「触るミュージアム」の構想
この文章は『視覚障害リハビリテーション』第62号(2005年12月)掲載の原稿を大幅に加筆・修正したものです。
目次
1 はじめに: 視覚優位社会の中の視覚障害者
2 「触るミュージアム」の必要性
3 「触るミュージアム」の特徴
4 ヨーロッパおよび日本の参考例
5 「触るミュージアム」の役割
参考文献
現代の文明社会は、圧倒的に視覚優位の社会である。
大量の印刷物、町中の表示、パソコンをはじめ各種の電子化された機器の画面、カラフルな写真や図版など、日常生活に必要とされる情報のほとんどはまず視覚情報として提供されている。そして、それらの情報を素早く読み取り処理していくことが要求される。
また人間は一般に五感(注1)を持つとされているが、視覚以外の聴覚や触覚を通して情報が得られている時も、多くの場合それら視覚以外の諸感覚にたいして視覚優位の統合が行われていると言われている。すなわち視覚は諸感覚の中で中枢的な役割を果たしており(注2)、そしておそらく、人間存在、アイデンティティの基底に深く関わっているかに思われる。
私は、視覚経験の記憶をほとんど持たない全盲である。視覚以外の諸感覚によってとらえられる世界をごく自然に受け入れ、十代後半までは視覚優位の社会とのギャップもあまり自覚せずに過ごしてきた。しかし言うまでもなく、視覚経験をまったくないしほとんど持たない者にとっても、視覚優位の一般社会の一員として、視覚的なイメージや文化にアプローチし享受できるようにすることは肝要なことである。
他方、中途失明の場合には、視覚の喪失は、実生活における各種視覚情報の入手を困難にすることはもちろん、自分の慣れ親しんできた視覚優位の感覚世界との断絶、さらにはアイデンティティ危機を招来しかねず、いわば全面的喪失感、あるいは自己喪失感をもたらすことにもなる。そのような人たちには、それまでの見えていた世界とのつながりを部分的にでも回復させ、また残存感覚を基礎にしつつ、回りの世界や人間関係をもふくめ新たにアイデンティティを構成し直し、自己信頼を取り戻してゆくことが必要であろう。
今日、障害によってもたらされる機能の喪失を補いあるいは代行するような機器など多くの技術の進歩により、また、障害者をもふくめ多様な人々がその能力を発揮できるような社会を目指しての仕組みの変更や人々の意識の変化により、これまで障害からもたらされるとされてきた様々な不自由・無能力は改善され、社会の各分野で障害者も活躍するようになってきた。私ももちろん、今後ともこのような方向での改善が進展することを願っている。
しかし私は、視覚経験をまったく持たないなど、少なくとも感覚系の重大な機能喪失の場合には、上に示したような戦略だけでは解決しきれないような何かが残るように感じている。それは、盲・聾などの感覚系の障害では、残存諸感覚系によって把えられる〈世界〉(回りの事物や人間、自己の身体との関わりもふくむ)が、障害のない人たちのそれと異なっているはずだからである。そして、世界が異なれば、それは文化(認知と行為のセット)の違いとして表われてくるはずである。すなわち、視覚障害などの感覚系の障害は、独特の文化と呼べるようなものを形成させる方向にはたらくことが大いにあり得るということである(注3)。
視覚障害に根ざした文化の可能性について、私は主に次の二つの面から検討している。
一つは、歴史(とくに日本の歴史)の中で見えない人たちが果たしてきた役割を後付け、彼らを担い手とするような文化伝統のようなものを探り当てようとすることである。これについては、私はとりあえず関連データを集め、それを「盲人文化史年表」として私のホームページで公開しはじめている。
もう一つは、残存感覚の中でもとくに触覚に注目し、触覚を通して現われてくる世界の特徴を明らかにすることである。これについては、3年近く前から「触る研究会・触文化研究会」を結成し活動している。
(注1)感覚の種類を視・聴・触・味・嗅覚の五感とするのはアリストテレスに始まる。このうち、視覚・聴覚・味覚・嗅覚がいわゆる特殊感覚であるのにたいし、触覚は体性感覚に属するものである。体性感覚には、狭義の触覚・痛覚・温度覚などからなる皮膚感覚、および運動感覚や位置感覚などからなる深部感覚がふくまれる。(さらに、内臓感覚も体性感覚にふくめても良いかもしれない。)そしてこのような体性感覚は、これまたアリストテレスに遡る、諸感覚を統合し意味付けや判断を与えるいわゆる共通感覚の基盤になっていると思われる(中村:
1992)。精確さや確実さ、論理が重視される知では確かに視覚が優位にはたらくであろうが、我々が日常実際に体感しているのはしばしば体性感覚に基づいた感じ方・思考・判断であるように思う。
(注2)中村(1979)によれば、諸感覚の中での視覚の圧倒的な優位は近代以降のことであり、ヨーロッパ中世ではまず聴覚が重視され、その下に触覚、さらにその下に視覚が位置付けられていたという。このような、近代以降の視覚優位へと向かう傾向には、印刷技術や映像技術など、視覚的な情報の伝達・加工技術の飛躍的な進歩が大いに寄与していると思われる。なお、乳児期から成人にいたる人間の発達においては、体性感覚(触覚をふくむ)中心から視覚優位の統合へと推移していく。
(注3)障害に根ざした文化の顕著な例として、ASL(American Sign Language)やJSL(Japanese Sign Language)のような聾者独自の手話を基礎とする「ろう文化」の主張・運動がある。このような、一般の音声・文字言語とは異なった、特有の言語体系を基礎にした聾文化の深い意味合いについては、サックス(1996)が参考になる。視覚障害の場合には、点字を盲文化の一つの重要な要素と考えることもできる。しかし点字は基本的に一般の言語に対応した記号体系であり、独特な文化の構成力としてはごく限られたものだと言わなければならない。ただし、日本で一般に用いられている仮名点字にはそれに固有のいろいろな性質がある。
2 「触るミュージアム」の必要性
「触る研究会・触文化研究会」の目的は、一言で言えば、見える人たち・見えない人たち双方が、触って知り触って楽しむためのいろいろな方法について検討し合うことである。
毎回10数名集まり、テーマとしてはこれまでに、触知覚の基礎、触知の方法、動物や植物の観察、立体物とその触図による表現法、触覚を通してのイメージ化の形成に役立ちそうな方法や道具、視覚障害児の環境認知の特徴などについて取り上げてきた。また、各回とも、触って観察しイメージをふくらますのに役立ちそうな様々な展示品も用意し、実際に参加者に触ってもらいながら意見なども出してもらっている。(各回の報告は私のホームページで公開している。)
さらに、この研究会活動とは別に、私自身しばしば一般のミュージアムや展示会などを訪れ、見えない人たちの触覚中心の観賞のためには何が問題であり、それにたいしてどのように対処すれば良いかなどについて考えてもきた。
これらの活動を通じて、私は「触るミュージアム」の必要性を強く感じるようになり、そしてその考えを多くの人たちに知ってもらい、さらにその設立を目指そうとしているのである。
それは、主に次の2つの理由に拠る。
@適切な保管・展示場所の確保
これまで、主に研究会活動のために、触察・触知に適すると思われる各種の模型・標本類・地図類・組立て用パーツ等を集めてきた(主要な物については私のホームページで紹介している)。すでに数百点に達し、私の身の回りだけでは場所が足りなくなりまったく収拾がつかなくなってきている。これらの収集品をまず整理して保管するスペースを確保し、さらに展示して一般に公開できるようにしたいものである。
この場所の問題は私の実際の活動にとってはもちろん緊急の問題ではあるが、私が「触るミュージアム」の必要性を広く世に訴えるのは主に次の第2の理由からである。
A<見る>ためではなく<触る>ための専門ミュージアムを
第2の理由は、より根本的・本質的な問題に関わっている。
一般の美術館・博物館の多くは、基本的に<見る>ための美術館・博物館である。
最近は、「ハンズ・オン」と言われるような触覚をも使った参加体験型の展覧会もしばしば行われ、また、現代芸術の作品の中には聴覚や触覚をも使って鑑賞するようなものもある。このような動きはそれなりに評価できるものだが、一般のミュージアムの展示が視覚中心のものであるという事実には変りない。
また、バリアフリーの流れのなか、視覚障害者も一般のミュージアムのサービスの一部を受けられるようになってきている。点字や音声による案内が設けられたり、ときには視覚障害者のために特別にガイドによる説明が行われたり、また一部の展示品については触われることもある(注1)。このような流れ、一般のミュージアムが試みているユニバーサル化への努力はそれなりに高く評価すべきものである。実際、私自身一般のミュージアムでかなり専門的な説明を受け、また素晴らしい展示物に触れることができ、十分満足することもある。
しかし、一般のミュージアムの多くは基本的に<見る>ためのミュージアムであるため、触って観察・観賞することには当然のように大きな制限が設けられている。またとくに貴重な展示品の場合には、そういう制限は妥当なものだと言える。さらに、触われない物について言葉による説明だけが行われることもあるが、とくに絵画などは私のように視覚経験を持たない者にとっては言葉による説明だけではほとんど鑑賞にはなっていないように思う(注2)。
<見る>ためのミュージアムの展示は、見えない人たちが触って観察・観賞するためには次のようないろいろな問題がある。
・触ることにより、汚れたり、また折れるなど破損することもある。
・大き過ぎたり、あるいは展示する位置により、全体の一部しか触われないことがある。
・小さ過ぎて、細部が分からないことがある。
・触るのには不適切な置き方もある。
・外側だけは触われても内部の様子が分からないこともある。
・絵画のような平面作品は触っただけではほとんど何も分からない。
<見る>ためではなく、<触る>ための、触って観察・観賞するための専門のミュージアムが必要なのである。
(注1)エイブル・アート・ジャパン(2002)が全国の美術館について行ったアンケート調査では、回答のあった214館中、「触れる作品がある」が
49館(主に彫刻作品で、企画展など特定の時期に限られていることが多い)、視覚障害者のための作品解説(ガイド)については、常設展では「いつでも」が
16館、「事前連絡の上調整」が 120館、企画展では「いつでも」が 11館、「事前連絡の上調整」が 122館となっている。「事前連絡の上調整」が全体のほぼ
6割にも達しているが、私の経験では職員の多忙とか十分な解説はできないとかで「ちょっと難しいです」と言われることが多く、「事前連絡の上調整」の中にはいわば態度保留がかなり含まれているように思う。視覚障害者のための解説・ガイドについてはできるだけそのためのボランティアを養成し活用するのが良いと思うが、上の調査では、「ボランティアを採用している」が
76館で、その内 6館だけがボランティアが視覚障害者のための作品解説やガイドをしていることになっている。
(注2)視覚障害者と晴眼者との言葉による鑑賞ツアーに参加した経験からすると、中途失明の人、とくに見える時に絵に興味のあった人たちの場合には、言葉による説明だけでかなりよく絵をイメージできているようであり、このような人たちには有効な方法だと思う。また、言葉を通しての絵画鑑賞というこの方法は、見える人たちのそれまでの見方に変更を迫るという効果も持っているようだ。言葉による美術鑑賞の様々な可能性については、エイブル・アート・ジャパン(2005)に詳しい。
3 「触るミュージアム」の特徴
私が思い描きその実現を目指している(その意味で〈理想の〉)「触るミュージアム」は、次のような特徴を備えているものである。
@実物よりも、模型やレプリカを中心に展示する
実物では触るのに適さない場合が多い(注)。文化財に指定されるような貴重な芸術作品等は、破損や汚れを考えると、簡単に触るわけにはゆかない。また、生きている動物や動いている機械等は危険なため触るのは難しいし、動いている状態ではたとえ触われたとしても全体や細部を観察するのは困難である。
このような場合、実物ではなくレプリカや模型が必要になる。それらによって触覚を通しての観賞・観察がかなり補償されることになる。
なお、模型やレプリカではもちろん形の再現が中心になるが、その触感や重さ・充実感といったことも重要である。製作に当たっては、素材や加工の仕方等も十分考慮されなければならない。
(注)もちろん、彫刻作品、化石や鉱物、貝類、動物の骨格や角・歯など、実物ないし標本で触察に適している物もある。
A破損に備えて、代替品を用意し、また補修できるスタッフを置く
触って知る、触って観賞・観察するためには、対象物との直接接触が不可欠である。そのため、触察では対象物が何らかの影響を受けることは避けられない。〈触る〉という行為によって汚れや破損が生じるのはいわば当然のことだと言える。(もちろん触り方を工夫することである程度汚れや破損を回避することはできる。)
破損に備えて、同じ物(ないし類似の物)をできるだけ複数用意しておかなければならない。また、汚れは取り除き、軽微な破損箇所は補修できるスタッフが必要である。
B大きな物は小さく、小さな物は大きく、というように触って理解しやすい大きさにする
触覚による観察では、建築物や大きな動物・植物など、両手を広げた以上の大きさの物だと、その全体像を把握するのはなかなか難しい。また逆に、小さな結晶や入り組んだ装飾模様など、数ミリ以下になると触って判別するのはしばしば困難になる。このような場合、触察に適した大きさに縮小・拡大したモデルを用意しなければならない。
さらに、全体の中の一部だけを拡大したようなモデルが必要になることもある。
C建築物模型などは、内部の構造も分かるように、各部分に分けたモデルも用意する
建築物や機械、人体模型などでは、全体を示す模型とともに、内部の様子・構造ができるだけ触って分かるように、各部分ごとに分けたモデルも用意する。また、全体を部分に分解したり、部分から全体を組み立てたりできるような組み立てキットも用意する。
D平面作品は、半立体のレリーフに翻案した物を用意する
絵画等の平面作品は、そのままでは、たとえ直接触われたとしても、事実上ほとんど何も分からない。
触図化すれば輪郭などはある程度示すことはできるが、立体感・遠近感を把えるのは難しい。
平面作品を石膏などによる半立体のレリーフとして翻案することにより、輪郭ばかりでなく、細部の様子や奥行・遠近感もかなり表現でき、視覚的なイメージにアプローチしやすくなる。(もちろん、視点の位置、色彩、表情や風景などについての詳しい説明も必須である。)
E各展示品について、言葉による十分な説明と触り方のポイントを示すことのできるスタッフを置く
展示物にただ触われるだけでは、実はたいして分かっておらず、十分な観察・観賞にはなっていない場合が多い。
少ない、個々別々になりがちな触覚印象から、展示物についての全体像を得、イメージし、さらにはっきり記憶に留めておくためには、背景的な知識もふくめ展示物についての詳しい解説が必要である。またそれとともに、触知に適した手・指の使い方、触る順番や角度等についても助言したほうが良い場合がある。このような多方面の能力を持ったスタッフを養成しなければならない。
さらに「触るミュージアム」は成人ばかりでなく視覚障害の子供たちにも開かれている。とくに視覚障害児の触知覚やイメージ化の能力の向上をはかる場として、また教育用の触覚教材を提供する場として、「触るミュージアム」は次のような特徴も備えているものである。
F触感の異なるいろいろな材料、平面や立体の様々な幾何形態、組立用の各種パーツを用意する
触覚のもっとも初歩の段階である触感の違い(例えば、紙・布・金属・ゴムなど素材の違い、弾力・湿り気・温度などの違い)から出発し、簡単な平面・立体の形状の違いや特徴を理解させ、さらにそれら基本的な平面や立体を様々に組合せ操作できるようにするための各種の教材を用意する。
G社会や理科等の教科教育に役立つ各種の教材を用意する
児童生徒の社会・理科等の教科で基本となるような、各種の立体的な地図や地形図、歴史的な建築物、模型や標本類等を用意する。
また、それらを視覚障害児が通っている一般の学校に貸し出すことも行う。
H人の顔、風景、街の様子などのイメージ化のトレーニングのための各種の道具やプログラムを用意する
触覚では分かりにくい、あるいはあまり注目されてこなかった、表情や風景や街並等の視覚的イメージについても、各種の人物像や風景・街並セットを用意する。また、遠近法やパースペクティブ等の視覚的イメージを段階的に理解できるようにするためのプログラムを開発しそのための道具を用意する。
以上の特徴からも明らかなように、「触るミュージアム」は、芸術作品に限らず、自然、歴史、地理、幾何など、多方面にわたる展示と教育を目指す総合的なミュージアムである。
4 ヨーロッパおよび日本の参考例
1.ヨーロッパ
ヨーロッパの事情について、ここでは2001年にEBU(European Blind Union)が行った調査報告「ヨーロッパにおける全盲・弱視者のためのミュージアムのアクセシビリティに関する調査」(EBU:
2001)を紹介する。
まず、国や地域(首都と地方都市)の違い、さらに一般のミュージアムと盲人用のミュージアムのバランスを考慮して、次の10のミュージアムが「参照用(reference)ミュージアム」として選ばれている。
コペンハーゲンの国立ミュージアム (一般)
ルーブル美術館(パリ)の触覚部門 (一般、盲人のための常設展示有り)
リヨン美術館 (一般)
ロンドンの大英博物館 (一般、盲人のための常設展示有り)
ケンブリッジ・フォーク郡ミュージアム (一般)
アンコーナの触るミュージアム・オメロ (盲人用)
フランチェスコ・カヴァッツァ施設(ボローニャ)の触るミュージアム (盲人用)
ベルリンのペルガモン・ミュージアム (一般)
リスボンの聖ジョージ城 (名所旧蹟)
マドリードのONCE(スペイン全国盲人協会)ティフロロギコ・ミュージアム (盲人用)
これらに加えて、主にフランスにある25の一般のミュージアムが任意に選ばれる。
いずれも盲人が訪問し評価している。
以下、調査結果を訳出する。
1)一般のミュージアム
大部分の一般のミュージアムは、その収集品に何らかの仕方でアクセスできるようにしている。
@触察
もっとも基本的で同時にもっとも強力な仕方は、触ることである。しかしもちろん、この方法だと数百年来の傑作が破損されかねないという理由で、見えない来館者たちの触る権利が簡単に否定されているのが実状のようだ。1つの妥協策は、触るための手袋を利用することである。この手袋は、彫刻や他の芸術作品が汚いあるいは汗ばんだ手と直接接触しないようにしてくれる。
この方法は、多くの収集品へのアクセスを保障してくれる安上がりの方法ではあるが、触るための手袋を提供しているのは「参照用ミュージアム」の中の1館だけで、
25の他の一般のミュージアムはどこも提供していない。手袋を使うこの方法は、素手で触ることを認めている所では問題はない。しかし、触ることを非常に厳しく禁止している所(29の一般のミュージアムの中の8館)では、この方法もどうしても受け入れ難いものである。
A盲人のための特別展
一般のカテゴリーに入る「参照用ミュージアム」の4館すべて、および他の25の一般のミュージアムのうち9館では、盲人のための特別のツアーが決められた日に設けられている。この特別来館の期間中、制限無しに触ることのできる、選り抜きの芸術作品(彫像や壷類やその他の物)が用意される。展示物についての情報がしばしばアクセシブルな形式(点字、音声、拡大文字)で提供される。盲人のための特別展の多くは団体向けに開かれ、参加者の人数があまりに少ないと取り止めになることがよくある。
B触図と触地図
触図と触地図は、一般のカテゴリーに入る「参照用ミュージアム」ではどこも提供しておらず、また 25の他の一般のミュージアムのうち 3館が提供している。
触図と触地図は、盲人全体の限られた部分の人たちにのみ人気があるようだ。多くの盲人は、主に中途失明であるためにあるいは触図を理解する優れた技術を獲得していないために、触感覚をうまく発展させないでいる。
2) 盲人のための常設展示をしている一般のミュージアム
いくつかの大きなミュージアムには、盲人のための常設展示室が設けられており、その部屋には、全盲や弱視の来館者がまったく独力で歩き回ることができるよう、方向定位のための補助手段が用意されている。もちろん利用できる展示スペースがごく狭く限られることは明らかで、そのため展示はテーマが決められ縮小された範囲のものになってしまう。
@ルーブル美術館の「触覚部門」
ルーブル美術館の「触覚部門」では、見えない来館者の方向定位の必要を満たすように設計された部屋の中で、これまで2つの特別彫刻展示会が開催されている。現在行われている第2回目の展示会では、制限なしに触ることのできる
20点ほどの彫刻が展示されている。1本の手摺りが部屋を1周しており、1つの展示品から次の展示品へと導いてくれる。手摺りの上には点字表示があり、見えない来館者に彫像や胸像の存在を知らせるようになっている。彫刻作品は、古代から現代までの彫刻の概念や技術の進化を跡づけられるように、年代順に配置されている。各展示品には、簡潔な情報(名、日付、発見された場所、使用されている材料)が、より快適に読めるように斜めに傾いた板の上に点字で用意されている。より詳細な情報については、アクセシブルな形式(点字、拡大文字、音声)でパンフレットが利用できるようになっている。
A大英博物館におけるパルテノンの展示
大英博物館では、パルテノンに関する常設の特別展示のためにかなりの展示スペースが確保されている。アクロポリスやパルテノンの様々な構成要素については、論理的な順序で配置された触図で特集している。詳細情報はカセットで提供され、カセットレコーダーは、できるだけ移動の支障にならないように、首に掛けて持ち歩くようになっている。注目すべき物に、パルテノンの正面の一本の柱の高さと寸法を合せて作られたある人物の触覚用複製品がある。
3) 盲人のための専門のミュージアム
専門のミュージアムは、盲人自身のまたは盲人のための組織によって設立され、広範な芸術作品にたいして最適のアクセスを提供している。これらの専門ミュージアムはしばしば、もっとも革新的なアクセシビリティと方向定位の手段を利用している。
@ONCE(スペイン全国盲人協会)のティフロロギコ・ミュージアム
1992年12月に設立されたこのミュージアムは、視覚障害者のために特別に設計されたものである。コントラストを付けた色・照明・触知用床材はすべて、展示ホール内でのスムースな方向定位に役立っている。すべての入口に人工音がセットされており、それを頼りに来館者はいつでも自分がミュージアムのどこにいるのか知ることができる。展示場所と歩行用の通路は、異なった床材の感触の組合せによりはっきりと区別できる。
とくに興味あるのは、世界的な記念建築物の模型の展示である。見えない人にとっては、実際の記念建築物の姿を十分に認識することはほとんど不可能だ。模型は理想的な補償ツールである。すなわち、模型は全体を表現することができるし、また、見えない人が1つのモニュメントの様々な構成要素を〈見〉それらを互いに比較することを可能にしてくれる。
14のスペインのモニュメント(例えばセゴビアの水道橋、アルハンブラ宮殿、ブルゴスの大聖堂など)の模型、および 14の他の国々にあるモニュメント(例えばコロシアム、タージマハル、クレムリンなど)の模型が展示されている。
各模型には、2つのレベルに分けてまとめられた情報――模型の触察を助ける「基礎情報」、およびその模型に関連する歴史や他の事実についての詳細な解説情報――が複合録音機を通じて提供されている。
模型は非常に優れた性質のものである。1例として、タージマハルの特徴を表した模型はオリジナルと同じ大理石で作られており、原材料はインドのアグラ地方から模型製作のために特別に運ばれた。
Aオメロ・ミュージアム(以下の記述は、大内、高橋: 2005による)
このミュージアムは1993年イタリアのアンコーナ市議会によって設立され、1999年11月には国立になっている。
ここに収蔵されている作品は、「建築モデル」と「彫刻」に大別される。
建築物については、ギリシャのパルテノン神殿、ローマ時代のパンテオン、バチカンのサンピエトロ大聖堂、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂など、ギリシャ・イタリアの代表的な歴史的建造物の精巧な模型が、柱の彫刻や室内の内装まで精密に再現されている。これらの建築物模型は大型で両手で建物全体を触われないので、両手で全体が触われるほどの大きさのモデルが別に用意されており、それを触って全体像を把握してから、大型の模型で詳細に観察できるように配慮されている。
彫刻については、「人間の顔面の表現」、および古代から現代にいたるまでの各様式の彫刻を、各展示室ないし展示コーナーに分けて展示している。「ミロのヴィーナス」、ミケランジェロの「ダビデ」像など、ルーブル美術館やフィレンツェの美術館などに収蔵されている著名な作品のレプリカも展示されている。
作品はだれでも自由に触ることができる。よく触る所には汚れが付いていたり、彫刻の人物の指先をよく観察していると折れた指を修復した形跡が残っていたりする。
Bカヴァッツァ施設のアンテロス・ミュージアム(以下の記述は、大内: 2003による)
1999年に設立されたこのミュージアムでは、学芸員を中心に医師や研究者、彫刻家らの努力により、イタリアの伝統的な技法である「浮き彫り」の技術を活用して平面的な絵画を半立体的に「翻案」するシステムが開発された。それは立体を扁平に圧縮して示すことにより限られた厚みの中で奥行き感、遠近感を表現しようとするものである。この立体絵画を用いることにより、従来触図で輪郭をなぞるだけでは明らかにできなかった空間構成や絵画のもつ構造的特質も表すことができるようになった。
この美術館にはこのような半立体の作品が30点ほど所蔵されている。それらの作品は「練習用ボード」と「触る絵」に大別される。
「練習用ボード」というのは、絵画鑑賞の基礎として、空間感覚(遠近法を含む)および半立体的に表わされた形状の理解を促進するためのものであり、鑑賞者のレベルに応じて嗜導が行われる。この基礎段階のまとめとして、人物像の作品を鑑賞し、その身体の状態を粘土で複製制作する。これにより人物の仕草などの理解をさらに確実なものにすることが可能となる。
「触る絵」の作品としては、イタリアの作品を中心に古代から現代までの「モナリザ」「ヴィーナスの誕生」など世界的にも有名な名画が用意されている。「触る絵」の鑑賞に際しては、作品からの直接的な触覚的情報だけでなく、言葉による説明も重要な役割を果たしているため、絵画の専門的知識と触覚を活用した指導法に精通した指導者が指導する。作品の解説については1作品に3つ(初級、中級、上級)のレベルの目録(点字、音声)が用意されており、鑑賞者はレベルに応じた作品鑑賞を行い、段階的に内容を深めていくプログラムになっている。作品ごとに大まかな触覚的探索の手順が設けられており、左右の手の効果的な活用が重視されている。「触る絵」でデザイン・主題の輪郭・表面の質感などを伝え、ガイドの説明と目録の内容で立体作品だけでは表せない色彩、輝き、美的価値などを伝達する。
2.日本
陶芸という独自の造形芸術の伝統のある日本では、1950年代以降、神戸市立盲学校の福来四郎、沖縄県立沖縄盲学校の山城見信、千葉県立千葉盲学校の西村陽平らの熱心な指導により、盲児への粘土による造形教育が行われてきた。その作品のもつ視覚に捕われない存在感は、国内で高く評価され、また海外にも紹介されている。
しかし、一般のミュージアムが視覚障害者の利用について対応を考えるようになったのは、1981年の国際障害者年ころからのことであった。
1) 一般のミュージアム
@博物館
自然系、人文系(歴史・民俗等)の博物館のほうが美術館よりも触察に適した展示品が多く、視覚障害者への対応でも先行した。相当数の館で展示品の中からごく一部ではあるが触ることのできる物を用意しており、また中には特別に触れる展示コーナーや触れる学習室等を設けている館もある(ただし、これらの中には、博物館のリニューアル、視覚障害の来館者が極めて少ないこと、展示物の破損等を理由に、閉鎖された所もある)。
問題はそれら触ることのできる展示品についての解説である。点字や拡大文字・音声による解説も必要な場合もあるが、私が実際に博物館を訪れて感じるのは、誘導もふくめ、やはり人による対応がなによりも望ましいということである。ただ触るのではなく、興味に合わせて触って知るためには、学芸員や訓練を受けたボランティアのガイドが望ましい。
博物館における視覚障害者への対応については、神奈川県立生命の星・地球博物館開館3周年記念論集刊行委員会(1999)が詳しい。この論集には、神奈川県立生命の星・地球博物館、千葉県立中央博物館、東京都恩賜上野動物園、台東区立下町風俗資料館、ミュージアムパーク茨城県自然博物館、北海道開拓記念館、群馬県立自然史博物館、栃木県立博物館、国立科学博物館、江戸東京博物館、名古屋市博物館、滋賀県立琵琶湖博物館、大阪府営箕面公園昆虫館、和歌山県立自然博物館、沖縄県立博物館で行われている視覚障害者への対応のほか、視覚障害当事者もふくめ、各方面の方々がこれからのユニバーサルな博物館について意見を寄せている。
A美術館
美術館では、その主要な収蔵品が絵画であるため、視覚障害者への取り組みが遅れることになった。
まず、触覚による鑑賞が容易な彫刻を中心に、各地で視覚障害者を対象にした触って鑑賞する展示会が企画されるようになった。とくに、1988年9月には、東京で開催されたリハビリテーション世界会議を機に、東京で「盲人と造形芸術」を共通テーマに五つのイベントが同時に開催され、また関西でも、日本ライトハウスで海外の専門家も迎えて「美と触覚」をテーマに'88盲人福祉展が、尼崎市つかしんホールで「手で見る美術展」が開催された。
1989年からは、名古屋市美術館では隔年で、また兵庫県立近代美術館(現兵庫県立美術館)では毎年、彫刻を中心に視覚障害者も触って鑑賞できる展覧会を開催している。また、静岡県立美術館のロダン館では、予約をすればいつでもボランティアのガイドでロダンの作品十数点を触って鑑賞できる。さらに岐阜県美術館では、視覚障害者のための触図入りの鑑賞ガイドブック(これには実際に触ることのできる彫刻・立体作品とともに、数点の絵画作品もふくまれている)を製作し、予約をすればいつでも解説員のガイドと解説・対話により鑑賞することができる(岡田:
2001)。岐阜県美術館のこのような取り組みは、視覚障害者への対応としてもっとも先進的な試みの1つと言えよう。
絵画については、1990年代に入って、ボランティア・グループの主導で、言葉による鑑賞、視覚障害者とガイドとの対話に基づく鑑賞が試みられるようになった(立体コピーなど触図も補助的に使われることがある)(注)。まず、1993年から名古屋でYWCAの美術ガイド・ボランティア・グループがこのような鑑賞ツアーを開始し、その後東京ではミュージアム・アクセス・グループ「MAR」が、京都ではミュージアム・アクセス・ビューが類似の活動を行うようになった。
この言葉による美術鑑賞という方法は、とくに中途失明者にとって優れた方法であるばかりでなく、見える人たちのこれまでの鑑賞の仕方を問うものであり(ただ目に入ってくるものを見るのではなく、目には見えない深い所まで感じ取り、対話を通してそれを言語化する)、美術館スタッフにもかなり大きなインパクトをもたらしているようである。最近東京都美術館や森美術館ではこのような鑑賞ツアーを企画するようになり、また現在エイブル・アート・ジャパンの支援のもとこのような鑑賞形式が全国数箇所の美術館で試み始られている(エイブル・アート・ジャパン:
2005)。
なお、一般のミュージアムにおける視覚障害者への対応、とくに視覚障害者の鑑賞のための具体的な方法については、カセム(1998)に詳しく述べられている。
(注)視覚障害者を対象としたものではないが、このような鑑賞者とナビゲータの対話による美術鑑賞は、1980年代後半からニューヨーク近代美術館でギャラリー・トークの1形式として行われてきたものである。
2) 盲人用のミュージアム
上記のような一般ミュージアムでの動向はもちろん歓迎すべきものだが、しかし全国数千箇所のミュージアム全体からすればまだごく一部にすぎず、視覚障害者が自分の好みに合わせていろいろな展覧会に出かけ十分鑑賞できるような状態からは程遠い。
以下に紹介するミュージアムは、その場所に行くことさえべきれば、あまり制限を受けることなく自由に触って観賞・鑑賞できる。「手で見る博物館」は触って知る教育の場として、「ギャラリーTOM」は美術鑑賞の場として優れている。
@手で見る博物館(桜井: 1996、日野: 2005)
このミュージアムは、1981年、全盲で、当時岩手県立盲学校の理療科教諭であった桜井政太郎が、盛岡市の自宅に開設した私設の博物館である。
展示品は、いろいろな動物の剥製や標本や模型、化石、太陽系の10億分の1模型、寝殿造りなどの建築物模型、飛行機や新幹線の模型や部品、さらには鑑真和上像まで、多方面にわたる3000点以上にものぼる。
対象者は視覚障害者とその関係者で、全国から年間400〜500人ほどの視覚障害者が訪れ、桜井氏自身が案内・解説する。
見えない人たちにたいして「百聞は一触にしかず」を強調し、触って確かな知識を得るための格好の場を提供している。
AギャラリーTOM
ギャラリーTOMは、村山亜土・治江夫妻が、全盲の長男錬さんの「ぼくたち盲人もロダンを見る権利がある」という言葉から発起して、1984年に「視覚障害者のための手で見るギャラリー」として開設した私設美術館である。建物は小さいが、日本における視覚障害者の美術鑑賞・活動の一つの中心と言える所である。
開館以来これまでに百数十回の展覧会を開催し、ロダンの彫刻など有名な作品だけでなく、工芸品や民芸品、陶磁器、現代アート的なものまで取り上げ、視覚障害者に国内外の様々な美術作品に直接触って鑑賞する機会を提供してきた。
また、1986年からは、全国の盲学校の生徒の作品から優れた物を選んでTOM賞を贈り、盲学校生徒作品展「ぼくたちの作ったもの」を開催するなど、見えない人たちの芸術活動も支援している。さらに、海外との交流や共同企画事業なども積極的に行っている。
なお、対象者は晴盲の区別はないが、触って鑑賞できるのは視覚障害者に限られている。また、展示品によっては触ることが禁止されている場合もある。
5 「触るミュージアム」の役割
私は本稿の「はじめに」において、視覚優位の社会の中にあって、先天盲にとっては視覚的なイメージや文化にアプローチし享受できるようにすること、中途失明者にとってはそれまでの見えていた世界とのつながりを回復させまたアイデンティティを構成し直すことの必要性を述べ、さらに視覚障害に根ざした文化の可能性(注1)についても言及した。これらのことも念頭に置きつつ、以下「触るミュージアム」の役割について考えてみる。
(注1)視覚障害に根ざした文化を考える場合、現在もっとも問題になるのは文化の継承の〈場〉である。個々人の感じ方や行為の様式が他と異なっているだけでは独特の文化とは呼び難く、文化が成立し継承されていくためにはその担い手となる集団、コミュニティ、ネットワークが必要である。以前なら各地の盲学校(およびその卒業生のネットワーク)や視覚障害団体がその役割を果し得ただろう。しかし今日では、視覚障害者の状況が多様化し、また一般社会の中で活動できる視覚障害者が増す反面で他の視覚障害者との結び付きがかえって弱まるなど、独特の文化の継承には難しい状態になっている。同じような障害・状況にある者同士が交流し生活技術などを交換できるような機会・場の必要性が高まっているように思う。
@自由に触ることのできる環境
見える人たちが主に視覚によってほぼ自由に情報を得、また観察・鑑賞しているのと同様に、視覚障害の人たちも、残存視覚あるいは聴覚・触覚など視覚以外の感覚によって、できるだけ制限されることなく、情報を得、また観察・鑑賞できるような環境が必要である。とくに見えない人たちにとっては、触覚による認知はいわば〈知る権利〉の重要な構成要素だと言える。
しかし、見えない人たちが触って知ろうとしても、実際はなかなか難しい状況である。映像はそのままではもちろんまったく触ることはできないし、それを言葉で説明しただけでは限界がある。また、芸術作品に限らずごく普通の物についても丁寧に触る機会が与えられていることは少なく、たとえ触われたとしても触って知るために適切な配慮がされていることは少ない。(実際、視覚障害者、とくに中途失明者の中には、触ることに躊躇しがちな人たちが少なからずいる。)
「触るミュージアム」は、できるだけ制限無く、かつ安心して安全に触ることのできる場である。また、〈触って知る〉という行為は実は極めて能動的な行為であるが、「触るミュージアム」は見えない人たちのそういうアクティヴな触探索行為を引き出し、触覚を通して豊かなイメージと想像の世界を提供する場でもある。そして、触覚を基盤とした文化を育みさらに継承していく場となることを望むものである。
A〈私〉を感じる
私は実際に夢中になって触って観賞しているとき、なにか開放感のようなものを感じ、しばしば本来の私と出会っているような感覚に捕われることがある。もちろんこのような個人的な体験を一般化することは禁物だが、触覚も含め感覚器官すべてが十分はたらいている時には、外界にたいして鋭敏になるばかりでなく、普段は表面化しにくいような自己の深い層が覚醒されそれに気付かされることがあるように思う。
〈私〉=「自我」をどのように定義するかは難しい問題であるが、私は「自我」を、@身体内部についての感覚、A身体の境界(注2)と外部世界についての感覚、B過去の経験の記憶(注3)、C回りの人々との関係から映し出されてくる自己像、D社会から期待される役割、等のセットとして考えている。そして、〈私〉の意識の基盤はとくに自分の身体(およびその境界)についての感覚だと思っている。この意味で、触覚(体性感覚をも含む広い意味)は極めて重要である。(触覚や体性感覚を完然に喪失した場合、いったいどのようにして自己を感じることができるのだろうか!)
視覚障害者は日常生活ではどうしても緊張状態に置かれがちである。自由に触って観賞できる場は、閉じこめられていた自己の可能性を解き放ち、とくに中途失明の場合には、触覚(広い意味)の可能性に気付き、それまでとは少し異なった基底からアイデンティティを再調整・再構成するための手がかりを与える場となり得るのではなかろうか。
(注2)実感としては(あるいは現象学的には)、身体は、皮膚表面によって区切られた生理学的な身体にとどまらず、皮膚に密着した物(衣服や靴、道具など)や空間(なわばり的な空間)にまで拡張されている。
(注3)たんに過去の個々の事実についての記憶ではなく、有意味的に解釈され相互に関連付けられ、しばしば現在・未来にてらして物語化された記憶のことである。
B文化の共有
現代は圧倒的に視覚優位の社会であり、一般のミュージアムの展示も視覚中心である。そのような社会に生きる視覚障害者ももちろん視覚情報に十分アクセスし、また多くの文化的所産をも享受できるようにしなければならない。「触るミュージアム」はとくに、触覚を通して視覚的な文化やイメージにアプローチできる場でもある。
他方、視覚・触覚のどちらでも知ることのできる属性があり、さらに視覚では直接知り得ず触覚を通してはじめて知ることのできる多くの属性がある。実際、日常的な手作業や職人的な仕事をよく観察してみれば、目と手、視覚と触覚が協応し補完し合っていることが分かるし、また、人の最初期の発達段階では、視覚に先行して触覚ないし身体感覚が極めて重要な役割を果たしているようだ。「触るミュージアム」は、見える人たちが、自分自身の触覚をも使った観賞により、また見えない人たちの触覚を中心とした観賞からヒントを得つつ、触覚の可能性に気付き、触覚を通して知ることのできる世界を体験できる場ともなる。
このように、「触るミュージアム」は、見える人たち・見えない人たち双方が互いに相手の文化に接し、共有し合う場である。
C一般のミュージアムとの役割分担
「触るミュージアム」は、すでに述べたように、芸術作品に限らず、自然系から人文系まで多分野の展示を目指すが、それらは概ね入門的な段階の物である。「触るミュージアム」では、各分野の基本的な事柄について触覚を通して知り得る世界を体感し、また触知に適した手・指の使い方なども習得してほしい。
各分野のより専門的な事柄については、一般のミュージアムを大いに利用していただきたい。それにはまず、視覚障害者自身が各自の要望を積極的に各ミュージアムに伝えることである。そういうことの積み重ねが、障害者にも開かれたミュージアムへの変化を促すはずである。
※以上「触るミュージアム」について述べさせていただきましたが、触るミュージアムは今はまったくの構想段階で、場所や資金・スタッフ等については具体的な目処は立っていません。多くの皆様方からの御協力と御助言をお願いいたします。
参考文献
エイブル・アート・ジャパン 2002 美術館のバリアフリー情報等に関するアンケート調査 (http://www2.gol.com/users/wonder/museumDB/museumDB_top.html)
エイブル・アート・ジャパン 2005 『百聞は一見をしのぐ!?』(視覚に障害のある人との言葉による美術鑑賞ハンドブック) (http://www.ableart.org/handbook/index.html)
大内進 2003 「触る絵について―全盲児童生徒への絵画鑑賞指導の新しい試み―」 (http://www.tenji.ne.jp/syokuzu/shokkaku/shokkaku4.html)
大内進、高橋玲子 2005 「ルポ ヨーロッパ圏における視覚障害者の文化遺産へのバリアフリーなアクセスを実現するための取り組み――国際カンファレンスに参加して」 月刊視覚障害――その研究と情報―― 200号記念増大号
岡田潔 2001 『視覚障害者のための所蔵品ガイドブック 2』 岐阜県美術館
カセム,ジュリア 1998 『光の中へ―視覚障害者の美術館・博物館アクセス―』 菅原景子 他訳 小学館
神奈川県立生命の星・地球博物館開館3周年記念論集刊行委員会 1999 『ユニバーサル・ミュージアムをめざして―視覚障害者と博物館―』(生命の星・地球博物館開館三周年記念論集) (http://nh.kanagawa-museum.jp/faq/3ronshu/index.html)
桜井政太郎 1996 「百聞は一触にしかず〜蛇も象になる〜」『イネーブルウェア』Vol.
45 (http://tron.um.u-tokyo.ac.jp/TRON/EnableWare/TronWare/enableware/45.html)
サックス,オリバー 1996 『手話の世界へ』 佐野正信訳 晶文社
中村雄二郎 1979 『共通感覚論―知の組みかえのために―』 岩波書店
中村雄二郎 1992 『臨床の知とは何か』 岩波書店
日野あすか 2005 「視覚障害者のための『手でみる博物館』」(館長・桜井政太郎へのインタビュー記事)『art color』 第10号
EBU 2001 「SURVEY
ON MUSEUM ACCESSIBILITY FOR BLIND AND PARTIALLY SIGHTED PEOPLE IN EUROPE,
2001」 (http://www.euroblind.org/fichiersGB/mbmuseum.htm)
(2006年3月14日)