栗東歴史民族博物館―磨崖仏に会いたい―

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 5月3日、Kさんといっしょに栗東歴史民族博物館に行きました。そこには大きな磨崖仏のレプリカがあるということで、一番の目的はそれを見てみることでした。JR草津駅からバスで10数分の所で、バスを降りると樹木のよい香り、そしてウグイスのきれいな声、なんとものどかな感じです。
 館内に入ると、ロビーの南側正面にガラス越しに狛坂磨崖仏が大きく見えるとのことです。これは、奈良時代に金勝山で刻された高さ 6m余、幅 4mほどもある大きな磨崖仏のレプリカだそうです。これには残念ながら触ることはできませんでした(触れたとしても、高くて像の所までは届かなかったと思いますが)。
 でも、ロビーには触れられる石仏が 3点ありました。
 まず、レプリカですが、幅 1メートルほど、高さ50〜60cmくらいの石の面の左側に3、4cmほどの高さで不動明王が浮き出し、右側に「廿九丁」という字が彫られています。長年の風雨に曝されたわりにはかなりよく形が分かります。不動明王は、右手に上に向けて剣を持ち、左手にはなにか二つに別れたようなもの(これは羂索だろうということです。投げ縄のようなものですが、これで人々を救い上げるとのことです)を持っています。目はつり上がり怒りを表しているようです。右側の「廿九丁」という字は、金勝寺(こんしょうじ)までの距離を示しているとか、参拝する人たちのためなのでしょうか。
 次に、阿弥陀如来坐像に触れました。これは実物だとのことで、御影石がかなり風化していて強く触るとぼろぼろ剥がれ落ちそうな感じです。道端に倒れていた物を博物館に持ってきたとのことです。顔は目鼻の区別がまったく付かないほどのっぺりしています。とても縦長なので、もともとは冠のようなのをつけていたのかもしれません。両手は胸の前で組んでいるような感じがします。この阿弥陀像の右側にも「二十四丁」という字が彫られた別の石が立っていました。
 もう一つ、レプリカですが、観音像にも触れました。顔はよく整った感じで、耳が長く垂れているのがよく触って分かりました。右手を胸に当て、左手は下に伸ばしています。
 
 常設展では触れたりできる物はほとんどないようですが、現在開催中の「くらしの中のからくり」展(4月29日〜7月18日)の展示品には、一部触れながら学芸員に解説してもらいました。水利用とからくり、農具の中のからくり、生活の中のからくり、生業の中のからくりの四つのコーナーに別れていましたが、触れられた物はほとんど水利用に関するものでした。
 まず、木製の水車です。直径 2m近くあるでしょうか、羽は20枚くらいありました。私はちょっと手で回してみましたが、後で旧中島家住宅で説明してもらって分かったことですが、これは水車の上で人が足で羽を踏んで回したそうです。水車を回すのもなかなかたいへんそうですが、柄杓代りの羽の大きさからしてそんなに多くは水を汲み上げられないように思いました。
 次は、すっぽん。これも木製で、長さ1m50cmくらいある4枚の厚い板を組合せて四角い筒を作り、その中に、長い棒の付いたピストンのようなのを入れ、その棒を引っ張ることでピストンの上にある水を引き上げるものです。筒の片側には弁のようなのも付いていました。上の水車よりは高くまで水を上げられたとは思いますが、これもたいへんな労働ですね。
 次に、龍骨車。これも木製ですが、素晴しいからくりです。両側に直径50cmくらいはある大きな輪(中心からホイールのように放射状に腕が伸びている)のようなのががあり、その輪に木のベルトのような物が掛けられています。このベルトのような物は、多数の小さな木の箱のようなのが連結されたもので、片側の大きな車を回すと、水の入った小さな箱が次々に移動して水を運び上げるようになっています。中国で発明されたものだとのことですが、江戸時代から滋賀県を中心にこの辺りでよく使われていたようです。この龍骨車はすぐにも使えると思うほどどこにも損傷がなく完全な物なので、たぶん近年まで実際に使われていた物ではないでしょうか。
 龍吐水という、火を消す道具も数点ありました。これは大きな水鉄砲のようなもので、細長い木の筒に水を入れ、それを上から押して横に伸びた吹き出し口から水を飛ばすというものです。でももともと木の筒に入る水の量は知れていますから、消火にはたいして役立たなかったようにも思いますが……。その他、私も小さいころ盲学校で使っていた、水を汲み上げる手押しポンプなどもありました。
 生活のなかのからくりの中の「捕える」道具として、「もんどり」という魚を取る仕掛けがあり、これはなかなかよく出来ているなあと思いました。一般には筌(うけ)と呼ばれているものの一種のようで、細い多数の竹ひごを棕櫚の葉で編んで作られています。二重の構造になっていて、外側の円い筒状のものと、内側の先が細い孔になった円錐形のものとが組み合わさっています。外側の円い筒の片側はぎゅっと窄められるようになっていて、魚が反対側から入って円錐の先の細い孔を潜り抜けてしまうと出られないようになっています。これには餌も付けていたそうで、なかなかの優れもののように思いました。
 
 その後、博物館の向かいに移築復元された民家・旧中島家住宅に行きました。ここは家の中も開放されていて、私と同世代ないし上の世代の人たちの子ども時代の生活の様子をうかがうことができる良い場でした。
 まず、土間にかまどがあり、鉄瓶に湯が沸いていました。しばしばかまどの火入れ体験もあるそうです。かまどはそんなに大きくはありませんが、焚口がたくさんあり使い勝手もよさそうです。また、近くには藁打ち台、足踏みの脱穀機、水車なども置かれていました。その中で私が初めて触ったのは、米を粉にする道具です。これは、梃子の原理を使って重い杵を持ち上げ臼の中の米を米粉にするものです。子どもたちのむかしの暮らし体験で、この梃子の片側に座ったり立ったりして反対側の重い杵を動かして米粉を作る体験もするそうです。
 家は、ダイドコ(台所)、ナンド(納戸)、デイ(出居)、オクノマ(奥の間)の 4室に別れていて、一巡してみました。台所は食事をする部屋で、大きな立派な水屋箪笥がありました。納戸は主に若夫婦の部屋で、そこで寝起きしたり着替えたりします。出居は主に当主の部屋で、客間としても使われます。大きな丸太を刳り貫いた立派な火鉢が置かれており、隅には神棚がありました。奥の間には仏壇があり、ここで冠婚葬祭や神事が行われます。仏壇をそっと開いて中を触ってみると、もちろん中にはとくに何も入っていませんでしたが、上部に横に細長くきれいな木の彫り物がありました。雲を表していると思われる渦巻きのような模様がずうっと連なり、左右の両端には、顔はほぼ正面を向き、体は横たえて羽を広げている、天女?が配されています。繊細で、とてもきれいな印象を受けました。
 
 今回の一番の目当てだった狛坂磨崖仏については、かなりの距離歩かなければなりませんが、道を調べてそのうちKさんといっしょに行ってみたいと思っています。
 
(2011年5月7日)