こんな理科教育が受けられたら…… 京都大学総合博物館のワークショップに参加して

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 3月3日と4日、京都大学総合博物館で「手で見る 学びを深める」というワークショップが行われました。私は3月4日このワークショップに参加し、長年視覚障害の人たちのための理科教育の開発と普及に努めてこられた鳥山由子先生の実習を体験し、お話しを聴くことができました。
  京大総合博物館ではこれまで子どもや成人向けの学習プログラムをいくつか作ってきましたが、それは知識を伝達することが目的ではなく、参加者がまず感覚を通して観察し、それに基づいて推理し、なるほどと合点できるようなプログラムです。これまでに「三葉虫を調べよう」「二枚貝を調べよう」「貝体新書(大人のための二枚貝学習教材)」を完成したとのことです。このようなプログラムを使った学習教室で、参加者は視覚以外の感覚、とくに触覚も使っていることが分かり、触覚を中心としたプログラムの必要性を認識するとともに、実際に触覚中心の世界で生きている見えない人たち自身、およびその人たちの教育に携わっている人たちとの接点を求めてこのようなワークショップを企画したようです。
  私はこれまでに2回、短い時間でしたが、京大総合博物館を訪ね、その中心となって活動しておられる大野先生にもお会いしました。今回のワークショップに参加しようとした動機のひとつは鳥山先生のお話しを聞くことでしたが、もうひとつは化石の専門家でもある大野先生に私の持っているイノセラムスという2枚貝の化石を観てもらうことでした。(私の持っている標本には、数個の数センチのイノセラムスとともに長い棒状の物が付いていて、これが何なのかずうっと分からなかったのですが、大野先生によればこの棒は長く真っ直ぐ伸びたアンモナイトで、中の仕切りも少し確認できました。)

 以下に、このワークショップの主なプログラムを示します。
(3月3日午後)
塩瀬隆之(京都大学情報学研究科 助手) 「触れるように見る、見るように触れる」
瀬川三枝子(日本自然保護協会 自然観察指導員) 「私にとって自然と触れ合うということは」〜ネイチュアフィーリングと出会って〜
西谷克司(H&D デザイナー) 「観察と定着と検証と」〜スケッチで探る世界とのつながり〜

(3月4日午前)
鳥山由子(筑波大学人間総合科学研究科 教授)「目を閉じてみえてくるもの」
(午後)
鳥山由子 「指先を目とする人々の観察・鑑賞の支援」
広瀬浩二郎(国立民族学博物館 助手) 「触文化への気づき、触文化からの築き」〜全盲フィールドワーカーが観た風景〜
大野照文(京都大学総合博物館 教授)「五感で楽しむ生涯学習」

 鳥山先生は、岡崎盲学校と筑波大学附属盲学校で計30年近く視覚障害児のための先進的な理科教育に尽力されてきた方です。1980年に発足した日本視覚障害理科教育研究会の中心メンバーとして活動し、また日本自然保護協会において「ネイチュア・フィーリング 〜からだの不自由な人との自然観察〜」を立ち上げ、今もその研修会の講師を続けられているとのことです。さらに1998年からは筑波大学大学院において、視覚障害教育における教科の指導の専門性をテーマに、研究と後身の指導に当たっておられます。

 以下に、午前に行われた「目を閉じてみえてくるもの」というテーマの実習と、午後に行われた「指先を目とする人々の観察・鑑賞の支援」というテーマの講演について紹介します。

◆実習
  まず、理科教育では、触る力を系統的に育ててゆくことがなによりも大切だ、というお話しがありました。
  筑波大学附属盲学校では、30年ほど前(1970年代)から、中学1年の理科の最初の半年間は徹底的に植物の葉の観察をし、後の半年間は動物の骨の観察を集中的に行っています。植物や動物の観察は一般には絵や写真ですまされがちですが、盲学校では、指先を目とする触察により、発見し、言葉で表現する力をつけてゆきます。(ミクロな物については、模型や触る絵を利用します。)
  基本は、実物を手で触って観察し、その形態と機能を結びつけて理解できるようになることで、その上で生物の多様性や分類に進むようにします。
  さらに、夏季学校での自然観察や、上野動物園の協力による動物園所蔵の骨格標本の観察なども行われていて、私はついうらやましいと思いました。
  今回のワークショップでは、触覚による観察の体験として動物の骨の触察実習が行われました。
  ワークショップ参加者は3人くらいで1グループとなり、各グループには、見えないように、シャツのような形をした黒い袋の中に入った触察資料が配られました。何が入っているのかまったく分からない状態で、袖のような所から手を入れて、1人ずつ順番に5分くらいずつ触察し、それを言葉で表現します。
  私はグループの中で最初に触ることになり、袋の中に手を入れてみると、まず歯の並びが分かり、続いて上顎と下顎、そして何かの頭蓋骨であることが分かりました。上下の長い犬歯がしっかり組合い口が前に突き出している感じだったので、肉食の身近な犬などを想像しました。(回りの人たちは、キツネとかタヌキとかウサギとかいろいろな動物を挙げていましたが、私はそれらの具体的な姿をあまり知らないので判断のしようがありませんでした。ただ、前に熊の頭蓋骨を少し触ったことがあり、実際の頭の大きさに比べて頭蓋骨はだいぶ小さいことは知っていました。)
  それから同グループの人たちも順番に触察しましたが、分かるのにけっこう時間を要していたようです。鼻の中が壊れているようだとか、目の窪みがとても大きいとか、熱心に触っていました。
  各グループの触察がほぼ終わった後、各グループに配られていた10種類ほどの動物の頭蓋骨が次々に回ってきました(私たちのグループのはコヨーテでした)。そして鳥山先生のアドバイスに従いながら、それらの頭蓋骨をちょっとずつ触りながら比較することができました。例えば、脳から脊髄に続いている穴は、サル以外の動物では頭蓋の後方に開いているのに、サルだけわ頭蓋の下に開いていて、サルだけがほぼ直立の姿勢であることが納得できました。また、耳の下内方の膨らみ(内耳のある当たり)の大きさは動物によって少しずつ違っていて、とくにネコがその膨らみが大きく、聴覚・平衡感覚の良さを反映しているのだろう、という鳥山先生のお話しにもなるほどと納得でした。
  その他、附属盲学校で実際に頭部を煮沸して作ったという、角付きのヤギの頭蓋骨も見事でした。
  この実習で、鳥山先生は、触覚による観察を言葉で表現するとともに、やはり見て分かることについても伝えて理解を助けるようにすること、さらにイメージをできるだけ具体的に言語化することなども強調していました。

 今回の実習は生物についてだけだったのですが、筑波大学附属盲学校ではもちろん物理・化学・地学の分野においても触覚や聴覚を使った実験や観察が行われています(附属盲で行われてきた先進的な理科教育の概略については次のページを参照してください: http://www.nsfb.tsukuba.ac.jp/rika/rika_d.html)。
  私は理科が好きでしたが、私の中学・高校時代は1960年代でしたし、またたぶん片田舎の盲学校だったということもあり、このような先進的な理科教育とはまったく無縁でした。(鳥山先生によれば、1950年代までは見えない人たちには理科教育は難しいとされていたが、1960年代に物理・化学については可能と考えられるようになり、さらに1970年代になって生物や地学についても可能とされるようになったとのことです。)化学の実験は弱視の生徒の協力で少ししましたが、生物については実験や解剖などまったくありませんでした。(なにしろ中学 3年の終わりの半年間、理科の時間はもうなにもすることがなくなっていました!)。
  私は中学 3年の時からとくに物理が好きになってそれなりにあれこれ勉強しましたが、高校 1年の終わりには点字で読んで勉強できるような教材はまったくなくなり、高校 3年のころは教育テレビで放送されていた大学講座の物理学を録音し何回も聞いていました(でも数式は部分的にしか言ってくれないので、何度聴き返しても分かりませんでした)。少し調べてみると、大学に行って物理を続けるなどというようなことは当時としてはまったく夢のような話であることも分かり、諦めてしまいました。そんな私ですから、今回の実習で体験したような理科教育をもし受けられていたら……とつい考えてしまうのでした。

◆講演
  以下、当日のレジメと私のメモに基づいて鳥山先生のお話しの内容を紹介します。(一部私の体験に基づく記述も含まれています。)

1 触ることができる展示や教材の意義 
●誰にとっても必要なハンズ・オン
  ハンズ・オンは、対話とセットになっている必要がある。触察と対話の組み合わせ。

●触るためのマナーと教育
  手を洗う、壊さないような触り方。
  部分をつなげて全体を把握する。部分から全体イメージへ、全体イメージから部分へ、を繰り返す。

2 触覚による観察のプロセスと鑑賞の支援
●触る前に、ある程度の情報が必要

●自分から触ることが大切
  相手に手を取ってもらって触らせてもらったのではあまりよく分からない。自分で手を動かして触ることが必要。
  手をとって誘導して触らせた場合も、自分で触るチャンスをしっかり与えるようにする。自分で触るのには時間がかかるので、十分に待つことも大切。

●両手を使い手を動かしながら観察する(能動的な触運動知覚)
  片方の手を基準にしたり、力をコントロールしたりして理解を広げる。
  (白杖を持つなど、両手が使えるように援助する)

●部分から全体、全体から部分と繰り返しながら、全体像を、頭の中で作り上げていく
  この過程は時間がかかり、集中力を要する。
  (このときには話しかけないで、一緒にさわる)

●1度に多くのものを触っても混乱する
  多種類の物を次々と触ると、それぞれについてはっきりした印象がほとんど残らないことになりやすい。
  1つのものをじっくり触ってイメージを描く、イメージを言葉で表現する。1つの物について確実なイメージを持ってから次の物を触るようにする。(例えば森の観察では、まず優占種について徹底的に触察ししっかりしたイメージを作り上げ、その他については優占種との違いを観るようにする。)
  触察を中心とした1回の観察では、おおむね10点以内で、2時間が限度。それを超えると集中力が続かない。

●対話が不可欠
  対話によって観察が深まる(あいづち、見た目の情報のフィードバック)
  説明は、触ったもの(実体験)を基礎に、具体的に。

●細かいものの識別(2点弁別の閾値)に限界がある
・材質、鮮度の影響(シャープなものは小さくてもわかる)
  堅くしっかりした物のほうが細かい所まで識別しやすい。桜の花びらの数は、野外で咲いている桜の花だと数えることができるが、枝を折って花瓶に挿した状態では(少し萎れてしまって)数えられなくなる。
・識別の鋭敏さは身体の部位によって異なる
  指先が敏感。さらに舌先のほうが敏感だが、博物館での触察などでは使えない。
  狭い窪んだ所には、指の延長としてピンや綿棒を使うことができる(私はよく点筆を使う。力の加減の調節が必要)

●触覚ならではの特質
・形より質感の印象が強い
  質感の違いは触ってすぐに気付くが、形を知るには時間がかかる。例えば葉を触った場合、葉の形よりもまず葉の面がつるつるしているとか堅いとかを感じる。
・裏・表が同時にわかる  
  裏と表のほぼ同じ場所を触って、裏と表の違いや厚さの変化を知ることができる。また、表が凹んでいる所では、それに対応する裏の凸の部分を触ることで、表の凹んでいる部分の形をよりはっきり知ることができる。
・温度や重さがわかる
・ある程度、内部を感じることができる
  例えば、ゆで卵の白身の表面を数箇所少し強く触ると、中にある黄身がどの当たりにあるかが分かる。
  眼球の解剖実験で、生徒がレンズ(水晶体)を触っていて、これは二重構造になっていると言った。レンズを切ってみると、中から液体が出て中心部に固い物があることが分かった(屈折率を上げるために中が固くなっているらしい)。
  内部の様子が分かるという触覚の特性は、見えない人たちの伝統的な職業であった按摩・マッサージなどで生かされている。

●大きなものの全体像がわかりにくい 
  歩いて距離を実感する。
  音の広がりで大きさや高さを感じる。福井の恐竜博物館では、実物大の恐竜の頭と尾にチャイムを付けて、そのチャイム音で恐竜全体の大きさを感じるようにしている。

3 音声による説明の特質とわかりやすい情報提供の工夫
●音声の揮発性
  要点は繰り返す。また、何についての説明なのか、前文が必要。

●全体像の見えにくさ
  全体の構造のわかる説明をする。

●正しく聞くためには集中力が必要
  聞いている時に説明しない。(2つのことを同時にしない。)
  展示についての音声ガイドは一緒に聞くようにする。音声ガイドが終わってから、足りない部分を補うようにする。

4 弱視の人にとって見えにくいものと対策
●小さいもの(拡大する)
●動いていて止まってくれないもの(動きを止める)
●遠いもの(近づいて見る、近くに引き寄せて像を作る)
●似ていて区別しにくいもの(似たものを比較する)
●広い範囲からみつけなくてはならないもの(範囲を限定する)
●大きなものの全体像(縮小した模型や写真)
●時間をかけて、少しのものをじっくり見る(1度に多くを見せない)
●観点を立てて観察する
●見るだけでなくいろいろな感覚を使う(触覚、聴覚)
●強い照明の問題点(まぶしさ、影になる部分はほとんど見えない)
●1人1人見え方が違う

5 博物館へのアクセスのためには何が必要か
  視覚障害者が博物館や美術館などに出かけて観覧するための条件として、これまでは@点字ブロックや音声などによる誘導、A点字や音声などによる展示解説・説明、B視覚以外の方法で観察できる展示品、C理解のあるスタッフ、の4つが挙げられてきた。これらはいずれも必要なことではあるが、これらを並列的に訴え続けているだけでは事態はなかなか変わりそうにない。
  筑波大学大学院人間総合科学研究科の博士課程で研究をしている半田こずえさん(全盲)は、視覚障害者が実際にミュージアムに行って観覧するためには上の4つの要因のうちどれがもっろも重要で大きく影響しているかを、コンジョイント分析(注)という手法を使って研究した。それは、関東・関西の視覚障害者各15人ずつのインタビューに基づくもので、それによれば、視覚障害者の実際の行動選択にとってもっとも影響力のある要因はCの理解のあるスタッフとBの視覚以外の方法で鑑賞できる展示品であって(視覚障害者が1人で行く場合はCが、だれかガイドの方と行く場合がBがわずかに優位になるという)、@の誘導やAの展示解説はほとんどないしあまり影響を与えていないという。
(注)コンジョイント分析: 複数の複合した要素からなるサービスや商品について、利用者・消費者が実際にどの要素を重視して選んでいるのか、またそれらの要素の最適な組み合わせの仕方などを明らかにしようとするもので、その分析のために最近はいろいろなモデルが使われている。
*私は視覚障害者がミュージアムに行って楽しめるためには〈人による対応〉がもっとも重要だと考え、またしばしば発言しているが、この研究結果は私のこのような考えともだいたい一致するようだ。

◆おわりに
  鳥山先生による今回の実習と講演は、視覚障害児のための理科教育のあり方、およびミュージアムにおける触覚を中心とした観察・鑑賞の仕方について、極めて具体的にその方向性を示しているものです。そしてまた、毎年公開講座を開くなどして、これらの方法の普及にも努めておられるようです。
  しかし残念ながら、少なくとも私の回りの見えない人たちについていえば、上のような盲学校で開発された先進的な理科教育を受けたと思われる人はあまりいないようですし、また中途失明の人たちの中には触ることにさえ躊躇してしまうような人たちもいます。さらにまた、視覚障害のみの子供たちは盲学校よりも一般の学校を選ぶようになり、制度的にも盲学校から特別支援学校へ移行するなど、これまで盲学校で培われてきた理科教育・触察教育が受け継がれ普及するには難しい状況になりつつあるようにも思います。
  このような状況を考慮すると、博物館や美術館が、子供・成人を問わず見えない・見えにくい人たちも対象にした、視覚以外の感覚を使う鑑賞プログラムを行うことの意義はますます大きくなると思います。このようなプログラムは一般の人たちにも十分刺激的なものになるはずです。京都大学総合博物館はもちろんのこと、全国各地のミュージアムで見えない・見えにくい人たちも参加しやすい社会教育的なプログラムが行われるようになることを望んでいます。

(2007年3月11日)