三重県立美術館再訪
5月2日、三重県立美術館を再訪しました。今回は、前回の報告(「三重県立美術館の試み――視覚障害児の美術支援教材を中心に」)で紹介した「触ってセット」の中の鑑賞ファイルに収められている作品を鑑賞するのが主な目的でした。そしてそれに加えて、現在同館で開催中の【エドゥアルド・チリーダ展】に立ち寄り、また柳原義達記念館ももう一度たずねることにしました。
美術館に着いてみると、美術館のボランティア「欅の会」の方がお二人と、鑑賞ファイルの製作も担当した美術館スタッフSさんが案内してくれました、
◆鑑賞ファイルの作品鑑賞
鑑賞ファイルには、絵画作品では次の11点につき立体コピー図版と解説文が用意されています。
伊藤小坡 「ふたば」
曾我蕭白 「竹林七賢図」
児島善三郎 「箱根」
佐伯祐三 「サンタンヌ教会」
鶴岡政男 「黒い行列」
吉原治良 「作品」
シャガール、マルク 「枝」
ピカソ、パブロ 「ロマの女」
ミロ、ジョアン 「女と鳥」
ムリーリョ、バルトロメ・エステバン 「アレクサンドリアの聖カタリナ」
ルオー、ジョルジュ 「キリスト磔刑」
この中で、現在三重県立美術館で実際に展示されている、佐伯祐三「サンタンヌ教会」、ミロ「女と鳥」、ムリーリョ「アレクサンドリアの聖カタリナ」の3点を鑑賞しました。
鑑賞はだいたい、まず初めにガイドの方に大きさや全体的な構成を聞き、その後立体コピー図版とその解説文を読み、そして絵の細かい部分や色の使い方などについて、また私の分からないことについて説明してもらうという風に進みました。
●佐伯祐三 「サンタンヌ教会」 1928年 縦72.5×横59.7cm
佐伯が当時住んでいたパリの暗い町並を描いているようだ。ちなみに、佐伯は1927年に再渡仏しているが、この絵を書いた年の6月には精神病院に入院しそのまま8月には亡くなっているとのことである。
通りから教会を望んだ風景。教会のドーム状の屋根、屋根の上の真中の塔には十字架が描かれている。周囲の建物はどれも暗い煤けた感じのようだ。画面右上の建物の屋根の煙突からは煙が出ている。右側の建物の一部など赤煉瓦の赤が、全体として暗い風景の中のポイントになっているようだ。
この立体コピー図版は、たくさんの建物やその窓など、触ってはかなり入り組んだような感じで分かりにくかった。また透視図的に描かれているためか、形も変形されている所があるようだ。
以下に、参考のために立体コピー図版の解説文を示してみる。
「暗いパリの路地の風景が描かれている。画面手前から奥に続く坂道は左上がりに傾斜し、正面の教会につきあたる。道の両側には白い壁の建物が連なっている。右の建物には窓がたくさん描かれている。一本の道が奥に続き、正面の建物に突き当たる。教会の屋根はドームの形をし、そのてっぺんに十字架がたっている。右上には、煙を出している煙突が見える。
全体に、白から灰色の無彩色の色調と黒い線の荒々しいタッチでかきなぐられている印象である。右側の建物には赤いレンガの部分があり、画面を引き締めている。」
この文章で絵の全体のイメージはかなりうまく伝わってくるように思う。ただ、「一本の道が奥に続き、正面の建物に突き当たる。」という文は何を指しているのかすぐには理解しにくいように思った。この文は省略しても良いようだ。
●ミロ「女と鳥」 1968年 99.8×64.7cm
ミロは、20世紀のスペインを代表する画家とのことだが、私にはほとんど馴染みのない画家。
抽象画で、立体コピー図版を触って、この部分が女性を表している、この当たりが鳥を表していると言われても、私にはほとんどそのようには思えない。ただ、立体コピー図版でも色別に塗り分けられているので、ガイドしてもらえば、大きく黒で塗られた部分、先のとがった赤の部分、あちこちに丸く吹き付けられた青・黄・赤・緑などの部分を確認でき、私なりに動物のようなのとか花らしきものなどを想像することはできそうだ。しかし、この絵が何を伝えたいのかはよく分からないままだ。
●ムリーリョ「アレクサンドリアの聖カタリナ」 1645~50年ころ 165×110cm
ムリーリョは、17世紀スペインのセビーリャ派の代表的な画家。多くの宗教画を描いているが、私はなぜか宗教画(キリスト教ばかりでなく仏教の曼陀羅もふくめて)に惹かれるものを感じていて、今回の鑑賞ではもっとも楽しみにしていた。
聖カタリナは、 4世紀にアレキサンドリアで殉教したと伝えられる聖女。
身長ほどもある大画面に大きく、黄色のドレスの上に赤いガウンをまとった聖カタリナの全身が描かれている。顔は画面右上を向き、その視線のすぐ先には天使が舞い降りてきている。天使は棕櫚の葉らしきものを持っている。聖カタリナの足元には太い剱が置かれ、また背景には拷問具である車輪の一部も見えている。この立体コピー図版では、全体的な配置やおおまかな形はかなりよく分かった。
聖カタリナの表情についてたずねてみると、けっして恐怖とか悲しみとかを感じているようには見えず、「これはいったいどういうことなの?」というような不思議そうな表情を天使に向けているようだとのこと。また天使の持っている棕櫚については、Sさんによれば、棕櫚はもともとはギリシア神話の勝利の女神ニケが携えているもので、それがキリスト教では迫害による殉教者の死にたいする勝利を象徴するものとなり、さらに棕櫚の木が常緑樹であることから「永世の約束」をも象徴するようになったとのこと。17世紀のスペインはカトリックの側からの反宗教改革の運動が盛んな時期で、このような絵は当時の一般の人たちに信仰の勝利ないし永遠の生命の約束のメッセージとなり得たのだろうと思う。
◆その他の絵画作品
この後、鑑賞ファイルには載っていない絵を数点鑑賞しました。
まず、前回はよくイメージがつかめなかった、モネの「橋から見たアルジャントゥイユの泊地」と「ラ・ロシュブロンドの村―夕暮れの印象」です。今回ようやくこれらについてある程度イメージできるようになりました。
「橋から見たアルジャントゥイユの泊地」(1874年、62×81cm)は、S字形にカーブしている海沿いの小さな港の様子。桟橋やその近くには多数のヨットのような小さな帆船が泊っている。港の倉庫のような建物や人の姿も見える。雲り空を通してなのか直射ではない陽が射していて、帆船の影も水に映っている。全体としては明るい光が中心のようだ。
これにたいして、「ラ・ロシュブロンドの村―夕暮れの印象」(1899年、73.6×92.6cm)は、全体的に暗い感じで静かな岡の集落を描いているようだ。画面の上3分の1くらいはまだ夕日が射しているが、下3分の2はすでにひが陰っていて暗くなっている。手前から地面、池のような水の部分、岡が続き、岡には細い道がくねくねと上へ向い数軒の家も見える。岡は全体としては緑系が多いようだ。陽の当たらない暗い部分がこの絵の特徴のように感じた。
次に私の希望で、ルノワールの「青い服を着た若い女」(1876年頃、42.5×31.1cm)を鑑賞しました。
背景も薄い青のようで、それに青い服を着た胸から上の若い理知的な感じの女性の像。白い襟と胸元のリボンが目立つようだ。ガイドの方の言うには、その目は正面を見据え、遠くを見ているようでもありまた見る者の内を見透かしているようでもあるとのこと。肖像画としてとても整った美しい作品のように思えた。
それから、Sさんの勧めで藤田嗣治の「猫のいる自画像」(1927年、54.3×45.5cm)を鑑賞しました。
本人が机に向って座り、左手は机の上、右手は頬杖をつくようにしながら筆を持っている。マッシュルームのようなおかっぱ頭、面長の顔に丸眼鏡は藤田の典型的な像だとのこと。その藤田の左肩に猫が飛び乗って顔を並べている。机の上や壁には墨やキャンバスなど絵の道具が見えている。
画面は全体に藤田独特の乳白色で、ごく細い黒い線で輪郭が描かれているとのこと。私にはよくは分からないが、浮世絵のような印象も受けるようだ。藤田の人気には、たぶんこういう日本画的な要素も関係しているのだろうと思った。
◆チリーダ展
エデュアルド・チリーダ(1924~2002年)は現代スペインの彫刻家で、欧米各地には彼の手になる野外の巨大な作品がいくつもあるとのことです。そういう大規模な作品の展示風景は写真や映像で紹介されていましたが、回りの山などの風景をいわば借景のように取り込んだ、回りの環境と一体化した作品になっているようです。
企画展で実際に展示されているのは物理的な制約のため小さな作品です。鉄を素材とした彫刻、テラコッタ、版画など点数はかなり多いようでした。私は数点の鉄の作品を説明してもらいました。
「空間の転調」は 7cm角くらいの鉄柱が曲げられ組み合わされてアルファベットのような記号が出ているとのことです。また「抱擁」は、2本の鉄の十数cmほどの四角柱が立っているのですが、それぞれがくねくねと曲り絡み合い、男女が抱擁しているように見えるようです。題名は忘れましたが、湾曲した4本の脚のようなのを持つ物が空中にぶら下がっている作品とかもありました。
直接触ってはいないので感触は分からないのですが、これらの作品は素材の性質が形とうまくマッチしているだけでなく、回りの空間に影響し、ときには変形させときにはとけ込んでしまうとか、様々な効果をもたらしているのかもしれません。でも、これは私の勝手な想像に過ぎません。
◆柳原義達記念館
まず、前回鑑賞した作品を確認しました。
私の場合、作品のイメージを図録などで確かめるすべはないので、そのままだとどうしてもイメージは薄らいでゆき、雲散霧消してしまうことになりかねません。そのため、このようにできるだけ文章化したり、可能ならば今回のように作品と直接再度対面して、ぼやけはじめたイメージを取り戻し、改めてイメージ化するようにしています。
次に、初期に属する作品で、「アンヌの首」(1947年)と「高瀬さんの首」(1948年)を鑑賞しました。いずれも頭像で、前者はかわいい少女の顔、後者はもう少し年輩の女性の顔です。前回見た「山本恪二さんの首」(1940年)と同様、ほぼ実物の模写のようで、整った形で表面も滑らかです。しかし、「犬の唄」など1950年代以降の作品と比べるならば、これらの作品は静かに空間にちんまりと在るように感じられます。1950年代以降の全身像や烏や鳩の作品には、生命の持つ動きや力・荒々しさが感じられますし、いわばその波のようなのが周りの空間にまで及んでいるようにさえ思われます。
今回は新たに全身像の「座る女」(1958年)、「裸婦立像」(1960-83年)、「靴下をはく女」(1993年)を鑑賞しました。
「座る女」は、台の上に腰掛け、両手を首の後ろで組む姿勢で背をまっすぐ伸ばしています。これは私にはあまり印象的なものではなかったです。
「裸婦立像」は、顔や手はかなり簡略に表現されています。そして何よりも特徴的なのは、全身のいたる所に走る多数の縦の突線です。この縦線は、私には肉体にはたらく重力の方向、およびそれに抗してすっくと立つ身体の力を表しているかのように思われます。
「靴下をはく女」は、見た目にはかなり不安定そうに見えるようです。台に腰を下ろし、その台から1メートル近く離れた同じ高さの別の台の上に両足を乗せ、今まさにストッキングを太股の所まで引き上げているかのように、背中を後ろに30度ほど傾け、両手を太股のストッキングの上縁の所に置いています。お腹の筋肉はきゅっと縮まっていますし、首の筋肉も緊張して顎も引かれています。十分に安定した姿勢のように思われます。この作品では、身体の表面が全体に滑らかで、その他の全身像の表面が凹凸が多かったりざらついていたのとは対照的でした。これは柳原義達の作品では最近のものですので、作品傾向の時代的な変化が関係しているのかもしれません。(この点についてはSさんもそのようなことを示唆していました。)
*ザッキン、オシップ 「ヴィーナスの誕生」1930年 ブロンズ 高さ112cm
最後に、美術館のエントランスに展示されているザッキンの彫刻「ヴィーナスの誕生」を鑑賞しました。ザッキンは、数年前兵庫県立美術館で「破壊された町」(1947年)に触れ、その表現に衝撃を受けた作家です。「破壊された町」は空隙が特徴でしたが、この作品では全体は滑らかな曲面の組合わせによって構成されているようで、形式がだいぶ異なっているようです。
一瞬触っただけでは、複雑そうでどうなっているのかよく分かりません。中央に海から生まれたばかりのヴィーナス(その象徴としてヴィーナスの足元には大きな貝が凹面をこちらに向けて立っている)、その両側に季節の女神たちが配されています。ヴィーナスノ手はとてもかわいくて、彼女がまだ幼いことが想像されます。3人の女神たちの顔はいずれも大きな凹面になっていて、その凹面に顔の形が線で彫られています。
実は私は半年ほど前神奈川県にある国立特殊教育総合研究書でボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」(立体的に翻案された「触る絵画」で、イタリアで制作されたもの)を触ったことがあり、今回の作品鑑賞の手がかりにもなりました。
この作品は3女神の手や足が複雑に入り組んでいてなかなか分かりにくい所はありますが、滑らかな曲面の組合わせ、またその曲面の組合わせで出来るくっきりした曲線は、触って鑑賞して心地よいものです。ぜひもう一度会いたい作品です。
(2006年5月7日)