「手でみるミレー」の展示

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 10月22日、大阪 京橋 「ツイン21」1階広場で行われた「日本ライトハウス展〜全国ロービジョンフェア 2006」において「手でみるミレー」を展示しました。
  日本ライトハウス展は昨年から行われるようになったイベントです。見えない・見えにくい人たちの生活に便利な各種の用具やパソコン関連の機器・拡大用の機器・歩行補助システムなどの展示(一部は販売)、点字・ローヂジョン・盲導犬・DAISY・フリークライミングなどの体験、眼科・法律・年金・福祉相談など、盛りだくさんの催し物です。今年は2千人以上の来場者があったとのことです。
  私は点字体験コーナーの担当でしたが、急遽山梨県立美術館から借り出した「手でみるミレー」も展示し説明することにしました。
  私がこの「手でみるミレー」について知ったのは、エイブル・アート・ジャパンが2004年に行った「視覚障害者の美術館・博物館利用に関するアンケート調査」にたいする山梨県立美術館の回答からです。アンケートにたいする各館の回答内容はすべて公開されていて、五十音順と都道府県別で一覧できるようになっています。
  山梨県立美術館の回答の文章の中では、「手でみるミレー」については、「ミレーの作品を点訳にて確認できる」、および誰でもさわれる作品として「アクリル版のミレー作品」と記されているだけで、詳しいことは分かりませんでした。山梨県立美術館はミレーの作品を収集している美術館として有名なようですし、もし図録のようなものであればとりあえず貸出してもらうようなことはできないかと思い、連絡してみました。実際には図録ではなく視覚障害者の来館者のための展示用のパネルだったのですが、担当のNさんの素早い対応で、正式の貸借の手続きを経て、連絡してから3日目にはパネルのセットが自宅に届きました。
  31×41pのアクリル製のパネル7枚に、その使用の仕方について書いたやや小さめの板1枚が付いたセットでした。パネルは、図版4枚(「種をまく人」と「落ち穂拾い 夏」の2点につきそれぞれ簡易版と詳細版)と解説版3枚(ミレーの生涯および「種をまく人」と「落ち穂拾い 夏」の作品解説)です。
  まず作品の解説を読んでみると、それだけでも作品のだいたいのイメージが伝わってきます。そして図版を少しゆっくり触察すると、より具体的に絵の構図が分かってきます。「種をまく人」では、画面中央に大きく描かれた農夫と、画面右上に小さく描かれた牛とそれを遣う人との大きさの対比で、遠近感がよく分かりましたし、「落ち穂拾い 夏」では、大きな積み藁の山が3つあり、2人の農夫が手を伸ばしてさらに藁を積み上げようとしている様子、手前の3人の女性の中の画面右側の人は拾った穂のようなのを持っていることなどが分かりました。また、簡易版では絵の構図を知らせ、詳細版では人物の様子をとくに詳しく触察できるように工夫していることにも感心しました。
  これは、私以外の人たちにもぜひ触ってみてほしいと思い、数日後に迫っていたライトハウス展で展示できるよう手配しました。私としては、一般の美術館がこのような試みをしていることをできるだけ多くの人たちに知ってほしいですし、また実際に触って鑑賞した人たちの感想も美術館側に知らせたいと思いました。

 ライトハウス展の当日、私は点字体験コーナーで見える人たちに点字を紹介し実際に名刺などを書く手伝いをしながら、主に見えない人たちが「手でみるミレー」を触察するのをガイドし説明しました。たぶん私だけでも20人くらいに説明したと思いますし、私以外のスタッフも説明していましたので、30、40人くらいの人たちが実際に触って鑑賞したようです。
  触っての感想はほんとうにいろいろでした。まったく視覚経験がなくなんだかよく分からないという人から、見えていた時に「落ち穂拾い」や「種をまく人」などを見てよく知っていて、触りながらかなりよくイメージできていそうな人たち、中には全盲で絵を見たことはないのに独りで「落ち穂拾い」の女性が手を地面に伸ばしているのを読み取っている人もいました。また、見える人で目をつぶって丁寧に触ってみている人たちもいました。
  絵の各部分を図記号の違いで区別する方法は、おおむね好評だったようです。いくつか注文もあり、浮き出している線が鮮明でないとか、 2、3段階に浮き出しの高さを変えられないのか、などの意見もありました。
  今回の絵は構図が簡単で私も説明しやすかったですし、また遠近感が大きさの違いでよく表わされていて、これは見えない人たちにも理解しやすかったようです。ただ、色彩や光の加減などは私ではとても説明できませんでしたし、見えているスタッフやガイドの人たちにもちょっと説明しにくかったようです。
  ライトハウス展に来られる方で絵に興味をもっれいる人たちがどれほどおられるのか、また実際にゆっくり時間をかけて絵に触ってもらえるのか少し心配はしていましたが、かなり興味をもって触っていただけたようです。絵と言えば見えない人たちに敬遠されがちかとも思われますが、けっしてそんなことはないなあと思いました。(見えていても絵にとくに興味もない人もけっこういますから。)

 以下に、資料として、作家と作品の解説文、および簡易版と詳細版の図記号による凡例を掲載します。

◆J.F.ミレーの生涯
  1814年、パリの北西約 300キロ離れた海沿いの小さな村グリュシーに、農家の 8人兄弟の長男としてミレーは生まれました。
  芸術好きな父、宗教心に厚い母、そして自然を愛する祖母と多くの兄弟に囲まれてミレーは育ちました。
  絵を描く才能は幼いころから優れていて、23歳の時にはその才能を認められてパリで絵の勉強をすることになりました。しかし一般にはなかなか認められずに、生活のために裸体画や看板を描かなければなりませんでした。そのような苦しい生活の中で、ミレーはポーリーヌ・オノと結婚します。でも結婚生活は 2年半しか続かず、貧しさのためにポーリーヌは 23歳の若さで死んでしまいます。
  悲しみにしずんでいたミレーはやがて、その後の生涯を共にするカトリーヌと出会いたくさんの子供に恵まれます。しかし生活はやはり苦しいものでした。
  1849年パリでコレラが流行ったため、以前から美しいことで画家たちの間で評判だったフォンテーヌブローの森の入口にある小さな村、バルビゾン村に移り住みました。
  その後ミレーは、この村で農民の働く姿や森や田園風景などを描き続けました。そしてミレーは次第に画家として認められるようになっていきましたが、生涯この地を去ることはありませんでした。
  1875年、バルビゾン村の自宅で、ミレーは家族に囲まれながら 60歳の生涯を閉じたのでした。

◆「種をまく人」
  (1850年制作。 99.7×80.0p。触察版では 19×23.5p)
●解説
  晩夏の夕暮れ、荒れた耕地に1人の農夫がソバの種をまいています。荒れた大地には小麦は育たず、ソバくらいしか育たないのです。左肩から種のたくさん入った大きな袋をつり下げ、頭には帽子、すねには荒れた大地から脚を守るための巻き物、そして木靴をはいているようです。種の入った袋は大きな一枚の布をわずかに加工しただけのもので、身なりから想像すると、この農夫はどう見ても裕福そうではありません。
  この作品には、大地に種をまく農夫がほぼ画面一杯に大きく描かれています。やや右に下がった大地には沈み行く陽光がわずかに残り、画面右の遠くには、牛を使って大地を耕す人がぼんやりと描かれています。種をまく農夫は、薄暗がりの中に足をふんばり、右腕を力強く振り、背筋をぴんと伸ばして立っています。背景の大地を耕す人、そして一杯に詰め込まれた重そうな袋から想像すると、まだまだ労働は終わりそうにありません。農夫の表情までははっきりと分かりませんが、きっと結んだ口とやや顎を引きぎみに正面を見据えている横顔からは、きびしい労働にたいする自信と確固たる意志がうかがえます。農夫の手の指や足の先などは、薄暗いなかまるで大地に同化しているようです。
  この作品は、ミレーがバルビゾン村に移り住んで最初に描いた大作です。 1850年に発表されましたが、当時農民の姿をありのままに描いた絵はほとんど無かったため、たいへんな話題となりました。この作品によって、ミレーは多くの人に知られるようになったのです。
  この作品に描かれた象徴的な農夫の姿は、画家としての自分の姿勢を決意したミレー自身の姿とも見ることができるでしょう。

●簡易版
  農夫(右脚を前に出し上体をひねって右手で種をまく): 輪郭線で囲まれた粗な点の部分
  画面中央に描かれた遠くに見える農夫と牛: 全体が盛り上がった面
  荒れた大地: 波線部分
  空: 輪郭線で囲まれた空白部

●詳細版
  種をまく農夫の顔と手、および空: 輪郭線で囲まれた空白部
  農夫の帽子: 横線の並び
  農夫のズボン: 密な点の部分
  農夫の上着: 縦線の並び
  種の入った袋: 粗な点の部分
  画面中央に描かれた遠くに見える農夫と牛: 全体が盛り上がった面
  荒れた大地: 波線部分

◆「落ち穂拾い 夏」
  (1853年制作。 38.3×29.3p。触察版では 18×23.5p)
●解説
  画面の上方には、豊かな麦の収穫が終わり、農民たちがその藁を高々と積み上げている、そんなちょっと遠くの風景が描かれています。そして絵の中央から下にかけては近くの風景、腰を屈めて麦穂を拾っている 3人の農婦が描かれています。遠景の農民たちと 3人の間はかなり距離が離れていて、その間には人も家畜も見当たりません。
  実はこの 3人の農婦は、自分の畑を持たない貧しい人たちなのです。遠景に描かれている裕福な農民の許しをもらい、彼らの取り残した落ち穂を拾っているのです。 3人の年齢は 30歳から 40歳半ばくらいでしょうか、帽子の代わりに布を頭に被り、おしゃべりをする様子もなくじっと大地を見つめ、ひたすら作業を続けています。
  一見すると、やわらかな陽光につつまれた牧歌的な一光景を描いた易しげな絵なのですが、 3人の生活を想像すると、この絵はけっしてのどかなだけの風景を描いたものではないことが分かるでしょう。しかしミレーは、ただ単に貧富の差を描きたかったのではありません。ミレーは、いかにきびしく苦しくとも大地とともに必死に生きる農民たちの、実直でけなげな姿にたいし、神への崇拝にも近い感情を抱いていたのではないでしょうか。そして「この絵を通して多くの人々にその感情と感動を伝えたい」ミレーはそう考えて、この絵を描いたのだと思います。ですから、絵の中では富める遠景の農民も貧しい近景の農婦たちも、やわらかな日差しに同様につつまれていて、画面全体からは幸福感が感じられるのです。そしてそのやわらかな雰囲気の中には、崇高なまでの威厳が確かに存在しているのです。

●簡易版
  落ち穂を拾う3人の農婦の横向きの姿: 太い輪郭線
  藁を積む2人の農夫: 全体に盛り上がった面
  積み藁: 横2点の積み重なり
  刈り入れの終わった農地: 波線部分
  空: 輪郭線に囲まれた空白部

●詳細版
  落ち穂を拾う3人の農婦の顔・手・靴、および空: 輪郭線で囲まれた空白部
  3人の農婦の帽子: 縦線の並び
  3人の農婦の上着: 横線の並び
  3人の農婦のスカート: 密な点の部分
  刈り入れの終わった農地: 波線部分
  藁を積む2人の農夫: 全体に盛り上がった面
  積み藁: 横2点の積み重なり

(2006年11月6日)