弥生文化博物館の触れる体験会
11月3日、大阪府立弥生文化博物館(大阪府和泉市)で、「やよいの会」主催の第1回目の触れる体験会(テーマ:弥生の米アラカルトに触れる体験)が行われました。
「やよいの会」は、以前から主に点訳活動を通じて弥生文化博物館に協力しているボランティアグループです。視覚障害者にも十分に楽しめる博物館に向けての活動をしたいということで、私は今年の初めから協力員として関わってきました。
ほぼ毎月開かれるやよいの会の集まりに出席し、また弥生文化博物館の常設展示や関連施設の見学などもしました。そして9月初めに第1回目の企画案がほぼ決まり、私の知り合いを中心に案内しました。最初は参加申し込みがとても少なく心配していましたが、期日が迫るにつれて申し込みが増えてきました。
当日は、当初の予想を上回る、見えない・見えにくい人たち10名(小学生2人、弱視3人、盲導犬使用者1人)が参加してくれました。これにやよいの会をはじめとするボランティアや館員も合わせ、30人くらいのにぎやかな集まりになりました。
10時40分すぎにはほぼ全員博物館に集合、まず3班に班分けし、点字使用者には当日のプログラムと館内図、また希望者には常設展示の点字の解説を配りました。
それから、第1展示室に行き、弥生時代の春の水田と秋の水田のジオラマの前で学芸員より弥生時代の水田の説明を受けました。弥生時代の始まりは今は2700年くらい前と考えられるようになっていること、とくに初期では水田は低地に小さな区画で作られ、小さな堰を作って水路を塞き止めて田に潅水していたこと、中期以降は広い田も作られるようになり農具のごく一部には鉄も使われるようになったこと、収穫は石庖丁による穂刈りだったことなどの話がありました。
残念ながら学芸員の話は、参加者に小学生もいたことも考えると、やはり難しい言葉が多かったですし、参加者からの質問などを受けることもなく、一方的な話になってしまいました。学芸員の話はともすれば一方的になりやすいですが、今後は参加者とのコミュニケーションが取れるようにし、またジオラマなどについてはできればボランティアによる詳しい情景説明もしていったほうが良いなあ、など、反省しきりでした。
その後、セミナー室に行き、メインの体験会が行われました。
体験会は、石庖丁を使った穂刈り、臼と杵を使った脱穀、農具と煮炊き用の土器の3つのコーナーに別れ、3班の各班が20分くらいずつ各コーナーを順次体験するという形式で行いました。
石庖丁を使った穂刈りのコーナーでは、まず、石庖丁の原石である緑泥片岩、それを加工した製作途中ないし失敗作の石庖丁、完成品の石庖丁が展示されていました。緑泥片岩の原石は薄い板状の物が何層も重なっていることが触って分かりました。(比較のために、鏃など他の石器に使われたサヌカイトも展示されていました。こちらは緻密で硬そうな手触りでした。)
失敗作の石庖丁としては、紐を通す穴がうまく空けられていないものあるいは穴を空けている途中で割れてしまった物がありました。何故こんなことまでして穴を空けるのかについて尋ねてみたところ、当時の田は泥田で、いったん落としてしまうとほとんど見つけられなかったのではないか、そのため紐を通す穴を空けその紐を指に通して落さないようにしていた、またそれだけ石庖丁は当時個々人にとってとても貴重な物だったろうとのこと、とても納得できました。
穂刈りは、今年刈り取った稲を使って行われました。3週間ほど前に穫り入れた稲だったので、すでにかなり乾燥しており、手首のかえしを使って石庖丁で切ると楽に切れました。実際の稲は水分をもっと含んでいるだろうから、もっと切れ難いだろうという声が参加者から出ていました。
臼と杵は楠木製だとのことですが、すでに楠の匂は無くなっていました。臼はごくふつうの臼の形でした。杵は、直径6〜7センチ、長さ1メートルくらいの棒状のもので、一端がやや尖っているのにたいし、他端はやや平べったくなっていました。尖った方は脱穀の最初のほうで使い、平べったい方は後のほうで使うと良いようです。時間はかかりましたが、簡単な方法でした。
杵で搗いた後は、風を使って籾殻などと米を選別します。風で籾が飛ばされているのが分かりました。
農具としては、木製の鋤と鍬がありました。鋤はほとんどスコップと同じような形でした。鍬にははねた泥をよけるための四角い板が付いていて、かなり重かったです。鋤も鍬も先端はそんなに鋭くないので、実際の作業は非常な労働だっただろうと思いました。
土器としては、煮炊き用の甕が2つ(いずれも模造品)がありました。(出土した甕に黒い煤が付いているので煮炊き用に使われたのだろうとのことです。その煤らしき物も触って分かりました。)土器は底が細くなっていて不安定ですが、回りを薪で囲んでその中に置かれており、触るのにも安定していてよかったです。
体験会では、各班のリーダー(やよいの会のメンバー)が、各コーナーで、どんな物があり、どんな順番で触るとかについてあまり説明しないこともあったようで、参加者からはどうしたらいいのかよく分からず困ったというような声がありました。
体験会の後は、30分ほど交流会をもち、ほぼ予定通り午後1時ころ今回の企画を終了しました。
交流会では、参加者からは、楽しかった、今後もこのような会を続けてほしい、せっかく遠い所から来たのだから半日ではなく1日にしてほしいといった意見とともに、かなりきびしい意見もいろいろ出ました。
私は協力員として初めからこの企画に関わってきたわけですが、私自身多々反省点を感じました。以下、参加者からの意見もふまえて、いくつか挙げてみます。
・1週間前とか、直前に集まりをもつなどして、事前に念入りに調整をしたほうが良かった
・弱視者への対応を考えなければならない(プログラムなどは点字版しか用意できなかった)と
・各班のリーダーとしてやよいの会の皆さんは各班で中心となって進めてほしかった。もちろん、各コーナーでどんな物が展示されていてどんな順番に触っていくかなど具体的に説明したほうが良い
・各班の人たち(とくに見えない人)が自分たちの班のメンバーにだれがいるのか分かるように、最初に互いに声をかけるなど紹介するようにしたほうが良かった
・見えない人の人数は今回は多過ぎたかも。今度は定員と申し込みの期限を決めたほうが良い。
私もこのような博物館の企画に直接協力するのはほとんど初めてでかなり遠慮がちになっていました。しばらくの間はもっと表に出て関わったほうがいいのかもしれません。また、やよいの会の皆さんには、見えない人たちにたいして説明する力をもっと身に付けてほしいと強く感じました。これらのことを次回以降生かしつつ、今後もこのような体験会を続けて行こうと思っています。
◆午後のエキストラ
午後は、希望者は常設展示ないし今開催中の特別展を見学しましょうということで、私は秋季特別展「日向・薩摩・大隅の原像―南九州の弥生文化―」の会場に行きました。
展示会場に入ってみるとすぐに、南九州の地層標本(上部から下部まで十数層はあった)がありました。私はこういうものにはとても興味があり、係の人にちょっとでも触れられないかたずねてみました。剥ぎ取り標本なので触ることはできないが、学芸員の方がそれに代わるものを用意できるとのこと、展示されていた縄紋土器の説明をしてもらいながら、期待しつつ待っていました。しばらくすると、学芸員のHさんが、個人的に集めたという、小さな缶に入った南九州の地質標本十数個、および南九州の縄紋土器のミニセットを持ってきてくださいました。
Hさんは展示会場にあった剥ぎ取り標本とほぼ同じ順に小さな缶に入った地質標本を並べ、それを私は順に土の大きさや硬さを確かめながら触ってゆきました。その中には、縄文早期・前期を分けるカギ層として使われるアカホヤや、日本の旧石器時代の編年上重要なカギ層として使われる入戸火砕流(シラス)もありました。アカホヤはちょっと固めの土塊ですが指で少し強めに押さえるととても細かく崩れてしまいます。シラスには、大きな軽いしから礫、さらに爪の間にまで入り込む微粒子状のものまでいろいろありました。帰りには、余分にあるシラスとアカホヤのサンプルを頂きました。
*アカホヤ: 6400年前ころ、鬼界カルデラ(薩摩半島の南50km付近のカルデラ。その北縁は薩摩硫黄島と竹島)の大噴火による噴出物。その噴出物の総量は100km^3(厚さの平均を1mとすれば、200km×500kmの広範囲が覆われることになる)にもなり、南九州の縄文人の生活は完全に破壊された。
*入戸(いりと)火砕流堆積物(シラス): 25000年前ころ、姶良カルデラ(鹿児島湾北部、直径20km)から噴出した火砕流の堆積物。総量は200km^3くらいとされる。上層には大きな軽石も多く含まれ、下層ほど礫が多くなる。南九州では火砕流がその熱によって溶結凝灰岩化した所もある。(関東地方に広く分布する姶良丹沢火山灰は、入戸火砕流とともに噴出した降下物) (以上、いずれもWikipedia等を参照)
土器セットには、南九州の典型的な5種の縄紋土器のミニチュアが入っていました。これは、地元の陶芸家が紋様などを正確に再現して作った物だとのことですが、ちょっと小さすぎて触って紋様をはっきり観察することはできません。どれか1種類でも、実物大の土器の製作を直接製作者に依頼してみようかと考えています。
その後、Hさんに当時の石器で触れる物はないだろうかたずねてみたところ、では作ってみよう、という話になりました。私もふくめ見えない人たち4人、見える人たちも合せて計10人近くが集まり、緑色頁岩から石鏃を作るワークショップが始まりました。
頁岩は薄く剥がれやすく、石鏃や石槍などの石器に広く使われていたそうです。
まず、Hさんが作ったとてもきれいな形の石鏃を触り、それをモデルに、各自が緑色頁岩を砥石で磨き始めました(私は一部硬質砂岩で磨きました。磨いていると、砂岩も削れてくるからでしょうか、泥のような匂がしてきました)。1時間弱で、それぞれ特徴のある石鏃?が出来上がりました。私のは、もともと薄めの石片を使ったためでしょうが、かなり鋭利な、殺傷能力のありそうな刃先になりました。
こうして、午後のエキストラは本当に楽しい時間でした。私も企画した午前の触れる体験会よりも、午後の偶然の出会いから始まったエキストラのほうが、私個人としては充実した時だったように思います。ミュージアムでは、時にはこのような思いがけないような楽しみにも出会えます。
(2007年11月13日)