ヘレンケラー第3章(2)

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第3章(2)

 ヘレンとその先生サリバンとの親密な関係は、明らかにうまくいっていました。けれども、タスカンビアは、南部の小さな町に典型的な、旧い考え方の土地柄であり、より保守的な住民の中には、サリバンの遠慮のない《ヤンキーの》ものの言い方や自立的な態度に異を唱える者もありました。
 1887年の夏は焼けつくような暑さで、アラバマのたいていの人たちが暑さでへたばってしまいました。ヘレンもその例外ではありませんでした。サリバンの批評家の中には、ヘレンが蒼白い顔をし痩せているのはサリバンのせいだと酷評する者がたくさんいました。先生が子供の頭を《酷使している》からだというのです。タスカンビアの偏狭な考え方にだいぶいらだっていたサリバンは、そんな態度にはとても憤慨しました。
 サリバンはホプキンズへの手紙で次のようにまくしたてています。「ヘレンの体調が思わしくないのは、暑さのせいであって、ヘレンの精神が持っている素晴しい天成の活発さの故ではないと確信しています。私たちは、ヘレンが《やりすぎている》とか、ヘレンの精神が活発すぎるとか言って、多くのばかげた、できそうもない治療法を勧めてくれるたくさんの人たち(2、3ヶ月前まではヘレンは精神のかけらも持っていないと思っていたのは、まさに彼らなのです)に悩まされています。けれども、だれもヘレンをクロロホルムで麻痺させようとまでは考えないでしょうが、ヘレンの能力の自然な発露を止めるのに効果的な方法は、それしかないと思います。」
 暑さがようやく収まるとすぐに、ヘレンの食欲は回復しました。彼女はまったく癇癪を起こさなくなり、知識への渇望が膨らんでいきました。ヘレンの7歳の誕生日の直前に、サリバンは「ヘレンの顔にはめったに曇りは見られず、日1日と輝きを増していくように思われます」と報告しています。

 6月末にヘレンは点字(を書くこと)を習い始めました。それは彼女にとって今までで一番難しい挑戦でした。盲人が書くためのこの文字体系は、フランスの盲人教師、ルイ・ブライユが 1826年に考案した [2] もので、浮き出した点の配置によって文字を表し、その文字を組み合せていくのです。点字は、点筆という先のとがった器具で書きます。点筆を使って、厚紙に点をパンチしてゆくのです。

 [2] ルイ・ブライユ(Braille, Louis: 1809〜1852)が、バルビエの 12点式の点字(いわゆる「夜間書法」)を手がかりにして、いつ6点式の点字を考案したか、その時期を正確に確定することは難しいが、少なくとも 1824年末までには6点式点字の基本形は作り終えていたと思われる。(正式にその書法を発表したのは 1829年)

 各単語には多くの点が必要なので、書く方法としては点字は遅いのです。でもヘレンはすぐにこの方法を採用しました。彼女は、鉛筆で書いた角張った手書き文字よりも、点字の方をずっと好みました。というのも、点字だと、自分が書いたものを自分で読むことができるからです。点字を十分には使いこなしていないサリバンは、点字の読み書きは不器用で、じきにヘレンは先生を追い越してしまいました。

 娯楽をたのしむヘレンの能力も、そのコミュニケーション能力と共に増してゆきました。 10月に彼女は初めてサーカスに行き、目が見え耳が聞える子供たちとまったく同じように楽しみました。ヘレンがサーカス団員たちに興味を持つのと同じように、彼らも彼女に興味をおぼえました。彼らはヘレンにゾウの餌やりをさせ、さらに彼女を一番大きなゾウに乗せました。またヘレンはライオンの子たちを撫で、そのおとなしさに驚きました。ライオンの子たちも成長するにつれて獰猛になると教えられると、彼女は「私がライオンの赤ちゃんたちを家に連れ帰って、穏和になるようにしつけてあげるよ」と言いました。
 だれかにできる事は、ヘレンにもできるように思われました。1匹のヒョウがヘレンの手をなめました。また、大きな黒いクマが前脚を差し出すと、ヘレンはとても丁重に握手しました。彼女はサルたちをとても気に入りました。その中の1匹が彼女の帽子から花をこっそり取ろうとすると、彼女は他の観客とともに大笑いしました。サリバンは後に、「サルたち、ヘレン、観客の区別なく、みんながどうしてこんなにも素晴しい時を過ごせるのでしょう」と述べています。ヘレンが感謝の念を表すためにサーカス団員全員にキスをすると、中には感動のあまり泣きだす者もありました。

 でも、その年のクリスマスほど、喜びの涙にあふれた時はありませんでした。ヘレンは初めてクリスマスの祝いの場に参加しました。そしてそれは、ケラー家に取ってそれまでで一番幸せな祭日となりました。ヘレンはストッキングをぶら下げておきました――実際には、サンタ・クロースに確実に見てもらえるように1足ぶら下げておきました。そしてクリスマスの朝に、ストッキングが一杯になっているのを見つけて、とてもわくわくしました。包みを開けてみて彼女がとくに気に入ったのは、点字板と点字用紙でした。「わたし、お手紙をたくさん書いて、サンタ・クロースにいっぱいありがとうと言うの」と彼女はうれしそうに言いました。
 サリバンはケラー家の人たちと完全に意見が一致しているわけではありませんでしたが、このクリスマスの時は、両親は共に、娘の光輝くばかりの表情を見て深く動かされました。アーサー・ケラーは、黙したまま――サリバンの記録によれば、「言葉よりも雄弁に」――サリバンの手を取りました。また、ケイト・ケラーの目は涙で一杯でした。「貴女がこれまで私たちのためにしてきた事が、どんなにか有り難いものであるかを、今朝初めて悟りました」と彼女はサリバンに言いました。その朝だけは、サリバンとケラー家の人たちは、一つの幸せな情愛に満ちた家族になりました。

【キャプション】
 ・この「角張った手書き」文字は、ケラーが12歳の時に書いた手紙の一部である。ケラーははっきりと分かる文字を書くことはできたが、点字で文章を書くことのほうを選んだ。というのも、[点字だと]自分が書いたものを自分で読み返すことができるからである。
 ・このボストン・ブレール・ライター(盲人のための「タイプライター」)はパーキンス盲学院に展示されている物で、1910年に作られた。点字を書く機械は1892年に導入された。
 ・ヘレン・ケラーの生活におけるアニー・サリバンの英雄的役割については、ヘレンの両親は深く感謝していた。けれども、ケラー家のその他の人たちは、この頑固な「ヤンキー女」について、なにか良いものを結して見ようとはしなかった。