宮沢賢治、ふたたび――色々な読み方をたのしもう

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 昨年末、宮沢賢治についての素晴しいサイトを見つけました。実は、もっと早くに紹介したいと思っていましたが、忙しさにかまけて延び延びになってしまいました。
 それは、「森羅情報サービス」(http://www.cypress.ne.jp/why/index.html)というサイトです。
 とにかくすごいです。「宮沢賢治童話館」では、すでに賢治の全童話作品(百篇ちかく)を読むことができます。さらに、「宮沢賢治 全詩篇」では、「春と修羅」をはじめ多くの詩篇や断篇を読むことができ、今も詩の公開作業は続いています。
 また、週1回の割で、「Kenji Review」というメールマガジンを発行しており、現在 106号を数えています。内容は、賢治についての和題、賢治の詩の紹介、書評などと、これまた充実しています。
 私は 98号からの読者ですが、 今年の1月 20日発行の100号が投稿特集ということでしたので、賢治との出会いとその後について、ごく簡単に拙文を書いてみました。以下にその投稿文を掲載します。(初めの部分と終わりの部分は省略しています)
(ここから引用)

 宮沢賢治との最初の出合いは、今から40年以上前、小学低学年の時のラジオの学校放送だったと思います。「セロ弾きのゴーシュ」を聞いたのが最初でした。
 それから小学中学年になって「どんぐりと山猫」や「注文の多い料理店」「グスコーブドリの伝記」などを聞きました。とくに、注文の多い料理店を聞いた時は、とても奇妙な感じを覚えたのを記憶しています。
 その後、すこしずつ点字(私は全盲です)の本でも賢治の作品を読むようになりました。でも当時点字で読めたのは、ほんの数編だったと思います。
 私を賢治好きにさせた一番のきっかけは、高校3年の時に見た労演主催の「グスコーブドリの伝記」の公演でした。中に盛り込まれている科学的な知識(原作よりもだいぶ多く、その内容もすこしはそのころの水準に合わせていたかも知れません)と、それを農民の救済に役立てるために犠牲になる精神に感動したものです。
 その後も宮沢賢治についての解説書などはときおりは読んでいましたが、子供が小学2、3年生になって賢治の童話を読み聞かせるようになって、その奥の深さ、宗教性に改めて気付かされました。
 子供が一番喜んだのは「貝の火」や「洞熊学校を卒業した三人」などでした。とくに「洞熊学校を卒業した三人」はほとんど暗誦するほどで、時々
「なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどおりになるのじゃ。」
などと誦えていました。また「注文の多い料理店」はとてもこわがって、なかなか最後まで読み進めませんでした。いろいろな作品に歌や詩が出てきますが、それにはよく節をつけて歌いました。もちろん、そのメロディーはそのつど違います。子供はとても喜びました。
 そして今、このメルマガとホームページに出合って、またまた賢治の世界を楽しむことができます。私は童話をまだ二十数編(点字で読める物)しか読んでいませんでしたので、まずは公開されている全童話を読もうと思います。
 賢治の童話の読み方も人によってさまざまなのでしょうが、私は鉱物(学)や地学からの視点で読んでみるのも面白いと思っています。たとえば、「イギリス海岸」「楢ノ木大学士の野宿」「貝の火」「気のいい火山弾」などです。と言っても、そのためにはかなりの知識と分析力が必要です。私の手に余る課題になりそうです。どなたか詳しい方にご教示いただければと思います。もちろん、メールマガジンのほうで解説などしてもらえれば、うれしいかぎりです。どうぞよろしくお願いいたします。石の大好きな賢治、土壌や地質にとても詳しかった賢治に即した読み取りができるようになればと思います。

(引用終わり)
 このような文章がメールマガジンに載った訳ですが、なんとそのすぐ後に、メルマガ発行者の渡辺宏さんが私の求めにぴったりのサイトを紹介してくれていたのです。それは、地質学者・火山学者の大場司さんが、賢治の作品やそのたの民和を地質学の視点で解説する「山の來暦」というサイト(http://village.infoweb.ne.jp/~hikapyon/tsukasa/frame1.htm)です。
 こうして私は、ふたたび賢治の作品をたのしんでいる訳です。
 確かに、宮沢賢治には当時の近代的な科学主義への単純な信仰ともいえるものが見受けられます。だれも、その時代・社会の拘束からは免れ得ません。それでも、賢治はいつも貧しい者の立場に立とうとして、弱きもの、取るに足りないものにしっかりと存在の意味を認め、しばしばそれらが新たな価値を創造する担い手として光輝く時、時代を超えて人間そのものに深くうったえかける何かを持っているように感じます。