第3章 朝 (1)
サリバンとヘレンは、彼らだけの小屋で数週間暮らした後、再び母屋の家族の元にもどりました。ヘレンはどんどん進歩し続けました。言語を《発見》してから3ヶ月後には、彼女は 300以上の新しい単語を知っていました。これと同じくらい重要なのは、ヘレンがこれらの単語を正確に使えるようになったことです。彼女は、単純ではあるが理解できる文を組み立て始め、それを熱心に先生の手のひらに綴りました。
サリバンは当時受け入れられていた教授法を一つも用いませんでした。彼女はむしろ、普通の子供たちがするように、観察と模倣によって子供が自然に言語を習得するのを好みました。サリバンから見れば、伝統的な教育制度は、「子供はみな、考え方を教えられなければならない一種のばか者である、という仮定の上に築かれている」ように思えました。それに対して彼女は、「子供は、思うがままにさせておけば、より多く、しかもより良く考えるようになるだろう」と断言しました。
この新しく目覚めた女の子は、毎日、農場の周りのいろいろなものに魅了されました。彼女は、花びらや茎の上に指を走らせては、ある花を他の種の花から区別できるようになり、こうして多くの花の名を覚えていったのです。散歩の途中、ヘレンと《先生》はぼこぼこ湧き出している泉に出くわしました。サリバンがヘレンに、リスがここに水を飲みに来るのよ、と言うと、ヘレンはその泉を《リスのコップ》と名付けました。
二人は偶然、森の中で死んだリスに出会いました。そしてサリバンは、リスがどんなものか実際に分かるように、ヘレンがそれに触ることを許可しました。サリバンは、この女の子は、彼女が《歩くリス》と呼ぶもの――すなわち、生きているリス――をとても《見》たがっていた、と記しています。ある日、先生は生徒のところに、卵を暖めている鶏の巣を持ってきました。サリバンはヘレンに 孵化の過程を説明し、彼女が「ひよこが《こつこつ》と卵の殻をつつくのを感じ取る」ことができるように、手に卵を持たせました。サリバンは、友人のホプキンズに、「内部に小さな命を感じた時のヘレンの驚きは、手紙ではとても表現できません」と書いています。子豚から連想して、ヘレンが、小豚が出て来るような卵を触りたいとねだった時には、サリバンはほほえましくもあり、また感動もしました。
この女の子にとっては、あらゆる物が新鮮で素晴しいものであり、先生もヘレンとこの大きな喜びを共有していました。サリバンはホプキンズに「私は、あたかも今まで一度も見たことがなかったかのように、あらゆるものを感じています」と書いています。
ある朝、ヘレンがとても興奮して先生の部屋に飛び込んできました。何度も何度も、ヘレンは《dog―baby》と綴り、それから指を折って5まで数えました。最初は、サリバンは飼い犬がヘレンの妹ミルドレッドを傷付けたと思いました。でも、ヘレンのうれしそうな顔を見て、なにも不都合な事はないと確信しました。しぶしぶヘレンに連れられて井戸小屋に行ってみました。そこではなんと、1匹の飼い犬が5匹の子犬を産んでいたのです。
サリバンはヘレンに《puppy》(子犬)という単語を綴りました。この女の子が小さな生き物を1匹ずつ指し示してはもう片方のての方に1本ずつ指を向けていた時、サリバンは《5》という単語を教えました。1匹の子犬がその他の子犬よりもずっと小さかったので、ヘレンは《small》と綴りました。サリバンはそれをさらに発展させて、《very(とても) small》と綴りました。
サリバンからホプキンズへの報告によれば、家にもどる途中ずうっと、ヘレンはこの新しい単語(very)を次のように使い続けました:「この石は《小さい》、別の石は《とても小さい》。ヘレンが妹に触れると、彼女は《赤ちゃん―小さい。子犬―とても小さい》と言いました。」
ヘレンはしばしば《独り言を言う》――自分の手の上に単語や句を綴る――ほど、新しい語彙に熱中しました。 1887年の5月には、サリバンは、この生徒は読むことを習うのに十分準備ができている、と判断しました。彼女はパーキンス学院から、指先で《読む》ことのできる点字で印刷された簡単な本を数冊持ってきていました。
ヘレンにこれらの本をどのようにして読むのかを教えるために、サリバンはまずヘレンの手のひらに1文字ずつ綴り、それから、その文字が浮き出している厚紙に彼女の指先を当てました。わずか1日で、ヘレンは点字のアルファベットをすべて覚え、すでに知っている単語なら何でも読めるようになりました。さらに特別な枠を使って、その中で単語を並べ替えて簡単な文を作れるようになりました。ここまで来れば、サリバンが持ってきた本を読むまでには、ほんのもう一歩でした。
先生と生徒は、もう一度、学習のためのゲームを作りました。勉強している間、2人はよく家の近くの木に腰掛けていました。1本の枝の上に2人並んで座りながら、(サリバンが持ってきた本の中から)ヘレンが知っている単語をどちらが先に見つけるかを競い合うのです。この授業での女の子の喜びようは、限りがないほどでした。「彼女の指が自分の知っている単語を照らし出した時、そして特に、私を打ち負かしたと思った時には、うれしさのあまり金切り声をあげ、驚喜して私を抱きしめキスするのです」とサリバンは書いています。
ヘレンは間もなく、サリバンが持ってきた数冊の本から学びうるものはすべて覚えました。さらに多くの本が必要になりましたが、点字で印刷された資料は高価で、また入手するのが困難でした。サリバンの要請に応じて、パーキンス学院のマイケル・アナグノスが、厚紙に印刷された一綴りのヘレン用の単語カードを提供してくれました。
その中には、ケラー家の人たちの名前や、農場の道具や動物の名前など、ヘレンに親しみのある単語も含まれていました。点字の単語カードの包みがタスカンビアに届くと、ヘレンはすぐ単語カードを彼女専用の枠に並べ、文を作り始めました。彼女はけっして、ゲームだけでは満足できなかったのです。
6月までには、ヘレンは書くことを習い覚えました。もちろん彼女は自分の書いたものを見ることはできませんでしたが、文字を真っ直ぐ書くために、水平な行を溝ではっきりと分かるようにした書板を使って、鉛筆で判読可能な文字を書くことができました。右手を左手でガイドしながら、行を示す溝の中で、厚紙でできた自分のノートに、触覚で覚えた文字を書き表していきました。2、3週間でヘレンは、パーキンスで盲児に教えられていた《角張った》手書き文字を習得しました。
ヘレンの最初の手紙は、6月 17日に誇らしげに書かれた、彼女の従姉妹アンナ宛てのものでした。その手紙には大文字や句読点はまったくありませんでしたが、意味は明解でした。それは次のようなものでした:「ヘレンはアンナに書いています。ジョージはヘレンにりんごをくれます。シンプソンは鳥を撃ちます。ジャックはヘレンにキャンディーを1本くれます。お医者さんはミルドレッドに薬をくれます。お母さんはミルドレッドに新しい着物を作ってあげます。」 [1]
[1] この引用文の原文は、小文字の単語の羅列で、大文字やピリオドはまったくない。
ヘレンのびっくりするような進歩には、彼女を知っているすべての人々、知能の劣った者として《ヘレンを施設に隔離する》ようケラー家を説得していた親戚の人たちまでが、心を動かされました。そのような親戚の一人、ケイト・ケラーの兄フレッドは、ヘレンの急激な進歩は認めましたが、ヘレンの変化が《あのヤンキー娘》の功績によるものだとはけっして認めませんでした。
もっと感激したのは、マイケル・アナグノスでした。彼は誇らしげに、サリバンのヘレンについての手紙をパーキンス学院の年報に入れ、また、彼女に助言と支持のいっぱい詰まった心温まる手紙を書きました。
ヘレンの成功は、それがサリバンの成功でもあることを十分承知しているアナグノスにとって、非常に重要なことでした。サリバンはつまるところパーキンスの卒業生であり、盲人の先生として彼女が得た信頼は、アナグノスの学校および彼自身に跳ね返ってくるはずなのです。彼はヘレンを、半世紀前パーキンスを有名にした盲聾の女性、ローラ・ブリッジマンの再来と考えたのです。
サリバンは、アナグノスがどんな風に思っているかは理解できましたが、彼の度を過ぎた賞賛は彼女を不安にさせました。彼女はホプキンズに、「アナグノスが私を先生として高く評価してくれていることはうれしく思いますが、《天才》とか《独創性》という言葉は、軽々しく使うものではありません」と書いています。
サリバンは、一般の人々が自分の仕事についてどう見ているかについては神経質になっていましたが、これまでに自分が成し遂げた事については十分自覚していました。ホプキンズニ宛ててサリバンは次のように書いています。「貴女お一人の耳にだけは入れておきたい事があります。心の内部のなにかが、必ずや私が夢に思っていた以上のことが実現するはずだ、と私に語っています。そのような考えをまったく有りそうにないものにする、あるいはばかげたものにするような、何らかの事情がなければ、ヘレンの教育は、驚くなかれ、ハウ博士の業績をしのぐものになるはずだと思うのです。」
サリバンのホプキンズ宛ての手紙はさらに、ヘレンの持っている《目を見張るほどの力》について論じ、あまり配慮し過ぎると彼女を駄目にしてしまうのでは、という危惧の念を表明しています。サリバンの主張するところによれば、ヘレンは《普通の子供ではない》のであり、したがって彼女の教育への一般の人たちの関心も《並外れたものになる》のでしょう。それゆえに、「ヘレンについて私たちが言ったり書いたりする内容には細心の注意をはらいましょう。・・・・私の手紙をけっしてだれにも見せないと約束して下さい。もし避けられるものなら、私の素晴らしいヘレンをいわゆる神童になど変えられたくはないのです」と、サリバンは友人ホプキンズにのべています。
【キャプション】
・ヘレンは、いつも花を好んでいて、この1890年の肖像写真では鈴蘭の花束を持っている。視力と聴力は奪われたが、彼女は、味覚、嗅覚、および触覚が並外れて敏感だった。
・お気に入りの場所[家の近くの木]に座って、先生と生徒[サリバンとヘレン]が、1904年の新しい本について話し合っている。教室として木を使うことは、サリバンのもっとも初期のころの素晴らしい思い付きの一つだった。