百年前の提言―グラハム・ベルの手紙から

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百年前の提言―グラハム・ベルの手紙から

もう3ヶ月ほど前になりますが、下記の本を読みました。

 『知られざる声――障害者の歴史に光を灯した女性たち』ディヴィッド・スミス著、西村章次監訳、湘南出版社、1995
 
この本は、男性である著者が、障害者に深くかかわった女性たち(ないし自身が障害を持つ女性)を描くことで、 歴史の中の障害児教育・障害者問題に新たな光をあて、さらには人間や人生についてもじっくり考えさせてくれる本です。
 第1章は、著者と、手足に重い障害を持つナンと言う女性との交流が書かれていて、続く章への導入部となっています。著者が自分の内面の色々な問題に気付き、新しい関心へと導かれていった体験談が語られます。
 日本ではパール・バックと言えばすぐ『大地』となりますが、バックには重度の知的障害を負ったキャロルと言う娘がいました。第2章では、中国から、アメリカにのこした娘を最後まで守ってくれた無名の女性エンマへの手紙が紹介されます。文学ばかりでなく社会的な活動でも国際的な名声を得たバックは、その一方で、やむをえず施設に入れた娘への精神的な重荷を孤独にずっと負い続けました。障害児を持つ母親の気持ちもよく分かります。
 ヘレン・ケラーと言えばだれも知らない者はないほど有名な人ですが、第3章、第4章、そして最終章である第10章では、ヘレンを生涯支え続けたアン・サリヴァンとグラハム・ベルが取りあげられます。第3章では、「偉大なる教師」サリヴァンの陰の部分とも言うべき、ヘレンに会うまでの彼女のすさまじい貧困、障害、孤独が語られます。第4章と第10章では、ヘレンとベルの間に交わされた手紙が紹介されます。ベルは電話の発明者としてあまりにも有名ですが、聾唖教育にも大きな貢献をした人です。それらの手紙からは、ヘレンの非凡な理解力と奔放な考え、そしてベルの深い洞察力と先を見通した先進的な考えを読み取ることができます。
 第5章では、アベロンの野生児う゛ぃくとーるを最期まで見守り、彼に安定した生活を与え続けた家政婦ゲラン婦人について語られます。アベロンの野生児と言えば、一般には、彼を教育した医師ジャン・イタールが有名です。彼は当初の目的を達成しえず途中であきらめましたが、その業績は障害児教育の先駆として高く評価されています。その背後に、このような女性がいたことは、初めて知りました。
 第6章では、モンテッソーリ法の創始者マリア・モンテッソーリが取り上げられます。モンテッソーリ法は、イタールやセガンの業績を基礎に、知的障害児のために開発された教育法で、子供の内にある「成長への力」を引き出すことを目標に、感覚への働きかけを重視します。この方法はさらに障害を持たない子供たちの教育にもひろく応用されて、大きな成果をあげました。実は私の子供が通っていた保育園もモンテッソーリ法を採用していて、アイマスクを使っての作業など、視覚以外の感覚をも重視していました。
 第7章から第9章までは「遺伝と知的障害」が共通のテーマになっています。第7章では、ヘンリー・ゴダードが行った研究の調査員だったエリザベス・カイトという女性が書き残したメモが紹介されます。ゴダードの『カリカック家―精神薄弱の遺伝にかんする研究』では、知的障害は、犯罪や売春やその他の社会病理も含めて、不良な〈種〉によって起こるとされ、これはジューク家に関する研究などと共に無批判に受け入れられ、今世紀初頭以降全米各州で成立する断種法、それに基づいて行われた2万7千件以上の強制不妊手術といった、あからさまな優生思想を〈科学的〉に支えることになります。第8章では、前章で取り上げられたカリカック家の研究の出発点となった女性、〈精神薄弱者〉として人生のほとんどを施設で過ごしたデボラ・カリカック(仮名)の実像が語られます。さらに第9章では、断種法に基づく不妊手術を知らぬ間に受けさせられた女性キャリー・バックの裁判記録が紹介されます。この裁判は結局、〈精神薄弱者〉等にたいする強制不妊手術を正統化するために当局によって演出された裁判だったと言えます。
 本書の紹介だけでかなり長くなってしまいましたが、私がこの本を読み終ってとくに感じた事は、次の二つです。
 一つは、遺伝と知的障害に関する優生学的な考えは、けっして過去の物ではないということです。あからさまな優生思想は影をひそめたとは言え、出生前診断など生殖技術の飛躍的な進歩?によって、かえって、隔れた形で優生思想が浸透して行きやすい状況になっていると思います。現代的な意味での優生思想については、一度まとめて見たいと思っています。
 そしてもう一つは、グラハム・ベルのすばらしい洞察力と先見性です。ヘレン・ケラーの天性の資質は言うまでもありませんが、それを導き開花させていった人の重要さにも気付きました。
 次に引用するのは、本書の第10章で紹介されている、アイリッシュ海航海中の船上で書いた、プラット婦人宛の 1900年10月13日付のグラハム・ベルの手紙です。これは、ヘレンの進路(当時彼女はラドクリフ大学の学生です)について、盲聾学校の校長がふさわしいだろうと言う提案に対して、ベル自身の意見を述べたものです。ヘレンとサリヴァンの進路について、より広い視野からそれぞれにふさわしい道を指し示しています。
また、障害児の教育については、今日のノーマライゼーションの理念にそった提案がされています。具体的な方法には問題のあるものも含まれていますが、百年も前にこのような文章が書かれていた事には、ただただ驚くばかりでした。
 私がこの書評らしきものを書こうとした理由の一つは、皆さんに是非この文章を読んでいただきたいと思ったからです。では、ごゆっくりどうぞ。(以下の引用文は、点字の本から私がふつうの漢字仮名混じり文に書き換えたものですので、原本の漢字の使い方などと異なっている箇所があるはずです。ご了承ください。)
     ……あなたのお手紙の最後の部分、ヘレン・ケラーとサリヴァン先生のためにチェンバレン婦人が考えておられる計画についての部分ですが、私にとってはショックでした。なんと申し上げたらよいのか見当も付きません。
     もちろん、サリヴァン先生については話は別です。先生に、教師たち―盲聾児の教師だけではなく、聾教育にかかわっている教師たちに、あまねく先生の教育理念が伝わっていくような職が与えられたならば、それは素晴らしいことです。このような結果を招いてくれるような計画が練られていることを希望しています。
     ヘレン・ケラー自身とサリヴァン先生の立場に立って、私の考えを書いて参りました。
     次に私は、盲聾者の立場に立って申し上げます。特殊学校が彼らのための最良の方法と決まりきったものとは思っていません。……つまり、他を排して、もっぱら障害児だけをいっしょにすることは、可能なかぎり避けるべきなのです。互いに排他的な集団は、ただ彼らの他の人たちとの違いを強めていくだけです。私たちの目的は、教育によってこの違いを最大限無くしていくことにあるのです。精神障害者はもとより、他の人たちとの交流を排して監禁してしまうようなことであれば、健康な人たちでもおかしくさせてしまうはずです。
 だから、精神障害の人たちにとっても、健康な精神を持っている人たちに囲まれていたほうがより良いことに違いないのです。単純なことです。それは実現の可能性、費用などの問題もあります。盲の人から他の人たちとの交流を排してしまえば、心の視野を狭めてしまいますし、聾唖の人たちについても同じです。というように、私の意見では、盲聾学校の新設は、できるなら避けるべきです。……するべきではないということよりも、むしろこうすべきだと私が考えていることについて、次に2、3書かせて下さい。
     教育方法において、できるだけ教育の実行が可能なよう健常児から分けようとする方針―そして、友達や身内、健常な人たちとは日常、特定の人たちとの交際にとどめようとする方針について、私の信念は間違いなく脱集中方式にあります。―子供たちを盲聾担当の教師の元に送るより、教師を派遣すればいい。そう言いたいのです。
    盲聾児を専門教師がいる所へ送るより、「盲聾児教育を志す人たち」の連合組織を作った方がいいと思う。私は、かのチェンバレン婦人が盲聾児の教育を推進する協会組織を作るという考えをお持ちになることを期待しています。サリヴァン先生が盲聾児の教師になる先生たちの資質を向上させ、先生がヘレンの元へ送られたように、その教師たちが、家庭や盲聾児のグループの元に送られるよう、協会がそのための資金を提供する、そうなればと私は思っています。この教師たちの義務は、たんに盲聾児だけでなく、親、身内それに友達を教育する点にあるべきです。教師は、家族に教えるべきですし、そうすれば、機関を通して、子供たちは自分の家でたくさんの先生を持つことができるようになるはずです。
    大西洋横断汽船の食堂でこれ以上、詳しく書き続けることは無理ですが、自分にとっては大きな間違いと思えるあなたの計画に、私が賛同していると思われてしまうとよろしくないので、お返事を書かない訳にはいかなかったのです。
(以下略)