宇宙のイメージを表現する:私の場合

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 9月28〜29日に、国立天文台(東京都三鷹市)で開催された第2回ユニバーサルデザイン天文教育研究会「共有から共生,そして共動へ」に参加しました。
 2日間で30以上の講演、および各分科会に別れてのグループディスカッションとそのまとめがありました。講演は、28日午前のイントロダクションの5本の講演から始まりました。初めに世話人代表の嶺重先生より、この研究会の趣旨として、障害のある人たちなどのための特別な活動ではなく、人間とは何か、どのようにして生きるのか、といった「普遍的な活動」なのだという話がありました(最初何のことかあまりぴんときませんでしたが、研究会が終わってみると、なるほどと納得できました)。その後、国立天文代の小久保先生より太陽系の話、JAXAで働いているろう者の長谷川晃子さんの話、新井寿(ぐんま天文台)さんから肢体不自由の人たちにも使いやすい望遠鏡の開発の話などがありました。そして、28日午後からは、15分から20分の時間で、障害者セッション、病院訪問セッション、国際連携と地域連携の講演が30くらい続きました(28、29日とも昼休みには国立天文台内の施設見学もありました)。また、グループディスカッションは、1A 学校教育・教材作製(主に聴覚障害)、1B 学校教育・教材作製(主に視覚障害)、2 プラネタリウム、3 公開天文台、4 病院活動、5  地域連携、 6国際連携の分科会に別れて行われ、私は1Bに参加しました。
 私にとってはとてもタイトなスケジュールに感じましたが、かなり充実した研究会でした。
 研究会のプログラムや発表概要については、 こちらを参照してください(そのうち各発表の集録もアップするとのことです)。
 
 私は、29日の午前の2番目に「宇宙のイメージを表現する:私の場合」というタイトルで話しました。(この研究会の1ヶ月余前に一般講演を募集していることを知り、私のような者でもどうなのかと思いつつ申し込んでみたら、幸いにも発表の機会が与えられました)。
 私の報告内容の前に、多くの発表の中でとくに私の印象に残っているものを、2、3まず紹介します。
 障害者セッションでは、早川 英男さんの報告で、日本聾話学校の卒業生で田中幸明さんという方が、東京天文台(国立天文台の前身)で技官として働いていたことを知りました。1944年から1980年まで太陽の黒点などの観測(とその手描きによるスケッチ)を続け、技官でありながら論文もいくつも発表しているそうです。コミュニケーションは主に筆談だったようです。また、小さいころから天文好きだったという藤原春美さんは、弱視のころよりも全盲になってからのほうが、天文仲間との交流や活動が比較にならないほど増えたと言っていました。具体的な成果物としては、新潟大学の渡辺研究室が製作した、触って分かる星座早見盤が優れ物でした。また、天文手話の紹介もあって、私にはよくは分かりませんでしたが、それぞれ事柄の内容をうまく表わしているようで、皆さんの注目を集めていました。
 病院訪問セッションでは、主に長期入院している子どもたちやホスピスでの活動の報告がありました。現在は、長期に入院しているあるいは施設に入所している高齢者が多いので、その方たちへのプログラムももっと行われてはと思います。
 国際連携では、ルワンダなどのアフリカ諸国やカンボジアなどの東南アジア諸国で、手軽な望遠鏡を送ったり天文の授業をしたりする活動の紹介がありました。現地の子どもたちの天文についての質問(例えば、私たちが住んでいるのは地球の表の面なのか裏の面なのかとか)が面白かったです。これらの諸国では、日本とは比べ物にならないくらい見えない子どもたちが多いので、ぜひ彼らにも天文のプログラムをしてほしいです。きっと、彼らの好奇心を刺激し希望を与えることでしょう。また、臼田-佐藤功美子さんと富田晃彦さんの報告によると、国際天文学連合天文学推進室では世界各国から天文教育普及活動についての提案を募集しているそうですが、その中にはユニバーサルデザインに関するものがかなり含まれているそうです。例えば、太陽系の立体模型とか、内側に星座を張り付けた半球状の天球の模型(これは、私も考えていたものです)などいろいろあって、日本でも参考になりそうです(日本からは今のところ残念ながらほとんど提案はないようです)。
 
 それでは以下に、当日の私の発表原稿に加筆したものを掲載します。
 
 
1. 背景
 現在、日本ライトハウス情報文化センターの点字製作係で、校正の仕事をしている。その中には、一般の学校で学ぶ全盲の生徒や学生のための点字教科書などの校正もある。
 私は、小さいころからほとんど見えなかった(両親は、生後 3ヵ月で私の目の異常に気付いたとのこと)。明暗の記憶はあるが、物の形や色、風景などについては、視覚的な記憶はない。6歳で盲学校(青森県立八戸盲学校)に入学。
 私の小・中・高校時代はほぼ1960年代で、当時盲学校の理科の授業でどんな天文関係のことを教えてもらったのか、ほとんど記憶がない。(天文関係の学習内容については、大部分は省略していたのかも知れない。)月の満ち欠けや星空の動きなどについてもほとんど興味はなかったし、知らなかった。また星座の形についても、学校時代はもちろん、成人になってからも知らなかった。仕事で理科の教科書の校正をするようになってから、オリオンとかサソリ座などの形にたまに触れるようになった。(そして、ばらばらの光点にすぎないものを結び付けて動物の形などをイメージできる視覚の特徴にも改めて気付かされた。)
 
 
2. 宇宙に興味を持つようになったきっかけ
 そんな私が、どのようにして宇宙や天文現象に興味を持つようになったのか、「教育の場」と「体験」に分けて述べる。
 
●教育の場:『数式を使わない物理学入門』
 中学3年(1966年)の終りころ、理科の先生が『数式を使わない物理学入門――アインシュタイン以後の自然探検』(猪木正文著、光文社、1963年)という本を、授業時間に読んでくれた。当時の「現代物理学」がとてもやさしく解説されていて、この本で、私は物理学、とくに原子や宇宙、量子論や相対論にとても興味を持つようになった。これらの世界は、直接には目には見えない世界であり、目の見えない私も頭の中で自由にイメージし想像できるのではと思い、またなにかそこには〈美しさ〉のようなものがあるのではと、あこがれのようなのを感じた。当時はいわゆるビッグバン説はまだ確立されておらず、ホイルらの定常宇宙論も有力で、膨張宇宙という観測事実と矛盾しないように真空から一定割合で物質が生まれてくるというような話を聞いて、その割合をなんとか計算してみようなどとしたりもした。
 このような関心は宇宙の構造や進化などについてであって、直接目で見られるような天文現象には相変わらず感心はなかった。
 
[追記:物理学への関心のその後]
 当時、盲学校では高等部は理療科しかなかった。理療科では3単位用の物理学を学ぶことができた。また日本点字図書館をはじめいくつかの点字図書館の目録を調べて物理関係の点訳本を読もうとしたが、高校程度のものはほんの2、3冊しかなかった。それを何度か読んだ後、寄宿舎の寮母さんにむりやり『素粒子』(湯川秀樹 他著、1969年、岩波新書)を読んでもらう。物理学の点訳をできる方を紹介してほしいこと、物理学で大学への進学はできる可能性があるかについて日本点字図書館に問合せ、早稲田大学の点字会の美勢仁さんを紹介してもらう。何回か手紙のやり取りをしたが、物理学の点訳者はいないし、大学進学も物理では無理だろうことが分かってきた。なお、録音では、弘前愛盲協会のパール会の方に微積分の本を読んでもらったり、能代北高校の点訳クラブの顧問の先生(理科の先生)に現代物理の入門書を読んでもらったが、数式の部分がよく理解できなかった。また、高校3年の時、教育テレビの半年単位の大学講座物理学を2回聴いたが、これも数式がよく分からず十分に学ぶことはできなかった(ここで初めて超伝導や対象性の問題を知る)。高校卒業後、回り道をして大学に進学したが、社会学を専攻。一般教養科目で物理学があったので受講した(内容としては上述の『数式を使わない物理学入門』の範囲内だったので、半分くらいしか授業には出席しなかったが、満点がもらえた)。結局、私の物理学は数式をたいして使わなくても理解できる範囲に留まっている。
 
●体験:日食を体感
 もう15年ほど前(1997年3月9日の午前)に、近くの河原(大阪府茨木市の安威川の河川敷)で部分日食を体感した。その日はとても天気がよくて、春の暖かな陽がさんさんと降注いでいたが、急にその陽がかげり、冷たい風が吹いて、温度も5、6度も下がったのではと感じるほどだった(実際は2、3度くらい下がっただけかも知れない)。回りの人たちが、「暗くなった、日食だ!」と言って、日食に気付いた。
 それまでは、頭の中だけで考え、ぼんやりとしか想像できないと思っていた天文現象を、わずかでも体感し実感できたことは大きかった。その後、月の満ち欠けや彗星、星空などにも少しずつ興味を持つようになった。
 
【参考:金環日食】
 昨年(2012年)5月21日朝の金環日食についてもできれば体感してみたいと思い、通勤途上、かなり注意して歩いてみたが、残念ながら曇りがちの天候のため日食を体感することは果たせなかった。
 数日後、常磐大学の中村正之先生(2008年より各地でさわれる天体写真展を行っている)より、2012年5月21日の金環日食の写真とその立体コピーを送っていただいた。6時37分から8時37分まで、15分ごとに撮られた写真9枚が並んでいて(5枚目が金環の状態)、日食が始まってから終わるまでの変化の様子がとてもよく分かった。
写真1 金環食の原画像:写真2 白黒反転画像:
写真1と写真2:金環食の原画像と白黒反転画像
 (写真説明)写真1が金環食の写真、写真2がその白黒反転画像。月が、太陽の右上から左下に向かって移動して行っていることが分かる。(白黒反転画像の立体コピー図版を回覧)
 
 
3. 石創画との出合
●美へのあこがれ
 私は、物理学の中にひそむ自然の美しさのようなものとともに、美術へのあこがれも持っていた。見える人たちが「きれい!」と感歎している、その感動はどのようなものなのか、私も少しでも知りたい、近付きたいと思っていた。
 中学のとき、1年間だけ非常勤の先生が担当した美術(教科名は技術家庭だったかも知れない)の授業で、初めて美に触れたように思う。先生はおそらく見えない人にははじめて出会ったようで、試行錯誤で行われる何でもありのその授業に私はどんどん吸い寄せられていった。例えば、校外に粘土を取りに行って、その粘土で土人形のようなのを作ったり、先生の作った女の横顔の石膏像を触って、きれいにカールした髪の毛一本一本など、そのリアルな表現に感動したり、先生の描いた油絵を触って丁寧に説明してもらったりもした(油絵の説明はあまり理解できなかった)。さらに、先生に点で輪郭線を描いてもらって、その点線に沿って先生に言われた色を塗ったりして絵を描いてみた(手前に田んぼや道が広がり、遠くに少し雪を頂いた山が見えるような絵だった)。この時、初めて遠近法の説明を聞いて驚いた(同じ物が、遠くにある時と近くにある時とで大きさが異なるとは!)。
 盲学校卒業後、あるデパートで偶然仏像に触れる機会があって、本当にきれいだなあと思い、それ以後仏像にあこがれるようになった。10数年前からは、ある点訳ボランティアの指摘に触発されて、それまで何気なく自分なりにしていた触って知る方法について興味を持つようになり調べたりするようになった。そして、近畿地方を中心に各地の美術館や博物館にも行くようになった。
 
●石創画によるイメージの表現
 2006年12月、茨木市立ギャラリーで開催中の石創画展(「石創画28年の足跡展」)に偶然立ち寄る。大部分は平面作品だったが、一部レリーフになっている作品もあって、これは触ってよく分かった。
 石創画は、茨木市在住の江田挙寛氏が、30数年前(1978年)に研究・開発した、石で絵を描く独自の手法。大理石など石の粉にほぼ同量のセメントを混ぜ、それに顔料と水も加えて練り合わせ、それを型に塗り込んで、乾いたあとで磨き上げるという過程を何度も繰返して、絵を描く方法。多くは平面作品だが、浮出しの絵も描くことができる。江田先生は、これまでに数回「石創画タッチ展」を開催している。
 2008年10月より、江田先生の石創画教室で石創画をはじめる。石創画により、自分の頭の中にあるイメージをレリーフとして表現できるようになり、またその作品をだれにでも自由に触ってもらえるようになった。これまでに30点ほどを製作。
 
●作品紹介
 「銀河」と「夜空」は展示スペースで展示、「オリオン」と「流転」は写真のみ。
 
(1) 「銀河」
 [写真3:銀河
 (写真説明)私の銀河のイメージ。中央にバルジ(その中心にある穴がブラックホール)、横に伸びる腕、大きな2本の渦巻きなど
 
(2) 「夜空」
 [写真4: 夜空
 (写真説明)暗い夜空に、下にゆったりとした感じのはくちょう座、上に力強いわし座、そしてはくちょう座の左側に青白からオレンジへと変化する流れ星 (はくちょうとわしそれぞれの羽の模様、また、流れ星が夜空からすうっと表われてくるのを触って確認してほしい。)
 
【参考:流星】
 流れ星のおおまかなイメージは頭の中にあったが、できることなら触っても確認したいと思い、常磐大学の中村先生より流星の写った写真を送ってもらう。
写真5 流星の原画像写真6 白黒反転画像
写真5と写真6:流星の写った原画像と白黒反転画像
(写真説明)写真5が、2000年11月19日午前1時40分に流れた「しし座流星群」の大きな流星の原画像。写真6が、その白黒反転画像。(白黒反転画像の立体コピー図版を回覧)白黒反転画像の立体コピー図版では、長く伸びる大きな流星とともに、オリオン座、冬の大三角、冬のダイヤモンド、ぎょしゃ座の五角形も、触ってなんとか確認できる。
 
(3) 「オリオン」
 点図で描いてもらったオリオン座を、できるだけ忠実に石創画で表現した。(写真のみ)
写真7: オリオン
(写真説明)腰の辺りに三つ星、左足にリゲル、右肩にベテルギウスなど、星が十数個。右手で棒のようなのを持ち、左腕に毛皮のようなのを下げている。
 
(4) 「流転」
 いろいろな宇宙(銀河)の姿・変遷を表現してみたかった。
写真8:流転
(写真説明)真中に龍があり、その回りにいろいろな銀河を配置。右下が出来て間もない渦巻き銀河、その左が私たちの銀河、その左が楕円銀河、左上から中央が銀河の衝突、右上がアンテナ銀河のつもりで描いた。(銀河衝突のイメージはなかなか描き難かった。アンテナ銀河は、2つの渦巻き状の銀河の衝突によってできたものとされる。)
 
 
4. おわりに
 石創画に限らず、自分でなにかを表現したり作ったりしようとすると、自ずとそれについて知ろうとし、いろいろ調べたりする。実際に何かを作ったり表現したりするようなプログラムは、物事の理解をより深めるのに役立つ。
 
【例:「『月・地球・木星 触れて学ぶ天体』−インクルーシブデザインでつくる理化学教材−」】
 2008年4月18〜19日、京都大学総合博物館で開催。月、地球、木星、太陽の大きさの違いを体感するプログラムとともに、各班がそれぞれ自由に天文に関わる教材を作るワークショップも行われた。私の班では、地球と木星の内部構造を作った(木星の内部の大部分が「液体金属水素」だということを知り、それが何であるかを調べ、またそれをどんな感触で表現するかを考えた)。また、オリオン座を複数の方向から見た時の立体模型を作ったり、地球の誕生から現在までの変化を再現してみせたりした班もあった。
 
 
5. 参考文献
小原二三夫 「触覚でとらえる世界――触常者からのアプローチ」 (『さわって楽しむ博物館 : ユニバーサル・ミュージアムの可能性』広瀬浩二郎 編著、青弓社、2012年)
      (WEB用に大幅に加筆した版はこちら
中村正之、菊池秀一 「公共天文台等における触覚型展示資料の作成に関する研究」 (『天文教育』2013年5月号)
江田挙寛 「石創画の物語」
小原二三夫 「触れて楽しむ天文ショー」
小原二三夫  「宇宙はたのしい! ―体感できる教材作りからの学び―」
 
(2013年10月19日)