その1 点字との出会い

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 私が初めて点字と出会ったのは、 6歳の時、青森県立八戸盲学校に入学してからです。
 当時(もう 40年以上前になります)、盲学校の先生方が県内各地の見えない子供たちを盲学校に就学させるべく探していたようで、私もその探索によって運よく《発見》されたのです。
 私が生れたのは、青森県十和田市の市街地から十数キロ離れた谷間の小集落でした。
当時は戸数 10軒(今は 6軒)で、私の家はその中でも一番貧乏でした。(貧乏になった理由の一つに、小さいころから目の見えなかった私をなんとかしようと両親があちこちの病院に診てもらったこともあるようです。)そんな片田舎のことですから、両親は福祉のことはもちろん、盲学校があるなどということはまったく知らず、見えない人はこの世に我が子一人だと思いこむほどだったようです。そんな中での盲学校の先生との出会いは、両親にとっても私にとっても本当に救いになったと思います。因みに、私の身体障害者手帳を見てみると、その発行は私が盲学校に入った翌年の昭和 34年になっています。(それまでは福祉の制度をまったく利用していなかったということです。)
 当時はまだ(少なくとも青森県では)6歳で盲学校に入る子供は珍しかったようで、同学年9人の内、学齢は私を含め2人だけで、後は 7歳から 12、3歳でした。また、視覚障害と共に他の障害のある子も数人いました。
 盲学校に入った(ということは、寄宿舎に入って家族と別れて暮らすということです)とはいえ、私はじっと椅子に座って勉強するような子供ではありませんでした。体のおもむくまま動き回り、年上の人にも臆せずいたずらをしていました。点字もなんとか一文字一文字は読めても、文になるとほとんど読めず、いつも空読みばかりしていました。でも、当時の盲学校の先生はしっかり点字を読めたのですね!私がどんなにうまく空読みをしても、実際に指のある位置が違っているのをすぐ見つけられて、おこられてばかりでした。
 私が点字を読めるようになったのは、今は亡き父のお陰です。
 あまりの成績の悪さ(小学1、2年の時の通信簿は2と3ばかりでした)に、なんとかしなければと思ったのでしょう、父は「点字毎日」(現在も発行され続けている、伝統ある点字の週刊新聞)にあった点字の表で知らぬ間に点字を覚えていました。
 1年生の冬休み、父は暦の大きな用紙を点字板( B5サイズの点字を書く道具)の大きさに切り、それに点字を書いて私に読ませました。内容は覚えていませんが、吹雪の時は雪が降り積もるような家の中で、どういう訳か、父の書いた点字を熱心に読みました。3学期になると、びっくりするほどすらすら点字が読めるようになっていました。
 その後本を読むのが楽しみになりました(正確に言えば、それくらいしか、私のすることで周囲の人たちから認められることはなかったのです!とても暗い暗い盲学校時代でした)。小学4年せいころまでには、小さな図書室にあった数百冊の本は、意味が判ろうと判るまいと、ほとんど読んでしまいました。たまたま旧仮名使いで点訳された『源氏物語』の一部を読んで、これって日本語なの?もしかして本を逆さまにして読んでいるのかな?などと思ったこともありました。
 (注)点字の表記法について:点字は表音文字で、ほぼ発音通り書きます。助詞の「は」や「へ」は「ワ」「エ」と書きます。ただし、古文を点訳する時は歴史的仮名遣い通り書くことになっていて、助詞の「は」「へ」もそのまま書きます。私が小学4年生の時『源氏物語』を読めなかったのには、もちろん古語をまったく理解できなかったこともあります。

 次回は地図との出会いについて書きます。

●参考資料として、点字の考案者・ルイ・ブライユについて書きました。点字の歴史について興味のある方はお読みください。
 (その2へ続く)