【資料】 急進論者ヘレン・ケラー―スーパーヒロインの秘話

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【資料】 急進論者ヘレン・ケラー―スーパーヒロインの秘話

 第4章の(3)〜(5)では、ヘレン・ケラーの社会的・政治的な考えや恋愛について、簡単ではありますが述べられています。いわば〈奇跡の聖女〉としてではない、一人の人間・女性として生き考え悩んできた面だと言えます。ケラーのこのような面にももっと光があてられ、注目されていいと思います。
 ところで、数ヶ月前以前の点字のノート類を整理していたら、以下に掲げる資料が出てきました。数年前の何かの雑誌ないし新聞からの抜書のようなのですが、出典や著者がどこにも書いておらず、分かりませんでした。おそらく1998年がヘレン・ケラー没後30年でしたので、それに関連して書かれたものだと思われます。
 一般にはあまり知られていない事実もふくまれていますので、点字のノートから普通の文字に直して転載します。なお、注記は私によるものです。(以下本文)

急進論者ヘレン・ケラー―スーパーヒロインの秘話

 FBI(連邦検察局)はこの人物に関する調査資料を保存していた。男女同権論を唱え、NAACP(National Association for the Advancement of Colored People [注1])の活動を早くから擁護し、また人種差別を無くす会の論客でもあったこの女性がヘレン・ケラーだとはにわかには信じがたい。
 生後18ヶ月で視力と聴力を奪われたヘレンが過酷な3重苦を克服し、運命を切り開いていった人性の記憶は我々の精神を常に鼓舞してくれるのだが、彼女についてのスーパーヒロインとしてのあの崇高なイメージを定着させたものは、おもにアカデミー賞受賞英画『奇跡の人』であった。
 しかし、宗教的とも言える気高い彼女の肖像の裏面にはたして何が隠されていたのだろう。
 神話は今も作られているのだ。現在AFB(米国盲人援護協会[注2])は全国ツアーでエキジビションを繰り広げているが、そのメインテーマとして、ヘレン・ケラーの一生、とくにAFBの寄金調達係、ロビイスト(院外活動家)としての役割に焦点が当てられている。
 エキジビションのメダマとしては、彼女の点字の聖書や、記録英画『我が生涯』で自ら演じたヘレンの役で受賞したアカデミー賞、そして今もベストセラーの自伝的小説『Story of My Life』が数カ国に訳されて展示されている。
 驚くには値しないが、今回のエキジビションでもヘレン・ケラーの左翼的政治色をほのめかす物はない。「私たちは何も隠していません」とこのイベントの正当性を主張するリザ・グレコ(AFBの副会長でPR担当者)は語っている。「44年間も私たち視覚障害者と他のすべての障害者の人権擁護のためにひたすら働き続けた彼女の業績をこのイベントを通じて広く社会にアピールすることに決めました。」
 1924年にAFBで活動を開始する以前の彼女は公然と婦人参政権を主張し、若年労働や死刑制度に反対した。アラバマ生れの彼女は、1916年にNAACPに百ドルの義捐金を添えてその活動を支持する書簡を送り家族の怒りを買ったが、「社会の不平等と様々な不幸の根は貧困に他ならない」との信念から社会党入党も辞さなかった。
 人生の大半を盲人の援護基金調達に捧げたにもかかわらず、第2次世界大戦中に友人に当てた書簡で彼女は「慈善は社会悪に対する悲劇的免罪符にすぎない」と言い切った。しかしAFBに参加した後は左翼的言動はあえて差し控えた。ジョゼフ・ラッシュが『ヘレンとその師』(1980)[注3]の中で指摘しているように、AFBの稼ぎ頭だった彼女の左翼的言動が潜在的寄付者の感情を逆撫でするとの虞から、彼女に協会側から圧力が加えられたとも考えられる。
 その遺産は現在の盲人援護活動に受け継がれている。すなわちこの種の団体や組織には概して政治色はきわめて希薄である。
 もしヘレン・ケラーの急進的思想が広く世間に知られたら寄付金は激減するだろう。全米障害者協議会のボニー・オデイの言にしたがえば、公共の場所での自制にもかかわらず、彼女は自らの信条を終生貫いたのである。
 1930年代にいたりヘレン・ケラーはエレノア・ルーズベルト[注4]に、1913年の社会主義的著作『闇の外へ』について書簡を送った、そしてその中で次のように心の内を明かした。
 「私が当時言及したいくつかの事態はすでに昔語りとなりました。しかし私の反骨精神は今も生きています。」
(本文はここまで)

 [注1] 全国黒人地位向上協会。 1909年設立の、発の全国的な黒人解放組織。白人の自由主義者が中心だったが、唯一の黒人幹部としてW.E.B.デュボイス(1868-1963。1895年、黒人として発の博士号をハーバード大学史学科より得る。1905年、黒人の市民権確立を目指したナイアガラ運動を組織し、以後終生黒人解放運動・平和運動に尽力)が参加。
 [注2] American Foundation for the Blind. 1921年設立の非営利組織。
  [注3] ジャーナリストの Joseph P. Lash の書いたヘレン・ケラーの伝記「Helen and Teacher』のこと。
 [注4] Anna Eleanor Roosevelt(1884〜1962)。32代大統領フランクリン・ルーズベルトの夫人。1905年結婚、21年以後は小児麻痺で療養中の夫の精神的な支えとなり、33年にルーズベルトが大統領に当選すると、婦人問題や人権問題など多方面に活躍。45年に夫が亡くなった後も53年までは国連のアメリカ代表を務め、国連人権宣言の起草に積極的な役割を果たした。

(2001年9月30日)