触覚でとらえる世界

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 この原稿は、昨年10月29、30日に、国立民族学博物館で開催された公開シンポジウム「ユニバーサル・ミュージアムの理論と実践―博物館から始まる「手学問のすゝめ」―」の2日目のセッションU「視覚と触覚の対話−目が見えない人たちの多様な学習方法」のコメンテーターの1人として行った報告「触覚でとらえる宇宙−触常者からのアプローチ」を、大幅に加筆・修正したものです(タイトルも変えています)。このシンポジウムの趣旨やプログラムについてはhttp://www.minpaku.ac.jp/research/pr/111029-30.htmlに掲載されています。なお、本シンポジウムの内容をまとめた本が出版される予定です。
 
◆はじめに:ミュージアムとの出会いまで
 まず初めに、私自身のことについて少し話します。
 小さいころからほとんど見えませんでした。生後 3ヶ月ころ、両親が私の目の異常に気付いたそうです。視覚的な体験として記憶にあるのは、ぼんやりとした明暗の違いや、強い光の反射くらいです。ですから、色や形、風景などについての視覚的な記憶はありません。
 盲学校に入るまでは、とても明るい世界に居たという感じで、よく動き回り、よくいろいろな物に触り、手を使っていろいろ試したりしていました。例えば、近所の子供たちと泥遊びをしたり、クルミの殻を金槌で割って釘で中の実をほじくり出して食べたり、時計の中がどうなっているのか知りたくて結局柱時計を壊してしまったりなど、いろいろしました。
 昭和33(1958)年、6歳で、青森県立八戸盲学校に入学し、その後12年間、高校卒業まで盲学校で生活することになりました(当時は学齢で入学する見えない子供は少なかったです)。盲学校に入るや、私にとっては、それまでの明るい世界から暗い世界へ一変したという感じになりました。あまりの環境の違いに私がうまく適応できなかったことも要因だとは思いますが、当時の地方の盲学校にはまだ収容施設といった面もかなり残っていて、触察教材も含めいろいろと教育的配慮がなされている最近の盲学校の状況とはだいぶ異なった環境だったように思います。
 盲学校を卒業後、若いころは、デパートや専門の店、ときには古道具屋などが、私の“さわって楽しむ場”でした。仏像にあこがれるようになったのも、デパートで偶然に仏像に触ったのがきっかけです。
 その後、十数年前からは、よくミュージアムにも行くようになりました。ミュージアムに行くのはたいへんですが、ミュージアムでは、未知の世界、あるいは本などで言葉だけで知っている事柄について体験し、解説もしてもらえます。ミュージアムは、私にとって学びと遊びのための一番の場所になっています。これまでに、近畿地方をはじめ全国100箇所以上のミュージアムを訪れています。最近の例を少しあげてみます。
 昨年10月中旬、鳥取県岩美町にある山陰海岸学習館に行きました。主に山陰海岸ジオパークを紹介しているミュージアムです。そこには、砂丘の地層の剥ぎ取り標本があります。どこの博物館でも地層の剥ぎ取り標本は触れられないことが多いのですが、念のため電話してみました。そうすると、館内の標本はやはり触ることはできないが、すぐ近くに標本の現場があるので、そこへは案内できる、そこなら触って分かると思います、ということです。早速出かけて、現場にも案内してもらいました。私は歩いて行ける所かと思っていましたが、現場は学習館から車で15分余もかかる所で、そこで本当に砂丘の地層の様子をさわって確かめることができました。
 また昨年末に松山に行ったのですが、時間に余裕があったので、事前に連絡することなく、松山市考古館に行ってみました。急な訪問だったこともあって、受付ではどのように対応してよいのか戸惑っている様子でしたが、結局学芸員の案内でいろいろな資料に触れながら説明してもらうことができました。その中でもとくに、初めて触れた絵画銅鐸(もちろん復元品です)には心躍らされました。浮出しの線でクリアに描かれていて、脱穀の様子や狩りの様子など、触ってはっきりと分かりました。
 これらのミュージアムは、来館者の要望になんとかして対応しようと柔軟に考えてくれる博物館だと思います。触れられる資料も大切ですが、それとともに、あるいはそれ以上に、このような“サービス精神”も大切だと思いますし、また実際うれしいものです。
 
◆触覚と視覚の違い
 私は小さいころからほとんど見えませんでしたので、当然のこととして、視覚以外の感覚、触覚や聴覚、嗅覚などを使っていたわけです。それらの中でもとくに、皮膚感覚や身体感覚も含めた広い意味での触覚が重要だったように思います。私は触覚を使って生活し、触覚を通して世界を体験してきたと言えます。
 私の回りの見える人たちの視覚中心の見方・とらえ方と、私の触覚中心のとらえ方の違いを意識するようになったのは成人してからですが、とくにミュージアムによく行くようになってから、学芸員やボランティアの方々に説明してもらう中で、また彼らと互いにコミュニケーションする中で、触覚と視覚の違いを実感することがしばしばありました。以下に、視覚と比較しての、触覚によるとらえ方の特徴をあげてみます。
 
●能動的
 触覚による観察では、自分から意識して触らない限りよくは分かりません。見えていれば、偶然にちょっと見ただけでも大まかな形や色などは十分に分かると思いますが、触覚だけでは、偶然手が何かに触れたくらいではその物が何であるかなどはほとんど分かりません。注意をその物に向けて、手指を系統的に動かしてみなければなりません。
 また、だれか他の人に自分の手を動かされて物にむりやり触らされても、ほとんど分かりません。自分で考えながら感じながら、物といわばコミュニケーションするようにして、触っています。
 
●触覚で分かることの多様さ
 視覚だけで直接分かるのは形や色くらいのようですが、触覚では、形だけでなく、物そのものが持っている様々な性質(表面の手触り、硬さ、重さ、暖かさ、中の詰まり具合など)も分かります。とくに、表面がある程度軟らかい物の場合は、触覚によって、表面を通してその内部の状態を知ることができます。(視覚でも、例えば物の硬軟などをよく推測しているようですが、それを確かめるには直接触らなければなりません。)
 見える人たちも、実際に物に触れてみることによって、物の様々な性質を確かめることができますし、そういう手掛かりもふくめもう一度観察し直してみると、新たな発見があるかもしれません。
 
●多方向から触る
 視覚ではふつうはある決まった方向から見ていることが多いようです。ということは、見えていない部分があるということです。触覚を使った観察では、物の内側や裏側など普通に見ただけでは見えないような部分もふくめ、可能ならばあらゆる方向からあらゆる部分を触ろうとします。そのため、触察によって、しばしば、視覚では気付かないようなことまで明らかになることがあります。
 
◆手の役割
 広い意味での触覚を担う感覚器官は、手指に限らず、全身の皮膚に分布し、さらには筋肉や関節・腱などにも分布していますが、探索的に触って観察するためにはなんといっても手指が重要な役割を果しています。
 このように、触察においてはもちろん手が重要な役割を果しているのですが、手はただ触っているだけではありません。手は、「探る手・知る手」であると同時に、「思いを感じる手・伝える手」であり、また「作る手・操作する手」でもあります。
 「探る手・知る手」というのは、能動的・探索的に手を動かして物の形状やその様々の性質を知ろうとする手です。「思いを感じる手・伝える手」というのは、相手の手や体に触れた場合に互いに思いを伝えあったり相手の体調などを感じ取り、また物に触れた場合にその物の背景にある人々の暮らしや歴史を感じ取ろうとする手のことです。そして私は、三つ目の手の役割、すなわち、物を操作し作る手の役割にとくに注目しています。
 私は手作りが好きで、例えば、緑泥片岩など石器の材料としても使われる石を磨いて石包丁らしき物を作ってみたり、土偶のレプリカを参考にして粘土でそれらしき物を作ったりしたことがあります。このように手作業で何かを作ろうとすれば、その物についてできるだけ知ろうとしますし、手の使い方も様々に工夫し、また材料の性質についてもおのずと知るようになります。操作し作ることは、触察能力を多面的に高めることになります。
 また、見える人たちは目の助けをかりて触覚・手のはたらきを発展させているようですが、見えない人たちは手自身と頭を使って(自分でいろいろ工夫して)手の総合的な力を付けてゆきます。このようにして養われた手のはたらきは、探索的な触察にもとても役に立ちます。
 
◆触察資料の役割と要件
 次に、触察資料の役割と要件といったことについてお話しします。
 まず、触察資料の役割についてですが、触察資料があるとないとでは、見えない人たちにとっては大違いです。
 触察資料があってこそ、見えない人中心の鑑賞・観察が可能になります。触察資料がなければ、どうしても見える人主導の解説になってしまいがちですし、また展示品について具体的なイメージを持てないまま終わってしまうことが多いです。触察資料があれば、物といわば対話するように手を動かすことで、自ら感じ、考え、疑問を持ち、問いを発し、そして解説してくれる人ともコミュニケーションできます。
 さらに触察資料は、先の「触覚と視覚の違い」の項で述べたことからも分かるように、実は見える人たちにも大いに役立つはずです。実際に展示品に触れ、手に取ってみたりなどすれば、見ただけでは分からないような、展示品そのものの持っている様々な性質(硬さ、重さ、暖かさ、中の詰まり具合など)に気付きます。また、普通に見ているだけでは気が付かないような、物の内側や裏側の細かい様子などにも注意が向けられることになります。
 
 触察資料としてどんな物が良いのかについては、いろいろな意見があるようです。
 私はこの問題を考えるさいには、二つの観点が必要だと思っています。一つは教育的観点、もう一つは観賞・共感といった観点です。
 教育的観点からは、触ってその物の特徴がよく分かるものがいいです。この観点からは、とくに本物に限る必要はありません。レプリカでも、あるいは場合によっては形を真似ただけの簡単な手作り品でも良いということになります。私は、紙で折り畳み式の簡易な、3角柱や5角錐などの立体模型や寄せ棟造などの建物模型を作ったりします。そのような物でも、教育的観点からは役に立つと言えるでしょう。
 観賞・共感といった観点からは、やはり本物の持つ力はすごいです。私の手元には、青森県十和田市の実家の葱畑で偶然見つかった土器の破片があります。縄文土器とは違うような印象で、縦に削ったような痕があり、北海道の擦文土器に似ているようにも思います。地元の人たちの中には「アイヌのものだろう」と言っている人もいます。このように、本物だと、ちょっと触っただけではその特徴をとらえられないような土器の破片のような物でも、場合によっては歴史を感じ人々の心を感じさせられることがあります。そのような時は、わずかな断片を通して、広く、深く、世界に接しているような気になります。
 
◆「さわる絵」について
 触って理解しまた鑑賞するのが困難なものの一つに、絵画があります。見えない人たちの絵画鑑賞の一つの方法として、言葉による説明がしばしば行われています。中途失明の方で見えている時に絵に親しんでいる方だと、言葉による説明だけでもかなり頭の中で想像して楽しんでおられるようです。しかし、絵をまったく見たことのない私にとっては、言葉だけで絵を説明してもらっても実感としては何の手掛りもないような感じですし、いつも相手の言うことだけを聞いているだけで、自分で絵を楽しむという風にはなりませんでした。
 10年ほど前からは、所蔵作品のうち数点の絵について、主に樹脂を使って触っても分かる浮出しの図録を製作する美術館も現われはじめました。ただ、そのような試みをしているのは、岐阜県美術館(『視覚障害者のための所蔵品ガイドブック』)、三重県立美術館(美術教育支援教材「触ってセット」)、山梨県立美術館(『手で見るミレー』)、宇都宮美術館(『手で見る作品ガイド』)くらいで、まだまだ少ないです。なお、2008〜2010年にかけて全国20会場で行われた日本画の巡回展「遠き道展」では、10の作品を収めた触図録が作製されました。
 また、最近は点図を作製するソフト「エーデル」が普及し、絵画をもこのソフトを使って描くことが試みられています。日本ライトハウス情報文化センターでは、数年前『すぐわかる画家別西洋絵画の見かた』(岡部昌幸著、東京美術)をボランティア有志で点訳しました。50人の画家について各 1点ずつ紹介されているのですが、それぞれの絵について点訳者がだいたい点字 1ページ分をめどに説明文を作り、また、輪郭もはっきりしていて構図も単純な絵について、10点ほど点図にしてみました。
 しかし、樹脂による図版あるいは点図では、線や面によって輪郭が分かるくらいで、絵を触って理解し鑑賞したいという目的のためにはまだまだ不十分です。
 最近、絵画を半立体的に翻案して浮彫で表現した「さわる絵」が製作されるようになり、注目されています。「さわる絵」では、近景あるいは強調されている事物はより高く、遠景あるいは背景的な事物はより低く表現されていて、絵に表わされている立体感が触っても分かるようになっています。十数年前からイタリアで数十点製作され、最近は日本でも数点製作されています。(「さわる絵」について詳しくは「イタリアにおける視覚障害児者のための絵画鑑賞の取組」 を参照してください。なお、現在、彫刻家の柳澤飛鳥さんの製作した名画の浮き出しの原版を基に、紙にその絵の輪郭を浮出させ、それに点字の解説も付けて画集を作るという企画も、日本点字図書館の協力を得て進行中です。)
 見えない人たちが絵画を鑑賞する方法としてこの「さわる絵」は画期的だとは思いますが、私は次のような点についても考慮してもらえればなお良い「さわる絵」になるのではと思っています。
 現在製作されている「さわる絵」は、触って形が分かるようになっていますが、形だけでなく、それぞれの部分に応じて手触りも異なるようにすれば、触った第一印象がかなり良くなると思います。また、見える人たちに説明してもらう時のためにも、あるいは自分で絵をイメージするためにも、彩色されているほうが望ましいです。
 現在製作されている「さわる絵」の中には、葛飾北斎の「神奈川沖波裏」など、厚さが 5cm近くにもなる物もあります。しかし、立体化の程度としては、私は、遠近の違いや曲面になっていることが触って分かる程度、数mmからせいぜい1cmもあれば十分だと思います(触覚は高さの違いにはとても敏感なので、層的に表現された遠近の違いや曲面の曲がり具合などはこれくらいの厚さでも十分に分かります)。絵の内容を理解させるという教育的観点からすればより立体的にしたほうが良いのかもしれませんが、立体はそれ自体存在感がとても強く、なにか彫刻のような立体作品になってしまって、平面作品としての絵を鑑賞しているような気にはなり難いのです。
 
◆触れられない物、触っても分かりにくい物について
 触察資料はとても大切ですが、しかし実際には触覚だけで十分分かる物はごく一部です。大き過ぎる物、小さ過ぎる物、動いている動物や機械、炎、シャボン玉、風景、太陽や星等々、触ることのできない物、触ったとしてもよく分からない物はいろいろあります。それらについては、触覚的手掛りとともに、聴覚や温度感覚などの他の感覚、距離や方向などについての身体感覚、拡大や縮小、言葉による説明等を駆使して、イメージを作り上げてゆきます。
 空間的な広がりを持った世界、その中での運動など、三次元の世界を頭の中でイメージする能力は、見える・見えないに関係なく、人間に備わっている能力だと私は確信しています。このことを“証明”することは至難ですが、いくつか根拠となり得る事実は挙げることができます(参考1 参照)。
 見えない人たちも三次元的なイメージを作り上げる能力を持っていることは、素晴らしいことだと思います。風景や色についても、経験を積み重ねることで、それなりにイメージしています。そうした私のイメージを表現する方法として、今は石創画を試みています(参考2 参照)。
 
 “さわる”ことを通して世界を実感し、またそうして得られたイメージを表現する――そのような方法と場が増え、広がることを願うものです。
 
〔参考1〕
 見える・見えないにかかわらず、人間が三次元の世界を認識する能力を持つようになる根拠となり得る事実として、私は次のようなものを考えています。
 @重力:身体も含め地球上のすべての物に働く鉛直下向の重力は、上下方向を決定し、上下方向の運動や力をいわば自然にもたらします。
 A身体の構造:人の身体の前面と背面ははっきり異なっていますし、また身体の左右も、手や足が対照的になっています。身体を中心とした前後左右は、鉛直方向とともに、人にとってもっとも分かりやすい方向です。
 B感覚器:間接・筋、腱にある自己受容感覚器や耳の中にある平衡感覚器によって、身体各部の位置、身体の姿勢・運動の状態などを認知できます。また、聴覚によって、離れた所の位置や方向の(自分の身体を中心とした)大まかな相対的位置を認知できます。
 C形式論理的能力:ピアジェによれば、12歳前後からは、具体的な経験からは離れて、抽象的・形式的な論理的操作ができるようになると言います。その一つとして、統方的な三次元空間の数学的・論理的な認識・操作が可能になります。
 
〔参考2〕
 石創画は、茨木市在住の江田挙寛氏が、30年ほど前に研究・開発した、石で絵を描く独自の手法です。大理石など石の粉にほぼ同量のセメントを混ぜ、それに顔料と水も加えて練り合わせ、それを型に塗り込んで、乾いたあとで磨き上げて、絵を描く方法です。浮出しの絵も描けます。
 以下に、私が制作した石創画 5点の写真を掲載します。
「ワシ(飛ぶU)」 岩山からわしが飛び立とうとするところです。ほとんど私の想像ですが、単純で触っても分かりやすいと思います。
「なんびきイルカ」 イルカが3匹、輪になっています。本格的な石創画の作品第1号で、デザインはうまく行ったと思っています。
「ビーナスの誕生」 かの「ビーナスの誕生」の簡易半&デフォルメ版です。有名な「ビーナスの誕生」も私の技術ではこんなところです。真ん中の貝に乗ったビーナス、および陸・海・空の境界は、触ってもよく分かってもらえるようです。
「踏む」 曼荼羅の中にあった仏像を点図にしてもらって、それをできるだけ真似て作ったものです。地を踏み締め、手を広げ、髪は立ち、けっこう力強さを感じられる作品だと私は思っています。
「アンモナイト(古代生物U)」 アンモナイトにイカのような脚10本が付いています。化石としてはアンモナイトは殻の部分しかありませんが、生きている時の姿の想像です。
*最近制作した石創画2点も追加します。
「層・想」 地層あるいは意識・心の層を表現してみたものです。黄色系と紫系を交互に、明かるい色から暗い色に変化させてみました。そして一番下には真赤のマグマあるいは心のエネルギーが湧き上ろうとしています。
「夜空」(飛ぶW) 暗い夜空に、ゆったりとした感じのはくちょう座と力強いわし座、そして青白からオレンジへと変化する流れ星です。はくちょう座とわし座の原図には、常磐大学の中村研究室が作成している触図を使わせてもらいました。触図を参考にこんな作品が出来上がりました。ありがとうございました。

(2012年1月7日、2013年4月13日石創画の新作2点を追加)