三重県立美術館の試み――視覚障害児の美術支援教材を中心に

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 3月18日、日帰りで三重県立美術館に行ってきました。今回も片道3時間半くらいかかり、午後からはちょっと雨模様で、往復にはかなり疲れてしまいましたが、結果は予想をはるかに越えるものでした。
 三重県立美術館に行ってみようと思ったのは、同美術館が〈アートカードみえ〉という小中学校で活用できる美術支援教材を作っており、その中に「触ってセット」という視覚障害児の触覚を使っての鑑賞を支援する教材があることを知ったからです。(詳しくは、http://www.pref.mie.jp/bijutsu/hp/study/study04/study4-simo.htm を参照してください。)
 連絡をしてみたところ、〈アートカードみえ〉は盲学校などもふくめ三重県内の学校に貸し出して利用してもらうのが广則だとのこと、それで直接出向いて「触ってセット」を実際に触らせてほしい旨お願いしたところ、快く応じてくれました。さらにせっかくの機会なので鑑賞もさせてほしいと希望を伝えたところ、美術館のボランティア「欅の会」の方がガイドしてくれるということになりました。
 そして、三重県立美術館のホームページを見てみると、同館には最近「柳原義達記念館」が開設されていることが分かりました。柳原義達の彫刻は2、3度ちょっとですが触ったことがあり、数点でもいいので柳原義達の作品に触れて鑑賞できればという期待を抱きつつ出かけました。
 美術館に着いてみると、ボランティアの方お2人がガイドしてくださることになっていました。まず初めに柳原義達記念館の彫刻について触って鑑賞できないかたずねてみると、視覚障害者に限って(もちろん手をきれいに洗ってですが)ほぼすべて触って鑑賞して良いとのこと、早速柳原義達記念館に向いました。

◆柳原義達の彫刻
* 5月2日に三重県立美術館を再訪しました。人物像については、3月18日に鑑賞した作品すべてをもう一度鑑賞し、それに基づいて文章も一部訂正しました。

 まず道標シリーズの中の鴉 3点と鳩 2点を鑑賞しました。これらの作品はいずれも1960年代後半から70年代初めにかけて(作者60歳前後)制作されたもので、作者が鴉や鳩を飼育し観察して、実際の動きの一瞬間を具象化したものだということですが、私には実際の動き・姿との対応はよく分かりませんでした。
 どの鴉も、肩当たりの、羽の付け根部分が大きく膨らんでいて、鴉のもつ秘めた力強さを感じさせられます。最初の鴉は 1メートル余もある大きなもので、長い嘴はやや斜め下を向き何かを狙っているような感じ。そして、斜め前に伸びた細い長い脚が、この巨大な全体重を支えている、そのバランスの良さと力強さも印象的でした。次に触ったのは、最初に触った鴉の半分くらいの大きさで、水平にとまっていて、おとなしそうな感じ。ところが最後に触った鴉は、大きさは初めの鴉と同じくらいはあり、嘴はまっすぐ前を向いてやや開きかげん、羽はあちこちでいろいろな方向に立っていて、全体としてとても荒々しさを感じさせるものでした。
 鳩は 50センチ弱くらいの大きさで、羽がまるで傘のように円錐形に広がっているのが特徴でした。最初の鳩は、頭部がすっくと上に伸びていて、とてもかわいい感じ。もう1羽は、頭を大きく左に回して嘴が右斜め後ろに向いており、また羽も大きく広がっています。これはいったいどんな時の姿勢なのでしょうか?

 その後、人物像を数点鑑賞しました。
 「山本恪二さんの首」は、1940年に制作されたものですが、戦後間もなく作品の保管場所が火災に遭ってしまい、戦前の、柳原義達の若いころの作品で現存するのはこの作品くらいだとのことです。全体にとてもつるつるしていてきれいな感じ、とくに額の当たりはぴかぴかというほどでした。鼻と唇がとくに目立ち、髪は短く、凛々しい青年といった感じでしょうか。
 次に鑑賞した「赤毛の女」「黒人の女」「バルザックのモデルたりし男」はいずれも全身像で、大きさが60センチ前後で触って鑑賞するのには手頃な大きさでした。 3点とも、柳原義達がフランスから帰って間もない1956年から57年にかけて制作されたものだとのことです。
 「赤毛の女」は、顔の回り、首から肩にかけて髪が大きく広がっていて、それだけ顔が小さく感じました。小さな胸の前で腕を組み、右膝を少し前に出し左脚に重心をかけ、お尻を後ろに突き出し背中を反らしていて、かなり無理をしている姿勢に感じました。
 「黒人の女」は、言葉では説明できないほどに身体があちこちで前後左右にひねられた姿勢で立っています(なかなか真似できそうにありません)。さらに両足とも細く、右足をちょっと前に上げて左足で立っています。また、身体の表面全体にわたってごく小さな穴のようなのが無数に触察できることも印象的でした。深い苦しみのようなものが、身体の無理な姿勢や表面の小さな凹凸に表われているのでしょうか。
 「バルザックのモデルたりし男」は、台の上にどっかと腰掛けているような様子です。両膝の間がかなり空いていて、その膝の上に手を乗せ、やや前屈みになっています。上半身の筋肉をゆるめているせいか、背は猫背のように丸く、でっぷりしたお腹が前に出ています。顔もなにか老人を感じさせる風です。緊張感がなくて、ちょっとだらしない座り方のように思いました。

 その後は、ほぼ等身大の、かなり重量感のある全身像 3点を鑑賞しました。
 「しゃがむ女(1958年制作)は、両脚をまっすぐ前に伸ばして座っています。右脚を左脚の上に乗せていますが、先のほうでは両足がいっしょになっています。そして大きな上半身をこれでもかというほどに前屈させています。分厚い腹部と胸部は内側に押しつけられ皺がより、身体もちょっとうねっているようで、かなり苦しそうです。でも、背中側のほうは大きく引き伸ばされていて、その広い曲面は形もきれいで、触って心地よく感じました。
 「犬の唄」(1950年制作)は、両脚を踏ん張り上半身を反らして立っています。顔は斜め上を見ています。背中側は、中央よりやや左側の部分が縦に大きく抉れていて、必死に体を後ろに反らしていることを感じさせます。また、左前腕を前に直角に曲げ、指を強く内側に握っています。ガイドの方によると、この作品には、戦後の柳原義達の再出発の意志、抵抗・反発の意志が現われているとのことです。
 「坐る」(1960年制作)は、30センチ余の高さの台に腰掛けている姿。右膝をやや持ち上げ、胴体を右に傾けています。右側の脇腹には何本も大きな皺があります。触った瞬間は肋骨?とも思いましたが、その太い胴部から考えて、体を傾けることで分厚い肉塊に生じる大きな皺なのでしょう。また、この太い胴部に比べて、両肩が薄く細くなっているのも印象的でした。

 柳原義達の人物彫刻は、私がこれまで時々触ったことのある理想的ともいえる美の形式・形の人物像とはまったく異なっています。実際の肉体の様々な姿勢、しばしば不自然とも思える姿勢を表現することで、身体の持つ生命・力ばかりでなく、内面の意志や悩みといったものまで現わしているようにも思います。


◆絵画
 ガイドの方の言葉による説明で、絵画 4点を鑑賞しました。
 まず、ピカソの「ロマの女」です。これは1900年制作で、ピカソのごく初期、10代末の作品ということになります。抽象的でなく具体的でとても分かりやすいとのこと。女の人が赤ちゃんを抱いて浜辺?に座っている。海の風景はブルーなど明るい色彩できれい。それに比べ、女性は目がうつろな感じで視線がどこにあるのか分からない。ガイドの方は貧しさが出ていると言っていました。
 次に、モネの「橋から見たアルジャントゥイユの泊地」(1874年)と「ラ・ロシュブロンドの村―夕暮れの印象」(1899年)です。これらについては記憶がもうさだかでなくなり、具体的には書けません。ただ、全者が明るい光中心なのにたいし、後者は色彩中心ということでした。
 最後にシャガールの「枝」(1956〜62年)です。これは後でその立体コピー図版も見ましたので、私なりによく分かりました。身長近くもある縦長の大きな画面です。画面の左下から右上にかけて斜めに、女(2番めの妻)が男(シャガール)を手を伸ばして抱き寄せているように描かれています(このような、恋人が宙を舞っているような描き方はシャガールの絵にはよく見られるとのことです)。画面の左上端には太陽、その下に花々、その下に樹の枝。画面右下には花瓶と花束。そして画面の中央、恋人の両側には、シャガールの過去の思い出が描かれています(左側にはエッフェル塔やセーヌ川?の橋、右側には最初の最愛の妻ベラの影が見え隠れしているとのことです)。画面全体にわたるきれいなブルーは、見る者にとても印象的なようです。幻想的で、いわば時間の遠近をも感じさせるようです。


◆触ってセット
 最後に、〈アートカードみえ〉の中の「触ってセット」について、この製作に携わった学芸員のSさんより紹介していただきました。
 「触ってセット」は「鑑賞ファイル」「素材コレクション」「はめ込みパズル」の三つから成っています。
 「鑑賞ファイル」には絵画編と立体編(彫刻)があります。各編とも、三重県立美術館所蔵作品の中から十数点を選び、その立体コピー図版とその簡単な解説文(点字付)をファイルしたものです。絵画編の中には、すでにガイドの方に解説していただいていたシャガールの「枝」もあり、その立体コピー図版を改めて触ってみて、ぼんやりしていたイメージをかなりはっきりさせることができた訳です。その他の図版も触ってみましたが、かなり線が入り組んだものが多く、たぶん小・中学くらいの視覚障害児にはあまり分からないだろうと思いました。でも、これらの立体コピー図版に触れながら実際に作品の前で解説してもらうなら、かなりはっきり絵のイメージをつかむことができると確信しました。次回は立体コピー図版に触れながらの絵画鑑賞を試みたいと思っています。
 立体編のほうは各作品について3方向からの図版を作成しています。立体作品の理解のためにはこのような方法は優れた方法だと思うのですが、3方向からの図版を合成して全体の立体を思い浮べるのはかなりの訓練が必要なように思いました。やはり実際の彫刻にも触れながらの鑑賞が必須です。
 素材コレクションは、所蔵作品に使われているいろいろな素材を集めたものです。石(大理石や花崗岩など)や金属(ステンレスやブロンズなど)や木(桜や楠など)やプラスチック類が並べられ、またいろいろな触感の紙や布がファイルされていました。石や木や金属は同じ大きさ・形になっていて、重さの違いはよく分かりました(ブロンズはとても重くて、鉛かと思うほどでした)。ただ、表面がきれいに仕上げられていてそれぞれを触覚で区別できるような特徴があまり無くなっていたのは残念でした。それに比べて紙や布はいろいろな感触を楽しめそうでした。
 はめ込みパズルは、厚さ5ミリくらいのボードにくり抜かれた形をはめ込んで行って画面を完成させるパズルです。くり抜かれた各ピースの形は絵の中のある部分の形に合せていて、絵全体のイメージ作りに役立つように考えられています。私はシャガールの「枝」のパズルをしてみましたが、とりあえずはめ込むことにばかり熱中しそうになりました。

 一般の美術館が視覚障害児の美術教育支援をテーマとして取り上げること自体ほとんど例のないことですし、その意味からだけでも「触ってセット」は十分に評価したいものです。ただ、Sさんによれば、「スタンダードセットと違って、学校で使ってもらう機会がほとんど無いままでしたので、作成に関わった私たち自身には大きな意味があったものの、実際にはどれだけの利用価値というか、効果があるのか、わからずにいました」とのことです。少しでも多くの視覚障害者が「触ってセット」を体験し、どんな利用法があるのか、またさらにどんな風に発展させて行けるのか、意見を出してゆきたいものです。それは美術館のこのような先駆的な試みを応援することにもなるでしょうし、そして私たちにとって利用しやすく楽しむことのできる美術館が増えていくことにもなるはずです。

(2006年3月26日、2006年5月5日一部訂正)