東京方面タッチツアー

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 3月5、6日、国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館で行われたある研究会に参加するために東京に行きました。
 研究会は、体験講座「素材の魅力を味わう」(展示解説とタッチツアー)のほか、公開講演会や討論会もあって充実した内容でした。さらに、私はその他にも博物館などにも行って、2日間大いに触って楽しみました。以下、私のタッチツアーについて紹介します。
 
●翡翠原石館
 5日午前は、まず品川で途中下車し、翡翠原石館に行きました。(品川駅からタクシーを利用したのですが、運転手がまったくそういう博物館は分からないと言い、困りました。私にとっては数年前から気にしていた博物館なのですが、まだまだ一般にはマイナーなのかもしれません。)
 到着すると、すでに係の方が待っておられ、案内してもらって中に入ると、いたるところ大きな翡翠の原石です。4〜5トンもある翡翠の原石(幅2メートル近く、高さも1メートル50センチくらい)が立っています。あちこちに翡翠の緑が見えているようです。触っても、その重厚なたたずまいと、石の中からも充実感のようなのが溢れてくるような感じに圧倒されそうで、長くは触り続けてはいられないほどです。
 翡翠の産地である新潟県糸魚川の小滝川の川原をイメージしたと思われる場が設えられています。浅い池の周りにきれいなすべすべした玉石がたくさん置かれ(その玉石を手で動かすととても良い音だった)、さらに飛び石のように、直径30〜40cmくらいの円盤状の翡翠が配置されています。その上を歩いて向こうに進むと、そこにはなんとすべて翡翠製の風呂場があります。その中に一歩入ると、温度差のためでしょうか、冷たい空気の流れを感じ、別世界のようです。床や壁はもちろん、風呂桶や洗面台まですべて全部翡翠です。私はこれまでにも何度も展示会などで翡翠に触れたこともあり、兵庫県大屋の翡翠(ほとんど白)はコレクションにもしていますし、また 1ヶ月ほど前には三内丸山遺跡で翡翠の大きな大珠にも触れましたが、これだけの翡翠の量と質感には圧倒されました。
 館長さんはアフリカに行っていてお話しできなかったのですが、この博物館?は、青海町須沢出身で、30年以上糸魚川・青海の翡翠を収集してきた鶴見信行さんが、とくに小滝川で3ヶ月かけて掘り出した4トンもの翡翠等を展示公開しようと、2002年に開館したものです。そしてこの館の壁面には、鶴見館長の翡翠および糸魚川の地にたいする想い・イメージを表しているであろうモザイク壁画「朝靄のなかにみえる新緑のように」が展示されています。幅2メートル、高さは5〜6メートルくらいあるようで、いろいろな色合いの翡翠をはじめ大理石やアマゾナイトなど数十種の鉱物を角砂糖のような1センチ角の大きさに切り、そういうのを多数パネル上に貼り付けて画にしているようです。糸魚川のある古代越(コシ)の国の神話上の女王・奴奈川姫( 古事記では、出雲の神である八千矛の神=大国主命が奴奈川姫に求婚したとされ、また万葉集巻13には、「沼名河(ぬなかわ)の底なる玉 求めて得し玉かも 拾ひて得し玉かも 惜(あたら)しき君が老ゆらく惜しも」という歌がある。詳しくは奴奈川姫の話)がテーマのようで、奴奈川姫の胸元には翡翠の勾玉が、唇にはルビーの赤が見え、奴奈川姫は翡翠(カワセミ)を見つめているようです。
 翡翠といえば緑を連想しますが、純粋なヒスイ輝石は無色(肉眼では白)で、ヒスイ輝石を構成するアルミニウムなどの元素の一部が鉄やチタンなど他の元素に置き換わって緑(鉄)だけでなく、薄紫(チタン)、青(鉄とチタン)などいろいろな色合いに変化するようです。薄紫のラベンダーヒスイなどはとてもきれいなようですが、やはり見られないのは残念です。その他、見てきれいそうだなと思ったものには、親不知海岸で見つかった鮮やかな緑色をした大きな漂石の翡翠、姫川産?の青味がかったサファイア(これは触って細長い結晶のようなのが分かった)、青(群青)色の糸魚川石などありました。また、ソーダライト、アパタイト、ルビーの原石などにも触れました。
 *日本産新鉱物 を見ると、新潟県で見つかった新鉱物として7種記載されており、そのうち6種(青海石、奴奈川石、糸魚川石、蓮華石、松原石、新潟石)は翡翠の産地(蛇紋岩地帯)である糸魚川地域で見つかっている。化学式をみるとストロンチウムが含まれているので、たぶんどれも青系の鉱物だと思う。
 
 触って興味を覚えたものとしては、まず、翡翠の原石の、蛇紋岩部分と翡翠の触感です。蛇紋岩部分は、周りより軟らかいためでしょう、溝のような深い窪みになっており、触感もちょっと砂っぽいような感じがします。これにたいし翡翠輝石の部分は、直径数センチの玉のようなのが岩の表面から顔をのぞかせているように出っ張っていて、表面もすべすべしていて硬そうな触感です。翡翠の出来方、水による長年の侵食などを想像させる良い標本でした。次に面白いと思ったのは、皮被りのミャンマー産の翡翠です。表面はさらさらした手触りで硬そうではないのですが(見た目は茶色っぽいそうです)、一部が3〜4ミリくらい削られていて、まるで窓から覗いているかのように、緻密そうでつるつるした翡翠が顔を出しています(見た目は、日本産のに比べて緑が鮮やかとのことです)。その他、1辺が5ミリくらいの八面体のスピネルの結晶も、触ってとてもきれいでした。
 2階には、翡翠の彫刻などいろいろな加工品が展示してあります。その中でもとくに印象に残っているのは、翡翠製の不動明王です。両足を開いて踏ん張り、右手には棒のようなのを持ち、左手はぎゅっと握っていて、力を感じさせます。そのほか、船と魚がいくつも重なり合ったようなものなど、何を表しているのかよく判らないような彫刻品もいろいろありました。また、館長自ら作ったというものもふくめ、翡翠製のいろいろな勾玉もありました。さらに、私にとっては、石笛、それも翡翠製の石笛を吹いてみるという、素晴らしい体験もできました。蝉や竹などいくつかの形がありましたが、長さ3〜4センチほどの細長い小さなもので、小さな孔が空いていて、吹いてみると、とても高音で澄み切ったやわらかい音が出ました。今まで憧れていた石笛、その音は今も忘れられません。翡翠などのように、やはり緻密で硬い石のほうが、良い音が出るのだなあと、自分で吹きながら納得しました。
 この館では来館者に紅茶のサービスもしているとのことで、私も大きな翡翠製のテーブルの上で、予定の時間を気にしながら、あわただしく紅茶を頂きました。私はとくに石のパワーといったことを信じているわけではありませんが、たくさんの翡翠との出会いに魅了され、その酔いから覚めやらぬまま、昼前に次の会場に向かいました。
 
 
●国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館
 品川から山手線で新宿へ、そこで中央線に乗り換え武蔵境駅、そこからバスで国際基督教大学に到着、そこで運よく同じ研究会の参加者と出会って、いっしょに湯浅八郎記念館に向い、なんとか午後1時からの研究会に間に合いました。
 まず初めに、公開講演会「ともに活かす社会を求めて?視覚障害者との『共学』『共楽』の事例報告」です。タイトルだけからは何のことなのかという感じですが、国際基督教大学は、30年ほど前からこれまでに十数名の視覚障害者を受け入れてきた実績があり(その中には化学を専攻した人もいます)、まず同大学で長く視覚障害者の支援に関わってこられた方の感動的な報告がありました。次に、本研究会の主宰者の一人である廣瀬浩二郎さん(国立民族学博物館准教授)から、見えない人たちと見える人たち(触常者と見常者)が互いを共に活かし合う一つの場として、大学も博物館もあるのでは、というような内容の話がありました。研究会メンバーのほか、大学や博物館関係者等(その中には聴覚に障害のある方もおられた)も加わり、活発な質疑応答も行われました。
 
 その後、3時過ぎから、体験講座「素材の魅力を味わう」の開始です。湯浅八郎記念館の主な展示資料は、国際基督教大学の初代学長湯浅八郎博士から寄贈された多数の民芸コレクションと、旧石器時代から縄文時代までの考古資料です。
 国際基督教大学の広いキャンパス内には、旧石器時代から縄文時代後記までの遺跡が点在しており(野川遺跡と呼ばれている)、1950年末から教育プログラムの一環として、さらに1967年から1970年にかけては本格的な発掘調査が行われ、その遺物を湯浅八郎記念館で展示公開しているとのことです。とくにこの遺跡では、関東ローム層(立川ローム層)中に旧石器文化層10層が確認されて、石器群の変遷が層位的に明らかにされるなど、旧石器文化研究では非常に重要な遺跡のようです。
 まず、縄文土器の破片に触りました。表面を一触して、1ヶ月ほど前に触った三内丸山の土器たちとはかなり異なっていると思いました。三内丸山では大部分の土器には縄文の模様がはっきりとあったのに、これらの土器には縄文がはっきり分かる物は少なく、棒で削ったような幾何学的ともいえる模様が多いようです。縄文時代の遺物としては、敷石住居址の復元模型にも触れました。石が丁寧に並べられています。私が以前福島のふれあい歴史館で触ったことのある敷石住居の石よりは小さなものが使われていました。その他、丁寧に加工され、刃の回りに細い溝が細かく刻まれた鏃にも触りました。
 次に数種類の打製石器(旧石器)に触れました。砂岩のような手触りで、初めはどこが打ち欠いた面なのか慎重に触らないと分かりません。斧に使われただろうということですが、そんなに鋭利ではありません。ただ、ナイフとして使われたという石器はしっかり鋭利な辺があって、これなら皮を剥いだりするのに使えただろうなと思いました。ナイフ形石器に関連して、焼けた礫が多数出土しているとのことで(触っても焼けているかどうかは分かりませんでしたが)、焼けた礫を使って何らかの調理がされていただろうとのことです。
 私が一番感激したのは、関東ローム層の断面標本に触れられたことです。地学系や歴史系の博物館ではしばしば地層断面の剥ぎ取り標本が展示されていますが、ほとんどの場合触れられません(私は一度南九州の 1万年くらい前からの剥ぎ取り標本にちょっと触れたことはあります)。全部で 9メートルくらいの高さがあるとのことで、私が触ったのは遺跡発掘地点の周りのごく一部で、触っただけでは層の違いを区別することもできませんでしたが、それでも地層全体をなんとなく想像し、その中の一部に自分が触れていることは単純にすごい!と思うのです。ただ、地層の推移やそれと関連して遺跡の文化層の変化などについて少し詳しい解説があればもっと良かったと思います。
 
 民芸資料は、江戸時代以降庶民の生活の中で実際に使われてきた物だとのことで、まず、きれいに仕上げられた木製の酒樽数点に触れました。酒樽というので大きなのを想像していましたが、どれも小さめで細かな工夫が感じられるものでした。酒樽とセットでということでしょうか次に陶器製の徳利を数点触りました。
 民芸資料で心に残っているのは、こぎん刺しです。こぎんは、貧しい津軽地方で木綿の布の使用まで禁止されるなか、なんとか暖かくて丈夫な着物をと庶民が工夫して作り出したものです。細かい模様までは分かりませんが、無数ともいえる刺し縫いのあとは触ってもよく分かります。こぎんの着物に触れながら、私は小さいころ育った青森の田舎で、母親がよく古くなった布の断片を繰り返し縫い合わせ丈夫なこたつ掛けや綿入れのようなのを作っていたことを思い出しました。その他、藍染の麻布や平織りの木綿布にも触れました。同じ藍染の麻布といっても、染め立てのものと何度も洗ったものとでは風合がまったく異なることが触ってよく分かりました。また、平織りの木綿の縦糸をそっとわずかに斜めにずらすように揺らしてみると、模様のようなのが付けられているだろうことも分かりました。
 さらに、常設展示室に移動して、大きな雛段や小さな箪笥にも触れました。雛段は、見えないような部分もふくめ細部まで丁寧に仕上げられているようで、伝統的な技術の素晴らしさを感じさせるものでした。もちろん雛段の中にはたくさんの人形や飾り具などが置かれているのですが、これらには触れるのが難しそうなので、私はほとんど触っていません。
 
 このタッチツアーのテーマは、触って素材の魅力を感じようということであり、また時間もあまりなかったかも知れませんが、それぞれの展示品についての解説はもっとあったほうが良いと思いました。たくさんの物に次々に触るだけだと、触った印象がごちゃごちゃになってしまいがちです。触った印象とその物がどんなものなのかについての知識を結び付けられたほうが、後々までしっかり記憶に残るように思います。
 
 翌日6日午前は、同じ会場で、討論会「ともに愕く展示を創るために?障害者支援から異文化間コミュニケーションへ」があり、今後の研究会の方向性について、また活動の焦点を何にしぼるのかなどについて、活発な議論が交わされました。
 
 
●陶芸家宮岡麻衣子さんの個展
 昼で研究会のプログラムはすべて終わり、自由解散となりました。せっかくの機会ですのでなにか良い所はないかなと思っていたら、研究会のメンバーの紹介で楽しいタッチツアーをすることができました。
 まず、武蔵境駅に戻って国立駅まで行き、ギャラリー泉で開催中の宮岡麻衣子展に行きました。会場は広くなくて、かえって一人で触って回るのにはいいくらいです。色々な形・模様の器類、お皿や湯飲みやお猪口や花器類、さらには箸置きなどまで、所狭しと並んでいて、それを次々に触って行きました。触った印象は、どれもするうっとした感じで心地よく、またそれぞれの器の形にはしっかり特徴があって、触って大いに楽しめます。また、丁寧に触るとゆるやかな凹凸や細かい線のようなのがあって、そういう細かい感触も楽しめます。近くの見えない人と、ついこれが良いね、などと互いに良いと思うものを交換し合って触ったりもしました。(作品の一部は、宮岡さんのホームページ で見られるようです。)
 私がちょっと驚いたのは、触った感じがやわらかめだったので、陶器の種類かと思っていたら、磁器だとのこと。磁器といえば私はなんか硬くて冷たい感じと思っていましたので、新鮮な驚きでした。植物の灰を釉薬に使っているとのことで、そのためにやわらかめの感触になっているのでしょうか。また、ゆるやかな凹凸の一部は釉薬の流れ痕のようなのかもと思ったりしました。染付の磁器ということですから、表面にはいろいろな絵や紋様も描かれているのでしょう。いろいろ気に入ったものがあったのですが、小さな四角のお皿を買って記念にしました。とても心和むひとときでした。
 
 
●平成21年度筑波大学彫塑展
 その後、電車で御茶ノ水まで移動して、湯島聖堂で始まった筑波大学芸術専門学群の学生や卒業生の彫塑展に行きました。
 たぶん20点くらいは触りました。まだまだ荒削りで製作途中なのかなと思わせるものもありましたが(石膏の作品で表面に毛がたくさん生えたようなのもあり、これは触って面白かったです)、中には心動かされる作品もありました。以下、私が気に入った作品を紹介します。
・「つつまれている」 楠製で、好ましい香りがします。ちょうど座ったくらいの高さで、全体は丸くずんぐりした感じです。顔が内側に向って立体的に彫られています。鼻が高く西洋人風かと思います。体は全体にふわあっとした布で覆われているようで、斜めに何本もゆるやかな窪みが走っていて、触って心地いいです。タイトルの「つつまれている」という感じがよく表わされているように思いました。
・「1日26000人」 触ってすぐは、これはいったいどんな人なのだろうと迷ってしまいました。腕が細くて子どもなのかなと思ったり、顔を触ってもしかして老人なのかなと思ったり。でもしばらく触っているうちに、これはきっと飢えた人の体形を表しているのだと気付きました。話でよく聞いている飢えた人の体形とそっくりなのです。お腹は膨らんでいますが、左右の肋骨は何本もずらあっと浮き出して並んでいます。腕は体に比べて極端に細く、顔は頬の部分が凹んでいて痩せこけているようです。さらに、タイトルの「1日26000人」ですが、これはたぶん飢餓のために1日に亡くなっている人が26000人もいる、あるいは飢餓状態になる人が1日に26000人いるとか、そういうことを表わしているのだろうと推測しました(本当のところは作者に聞いてみないとわかりませんが)。
・「声」 これはとても大きな作品です。大きな口が傘状に開いていて、中は空洞になっています。大きな樹のうろを連想して、その中に入ってみたくなったり、開いた傘状の部分に向って大きな声を出してみたくなりました(実際大きな空洞に向って低い声を出してみました)。この作品では、とくに材質が気になりました。表面の凹凸や手触りからはなんとなく木の幹をイメージしましたが、軽くたたいてみると、中は空洞で金属製のようです。金属の表面に石膏かなにかで加工して木の触感を出しているのでしょうか。
 その他にも、寄木で作った大きなキリンやゾウなど、触っても面白いものがありましたし、途中からは学生さんが案内してくれて、作品の説明などもしてもらい、楽しいひと時を過ごしました。
 
 
 こうして、3月5、6日の2日間は、本当に充実したタッチツアーを満喫することができました。
 
(2010年3月16日)