油絵に触れる――名古屋ボストン美術館の試み――

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 4月10日、名古屋ボストン美術館で開催された「油絵ってナンダ」に参加しました。これは、現在同館で開催中の「ドラマチック大陸―風景画でたどるアメリカ」(1月12日〜5月6日)関連の視覚障害者対象のプログラムです。(同様のプログラムは、3月末に2回、一般の人たちを対象にしても行われていたようです。)
 私は名古屋駅で、名古屋YWCAの美術ガイドボランティア2人と待ち合わせ、最寄の金山駅に向かい、そこで一緒に昼食を取ってから、美術館に行きました。
 まず、ガイドボランティアの方々に「ドラマチック大陸―風景画でたどるアメリカ」展会場を1時間くらい案内してもらいながら、いくつかの絵について解説してもらいました(美術館には音声ガイドもあって、見えない人たちは無料で貸し出してもらえて、これも一部聞きました)。言葉による解説だけだとやはりはっきりと印象に残りにくいのですが、今も少し印象に残っている作品 2、3点について書いてみます。
 レジス・フランソワ・ジヌーの「ディズマル湿地の眺め、ノースカロライナ」は、画面下5分の1?くらいが水で、その上に多くのいろいろな種類の木が描かれ、赤い夕日に照らされているようです。画面中央下のほうでは、サギ?がなにか餌をあさっていて、また画面左下には小さな白い花がいくつも見えているようです。広い湿地の息遣いのようなのが感じられます。デ・ウィット・クリントン・ブーテルの「遠方を見渡すインディアン」(1855年)は、画面右の、コケや灌木のようなものしか生えていない岩山の上に立っているインディアンが、画面左に広がる牧場?や緑の山を見ているようです。そこには羊?やいくつか家も見えているようで、それは今は白人の世界になってしまいましたが、かつては自分たちの豊かな故郷だったのでしょう。ラルフ・アルバート・ブレイクロックの「月光ソナタ」は、実際の風景を描いたものではなく、ベートーベンのピアノソナタ「月光」のイメージを絵にしたもののようです。画面右に大きな木が画面中央上くらいまで枝を伸ばして描かれています。画面中央に月があり、その光は下の水に写っているようです。画面左にも低めの木が描かれています。私にはよくわかりませんが、幻想的な感じのようです。
 その他、フィッツ・ヘンリー・レイン「オウルズヘッド、ペノブスコット湾、メイン」(入り江に帆船が見えている)、チャイルド・ハッサム「水浴、アプルドアー島」(海岸で散歩している人や水浴びをしている人)、トマス・コール「キャッツキル山地を流れる川」などについても説明してもらいましたが、今はよくは覚えていません。
 
 ボランティアの方々と展示会場を回った後、2時から「油絵ってナンダ」のプログラムが開始です。参加社は私をふくめて4人、それにたいして学芸員が5人、まずこれに驚きました。美術館側のこのプログラムへの力の入れようが伝わってきます。
 初めにこのプログラムについての簡単な説明があり、それからまず、油絵がどんな物に描かれるかということで、ふつうの合板の板、メゾナイトという小さな木のチップを固めたような板(これは厚さは5mmくらいでしたが、かなり硬そうでした。ちょっと調べてみると、メゾナイト(Masonite)は hardboard の商品名で、アメリカの工学者 W.H.Mason(1877-1947?)にちなんだ命名だとのことです。)、それに麻布と綿布を順番に触りました。もっともよく使われるのは麻だということです(麻布には、目の粗いものから詰まったものまで3種類用意されていました)。
 
 それから、4人の参加者が4つのプログラムをそれぞれ順に担当の学芸員からマンツーマンで受けます。ですから、各参加者が体験する内容はほぼ同じでしょうが、順番はそれぞれ異なることになります。
 まず、油絵が描かれるカンバスの生地についてです。木枠に張られたカンバス生地に直接油絵は描けないようです。それを触って分かるように、5つの生地サンプルが縦に並べてありました。一番上が麻の生地そのままで、それだと絵具がどんどん布に浸み込むようです。次に、生地に膠が塗られています(触ってみるとちょっと硬くなっています)。これで絵具が浸みなくなるようです。さらに、下地として重質炭酸カルシウム(純度の高い結晶質石灰石を粉砕したもの)とチタニウムホワイト(二酸化チタンが主成分)が塗られます(ちょっとつるうっとした感じになっています)。さらに、白?の下塗りをしたもの、その上にさらに絵具を重ねて塗ったものがありました(だいぶ厚くなった感じです)。現代の画家の中には、光って見えるようにするために、下地の一部にアルミ箔を使う人もいるそうです。
 次に、油絵を描く道具として、いろいろな筆やナイフがありました。筆には先が軟らかいのもありましたが、油絵は硬いブタの毛のものが良いようです。形も、丸いのや平たいのや、回りを短かくして先を尖らしたものなど、どんな風に描きたいかによっていろいろでした。ナイフは、形はバターナイフなどと同じですが、とても弾力がありました。そして、これらの道具を使ってどのように描くか、そのサンプルが9種類用意されていました。すべては思い出せませんが、薄く塗ったのや、線が盛り上がるようにナイフで寄せたような感じのとか、ナイフで細く削り取ったようなもの、点々と置いていったもの、さらに指でこねこねと広げていったものなどがありました。
 その後、触図(立体コピー)を3点触りました。1つは、アメリカ大陸の地図で、ニューイングランド、ナイアガラ、グランドキャニオン、ヨセミテなど、今回の展覧会での主要なスポットが大きな丸で示してあって分かりやすかったです。ヨセミテ渓谷がサンフランシスコのすぐ近くだったことにはちょっとびっくりでした。それから、太平洋をはさんでアメリカと日本が配置された地図です。これは、日本とアメリカの緯度を比較できるように用意したようです。そして、ヨセミテ渓谷を描いた絵の立体コピー図版です。これはとてもよかったです。大きさも原画とほぼ同じで、縦30cmくらい、横50cmくらいです。大きな山が左右にあり、その間が谷になっています。画面下には川が流れています。中央の谷辺から右側にかけて、牧場なのでしょうか牛が5ひき描かれています。山には木がたくさん描かれていますが、左の中央辺が一番大きく描かれていて、この辺から見て描いているだろうことが想像できます。絵には描かれていませんが、右側から中央辺まで、オレンジ色の光がさしているそうです。なんとなく絵、そしてその風景をイメージできました。
 最後に、絵具やパレットについて説明してもらいました。絵具のチューブの蓋をあけると、独特の臭いがします。濃い青だとのことです。私は、パレットにちょっとその青の絵具をしぼり出して、指でつまんで紙の上に置き、指で伸ばしてみました。とても滑らかでよく伸びます。絵具は、粉末の顔料に乾性油を主とするメディウムを練り合わせたもので、初めは軟らかいですが、乾性油が空気中の酸素を吸収して酸化して、次第に硬くなって、柔軟性と透明性のある固体に変化するそうです。また、溶き油として使われるテレピン油(松脂から得られる揮発性精油)も用意されていて、その臭いも嗅いでみました。パレットにも、ふつうのプラスチックのもののほか、大きな木のパレット(真中にまるい穴があってそこに親指を入れて支えます。手前右側に油壺があり、向こう側に顔料を練り合わせる所があります)や紙パレット(表面がとてもつるつるしている)がありました。 さらに、触って分かりやすいように描いてくれた油絵もありました。15cm四方くらいのカンバスに描かれています。色はピンク一色のようですが、触ってみると、上半分はだいたい横方向の線が多く感じられ、下半分では縦方向の線が目立ちます。上のほうは空を表していて、とくに上端のほうにあるいくつかの横に細長い盛り上がりのようなのは雲を表しているそうです。下のほうは山で、縦線のように感じられるのは紅葉しているいろいろな木を表しているらしいです。これは、マースデン・ハートリーの「秋のカーニバル」という作品の一部を触って分かりやすいように翻案したものだとのことです。「秋のカーニバル」そのものの絵がどんなものなのか、もっと知りたくなります。
 
 これで参加者ごとに分かれて行われるプログラムは終わり、参加者みなが集まって、油絵の歴史について少しお話を聞きました。16世紀の画家の工房の様子を描いた絵があって、それによれば、たくさんの職人(弟子)がいろいろな材料を一生懸命こね混ぜて絵具を作り、それを画家に渡しているそうです。今はチューブに入ったいろいろな絵具で1人で描けますが、当時は画家をマスターとする職人集団の仕事だったようです。
 最後に、短い時間でしたが、今回の展覧会の作品 2点を学芸員の解説で鑑賞しました。
 展示会場に入って、ある作品の前で、まず15cm四方くらいのカンバスに描かれた油絵に触りました。3箇所くらいに、いくつも細い縦の線があって、私は水の流れる線、たぶん滝を描いたものだろうと思いました(もちろん、私はこの展覧会にはナイアガラの滝を描いたものもあることを知っていたので、そのように予想できたのですが)。ナイアガラの滝を描いた絵は3点展示されていて、その絵は、テーブルロックからカナダ滝(ナイアガラの滝は、ゴート島によりカナダ滝(落差48m、幅900m)とアメリカ滝(落差51m、幅305m)に分かれているとのことです。ヘレン・ケラーの自伝によれば、彼女は13歳の時アメリカ滝の上の突出部に立ち、とても感動しています。)を見た絵です。上半分は明るい空、下半分が滝とその水煙になっていて、水滴のせいなのでしょう、大きな虹も見えているそうです。テーブルロックの上には10人くらいとても小さな人が描かれていて、それとの比較で滝の雄大さが際立っているようです。また、学芸員が現地に行って録音してきたという滝の音も聞かせてもらいました。残念ながらスピーカーがとても小さいためなのでしょう、サアーーというようなノイズのようであまり滝音とは感じられませんでした。私は何度か滝のすぐ近くまで行ったことがありますが、その時の感じは、水音とともに地響きのような振動、ひやっとして湿り気のある空気、それに霧のような細かい水滴を浴びているような体感です。ちょっと滝を体感できるような音はないかと思って検索してみたら、「ナイアガラ・テーブルロックから見た滝」 - YouTubeがありました。滝のすぐ近くの水音のようで、少しは迫力があるような気がします。バチバチというような音は、雨粒あるいは大きな水滴が当たる音でしょうか?
 次の作品の前でも、まず小さな油絵を触りました。大きく何度もうねっているようなラインがしっかり感じられます。一瞬山並みとも思いましたが、ところどころにある尖ったような感じから、海の荒れた時の波ではないかと思いました。それは、ニューイングランドの海を描いた、ウィンスロー・ホーマーの「流木」という作品だそうです。暗い空に青灰色の海、それに岩場で激しく波立つ白の飛沫がほとんど画面いっぱいに描かれているようです。画面中央下には流木が見えていて、画面手前右下にはこちらに背を向けた男の人がいて、その流木を捕まえようとしているようです。
 
 プログラムはちょうど1時間でしたが、とても盛りだくさんで内容も濃く、もう少し時間が欲しいと思いました。私はこれまでに何度か、視覚障害者対象の絵画を鑑賞するプログラムに参加したことがありますが、だいたい言葉による説明が中心で、一部参考に立体コピー図版も用意されるという感じでした。もちろんこういうかたちでも、何の考慮もされないよりはずっと良いのですが、一度も実際に絵を見たことのない私としてはなんか物足りなく感じていました。今回のプログラムでもヨセミテ渓谷の立体コピー図版があって、それは絵の理解にはとても良かったですが、それだけでなく、油絵に使ういろいろな材料に実際に触れ、また、触って分かりやすいように描いた油絵にも 2点触れることができました。絵は平面作品なのに、どうしてそれが立体的に見えるのかはなかなか理解できにくいことですが、今回それが少し分かってきたような気がします。絵具にも透明なものから不透明なものまでいろいろあって、油絵の一番表面の色が見えているだけでなく、何層にも重ねた顔料が表面の色合いの見え方に影響したり、ときには下地の色が透けて見えたりして、複雑な効果を出しているようです。もちろん、薄塗りとか厚塗りとかいろいろな筆使いなど、実際の物理的な違いによっても見え方は違ってくるのでしょう。私は石創画をしていますが(石創画の写真は、「触覚でとらえる世界」で見られます)、そのうちこのようなことも参考にして行けるかもしれません。
 このような触って分かるプログラムを準備するために、画材屋三でいろいろな材料を入手したり、名古屋芸術大学の先生に新たに触って分かりやすいサンプルや油絵を描いてもらったり、学芸員の方々は本当に熱心に取り組まれたようです。今回の名古屋ボストン美術館のプログラムは、これまで美術館が行ってきた視覚障害者対象のプログラムの中では画期的なものだと思います。アイディアと準備はたいへんだと思いますが、今後もこのような企画を続けてもらえればと願っています。
 
【補足】
 私はプログラム終了後、昨年8月と11月に行われた視覚障害者対象の「日本画ってナンダ」(「ボストン美術館 日本美術の至宝」展関連企画)で使用された素材を少し紹介してもらいました。(その時の様子は、視覚障害者向けイベント「日本画ってナンダ?」を開催しましたで紹介されています。)
 初めに曽我蕭白の「雲龍図」の立体コピー図版に触りました。A4くらいの立体コピーを4枚並べて1枚のパネルにしてあって、縦30cmくらい、横1m弱です。実際は、縦165cm×横135cmが8面続く、全体では10mもある巨大な絵だそうです。立体コピー図版はそのうち左4面の図です。左2枚には4本の爪が大きく描かれ、上のほうには角が左にずうっと伸びています。右2枚には大きく顔が描かれています。大きく真ん丸い目はやや右側(内側)を見ているようです。目の下に鼻、そしてその下の口が左横にずうっと長くひろがっていて、牙がいくつもあります。立体コピーではまったく分かりませんが、実際は雨雲の中にこの龍の姿が描かれているそうです。また右4面には、逆巻く波のなかに躍り上がるような尾が描かれているそうです。雲龍図は実際は襖絵で、播州地方のどこかの禅宗の寺院にあったらしいですが、一部(胴の部分)は失われているそうです。このような、でかくてダイナミックな絵に取り囲まれていると想像すると、私はちょっとたじろいでしまいます。
 次に、日本画で使われる岩絵具などと、それを使って触って分かりやすく描いた富士山に触れました。岩絵具は袋に入っていてその上から触っただけですが、粒の大きなものから粉末のようなのまでありました。そして、粒の大きさの異なる3種類の岩黒で富士山の裾野が描いてあって、高さも違うしざらざらした感じからするうっとした感じまで3層になっていました。その上にはきれいな山の形があって、全体としては滑かな手触りですが、かすかに境界線のようなのが感じられ、一番上はとても滑らかで真白の雪だそうです(その部分は、イタボガキの殻を粉にしたのを使っているとのことです)。
 日本画については、一部の素材を触ってちょっと説明してもらっただけですが、この企画も参加者からはかなり好評だったようです。なお、これらの触れる素材は、5階の図書コーナーに置いてあって、申し出れば触ってみることができるそうです。
 
(2013年4月15日、4月18日更新)