になっていることが分かります。初めに触ったドウビレイセラスよりもかなり大きな実物(計10cmくらい)があり、それが生きている時はどんな姿なのかを想像してつくったという模型がありました。巻いている口の先から細い10本の脚が外側に開くように湾曲して並び、まるでラッパのような形になっていました。
実物ではありませんが、ヴェロキラプトルという小さな恐竜の顎のレプリカに触りました。長さ20cmくらい、特徴は触ってはよく分かりませんが、モンゴルの白亜紀後期の地層から発見されたもので、体長は2mくらい、二足歩行し、近年この恐竜の化石の前足の骨から羽毛が生えていた痕跡が見つかったことから、おそらく全身は羽毛におおわれていたと思われているとのことです。
鉱物にも数点触りました。一番印象的だったのは、40cm余(厚さは10cm弱)もある大きなバラ輝石(化学組成:(Mn,Fe2⁺,Ca)SiO3)。これまでにミネラルショウなどで何度かバラ輝石に触ったことはありますが、こんなに大きなものは初めて!色も鮮やかな赤の部分が多いとか。これは、岩手県野田村玉川の野田玉川鉱山のものだそうです。この鉱山は、以前はマンガン鉱山として栄え(1973年に閉山。今は観光坑道として公開されている)、バラ輝石の国内唯一の産地であり、またバラ輝石以外にも新種も含め100種もの鉱物が見つかっているそうです。その他、釜石産の黄鉄鉱や磁鉄鉱、紫水晶などに触りました。
化石動物の復元模型もいろいろあり、数点に触りました。まず、パレオパラドキシアの全身骨格があり、その頭骨と左脚先に触りました。頭骨は長さ1m近くもあったでしょうか、かなり大きく、口を20cmくらい開いていましたが、歯はよく分かりませんでした(実は3年余前、なぎビカリア博物館でパレオパラドキシアの歯の化石を触ったことがある。太い鉛筆ないしおすしの細巻を束ねたような感じで、その歯の形状から、パレオパラドキシアなどは束柱類と呼ばれる)。左脚先は、5cmくらいの指4本に別れていて、幅20cm余くらいに広がっており、指先がちょっと上に盛り上がっていました。この模型は、二戸市金田一の中期中新世(約1600万年前)の地層から1980年に発見されたものの復元だとのことで、4本の脚ともに指先が上に盛り上がっていて、これがこの標本の特徴だということです。全長は3m、海岸地帯のマングローブ林のような所でカバのように水にも適応して暮らしていたようです(当時はまだ日本は大陸縁部で、温暖な気候だった)。
続いて、ムカシオオホホジロザメのなんとも大きな口のレプリカ(全長は13mを想定しているとか)。口を大きく開いた状態で、上下・左右とも1m近くもあったでしょうか、この開いた口の後ろに人が立って、開いた口越しに写真を撮る人もいるとか。上下の口には、表面がつるつるで、斜辺が鋭利で細かくぎざぎざになった、2等辺三角形の歯がずらあっと並び、さらにその奥には、水平になったりやや下向きになったりして、5、6段くらい同じような2等辺三角形の歯が並んでいます(前の歯が摩耗すると、その奥の歯が順に前に出て置き換わる)。この歯の形、先に触ったメガロドンのものと同じようなものだと思っていましたが、wikipedia によれば、メガロドンの和名としてムカシオオホホジロザメになっていました。
モシリュウの上腕骨のレプリカが展示されていました。長さ50cm余、一部が欠けているようで一部平たい板のようになっていました(実物は国立科学博物館にあるとのこと)。この下腕骨は、1978年岩手県岩泉町茂師(もし)の宮古層群の前期白亜紀の地層から見つかったもので、日本で最初に発見された恐竜の化石だということです。この上腕骨の形の特徴から、中国で発見されている全長22mの大型恐竜マメンキサウルスに近い種類とされ、その全身骨格のレプリカが博物館の1階から2階のエントランス?に展示されているようです(マメンキサウルスは、竜脚類の草食恐竜で、頸がとても長くて体長の半分近くもあることが特徴のようだ)。
考古の分野では、実際に触ったものは少なかったですが、説明を聴いて面白いと思ったものが2、3ありますので紹介します。
大型土偶の頭部(盛岡市萪内遺跡出土、縄文後期)。頭部だけで高さ23cmもある大きなもので、眉間が出っ張り、鼻が大きく、顎が張っていて、縄文人らしい風貌にも見えるとか。そして、唇や頬、額などにV字型や円い点点のイレズミのような文様があるとか。縄文の人たちの間で刺青の習慣があったことを物語っているのかもということです。また、顔には円い孔がたくさんあり、羽根ないし繊維のようなのを差し込んでヒゲのようにしたのかもということです。
蕨手刀(北上市 長沼古墳出土。径10m前後の円墳の群集墳で、7世紀後半から8世紀前半)。長さ50cmくらい、刀身が柄と別になっておらず一緒につくられているとのこと。柄の手元がワラビの先のように(持ちやすいように?)曲がっているので、この名になっているとか。蕨手刀は、北海道から東北、関東、信州までの東日本各地に分布するが、岩手・宮城県での発見例が多く、古墳時代末期の古墳の副葬品になっていることが多いそうです。蕨手刀は、奈良時代から平安時代にかけて形を変えつつ、日本刀に祖型になっているのではないかということでした(この辺りは砂鉄の産地なので、鉄の加工技術も次々改良されていったのかも知れない)。
*実際に触ったもの:長沼古墳の石室復元模型(幅60cmくらいの細長い長方形。川原石を積み重ね、床には小石が敷き詰められている)、石斧(縄文の人たちの食事の風景を再現した竪穴住居のジオラマにおかれていたもので、20cm弱の木の柄の先に、10cmくらいの石斧が蔓のようなので結わえつけられていた)、大型の遮光器土偶のレプリカ。
以上、私が1時間半くらいの見学で触り解説していただいたものでした。私が見学したのは地質と考古の一部ですが、この他に博物館では、歴史、民俗、現生の生物の各分野もあり、まだまだ見足りなかったです。また、地質の分野でも、日本最大の石質隕石である気仙隕石(1850年6月13日の明け方、陸前高田市気仙町の長圓寺の境内に落下、総重量135kg、普通コンドライトで、H4(金属鉄が多く、熱の影響を少ししか受けておらず、コンドリュール(球粒)がよく見えるようだ)の説明をしてもらうのを忘れていたなど、まだまだ見るべきものがありそうです。機会があればもう1度うかがいたいです。
(2025年8月19日)