【参考資料W】
日本の点字 (2) その発展と社会的広がり (年譜) (第12版)

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 石川倉次による日本点字翻案以後(1891年)から現在までの年譜を作ってみました。点字の発展およびその社会的広がりを、障害児・者の教育や福祉といった、より広い視野から跡づけてみようとしたものです。
 でも、なにしろ期間も長く、また範囲も多方面にわたるので、まだまだ不完全なものです。私には荷が重すぎたようで、間違いや説明が不適切な所も多くあるかと思いますが、とりあえず公開することにしました。皆さん、お気づきの点はどうか連絡してください(of-4889@muf.biglobe.ne.jp)。間違いの訂正もふくめ、データは時々更新するつもりです。
 なお、この年譜についての解説とコメントは『参考資料X)に書くつもりです(でも、まだまだ先のことになりそうです)。

*今回の改訂では、2009年1月以降の分を追加するとともに、それ以前についても一部追加・訂正しました。

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◆目次

1891〜1900年
1901〜1910年
1911〜1920年
1921〜1930年
1931〜1940年
1941〜1950年
1951〜1960年
1961〜1970年
1971〜1980年
1981〜1990年
1991〜2000年
2001〜2010年
2011〜
参考文献と URL

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◆ 1891〜1900年


● 1891(明治24)年
 2月、永洞清吉(1831〜1916、幼少時に失明。岩手県宮古から、八戸藩の按摩師・森の一坊を頼って来八し、按摩・鍼灸を学ぶ)が、盲人の生活改善と教養・技術向上を目的に、八戸市に「東奥盲人教訓会」を開設(東北・北海道各地から多数の盲人が集まったようだ)。明治44年、私立学校令により知事の認可を得て私立東奥盲人学校と改称(校長は永洞清吉)。大正14年、文部省の認可を得て私立八戸盲学校と改称。昭和2年、聾唖部を併置し私立八戸盲唖学校と改称。昭和6年、県立代用校に指定。昭和12年、県移管と同時に青森県立八戸盲唖学校と改称。昭和24年、学制改革により、青森県立八戸盲学校、同八戸聾学校と校名を変更、分離。昭和42年、青森県立盲学校が新設され、高等部は八戸校舎として統合され(実質統合は43年10月)、小中学部のみとなる。(ここでは1例として私の母校である八戸盲学校について示したが、明治20〜30年代には、主にキリスト教に深く影響された盲人たちを中心に、全国各地で十数校の盲人教育施設が設立され、その中には、後に盲学校へと発展したものも多い。)
 4月、京都市立盲唖院が、石川倉次翻案の「日本訓盲点字」を採用
 11月、「幼稚園図書館盲唖学校其他小学校ニ類スル各種学校及私立小学校等ニ関スル規則」制定(初めて盲唖学校教員の資格任用等について規定)
 12月1日、石井亮一(1867〜1937)が、孤女学院を創設(これが1906年、日本最初の知的障害児施設滝乃川学園へと発展)
 富岡兵吉が、初の病院マッサージ士として、帝国大学付属医院に奉職

● 1892(明治25)年
 東京盲唖学校鍼按科生の佐藤国蔵(1867〜1909年。山形県遊佐町の医家に生れる。1883年上京、翌年東京大学医学部別科に入学。しかし視覚低下のため、89年10月東京盲唖学校技芸科鍼治按摩専修科に入学。92年按摩科、93年鍼科を卒業、点字音譜に興味を持っていたこともあり、同年技芸科ヴァイオリン科第四年に編入、95年3月バイオリン科を卒業。その後手術で視力が回復、96年医術開業試験に合格、翌年帰郷して医師として活躍するとともに地域の教育などにも尽力)が、点字の初歩的な音楽記号を実用化
 止め鋲職人の滝録松が、初の国産点字板を製作。 1901(明治34)年、金属加工を業としていた仲村豊次郎がこれを継承し、本格的に点字板製作に取り組んだ。

● 1893(明治26)年
 9月11日、石川倉次、東京盲唖学校訓導となる
 12月、佐藤国蔵が、初の点字楽譜「国民唱歌集」を点訳 (翌年には「点字唱歌の譜綴方」を著す)
 東京盲唖学校が、イリノイ盲学校長ホールが発明したばかりの点字製版機(ステレオ・プレイトメイカー)をアメリカから輸入

● 1894(明治27)年
 3月8日、石川倉次が、前年に輸入した点字製版機を使って、我が国最初の点字出版物「明治天皇銀婚式奉祝歌集」(点字楽譜付)を製版・発行
 盲人福音会(1889年に米人シャロッテ・ドレーパー女史が設立、現・横浜訓盲院)が、横浜の米国聖書協会に委託して『ヨハネ伝』を出版(我が国初の本格的な点字出版本。引き続き、1895〜96年に、『マタイ伝』『マルコ伝』『ルカ伝』『使徒行伝』を製作)
 この頃から、東京盲唖学校の盲生が鍼治学、地理、物理、化学等の本を点訳し、卒業時に寄贈するなどして、図書室の蔵書が増えていく。

● 1898(明治31)年
 2月15日、石川倉次が、点字拗音組織を発表
 5月22日、石川倉次が、懐中点字器を製作
 11月12日、グラハム・ベルが来日し、聾教育について各地で講演

● 1899(明治32)年
 7月6日、東京盲唖学校が、倉次の拗音組織を正式に採用(日本点字の完成)
 7月21日、東京盲唖学校長の小西信八が、「東京盲唖学校を盲学校聾学校の二校に分設するにつき上申」なる意見書を文部大臣の樺山資紀に上申

● 1900(明治33)年
 3月19日、五代五兵衛(1849〜1913年。17歳で失明するが、不動産業などで成功した盲人実業家)が12日に提出した私立大阪盲唖院設置願が大阪府より認可される。9月1日、古河太四郎が院長に就任、 13日、開校。(その後、私立大阪盲唖院は大きく発展、明治39年には生徒数170名に達し、市への移管運動が実って、 1907年4月、市立大阪盲唖院となる。)
 パリ万国博に日本点字を出展、8月石川倉次がフランス政府より金杯を授与される
 8月、「小学校令」が改正され、盲唖学校等を小学校に附設できるとの規定(第17条、統合教育のための法的根拠と見なしうる)、および就学義務の免除・猶予の規定(第33条)が設けられた
 第14回帝国議会に「盲唖教育に関する建議案」が提出される
 文部省が「小学校令施行規則」で字音(漢語)仮名遣の表音式化を決定、1903年に作られた最初の国定国語読本は、字音語(漢語)については表音式、和語に関しては歴史的仮名遣いで編纂された (1905年、次期の国定教科書では、国語調査委員会の諮問をもとに、表音式仮名遣いを漢語、和語ともに採用することを決定。しかし貴族院議員などからこの表音式案に反対する声がでたため、1908年5月、文部大臣牧野伸顕は臨時仮名遣調査委員会を設けて仮名遣いを諮問。同年9月、牧野のあとをうけて7月に就任した小松原英太郎文部大臣より、さきに採用された国語調査委員会諮問案(表音式案)撤回の方針がうちだされる。こうして文部省は一転して表音式仮名遣いを廃し歴史的仮名遣いにかたむき、小学校の国語読本をはじめとする国定教科書では歴史的仮名遣いが採用されることになる。)

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◆ 1901〜1910年

● 1901(明治34)年
 4月22日、石川倉次翻案の「日本訓盲点字」が官報に掲載
 8月10日、石川倉次、「いしかわ くらじ あらわす はなしことばの きそく」(きんこーどーしょせきかぶしきかいしゃ。仮名文字の文法書で、本編・付録ともにすべて平仮名で書かれ、分かち書きされている)
 仲村点字器製作所が点字器製作

● 1902(明治35)年
 宮城県師範学校附属小学校に、盲・聾児の特別学級が設けられた
 6月、東京盲唖学校の学生や卒業生が「鍼按学友会」を組織し、アメリカから輸入した製版機で『実用解剖学』(全8巻)の出版を始める
 鍼按学友会が、初の点字雑誌「盲人世界」(隔月刊)を発行(1903年6月からは、月刊の「むつほしのひかり」として東京盲唖学校同窓会が発行を引き継ぐ。「むつほしのひかり」では、表音式の考えの下点字の拗音が使われる)

● 1903(明治36)年
 2月16日、京都市立盲唖院編纂の『盲唖教育論』刊行(同書の付録は「瞽盲社会史」)
 3月6日、「東京盲唖学校教員練習科卒業生服務規則」制定。同月10日、東京盲唖学校に教員練習科を設置
 3月26日、伊沢修二(1851〜1917年。大学南校に学び、文部省に出仕。1875年師範学科取り調べのためアメリカに留学。ブリッジウォーター師範学校、ハーバード大学に学び、またグラハム・ベルに視話法を、メーソンに音楽を学ぶ。78年帰国。以後文部官僚として近代公教育体制の確立に努め、とくに師範教育、音楽教育、特殊教育、体操教育の創始・発展に多大の貢献をなし、教科書編纂にも尽力。明治23年6月〜9月、東京盲唖学校長も務めている)が、吃音矯正のための「楽石社」を設立

● 1904(明治37)年
 2月、岡山県の日生小学校に盲児3名入学
 2月、東京盲唖学校長小西信八が「小学校に盲唖学校を附設するに就きて」を「むつほしのひかり」に掲載
 東京盲唖学校訓導・大森ミツが、国定教科書「地理書」に挿入する『内国地図』を亜鉛版に打ち出し発行(初の触地図。さらに同訓導は翌 1905年8月『外国地図』を発行)

● 1905(明治38)年
 4月、岡山県知事桧垣直右の主導の下、県下の各小学校で盲・聾教育の巡回講習を始め、学区内の盲・聾児の教育を開始、一時は 89の小学校で 100名以上の盲・聾児が普通児と共に教育を受けた(1907年7月の桧垣知事の退職、 1909年の岡山盲唖院の設立を契機に、この方式は次第に衰微)
 6月、左近允孝之進(1870〜1909年。白内障により26歳で失明)が、私立神戸訓盲院(兵庫県立盲学校の前身)を開設
 7月、左近允孝之進が、神戸六甲社を興し、特製の点字活版器を使って、翌年1月、初の点字新聞「あけぼの」(周2回・300部)を創刊。同社は、神戸訓盲院で必要な点字教科書をはじめ、1906〜7年にかけて『早稲田中学講義録』も出版
 12月、京都市立盲唖院長鳥居嘉三郎が、盲唖院を盲生と聾唖の二部に分離すべしとの上申書を京都市長に提出

● 1906(明治39)年
 好本督(1878〜1973年。弱視、東京高等商業学校卒業後おもに英国に住み、商事会社を経営しながら、祖国の盲人に物心両面にわたる援助をし続ける)、森巻耳(1894年に、宣教師チャペルと共に岐阜訓盲院創設)、左近允孝之進等が中心になって「日本盲人会」を設立、神戸六甲社より、好本督の『日英の盲人』、ヘレン・ケラーの『我が生涯』、内村鑑三の著作などを出版
 10月1日、東京盲唖学校内で、失明軍人のため鍼治按摩講習会を開始
 10月13日、第1回全国聾唖大会が開催され、聾唖教育奨励案を決議
 10月26日、東京盲唖学校長小西信八が、大阪盲唖院長古河太四郎、京都盲唖院長鳥居嘉三郎とともに、府県立の盲・聾唖学校の設置準則について、文部大臣牧野伸顕に建議(盲唖学校の義務制と盲唖教育の分離等)

● 1907(明治40)年
 3月21日、小学校令改正(義務教育年限が六ヶ年に延長)
 4月17日、文部省は、各府県師範学校の付属小学校に、盲人・唖人・心身不完全な児童のため、できるだけ特別学級を設けるように訓令
 徳島県師範学校付属小学校に「盲唖学級」設置(1931年まで継続)
 岩手などの師範学校付属小学校に劣等児学級を設置
 北海道師範学校附属小学校で聾児の特別指導を開始
 5月11日、第一回全国盲唖学校教員会が東京盲唖学校で開催され、盲唖教育令の公布、盲唖教育義務制および盲唖教育の分離等を文部大臣に建議。またこの時、「ファ」行と「ヴァ」行の点字の追加、点字は発音通り表記すべきとの決議もなされた(1900年、小学校令施行規則によって、字音語や感動詞の長音を「ー」で表す、いわゆる「棒引仮名遣」が公布され、 1903年の国定小学国語読本にも適用されたが、反対の声が強くて一般にも広まらず、1908年には歴史的仮名遣いに復帰している。このような仮名遣の変遷は、点字の世界にも影響を及ぼさざるをえなかった。)
 7月、石川倉次を中心に、数学点字記号法について協議
 仲村豊次郎(仲村点字器製作所)が、点字製版機を製作、販売を開始
 奥村三策が、自著『鍼按要論』で12種の点字略字を使用(「すなわち」「もっとも」などの副詞6種と「動脈」「「静脈」などの専門語6種。この略字は一部の理療科用図書で長く使われていた)
 乙竹岩造(1875〜1953年)が、帝国教育会主催講演会で「低能児教育法」を講演(翌年同名の著書出版)

● 1908(明治41)年
 1月4日、石川倉次は、ルイ・ブライユ誕生百年祭に出席

● 1909(明治42)年
 2月、杉亨二(1828〜1917年。統計学者で、国勢調査の実現に貢献)および山岡熊次・高岡清次・森恒太郎ら盲人4人が、点字による自書や署名を公認するよう求める請願を衆議院に提出、3月衆議院がこれを採択。同年12月、点字は盲教育のために設けられた特別の符号であって文字ではない、とする法制局長官の見解が閣議で承認される。
 4月6日、東京盲学校設置
 6月3日、小西信八、東京盲唖学校長退職
 6月28日、石川倉次、勲五等瑞宝章受章
 仲村豊次郎(仲村点字器製作所)が、軽便印刷機を製作販売
 山岡熊次(1868〜1921年。日露戦争で失明)、高岡清次(1874〜1909年。東京帝大卒業後失明、東京盲唖学校教員練習科に入学、1906年卒業)、森恒太郎(1864〜1934年。盲人村長)等が、「日本盲人協会」を組織、月刊の点字雑誌「日本盲人」を発行。さらに翌年から、点字教科書(尋常小学国語読本、同修身、地理、国史等)も発行。(点字表記は、漢字音では発音通り長音符を使ったが、その他は原本通り歴史的仮名遣いのまま)
 名古屋盲人会が「盲人図書館」を開設 (1911年より、名古屋市内の利用者に図書を届ける巡回サービスを始める)

● 1910(明治43)年
 4月1日、東京盲唖学校を廃し、東京聾唖学校設置。同日、石川倉次、東京聾唖学校教諭兼訓導および高等官六等に序せられる
 6月24日、石川倉次、東京盲学校教諭に任ぜられる
 7月、愛知県盲人会が、点字図書館を開設
 10月14日、文部省が、鈴木米次郎(1868〜1940。音楽教育家、東洋音楽大学(現東京音楽大学)創立者。1904〜1921年東京盲唖学校嘱託)の『訓盲楽譜』を発行 (翌年京都市立盲唖院から点字版が出版される)
 11月15日、「東京盲学校規程」「東京聾唖学校規程」制定 (東京盲唖学校時代の教員練習科を改め、師範科を置く)
 12月、文部省が「日本訓盲点字説明」(石川倉次筆)を刊行

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◆ 1911〜1920年


● 1911(明治44)年
 5月、内務省が初めて盲人の調査を行なう(盲人の総数69,167名。内訳は、按摩マッサージ21,544名、鍼術4,223名、灸術717名、歌舞音曲3,918名、落語講談師254名、学校生徒・徒弟2,242名、その他9,859名、無職26,343名)
 5月20日、文部省が『日本訓盲点字説明』を出版 (点字が広く知られるようになることに貢献)
 7月14日、内務省が「按摩術営業取締規則」「鍼術灸術営業取締規則」公布。12月には、「按摩術鍼術灸術学校講習所指定標準」の訓令、ならびに府県令で取締規則細則を制定。(地方長官(知事)が定めた要件を備えた学校や講習所の卒業生に無試験で免許鑑札を与える)
 9月、伊津野満仁太(1864〜1919年。1892年熊本市の黒髪小学校初代校長。40歳過ぎに失明)が、失明者の教育を目指し、熊本市に私立盲唖技芸学校を設立(生徒数35名、うち盲生27名。1919年熊本盲唖学校、1926年熊本県立盲唖学校、1947年盲聾分離により熊本県立盲学校)
 石松量蔵(1888〜1974年。牧師)が、九州学院神学部に入学(全盲で初の大学進学。その後 1913年熊谷鉄太郎が関西学院神学部、 1919年岩橋武夫が同学院文学部英文化に入学している)
 東京盲学校が、石川倉次らの考案した「日本訓盲数字数学記号」を採用
 このころから、東京で鍼按業を営んでいた川越源治が、「ヘッド氏帯と経穴について」など多くの理療科関係の本の点字出版を始める。 (しかし、1923年の関東大震災で製版器や原版などすべてを焼失)

● 1912(明治45)年
 7月、中村京太郎(1880〜1964年)が、イギリスに留学(約3年間、全盲では初の留学生)
 7〜8月、第1回全国公私立盲学校教員講習会が、東京盲学校で開催

● 1913(大正2)年
 宮内省御歌所新年歌会始の儀に、点字で詠進できるようになる
 5月、岡山市会議員選挙である盲人が点字投票をし、いったんは無効とされるが、異議申し立ての後、有効と認められる

● 1914(大正3)年
 9月、エロシェンコ(1889〜1952)が東京盲唖学校の研究生となる(翌年、盲唖学校の有志のためにエスペラントの講習会を開く)

● 1915(大正4)年
 東京盲人教育会に点字図書部が開設され、点字図書の閲覧や貸出しを始めた
 『葛原勾当日記』が博文館より刊行される(葛原美之一(1811-1882)は、3歳で失明し15歳で勾当になるが、亡くなるまでの44年間、平仮名と数字など63個の1cm角の木製活字を順次押していく方法で日記を書き続けた。それを孫の葛原しげるが編纂し発行した。)

● 1916(大正5)年
 東京市日比谷図書館本郷分館に、点字文庫開設(中途失明者加藤梅吉が収集点訳した約200冊の点字図書の寄託による)
 東京盲人教育会が、聖恩記念図書館を開館

● 1917(大正6)年
 5月、点字の刊行物・書籍・印刷物が第3種に認可され、郵税の軽減措置が取られる

● 1918(大正7)年
 斎藤百合(1891〜1947年)が、東京女子大学予科に特別生として入学、21年東京女子大に新設の高等学部3年に編入、22年大学部英文学科進学(盲女子として初の大学進学、翌年秋退学)。彼女は、 1935年、盲女子の福祉を目的に「陽光会」を設立、その事業の一つとして「点字倶楽部」の発行など点字出版も行う。
 7月7日、石井重次郎(楽善会訓盲院卒。1891年東京盲唖学校弾琴科嘱託、のち東京盲学校教諭。『山田流琴歌全集』の編者として知られる)と鈴木米次郎の努力によって、東京盲学校が「訓盲箏譜入門」刊行。この書は1920年に改訂され、さらに24年には点字版も発行される。(なお石井重次郎は、1916年に『点字楽譜箏曲集』、1924年『点字箏曲歌集1、2、3』を著している)
 東京盲学校が、歴史的仮名遣いから、ほぼ完全な表音式表記法に転換

● 1919(大正8)年
 秋元梅吉(1892〜1975)が、盲人基督信仰会(現・東京光の家)を設立、聖書等の点字出版を始める(1920年に新約聖書全9冊、 1925年に旧約聖書全23冊が完成、新旧両聖書の点字版が完全にそろったのは、イギリスに次いで世界で2番目)
 4月、中村京太郎が、盲人基督信仰会より、点字週刊誌「あけぼの」を創刊(1922年、「点字大阪毎日」創刊に伴ない、廃刊)
 新潟県立図書館に、盲人閲覧室開設
 12月1日、文部省が第1回全国盲唖学校長会を開催

● 1920(大正9)年
 11月1日、山下芳太郎(1871〜1923年)らによって、「仮名文字教会」が設立される (1923年、カナモジカイと改称。片仮名による左横書き文書や片仮名のタイプライターの普及を目ざす)
 11月29日、帝国盲教育会結成
 12月、新潟県盲人協会の役員姉崎惣十郎が、柏崎市の自宅に「姉崎文庫」を開設、郵送による点字図書貸出を始める (1925年に新潟県盲人教会が文庫を引継ぎ、さらに1945年に新潟盲学校内に移され、1958年には県に移管されて新潟県点字図書館が開館)

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◆ 1921〜1930年

● 1921(大正10)年
 1月、文部省推薦の官選映画の第1回分として「ヘレン・ケラー」など洋画20本が発表される
 7月、帝国盲教育会第1回総会で「議員選挙の場合盲人に限り点字を公認せられんことをその筋に建議するの件」が議決される
 10月、東京盲学校が「日本訓盲点字」発行(分かち書きについての原則を規定。また畳語符や句読符も掲載。ただし句読符は省いて句点の所は2マス空け、読点の所は1マス空けにして良い。)
 私立三重盲唖学校の鳥居篤治郎編集による、こども向けの点字雑誌「ひかりの園」(月刊。製版印刷は大阪の橋本喜四郎、発行人は奈良盲学校長小林卯三郎)が創刊される (1924年春、財源難のため廃刊となる)
 沢田慶治(1901〜1977年。盲人の英語教育に尽力)が、イギリスで採用されていたテイラー・システムに基づき、点字数学記号解説を作成、東京盲学校が印刷・頒布(しかしその後 10年余、欧米の記号とほぼ共通な沢田案とともに、今関秀雄の考案した我が国独自の数学記号体系が併存する状態が続いた)
 小林卯三郎(1887〜1981年。私立奈良盲唖学校設立)は、帝国盲教育会での点字教科書出版問題を受けて、大阪毎日新聞社から三千円の資金援助を得て、点字教科書刊行会を組織し、国定の小学校教科書の点訳・出版を始める (翌年、小学校国定教科書中、「国語」「修身」「算術」「理科」「国史」「地理」などを刊行。同年、事業は大阪毎日新聞社に引き継がれる)
● 1922(大正11)年
 2月、帝国盲教育会点字出版部が、『帝国盲教育第1巻第4号』に「点字書き方」を発表 (教科書出版を念頭に、和語は歴史的仮名遣い、漢語は表音的仮名遣いを提案。また、句読点については省略して良いとし、読点は1マス空け、句点は2マス空けを提案)
 5月11日、大阪毎日新聞社が「点字大阪毎日」(1943年1月「点字毎日」と改称)を創刊(週刊、800部、初代編集長・中村京太郎。点字表記は完全な表音式) (点字毎日は、1963年菊池寛賞、68年朝日賞を受賞)
 6月、大柿市市議選で、点字投票3票が有効と認められる
 9月、点字大阪毎日が、点字教科書の発行も開始(国語・算術・修身等 43種の国定教科書の点訳版を提供)
 熊谷鉄太郎が中心となって「東亜盲人文化協会」設立
 岩橋武夫が、自宅で、点字図書貸出開始
 鳥居篤治郎編集による、こどもの点字雑誌「ひかりの園」創刊、財源難のため一年余で廃刊となる

● 1923(大正12)年
 2月、山村熊次郎(1886〜1949年)が、大阪で日本点字社を起し、鍼按業者のための専門医学雑誌「点字治療新報」を発刊、さらに昭和初期には、解剖学、生理学、病理学等の医学書を次々に出版、 1932年からは『早稲田大学文学講義』全47巻を刊行(彼は点字出版のほか、各種の盲人用具の開発にも努力した。しかし、 1945年6月の空襲で日本点字社は壊滅。)
 7月、山下長一が、東京盲学校教諭小浜伊次郎の協力の下、簡易製版機により 4年余りかけて、大日本国民中学会発行の『中学講義録』全科目の点訳完成(全63冊、12400ページ)
 8月、「盲学校及聾唖学校令」公布(盲と聾唖を分離、各道府県に盲学校・聾学校の設置を義務化、私立盲唖学校の府県への移管、中等部設置)
 8月、「東京盲学校規程」及び「東京聾唖学校規程」改正(2年の師範科を 3年の師範部に改める)
 大阪毎日新聞慈善団が、点字の巡回指導を開始
 9月、岐阜県の県議選で、岐阜市で4票、高山町で2票の点字投票があり、岐阜市では無効、高山町では有効とされ、論議となる
 9月、浜松の盲人有志数人が、静岡県県議選を好機として、「点字宣伝デー」を実施(「点字毎日」や点字の印刷物を通行人に渡し、点字による投票を訴える)
 12月1日、名古屋で「愛知盲人点字投票有効期成連盟」発足。その後、尾崎行雄ら多数の代議士を迎えて開かれた東海普選民衆大会に参加、長崎照義らが点字投票を認めるよう演説。翌年1月29日、同連盟主催で2千人余を集めて名古屋で全国盲人大会を開催、全国各府県の盲人たちにも呼応した運動を呼びかけ、さらに点字投票有効のための請願書を貴衆両院に提出(この請願は同年7月に貴衆両院で採択)。
  [長崎照義:1903〜1981年。5歳の時事故のため視力低下。翌年尋常小学校に入学、5年で小学校を中退し、1918年三療業者に入門。1923〜24年点字投票有効運動に奔走。1934〜36年、盲人グループを率いて、富士・立山・白山の日本三霊山への登頂に成功。35年仏教盲人協会に参加し常務理事に。1953〜55年、全日本鍼灸按マッサージ師会連盟会長]

● 1924(大正13)年
 この年から、文部省は毎年盲学校および聾唖学校教員講習会を東京と地方で交互に開催
 桜雲会(1916年に東京盲学校同窓会の出版事業部が独立して発足した会)が、中等部普通科の教科書(国語・英語・数学等)の点訳・出版を開始
 伊達点字印刷所(伊達勝芳)が、保科孝一編『大正国語読本』を初め、数学・物理・化学・英語等の教科書の点訳・出版を開始(昭和初期には、『保科新辞林』全20巻、『ポケット英和辞典』全8巻、『ポケット和英辞典』全6巻を出版。しかし、伊達点字印刷所は 1945年3月の空襲で焼失)
 5月、毎日新聞社慈善団が、内務大臣はじめ、全国各府県知事、市長、郡長に、点字読み方一覧表と点字投票記載例を送付
 7月、新潟県長岡市議選で、点字投票16票が有効とされる
 希望社(1920年に後藤静香が設立した社会教化団体)が盲人部を設置。点字雑誌「かがやき」を創刊。点字を知らない東京在住の盲人のために、ホームティーチャーを派遣して点字指導も行なう。

● 1925(大正14)年
 4月、京都市立盲唖院が、京都市立盲学校と京都市立聾唖学校に分離独立
 4月、衆議院議員選挙法改正により、点字投票が認められる (同法第28条で「投票ニ関スル記載ニ付テハ勅令ヲ以テ定ムル点字ハ之ヲ文字ト看做ス」とし、施行令において点字投票の手続きを定め、その別表に点字を掲げている。同法施行令の公布は 1926年1月30日)
 6月1日、木村福と義弟の木村柳太郎により、初の日刊の点字新聞「日刊東洋点字新聞」創刊(活字式輪転機を使って印刷。 1942年4月に点字用紙入手難と経営難で休刊。同年8月より、読売新聞社が引き継いで日刊の「点字読売」として継続されるが、 1945年5月に空襲で社屋等が焼失し、休刊を経ていったんは再刊されるが、 46年3月廃刊)
 希望社が、『中等国語読本』を出版(1933年から東京光の家出版部に引き継がれ、国語・英語・地理・歴史・公民を出版、さらに 1944年からは東京点字出版所に引き継がれる)
 大阪市立盲学校同窓会が出版部を開設、生理学・初等化学・初等物理・音楽理論等、盲学校用点字教科書の発行を開始

● 1926(大正15)年
 4月、肥後基一(1901〜1978年。14歳で失明。1970年第7回点字毎日文化賞受賞)が、日本鍼按協会を設立し、月刊の点字雑誌「鍼治マッサージ」を創刊(1934年以降中等部鍼按科教科書を出版。戦時中、物資不足の中点字用紙の配給を受けるため、 1942年に「星文社」と改名して日本文化出版協会に加入、さらに 1944年には東京光の家出版部と合併して「東京点字出版所」と改称)
 7月、日本盲教育会設立(数学記号で、今関案の日本盲教育会と沢田案の帝国盲教育会とが対抗)

● 1927(昭和2)年
 府県会議員の選挙で、3,155票の点字投票があった(盲人の有権者総数10,197名)
 9月、大阪市中ノ島中央公会堂で、毎日新聞社主催の模擬点字投票開催(投票総数:487)

● 1928(昭和3)年
 2月20日、普通選挙制による初の衆議院選挙で、初めて点字投票を実施 (点字投票数:5428票。点字大阪毎日が「点字投票開票の手引き」を編集・出版して全国1万箇所以上の投票所に送り、同時に全国の盲人に点字投票を呼びかけた)
 3月、文部省に盲学校教科書編纂委員会が発足、仮名遣いや分かち書きについて研究、「点字書き方に関する法則」として発表(仮名遣いは和語・漢語の区別なく発音通り。例:命令「メーレー」、時計「トケー」、言う「ユー」など)
 4月、岩橋武夫(1898〜1954)が、関西学院の宗教哲学と英文学の講師になる(1944年3月に退職。この間、1929年大村善永が同学院文学部英文科に、1935年瀬尾真澄が神学部に、1936年に本間一夫が文学部英文科、下沢仁が神学部に、1937年高尾正徳が文学部社会科に入学、戦前の盲学生の多くが同学院で学ぶことになる)
 4月、秋葉馬治、川本宇之介らの尽力で、中央盲人福祉協会設立(会長は福沢諭吉)
 日本盲人エスペラント協会設立(1966年に再建)

● 1929(昭和4)年
 1月、鹿児島県立図書館に、盲人閲覧室開設
 石川倉次が「日本訓盲点字の起源」を点字大阪毎日に寄稿、7月4日「点字大阪毎日」第373号特別付録として発行
 4月、文部省が初の盲学校用点字教科書『盲学校初等部用国語読本』の編纂を開始、点字大阪毎日より出版 (巻1は点字入門(学齢児用の甲種と年長者用の乙種があった)、学年進行で 1934年に全12巻完成。点字表記は、漢語・和語の別無く、発音通り。各巻に数点の点図の挿絵も入れられる。引き続き、 1934年からは『盲学校初等部修身書』の編纂開始、 1940年に全6巻完成。しかし、 1941年3月に国民学校令が公布され、翌年からは第5期国定教科書がそのまま点訳され、使用された。)
 9月、名古屋市立図書館の中に点字文庫が併設された (当初の蔵書数は200冊余、1943年の蔵書数は1000冊余。館内閲覧は1943年までの14年間に延べ約6300人、また同期間の貸出(保証金として2円が必要)は延べ約25300人。1945年3月、空襲のため図書館が焼けサービスを停止、 1953年11月、名古屋市鶴舞図書館点字文庫として復活)
 岩橋武夫らの呼びかけで、フレンド点字写本奉仕会(FBS)結成、点字図書製作活動を始める
 山形県酒田町(現酒田市)の光丘文庫に、橘周存(1864〜1931年。4歳で失明。盲人の教育と点字普及に尽力)を顧問として、点字読書会が創設される (酒田点字読書会は現在も活動している。1978年には「酒田点字読書会五十年の歩み」が出版されている)

● 1930(昭和5)年
 5月、浜松に石川倉次頌徳記念碑建立
 このころ、徳島県立図書館、石川県立図書館、長野県立図書館、神戸市立図書館に、点字文庫が開設される

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◆ 1931〜1940年

● 1931(昭和6)年
 全国で、特別学級数100、児童数3063(文部省統計)となる

● 1933(昭和8)年
 東京盲学校が『点字数学記号解説』を刊行
 9月、大月美枝子(全盲)が、自由学園塑像科の正規の学生(前年より聴講生)となり、第10回工芸美術展に頭像を出品
 12月11日、東京市南山尋常小学校に弱視学級(視力保存学級)を設置(最初の弱視学級)

●1934(昭和9)年
 東京盲学校教諭福家辰巳が『点字楽譜の書方巻1』を点字で出版 (19222年制定の Key to the Braille Music Notations (NIB 発行)を翻訳・解説したもの)

●1935(昭和10)年
 4月、東京盲学校が、「日本訓盲点字」を作成・配布(点字の一覧表と点字書き方要項。句読点を用いないのを原則とする)
 10月10日、岩橋武夫により、大阪にライトハウス(現・日本ライトハウス)落成(日本初、世界で13番め、最初のライトハウスは、 1905年ルファス・グレーブス・マザー女史によってニューヨークに創設された)。その各種事業の一つとして、点字出版や点字図書の貸し出しも行う(岩橋はすでに 1922年以降『点字日エス辞典』および『光は闇より』等の自著を私的に点字出版し、また 1928年には「フレンド点訳奉仕会」を組織して点訳活動も始めている)

●1937(昭和12)年
 4月15日〜8月10日、岩橋武夫は、朝日新聞社の協力を得て、ヘレン・ケラーを迎え、日本各地で97回の講演をするなどして愛盲キャンペーンを実施(ヘレン・ケラーは、 1948年と 1955年にも来日し、身体障害者福祉法の制定やヘレン・ケラー協会の設立等、大きな影響をあたえた)
 5月、「倉次の声」レコード吹き込み
 11月1日、沢田慶治が体系化した特種音(外来音)表記法が東京盲学校で正式に認められる
 大河原欽吾が『点字発達史』を刊行

● 1938(昭和13)年
 東京盲学校内に「失明傷痍軍人教育所」が設置される

● 1939(昭和14)年
 2月、平井正(1912〜2001年)が平井点字社を起こし、各種の点字楽譜や音楽参考書の出版を始める (全盲の箏曲家だった父の志を継ぎ、大阪市立盲学校の音楽科教務助手となり6年間点字楽譜を学ぶ。1994年第31回点字毎日文化賞、1995年第29回吉川英治文化賞を受賞。平井点字社は2006年活動を中止。2007年亜鉛原版を日本点字図書館に寄贈、日点は目録を作成し、希望者に点字楽譜を提供。)

● 1940(昭和15)年
 10月、近畿点字研究会(注)が、近畿盲教育研究会で「点字規則」を発表 (1951年「点字規則(近盲案)」として改訂され、後の『点字文法』『日本点字表記法』の先駆となる)
 11月1日、日本点字制定50周年記念式、石川倉次が帝国盲教育より表彰
 11月、本間一夫(1915〜2003年。5歳で失明、13歳で函館盲唖院入学)が東京の雑司ヶ谷に日本盲人図書館を設立 (当初の蔵書数は約700冊。1944年4月、2300冊の蔵書と共に茨城県に疎開、さらに45年4月より、3000冊の蔵書と共に北海道増毛町の本間氏の生家に疎開して業務を続ける。48年4月より、「日本点字図書館」に改称して東京都新宿区高田馬場の現在地で事業を再開)
 11月、社会教育家・後藤静香(1884〜1969)の指導により、点訳運動が始まる (点訳奉仕運動を提唱し多くの点訳者を育成した彼の功績に対して、1967年、日本盲人社会福祉施設協議会より感謝状)

 (注)委員は、鳥居篤治郎(1894〜1970、1961年京都ライトハウスを創設、エスペランティスト)、小林卯三郎、大野加久二(1897〜1983年。1918年東京美術学校洋画科に入学するが、間もなくスペイン風邪がきっかけで失明・中退。22年東京盲学校師範科中退、大阪毎日新聞社に入社し点字大阪毎日編集部勤務。1944年点字毎日2代目編集長。54年神戸光明寮教官。1975年兵庫県点字図書館を設立、初代館長)

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◆ 1941〜1950年

●1941(昭和16)年
 4月、大阪・神戸・芦屋の上流婦人ら13人が、関西点字婦人会を結成

● 1942(昭和17)年
 7月、日本盲人図書館より本間一夫編の『点訳のしおり』が刊行される
 大日本点訳奉仕団(団長・後藤静香)が結成される

● 1943(昭和18)年
 金井キヨが、東京女子大学に入学
 4月、井上英会話スクール校長井上当蔵夫妻の発起で「点字奉公会」が結成される
 7月8日、盲人愛国運動大会が、工場への鍼按奉仕を決定する
 原田末一(1896〜1999年。今治市青年学校の教練科を担任中1937年8月応召、11月中支戦線で負傷両眼失明、東京第一陸軍病院で療養、39年少尉任官ののち召集解除、再び今治青年学校の教壇に立ち青年指導に当る)の『戦盲記』が、軍事保護院の推薦図書となり、さらに保護院はその点字版の製作を点字毎日に依頼、12月一千部が完成して失明軍人に送られる

● 1944(昭和19)年
 12月23日、石川倉次没(85歳)

● 1946(昭和21)年
 国語審議会が「現代仮名遣い」を制定
 7月、日本盲教育会結成(帝国盲教育会は解散)
 7月、東京点字出版所が、NHK放送の「英語会話」の点字テキストを発行

● 1947(昭和22)年
 3月31日、「教育基本法」及び「学校教育法」公布
 このころから10年間くらい、静岡県富士宮市の富士根園(第二次大戦で視力と右手を失った元軍人の石川迪三が経営、初期には金井キヨも働いていた)が、志賀直哉の『小僧の神様』『清兵衛と瓢箪』、太宰治の『斜陽』などの小説、結婚生活の指南書、さらには大河原欽吾の『点字発達史』(1948年4月)や高等部の各種教科書(その中には点図入りの数学や物理の教科書もある)まで、多彩な点字出版を行う

● 1948(昭和23)年
 4月、盲学校に高等部設置
 4月7日、「中学校の就学義務並びに盲学校及び聾学校の就学義務及び設置義務に関する政令」公布(盲学校・聾学校小学部への義務制が学年進行で施行)
 8月 17日、日本盲人会連合結成
 仲村点字器製作所(三代目 仲村茂男:1925〜2010年)が、点字タイプライター(ナカムライター)を発売

● 1949(昭和24)年
 同志社大学(文学部)が初めて大学の点字受験を認める(この年、早大文学部、日大法学部も点字受験を認め、計6人が進学している)
 4月、東京盲学校が「東京教育大学国立盲教育学校附属盲学校」となる
 8月、後藤寅市(1902〜1971年。3歳の時外傷のため失明。15歳で小樽盲唖学校に入学。2年後東京盲学校鍼按科に入学。最初北海道音別で、後に帯広で開業)が、自宅を開放して「北海点字図書館」を開設。(1952年8月、帯広市の現在地に北海点字図書館を会館。1964年テープライブラリーを開設)
 11月、フランシスコ・ザビエルの日本渡来400年を記念して、兵庫県宝塚市の聖心女子学院の修道女を中心に卒業生数人が集まり、「みこころ会点字部」発足。1953年、「みこころの点字会」と改称し、同窓生以外の会員を多く迎え、56年会員の手になる点訳書を集めて「みこころの点字会文庫」を創設
 12月26日、「身体障害者福祉法」公布(翌年4月1日施行。点字図書館と点字出版施設は、同法第5条で、身体障害者厚生援護施設の一つとして、初めて法的に位置付けられた。)

● 1950(昭和25)年
 8月1日、「全国盲教育研究大会」開催
 9月、京都府立盲学校の小学部に重複障害児対象の特別学級を置く(1953年には中学部にも特別学級を置く)
 福来四郎(1920〜)が、神戸市立盲学校で視覚障害児に彫塑の指導を開始
 第1回全国盲学生点字競技大会開催
 山梨県立盲学校が、盲聾重複障害児の教育を開始

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◆ 1951〜1960年

● 1951(昭和26)年
 3月、社会福祉事業法成立(点字図書館と点字出版施設は、第二種社会福祉事業とされた)
 4月、東京教育大学国立盲教育学校附属盲学校が「東京教育大学教育学部附属盲学校」となる(さらに、 1973年に「東京教育大学附属盲学校」、 1978年に「筑波大学附属盲学校」と名称が変わっている)
 東京教育大学が、国立大学として初めて全盲の視覚障害者の入学を認める
 近畿盲教育研究会が、『点字の書き方について』を発表

● 1952(昭和27)年
 京都府立盲学校に、幼智部が設置される(盲学校で幼智部の設置が普及するのは、 1969年以降のこと)

● 1953(昭和28)年
 4月、京都府盲人協会が、衆参両院選挙に備え、府選管の了承を得て点字で候補者名簿を作成、会員に配布
 12月、大阪管区矯正職員討論大会で、甲南大学教授寿岳文章が、受刑者による点訳奉仕を提唱。同管区は全面的に協力を約し、日本ライトハウスが点訳材料と講師を提供。
 広島大学教育学部に盲学校教員養成課程を設置
 塚本昇次司祭が、信者の和泉真佐子の協力を得て、カトリック点字図書館を創設(2001年にロゴス点字図書館と改称)
 このころから、各地のハンセン病療養所で点字学習が盛んになり舌や唇で点字を読む者も現われる(1955年、岡山県の邑久光明園では盲人114人のうち35人が点字を打ち、11人が点字を読み、そのうち8人が点字を舌や唇で読むようになったという)

● 1954(昭和29)年
 この年から、盲学校・聾学校中学部への義務制が学年進行で施行
 6月1日、「盲学校、聾学校及び養護学校への就学奨励に関する法律」公布 (これにより、保護者の経済的負担が軽減され、その後の盲児の就学率向上に寄与した。小学部・中学部の点字教科書も無償化される(1956年からは高等部の教科書も無償となる))
 文部省が、点字教科書発行促進のため、イギリス製と国産の製版機を毎日新聞社に貸与
 9月、邑久光明園の森幹郎の主導で、一般の盲人とハンセン病による盲人が点字で文通することなどを目的に「らい盲友の会」発足

● 1955(昭和30)年
 1月、厚生省が日本点字図書館に委託して、公費での点字出版・貸出事業開始(1963年から日本ライトハウスも委託事業開始)
 10月、東京教育大学教育学部附属盲学校高等部生徒会を中心に「全国盲学校生徒点字教科書問題改善促進協議会」(全点協)が組織され、高等部用教科書の貧弱さを訴え、その発行促進、購入費の軽減、国立点字出版所の設立等を求めて、文部省・厚生省・国会への陳情、街頭署名運動を行う
 10月、日本点字研究会(メンバーは盲学校教員)が発足。『点字理科学記号』(1955年)、『点字数学記号』(1956年)、『点字邦楽記号』(1957年)、『点字文法』(1959年。改訂版として1966年に『点字文法(点字国語表記法)』)等を随時刊行
 11月、日本ライトハウスが、アメリカの国会点字図書館から寄贈された英文点字書800冊とトーキングブック1190枚の目録を作成、一般に貸出を開始する。

● 1956(昭和31)年
 4月、長島愛生園盲人会が、機関誌「点字愛生」を創刊。そのころ、他の療養所でも点字の機関誌が相次いで創刊されている(栗生楽泉園盲人会の『高嶺』、邑久光明園盲人会の『白杖』。パリのルイ・ブライユ記念館には『白杖』の創刊号が展示されている)
 東京点字出版所が『新英和辞典』(全18巻)、『独和新辞典』(全16巻)を出版
 文部省が、主に高等部用教科書の発行促進の趣旨で、アメリカ製の製版機とベルトコンベア式印刷機を日本ライトハウスに貸与

● 1957(昭和32)年
 3月、日本盲人福祉委員会と鉄道弘際会の共済で、第1回点訳奉仕者感謝のつどいが開催される
 文部省著作の点字教科書について、入札方式が導入される(点字毎日のほか、東京点字出版所と日本ライトハウスが参加。現在は、東京点字出版所、日本ライトハウス点字情報技術センター、東京ヘレン・ケラー協会点字出版局の3社)
 日本ライトハウスが、『社会科地図帳』初版発行(当初はプロセス印刷の手法を用い、後に発泡印刷で製作。2001年3月、18訂版
 6月、弘誓社が、小型の点字タイプライター「ライトブレーラー」を開発

● 1958(昭和33)年
 1月16日、日本盲教育研究会(現・全日本盲学校教育研究会)結成
 文部省著作教科書の編集方針が、それまでの盲学校用として特別に編集する形態から、一般の検定教科書から適切な物を選び、それに最小限の修正や差替をして点訳する方式に変わる
 仲村点字器製作所が、電動式製版機を製作・販売 (仲村点字器製作所は、1988年第25回点字毎日文化賞、2005年第2回本間一夫文化賞受賞)

● 1959(昭和34)年
 盲学校の在籍者数が 10,264人と最大を記録(以後、1968年9千人台、 1976年8千人台、 1981年7千人台、 1985年6千人台、 1990年5千人台、 1992年4千人台と減少し、 2000年は 4,089人、2001年は4,001人、2002年は3,926人、2003年は3882人、2004年は3870人、2005年は3809人、2006年は3688人、2007年は3477人)
 6月、畠田武彦(1929〜2015年。神戸市立盲学校の理療科教諭として長く勤務。1968年9月から、フランス政府の給費生として半年間留学。フランス語のほか、アコーディオン演奏なども得意とし、また漢点字の普及にも貢献)が、点字のフランス語独習書『初頭フランス語講座』(全1巻)を東京点字出版所より出版

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◆ 1961〜1970年

● 1961(昭和36)年
 6月、点字郵便物が無料になる (録音図書の郵送は、認定施設に限り無料)
 高橋實を中心に、大学の門戸開放、学習支援、卒業後の就労等を目的に、「文月会」が結成される
 日本点字図書館が、主に中途失明者を対象に「点字教室」を始める
 弱視教育研究会(現・日本弱視教育研究会)結成

● 1962(昭和37)年
 3月31日、「学校教育法施行令の一部を改正する政令」公布(盲学校、聾学校及び養護学校の対象となる盲者等の心身の故障の程度を規定。これにより、障害児の統合教育のための法的根拠が無くなったとされる)
 3月31日、「義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律」公布
 田辺建雄(1928〜)が、理療科教科書の田辺シリーズ6科目(解剖学、生理学、衛生学、病理学、症候概論、治療一般)を出版 (点字版は日本ライトハウス、墨字版・拡大文字版は自費出版)
 茨城県竜ヶ崎市が点字の公報誌を発行(1967年松山市と東京都新宿区も点字の公報誌を発行)
 7月、第6回参議院議員選挙における点字投票数は、全国区8040票、地方区8260票
 9月、京都の友禅染色型盛りの岡本勇三が、京都府立盲学校の協力を得て、「盲人用昆虫図鑑」を完成、全国の盲学校に寄贈(カラーの盛り上がった印刷)

● 1963(昭和38)年
 文部省著作「盲学校小学部国語補充教材(各学年用)」発行(弱視用大型活字の教科用図書)
 日本ライトハウスが『最新コンサイス英和辞典』(全71巻)を出版 (コンサイス英和辞典の出版は1949年に企画され、その第1巻は1951年に発行されている)
 日本点字研究会が、スパンナー編『改訂国際点字楽譜の手引』の日本語点字版『世界点字楽譜解説』(全5巻)を出版
 点字毎日が、第30回衆議院議員総選挙から「選挙のお知らせ」(候補者の経歴のみ)を発行 (各地の選挙管理委員会が買取り視覚障害の有権者に配布)
 10月、日本盲人カナタイプ協会(現・日本盲人職能開発センター)発足

● 1965(昭和40)年
 4月、日本点字図書館が、アメリカからサーモフォームを輸入(後藤良一が1968年以降「東京案内地図」等、サーモフォームによる地図を製作、日本点字図書館が販売)
 厚生省が行なった全国身障者調査の推計で、8月1日現在、視覚障害者総数248,400人、その内点字の読み書き可能な者3万人、読みだけ可能2千人、書きだけ可能4千人。
 11月、万国郵便条約により、外国向け点字郵便物が無料となる

● 1966(昭和41)年
 4月、神奈川県点字図書館が、広報『県のたより』点字版・録音版製作開始
 日本点字研究会が発展的に解消され、日本点字委員会(盲学校教員のほか、点字出版所・図書館代表、学識経験者からなる)発足
 東京の点訳者を中心に、「点字あゆみの会」発足(当初は盲学生の教科書の点訳が主目的)

● 1967(昭和42)年
 東京都立心身障害者福祉センターが中心となって、盲幼児の統合保育を始める(1980年までに都内で 49人の統合保育が実現)
 三宅精一(1926〜1986年。安全交通試験研究センター初代理事長)が 1965年に考案していた点字ブロックが、初めて岡山市で設置される
 東京点字出版所が『三省堂国語辞典』を出版
 山口銀行が、初の点字預金通帳を発行

● 1968(昭和43)年
 日本点字図書館が「個人希望録音及び点訳事業」開始
 東京ヘレン・ケラー協会が、イギリス製の PVC(ポリ塩化ビニル)固形点字印刷機とソリッドドット方式印刷輪転機を導入
 7月、点字毎日が、ハンセン病療養所在園者や盲老人ホーム入所者のために、テープ版の『声の点字毎日』を創刊 (2005年からはデイジー形式のCD版になる)

● 1969(昭和44)年
 1月、京都府議会が、点字による署名を有効とする立法措置を講じるよう国に意見書を提出
 4月、地方自治法の一部改正により、リコール請求、国会請願、最高裁等への陳情の点字署名が認められる(1951年山口県、1963年和歌山県、1966年松山市、1968年大阪府と京都市で、市長や議員のリコール請求や条例制定の直接請求での点字署名が無効とされてきた)
 川上泰一(1917〜1994年。当時、大阪府立盲学校教諭。 1987年、日本漢点字協会設立、会長に就任)が、8点による漢点字を発表
 小林鉄工所が、電動式製版機を開発
 東京点字出版所が、『点線文字』出版(片仮名、平仮名、数字、ローマ字、ギリシア文字、次いで象形文字の説明、漢字の偏や旁の解説、教育漢字881字を示す)
 このころから各盲学校で、視覚障害のほか知的障害なども持つ障害児を対象に重複学級が設けられるようになる

● 1970(昭和45)年
 日本ライトハウス点字出版所がサーモフォームを導入、「万博点字会場案内図」を製作
 4月、東京都立日比谷図書館が、録音朗読サービス、および試験的に対面朗読サービスを開始(このサービスは、 1973年に都立中央図書館に引き継がれた)
 5月、著作権法が改正され、著者の許諾無く無条件で点訳ができるようになる(施行は翌年1月)
 6月、視覚障害者読書権保障協議会(視読協)結成
 6月、東京ヘレンケラー協会より、月刊誌『点字ジャーナル』創刊
 神奈川県点字図書館が、リーディングサービス開始

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◆ 1971〜1980年

● 1971(昭和46)年
 3月、日本点字委員会が『日本点字表記法(現代語編)』を刊行
 6月、国立特殊教育総合研究所開設
 11月、金治憲(キムチーフン、韓国出身)が、「国際盲人クラブ」(現・国際視覚障害者援護協会)を設立(2000年までにアジア・アフリカ・南米の 13カ国 43人の視覚障害者を受け入れ、鍼灸等の技術修得を援助)

● 1972(昭和47)年
 『世界点字楽譜解説』の墨字版(一部追補)が刊行される
 日本ライトハウスが『世界盲人百科事典』を出版
 長谷川貞夫(当時、東京教育大学付属盲学校教諭)が、6点漢字を提案。その後、当時の大形コンピュータを使って自動点訳・自動代筆の実験をする
 6人の盲幼児が私立の幼稚園に入園(以後、 1970年代半ばから 80年代に、小学校、中学校、高校へと統合教育が拡大していく。1971〜1988年の間に統合教育を受けた盲児は、小学校 67人、中学校 31人、高等学校 25人。ただし、文部省は公認しなかった)

● 1973(昭和48)年
 盲学校高等部に普通科設置
 日本ライトハウスが、対面朗読サービスを開始
 この年以降、文部省は、大学入学者選抜実施要項の中で、身体障害者の受験機会促進のための具体的な配慮事項を挙げている(視覚障害者については、点字・拡大文字による出題、試験時間の延長等)
 法務省が司法試験の点字受験を認める(1981年に初の合格者)

● 1974(昭和49)年
 3月、東京都が、一般行政職試験で点字受験を認め、2人採用

● 1975(昭和50)年
 1月、日本文芸著作権保護同盟が、文京区立小石川図書館が行っていた録音サービスに対し「無許諾録音により著作権法違反」と抗議
 3月、日本オプタコン委員会発足
 10月、国立国会図書館が、学術文献録音サービスを開始 (1981 年.4月、視覚障害者図書館サービス協力課に改組)
 この年、6人の視覚障害児が、公立の小学校に入学。

● 1977(昭和52)年
 3月、石川准(1956〜。高校1年のとき網膜剥離で失明)が、点字受験で東京大学文学部社会学科に合格(全盲初の東大入学)

● 1978(昭和53)年
 6月、点字版『グリム童話集』が、コンピュータを利用して大手の出版社と印刷会社の協力で完成、全盲の盲学校などに配布される。
 点字による英語技能検定試験が始まる
 アマチュア無線(1、2級)の試験の点字受験が認められる
 宮城県教育委員会が、公立高校の点字受験を全国で初めて認める
 日本図書館協会の中に「障害者サービス委員会」設置

● 1979(昭和54)年
 1月、第1回国公立大学共通一次試験で、点字による試験実施(点字受験者9人、時間は1.5倍)
 3月、上野訴訟(1973年2月高田の駄馬駅で全盲の上野孝司がホームから転落し死亡した事故の裁判)の第1審で、国鉄が敗訴(1985年に控訴審で和解)。これが一つのきっかけとなって、点字ブロックが鉄道駅をはじめ各所に敷設されるようになった
 4月1日、養護学校の義務制施行
 10月、東京都多摩市が、点字図書の原本との価格差を補償するため、点字図書購入費助成事業を始める(1985年に石川県と東京都町田市、 1986年に埼玉県川越市で同様の事業が始まる)

● 1980(昭和55)年
 4月19日、国際障害者年日本推進協議会設立
 日本ライトハウスが、点字自動編集・製版システム BRED68を実用化
 日本点字制定 90周年記念として、日本点字委員会が『改訂日本点字表記法』を発行
 松本油脂製薬株式会社とミノルタ株式会社が“立体コピーシステム”を共同開発
 この頃から、西村陽平(1947〜.陶芸家)が千葉県立千葉盲学校で視覚障害児に粘土による造形を指導しはじめる

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◆ 1981〜1990年

◆ 1981〜1990年

● 1981(昭和56)年
 「完全参加と平等」をテーマとする国際障害者年(1976年の第31回国連総会で決定されたもの)
 日本点字委員会が『点字数学記号解説』を刊行
 日本点字委員会が「コンピュータ用言語の6点式点字表記」決定(1985年、 1995年に一部改訂)
 1月、福山恭子(1935〜)が、日本ライトハウス盲人情報文化センター(大阪)内に「視覚障害児のためのわんぱく文庫」を開設 (1996年、大阪府立中央図書館開館とともに子ども資料室内に活動の拠点を移し、見える子どもたちとともに本を楽しむ場となる。さらに、2010年4月、NPO法人「弱視の子どもたちに絵本をを設立をめざす会」発足)
 3月、日本盲人社会福祉施設協議会点字図書館部会が、主に点訳者を対象にした『点訳のてびき』を刊行(1991年3月、全面改訂した第2版、2002年3月第3版を刊行)
 4月、国鉄の東北本線の特急食堂車に点字メニューが置かれる
 日本盲人社会福祉施設協議会が、点字指導員資格認定講習会を開始
 日本盲人社会福祉施設協議会点字図書館部会が、「点字図書館ハンドブック』を刊行
 文部省の補助で、点字教材作製用にブレールマスター(BM)が全国の盲学校に導入され始める
 情報処理技術者認定試験の点字による誌験が始まる
 神奈川県が、点字による一般職公務員採用試験開始
 国立国会図書館が、全国の公共図書館や点字図書館で製作されている点字・録音図書の総合目録の作成を始める(点字図書館・公共図書館・国会図書館の間で相互貸借ができるようになった)
 京都ライトハウスが、ワコール労動組合の資金援助で辞典類等を点訳・出版し全国の盲学校や図書館に寄贈する事業を始める
 10月、国産初の点字プリンタ ESA-731 発売
 桜井政太郎(当時岩手県立盲学校理療科教諭)が、盛岡市の自宅に視覚障害者のための私設の「手で見る博物館」を開設。生物標本や化石、レプリカ、太陽系や建築物の模型等、現在3000点以上を展示し、無料で開放している。
 点字表記辞典編集委員会編『点字表記辞典』が発行される(2002年7月第5版、2014年7月第6版が発行される)
 この頃から、各地方自治体が次第に点字の公報や議会報等を発行するようになる

● 1982(昭和57)年
 点字毎日より、『盲人のための漢字学習辞典』 志村   洋 点字毎日 1982 18
 大阪府が、府立高校の点字受験を認める
 関西で触る絵本を製作しているグループが「さわる絵本連絡協議会・大阪」を結成 (2004年現在21グループ)
 3月、国際障害者年推進本部「障害者対策に関する長期計画」発表
 運輸省編で、『視覚障害者のための公共交通機関利用ガイドブック−首都圏−』および『視覚障害者のための公共交通機関利用ガイドブック−近畿・中京圏−』が発行される
 国連総会が「障害者に関する世界行動計画」を採択、1983〜1992年を「国際障害者の10年」とした

● 1983(昭和58)年
 3月、運輸省が、「公共交通ターミナルにおける身体障害者用施設整備ガイドライン」を策定
 4月、大阪YWCA千里センターでの点訳講座修了生が中心になって、「点字子ども図書室」を設け、点訳した児童書の全国向け貸出しを開始 (蔵書数は2010年現在約2500タイトル)
 6月、近畿郵政局管内で、点字のみの宛名書きが認められる
 日本盲人社会福祉施設協議会点字図書館部会が、『日本の点字図書館1 昭和57年度全国点字図書館実態調査報告』を発行
 桜雲会が、日本児童教育振興財団の助成を受け、『触察図譜』研究会を始める。その成果として、1988年『触察解剖図譜』、1991年『触察生理学図譜』、1993年『触察病理学図譜』、1995年『触察臨床医学総論図譜』を完成し、全国の盲学校に点字・墨字版を無料配布
 日本点字委員会が『点字理科記号解説』刊行
 日本ライトハウスが『新コンサイス英和辞典』全 100巻を出版
 日本児童教育振興財団が、手で見る絵本「テルミ」の製作・発行を開始
 11月、大阪で、統合教育を受けている視覚障害児のための教科書点訳の団体「教科書点訳委員会」発足

● 1984(昭和59)年
 1月、高知システム開発が、日本語ワープロソフトAOK(6点漢字使用)発売
 3月、日本盲人社会福祉施設協議会点字出版部会点字地図記号研究委員会が、『歩行用触地図製作ハンドブック』を発行
 3月、運輸省より『「視覚障害者のための公共交通機関利用ガイドブック」作成マニュアル』発行
 4月、岩田美津子(1952〜。全盲、2児の母親。2005年度朝日社会福祉賞受賞、2014年第44回毎日社会福祉顕彰受賞)が、点訳絵本を製作・貸出する「岩田文庫」(現・ふれあい文庫)を開設 (点訳絵本は、主に、見えない両親が見える子供に絵本を読み聞かせるための物。)
 4月、村山亜土・治江夫妻が東京渋谷に「手で見るギャラリー・TOM」を開館。視覚障害者をはじめ、多くの人たちに彫刻や工芸作品を“手で見る”機会を提供するとともに、盲学校の生徒たちの作品を紹介する展覧会を国内外で開いている。
 8月、全盲で難聴のもとマッサージ業の男性が妻を殺害した事件で、名古屋高裁が点字で判決文(主文のみ)を出した。
 11月、1万円札・5千円札・1千円札の新紙幣発行、それぞれに視覚障害者用識別マークが付される。
 11月、関西電力が、検診のお知らせと領収書を点字で発行
 12月、チェーンレストラン・スカイラークが、全国380店に点字メニューを置く
 長野工業高等専門学校の知野照信が、漢点字専用の簡易ワープロソフト「チノワード」を開発
 日本点字図書館が、完全自動製版機「ブレールシャトル」を導入
 文部科学省編『点字楽譜の手引』が、日本ライトハウス点字出版所(現・日本ライトハウス点字情報技術センター)より発行される
 東京ヘレンケラー協会が、『世界の大思想』(河出書房新社)の点訳・出版を開始(24タイトル339冊の完成までに9年を要する)
 東京都が、普通高校に入学した盲生徒のすべての点字教科書を教育委員会が保障することにした
 統合教育を望む親達を中心に「障害者の教育権を実現する会」発足
 12月、郵政省が、各郵政局にたいして点字による宛名書きの郵便物を受け付けるよう通達
 郵政省が、貯金業務に点字サービス開始

● 1985(昭和60)年
 情報処理技術者第1種試験に全盲の2人合格
 NTT が、テレホン・カードの右下端に切れ込みを入れ、カードの向きと金額が分かるようにした
 京都の点友会が、サーモフォームにより、世界地図や日本地図を製作・頒布、数年ごとに改訂している
 10月、国勢調査で、岡山県と京都市が点字による回答を認める
 寺西勇二(1932〜.強度の弱視)が、天白ブレイルニュースを組織し、月刊の英語点字誌「The Japan Braille News」を創刊。2004年6月号で廃刊

● 1986(昭和61)年
 4月、徳島県立盲学校の米原清司が、「声の漢点字情報」発刊
 富士記念財団が、「富士・盲学生点訳等介助事業」を開始(学生1人につき、点訳・朗読・墨訳などの経費として年額 30万円支給)
 8月、大阪で、「地域の学校で学ぶ視覚障害児(者)の点字教科書等の保障を求める会」結成

● 1987(昭和62)年
 4月、点字楽譜普及会「トニカ」発足(点字楽譜の点訳・出版を専門に行っているボランティアグループ。 2007年までの20年間に約9千曲の楽譜を点訳)
 7月、点訳絵本の郵送料無料化
 10月、福井哲也著『初歩から学ぶ英語点訳』が発行される(1991年改訂版、2003年三訂版、2007年四訂版)
 点訳絵本の会より、岩田美津子著『点訳絵本の作り方』が出版される (せせらぎ出版より、2005年6月に増補改訂第3版、2015年6月同第4版)
 資生堂が、「美しい装い――メーキャップのポイント」の点字版の発行開始

● 1988(昭和63)年
 9月、日本IBMが、点訳データのネットワーク「IBMてんやく広場」の事業開始(1991年までに全国各地に約 1,500台のパソコン設置。1993年「てんやく広場」と改名。1994年から、蓄積された点字データを視覚障害者個人が直接ダウンロードできるようになる)
 ニュー・ブレイル・システムが、点字ワープロソフト「ブレイルスター」発売

● 1989(平成1)年
 大阪府松原市が、市役所全課の公文書の点字による通知を開始
 横浜市議会が、点字による請願・陳情書を受理
 4月、名古屋市美術館が、「触れる喜び−−手で見る彫刻展」を開催。以後隔年で、主に視覚障害者の便宜を考慮した展覧会を実施
 7月の参議院選挙で、堀利和(全盲)が社会党より当選(1998年7月の参院選で、民主党より2回目の当選。2001年10月には参議院環境委員長に就任)
 9月、「公共図書館で働く視覚障害職員の会(なごや会)」発足(代表:田中章治)
 兵庫県立近代美術館が、この年以降毎年「美術の中のかたち」展を開催(2001年まで)
 社会福祉士・介護福祉士国家試験の点字受験が認められる
 名古屋市が、母子手帳の点字版を作成 (1993年3月、厚生省が点字版の母子健康手帳「点字母子保健マニュアル」を作成。現在は、一般社団法人 日本家族計画協会が「点字版母子健康手帳」を発売している)

● 1990(平成2)年
 国際識字年(1987年の第42回国連総会で制定)
 1月、名古屋市衛生局が、「母子健康手帳」の点字解説版を作製
 2月、吉田定信が、フリーの点字ワープロソフト「BASE」を開発
 3月、国語審議会が、これまでの 103音に加え 33音の特殊音を認めた(これに対応して、点字表記も改訂されることになる)
 4月、日本点字図書館が、パソコン通信を使って「日本点字図書館インフォメーション・テレサービス」(NIT)を開設
 6月、身体障害者福祉法の改正により、点字図書館と点字出版施設は「視聴覚障害者情報提供施設」(同法第33条)と位置付けられる
 6月、通産省は「障害者等情報処理機器アクセシビリティー指針」公表(1995年4月改訂)
 6月、千葉県議会が、点字による請願・陳情書を受理
 6月、長野県と金沢市が、役所の発行する郵便物に点字による差出人表示
 7月13日、アメリカ障害者法(ADA)成立
 7月、ケージーエスが、点字ディスプレイ「ブレイルノート 40A」を発売
 国立国会図書館の「点字図書・録音図書全国総合目録」がデータベース化される(1995年からはCD化される)
 国内旅行業務取扱主任者試験の点字受験が認められる
 10月、国勢調査で、大阪府と岡山県が、事前に質問項目をテープに吹き込み、点字での回等を認める
 11月1日、日本点字制定百周年。日本点字委員会が、日本点字制定百周年記念として『日本点字表記法 1990年版』を発行。郵政省が、日本の点字制定百周年記念切手を発行、識別マーク入り(くぼみ入り)葉書発売

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◆ 1991〜2000年

● 1991(平成3)年
 1月、国家公務員試験(T種とU種の行政職)の点字受験が認められる
 1月29日、大阪点字の市民権を広げる会が、公的文字として点字を位置付けるよう求めた陳情書を大阪市議会に提出(その後採択)
 3月、日本盲人会連合が、新聞情報等を点訳し、即時に全国の点字図書館等で受信できる「点字情報ネットワーク事業」を開始(4月17日、「点字JBニュース」正式運用)
 3月、社会福祉法人「全国盲聾者協会」が厚生省より認可される(全国の盲聾者数、推定2万人、コミュニケーション手段として「指点字」が広がる)
 4月、郵政省が、全国の郵便ポスト等に点字表示開始、また、普通郵便局に点字が読める職員 1,300人を配置するために、全国 50会場で講習会開始
 4月、共用品・共用サービスの普及を目的とする「E&cプロジェクト」が発足(1999年4月、財団法人「共用品推進機構」に発展)
 5月、京都府が、府職員の上級職採用試験で点字受験を認める。また大阪府が、高卒程度の採用試験で点字試験を実施。
 9月、石川准が、自動点訳ソフト「EXTRA」を開発(販売はアメディア。1998年 Windows版)
 延岡市と帯広市が、通知文書の点字化開始
 日本IBMが、「パソコン点字英和辞典システム」を完成
 10月、花王が、シャンプーとリンスを区別できるように、シャンプーの容器に連続凸点を付けた
 ライオンが「ライオン製品カタログ」の点字版の発行開始(翌年からは、大活字版、音声テープ版・CD版、フロッピー版も発行)
 鹿児島市で、全盲児2人の両親が、地域の小学校への入学を要求したが、市教委は認めず、盲学校への修学通知を発送。2人は4月から地域校へ自主登校したが認められず、結局1人は大阪府下に転居して普通校に入学、もう1人は盲学校に入学。(この年の統合教育は、小学校1、中学校8、高校2の計11人、他方、6人が地域校から盲学校に進んだ)

● 1992(平成4)年
 2月、点字図書の価格差補償が、国(厚生省)の「点字図書給付事業」として実現(1994年10月、視覚障害児もこの事業の対象になる)
 3月、大阪府議会が、点字の市民権を広げる会の誓願を一部採択し、点字の誓願・陳情を認める
 4月、運輸省の通訳案内業試験で、点字受験が認められる
 6月、大阪市が、戸籍登録科窓口で、各種申請の点字による受付開始
 7月、郵政省が、点字内容証明の受付開始
 8月、全国高等学校長協会入試点訳事業部(1990年設置)が、「入試問題点訳要領」を刊行(1994年8月、一部改訂)
 10月、郵政省のボランティア貯金助成と東京ヘレン・ケラー協会の支援で、ネパール盲人協会点字出版所落成
 11月、郵政省が、全国で点字による不在配達通知カードの使用を順次開始
 12月、点字毎日が、ドイツ製の自動点字製版機と高速輪転式点字印刷機を導入
 「盲学校点字情報ネットワーク・システム」が開設

● 1993(平成5)年
 4月、通級制(弱視等軽度の障害児が、普通学級に在籍しながら、障害に応じた指導を盲学校等で受ける)が、全国規模で開始
 7月、「てんやく広場」を利用して『点字大辞林』完成(検索ソフトで検索可)
 7月、日本盲人キリスト教伝道協議会が、バングラデシュの女子盲学校への支援活動を総会で採択
 8月、日本点字図書館が、「アジア盲人図書館協力事業」開始。 10月、調査団をインドネシアに派遣
 「アジア・太平洋障害者の10年」始まる
 11月26日、「障害者基本法」成立

● 1994(平成6)年
 1月、船便に限られていた外国向け点字郵便の無料扱いが航空便にも適用される
 4月、「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」(通称「ハートビル法」)成立(公共性の高い建物での、点字ブロックの敷設・階段の手摺り等への点字表示などを含む)
 5月、藤野稔寛(1952〜。高校の数学教師で、当時は徳島県立盲学校中等部教諭)が、点図を描くためのフリーのソフト「エーデル(EDEL)」を開発。その後、他の点字エディタとの連携機能、ウィンドウズへの対応、画像テータの自動点図化など多くの改良を行う。2012年に公開した点字・点図編集ソフト「エーデル VER.7」は、点字エディタの機能も合せ持ち、点図作成だけでなく点字文章も処理できるようになった。(2009年、第17回ヘレンケラー・サリバン賞受賞。2015年、バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰の優良賞を受賞)
 6月、日本障害者芸術文化協会設立
 6月、ユネスコが、サラマンカ宣言を採択、インクルージョン(通常の場ですべての子どもたちに必要な特別な教育的ニーズに対応する援助がある教育システム)を提唱
 9月、日本IBMが、点字編集システム(BES)発売(現在はフリー)
 下薗彦二が、第2回ヘレンケラー・サリバン賞を受賞 (数学・物理・化学・英語などの大学受験参考書や絵本を自ら点訳・製版・印刷・製本し、完成した点字本を全国の盲学校・点字図書館をはじめ個人の希望者に無償で提供)
 ニュー・ブレイル・システムが、日本語ワープロソフト「でんぴつ」(6点漢字または漢点字使用可)発売
 東京点字出版所が、『仏和辞典』(全30巻)を出版
 東京都が行った社会福祉基礎調査で、視覚障害者 31,090人の内、点字を読むことができるのは 16.9%
 点字毎日が、1カ月分の点字記事を編集した「フロッピー版点字毎日」発行。また、パソコン通信ネットに「点字毎日」のテキストデータの提供を開始
 日本点字図書館が「アジア盲人図書館協力事業」を開始(マレーシアを拠点にして、ASEAN諸国の盲学校や施設から職員を招き、パソコン点訳や点字プリンタの操作法などを指導する事業。講習会終了後は、参加者それぞれが使った機材を持ち帰って点字資料を作る)

● 1995(平成7)年
 3月、国際英語点字協議会(ICEB)が、統一英語点字コード(UEBC: 一般文章の表記から理数・情報処理系など専門分野での文字や諸記号を包括する点字体系)の最終報告書を発表
 3月、神奈川県小田原市に「県立生命の星・地球博物館」が開館。「だれにでも開かれた博物館」を掲げ、隕石・化石・剥製など手で触れることのできる標本の展示や、視覚障害者等に対するバリアフリー化を推進。
 7月1日現在、盲学校児童生徒総数4,323名中点字使用者は1,297名(30.0%)であった(「全国盲学校及び小・中学校弱視学級児童生徒の視覚障害原因等調査研究」による)
 高校の国語教科書『高等学校国語表現』(角川書店)に「点字」が登場
 宝酒造が、誤認飲酒防止とバリアフリー・デザインを目的に、ソフトアルコール飲料の缶蓋に点字で「おさけ」と加工表示
 11月、国勢調査で、調査表に点字と大活字が用意される
 11月、リコーが、点図も出力できる点字プロッター、およびそれに対応した点訳・点図作製用ソフト「点図くん」を発売
 盲学校や点字図書館など視覚障害関係施設が集まって触地図で用いられる記号を統一 (記号は全部で36種類で、公共施設、文教施設、商業施設、宗教関係の4カテゴリーから成る。カテゴリーによって、行政機関は二重の丸、文教施設は四角のように、記号の形を区別。公共施設の名称は、郵便局は「ゆう」、警察署は「けい」のように、記号の横に点字2マスで表す)
 光島貴之(全盲、9歳ころ失明)が、レトラライン(製図用テープ)とカッティングシートを用いて「触る絵画」の制作を始める

● 1996(平成8)年
 7月、福島智(盲聾者)が、東京都立大学助手に採用、さらに12月から金沢大学教育学部助教授に採用される(2001年4月から、東京大学先端科学技術研究センターの助教授に就任)
 10月、ふれあい文庫が、点訳絵本『チョキチョキ チョッキン』を作家樋口通子と「こぐま社」の協力を得て出版
 東京都と大阪市が、盲聾者への通訳・介助者派遣事業
 電話・乗物・買物の3種のプリペイドカードを識別するために、それぞれ、三角・丸・四角の切り込みを付けることが、 JIS規格として採用された
 日本ライトハウスが、『デイリー・コンサイス独和辞典』(全56巻)を出版
 つつじ点訳友の会が、郁文堂の独和辞典を点訳し、「独和点字辞書検索ソフト Gディック」開発
 点字毎日が、点字名刺の注文生産を始める
 11月1日現在で厚生省が行った「身体障害者実態調査」および「身体障害児実態調査」によれば、視覚障害者・児の総数は推計約 三一万人、その中の点字使用者は推計約3万人

● 1997(平成9)年
 3月、長岡英司著『情報処理用点字のてびき』が発行される
 8月、大空社が、明治期から現代までの視覚障害者が著した自叙伝約 250を『盲人たちの自叙伝』(全 100冊)として復刻開始
 9月、ヤマト運輸が、配達時の「ご不在連絡表」をバリアフリー化(用紙に猫の耳型の切り込みを入れ、触って確認できる)
 11月、厚生省の「社会福祉事業等のあり方に関する検討会」が、議論の論点を公表(利用者選択の尊重、市場原理の導入など)
 12月、大阪和泉市民生協が、点字シール付きの冷凍食品「エビフライ」を発売。

● 1998(平成10)年
 2月5日、「点字毎日活字版」創刊
 4月、ふれあい文庫が、国際児童図書評議会(IBBY)より「IBBY朝日国際児童図書普及賞」受賞
 5月、視覚障害者支援総合センターが、就労訓練施設「チャレンジ」を開設(大卒・高卒者で就職の機会を待つ視覚障害者を対象に、点字出版に関わる作業を中心に日常生活訓練などを行っている。2002年末までに、地方公務員や民間企業等に29人を送り出している)
 6月、国連子どもの権利委員会が、インクルージョンの推進を求める勧告を日本政府に出した
 7月、「てんやく広場」が全国視覚障害者情報提供施設協議会に移管され、「ないーぶネット」へ発展(2001年末現在、約 40,000タイトルの点字データ。2006年末現在、約 80,000タイトル、個人登録者約 4,800人。2008年4月現在、加盟施設・団体約 190、個人登録者約 5,200、点字データ約9万タイトル)
 8月、参議院本会議で堀利和議員が総理大臣指名および議長・副議長選挙の投票をする際、国会史上初めて点字使用が認められる
 9月29日、障害者の情報アクセス権、放送におけるバリアフリーの推進を主な目的にして、障害種別・分野を超えた組織「障害者放送協議会」発足(現在 19の団体が参加)
 厚生省が日本障害者リハビリテーション協会に委託して、 DAISY録音図書の製作・配布事業を開始
 恒星社厚生閣より、バリアフリーパッケージ 『新版 100億年を翔ける宇宙--さわるカラーグラビア--』 加藤万里子著)が出版される (24枚の図版シートを綴じた本体と、本文のテキストデータおよび図版の解説が入ったフロッピーディスクで構成)

● 1999(平成11)年
 3月、岩崎書店より「バリアフリーえほん さわってごらん」シリーズが発売
 3月、サン工芸が、点字地球儀を発売
 4月、日本点字委員会より『試験問題の点字表記』が発行される(2007年5月、第2版発行)
 8月、WBU(世界盲人連合。加盟130ヶ国)がルイ・ブライユの誕生日である1月4日を「世界点字デー」に制定
 11月、東京で第1回ダイアログ・イン・ザ・ダーク(日常生活のさまざまな環境を織り込んだまっくらな空間を、聴覚や触覚など視覚以外の感覚を使って体験する、ワークショップ形式の展覧会)開催

● 2000(平成12)年
 4月18日、通産省が、点字ブロックの標準化(JIS規格化)をする旨の報告書を公表
 4月27日、著作権法等改正案が衆議院本会議で可決・成立、ネットワーク上での点字データの蓄積や送受信が認められる(施行は 2001年1月)
 5月10日、「高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律」(通称「交通バリアフリー法」)成立(施行は11月15日)
 5月29日、改正社会福祉事業法成立(「社会福祉法」と名称変更)
 6月5日、通産省が、「障害者等情報処理機器アクセシビリティ指針」の改訂案をまとめた
 6月、日本盲人福祉社会施設協議会の理事・評議員会で「点字技能認定制度実施要項」が承認される
 8月、「赤塚不二夫のさわる絵本 よーいどん!」が小学館から発売
 8月、日弁連が、衆議院議長にたいし、選挙公報の全文を点字化あるいは録音して視覚障害者に配布するよう要望
 9月、日本点字委員会が『点字数学記号解説 暫定改訂版』発刊
 10月、第26回全国視覚障害者情報提供施設大会で、インターネット上で各施設の蔵書データを共有できる「総合ないーぶネット」の概要が示される(本格稼働は 2001年3月の予定)
 11月6日、文部省の「21世紀の特殊教育のあり方に関する調査研究協力者会議」が、より多くの子供が小中学校に通えるよう、盲・ろう・養護学校などに就学する児童・生徒の障害の基準見直しを求める中間報告をまとめた(条件付きながら、障害児の普通校修学を認める方向。さらに、2001年1月15日の最終報告では、就学先の決定に際して保護者が専門家の意見を聴く機会をつくることも提言)
 11月、第1回日本語文書処理技能検定試験実施
 11月、政府は、 2001年1月の省庁再編に合せ、各省庁のホームページに視覚障害者もアクセスして利用できるよう対応する方針を明らかにした
 11月、JRをはじめ全国の鉄道駅で点字表示の間違いや不適切な表示が相次いで見つかる
 11月25日、視覚障害者を対象とした「日本語文書処理技能検定試験(ワープロ技能検定)」が初めて行われ、3級に 15人、4級に3人受験

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◆ 2001〜


● 2001(平成13)年
 1月、経済産業省が、ばらつきのある点字表示の共通化のため、点字の高さなど点字サイズの 2002年の JIS化を目指し、見当を開始
 1月、小学館が、発泡隆起印刷を利用した『全国盲人写真展写真集 見えないチカラ』を刊行(1985年に始まった全国盲人写真展の応募作から約160点を収録)
 1月28日、日本盲人社会福祉施設協議会が、点字関係職種の専門性と社会的認知度を高めることを目的として、第1回点字技能検定試験を実施(受験者数577人)。3月8日結果が発表され、合格者21人(合格率3.64%)
 2月、山口県立点字図書館が、脳腫瘍で視力低下中の女性に、特例として、身体障害者手帳無しでの利用を認める
 2月14日、厚生労働省保健課が、4月1日からの健康保健証の世帯単位から個人単位への移行に伴うカード化にさいし、そのカードの氏名等を希望があれば点字でも表示するよう通知
 2月、全国視覚障害者情報提供施設協会がNPO法人として認可される
 3月、総務省は、視覚障害議員が地方議会で行われる選挙(議長・副議長等を選出する選挙)で点字投票できるよう、地方自治法 118条に点字投票を認める規定を盛り込むことにした(現在、視覚障害を持つ地方議会議員は 14人、国会議員は1人)
 3月16日、政府は、医師法・薬剤師法等厚生労働省所管の 27の法律に係わる33制度を対象に、欠格条項の改正法案を正式決定。障害名を特定して資格取得の途を閉ざす〈絶対的欠格条項〉から、能力や障害を補う手段があれば取得が可能な〈相対的欠格条項〉へ(ただし、具体的な内容を定める省令には障害名や病名は残る)(6月22日可決成立)。
 4月、広瀬浩二郎(全盲)が国立民族学博物館助手に採用される
 5月、桜雲会が、テクノエイド協会からの補助を受けて、墨字の上に直接点字を印刷できる印刷機を開発
 5月、日本点字委員会の第37回総会で、点字表記の一部改訂決まる
 5月、世界保健機関(WHO)が、「障害」の概念を示す国際的な基準として1980年から用いられてきた「国際障害分類」(ICIDH)の第2版(ICIDH-2)の最終案を採択。健康の諸要素から障害をとらえているのがこれまでと大きく異なる点。
 6月、松井進著「二人五脚 盲導犬クリナムと歩んだ7年の記録」が、5媒体(活字版・点字版・音訳版・大活字版・DAISY版)で同時発売
 6月、アメディアが、画像データを点字プリンタで打ち出すことのできる点字グラフィック・ソフト「TGD」を発売
 6月、日本テレソフトが、視聴覚障害者が点字を介して健常者と情報のやりとりができ、インターネットも使える「マルチブレイル」を発売
 6月21日、アメリカでリハビリテーション法508条が施行。連邦政府(実質的にはほとんどの公的機関)が購入・提供する情報機器・ソフト・WEBページが障害者にアクセシブルであることが義務化される
 7月、点訳辞書推進委員会が日本IBMの協力により「小学館ランダムハウス英和大辞典」を点訳し、パソコンで検索できるシステムを発表。さらに、点訳辞書推進委員会は、この辞典のほかこれまでに点訳した「プログレッシブ英和中辞典」「大辞林」「プログレッシブ和英中辞典」「光村国語学習辞典」の計5つの点訳辞書を1枚のCD-ROM に収め、希望者に無償貸与を開始。
 7月29日、この日の参院選で兵庫県明石市の視覚障害の男性が点字投票したさい、職員が比例と選挙区の投票用紙の順番を間違えてセットしその指示通り投票したため、比例代表の票が無効となった。(この男性は8月17日兵庫県弁護士会人権擁護委員会に人権救済を申し立てた)
 8月、日本点字委員会が『点字理科記号解説 暫定改訂版』発刊
 9月20日、点字ブロックの突起の形状や寸法およびその配列が JIS として制定される
 8月、国連社会権規約委員会が、日本政府に対し、障害者差別を禁止する法律を制定するよう勧告。
 10月、点訳グループ「麦」が『新訂図解動物観察事典』(地人書館、1993年)の点訳を完成し、データをCD-ROMに収めて全国の盲学校に寄贈。全41巻約3,500ページで、エーデルで作製した点図963点をふくむ。
 10月、「世界盲聾者連盟」発足
 10月15日、1995年10月大阪市営地下鉄御堂筋線天王寺駅ホームで電車に接触して転落し重傷を負った佐木理人が、「安全対策の不備が原因」と大阪市に損害賠償を求めた裁判で、大阪地裁は、「点字ブロックの設置方法は事業者の政策的判断に任されている」と市の過失を否定し、請求を棄却。
 11月、日本点字委員会が『日本点字表記法 2001年版』を発刊
 11月、資生堂が、点字美容テキスト(スキンケア編・メーキャップ編。メーキャップテクニックは点図で解説)と商品識別用の点字シールを契約デパート全店の資生堂コーナーに設置
 11月、視覚障害者文化を育てる会(4しょく会)発足
 11月18日、第2回点字技能検定試験実施(授験者数144人)。12月20日に結果が発表され、30人合格(合格率20.8%)
 11月30日、電磁的記録式投票特例法(電子投票法)公布 (施行は翌年2月)
 12月3日、全国牛乳普及協会が、500ml以上の紙パックに牛乳の識別マークとして切り欠きを正式導入
 12月5日、障害者が介助犬・盲導犬・聴導犬を同伴して社会で活動することを保障する「身体障害者補助犬法案」が、議員立法として衆院厚生労働委員会に提出される
 12月9日、全国脊髄損傷者連合会など7つの障害者団体が「障害者差別禁止法を実現する全国ネットワーク」を結成。
 12月27日、国際標準化機構(ISO)が、高齢者や障害者に配慮した商品やサービスの規格を作成する際の指針「ISO/IECガイド71」を発表。規格作成に高齢者や障害者が参加することを求めたほか、考慮のポイントを具体的に示した。

● 2002(平成14)年
 1月、日本ビジネス点字検定協会(2000年に設立された任意団体)が『ビジネス点字検定3級 公式テキスト』を販売。このテキストの内容について、日本点字委員会をはじめ点字図書館関係者などからかなりの間違いの指摘とともに、このような点字検定の仕方について疑問・反対の声があがる。
 2月、大阪で検察審査会の審査員に重度の聴覚障害者が選出される(「目や耳、言語に重い障害をもつ人は審査員になれない」とする検察審査会法の欠格条項は、2000年4月に削除されている)
 2月、日本盲人社会福祉施設協議会点字出版部会「点字サイン標準化のための研究会」が、2001年7〜8月に点字使用者でひとり歩きをする視覚障害者200名以上を対象に行った「点字サインに関するアンケート調査」の結果をまとめる
 3月、全国視覚障害者情報提供施設協会が『点訳のてびき 第3版』を発行
 4月、日本テレソフトが、インターネットの情報を点字で入手できるサービス「ブレイルブラウザー」を開始(同社制の「マルチブレイル」使用)
 4月、名古屋盲人情報文化センターが、緊急地域雇用促進事業の制度を利用して、視覚障害者(6人)と晴眼者(13人)を臨時雇用し、所蔵している手打ちの点字図書(6,500冊)のデータ化とカセットの音訳図書(3万本)のデジタル化に着手。雇用期間は原則半年で、3年計画。
 4月、厚生労働省が、2001年6月1日現在で行った身体障害児・者実態調査結果の概要を公表。推計で、身体障害者数は325万人、前回調査(1996年)より10.6%増加。これにたいし、視覚障害者301,000、視覚障害児4,800人で、前回調査より微減。
 4月19日、政府は、盲・ろう・養護学校に就学すべきだとされる障害の程度の基準を見直すとともに、市町村教育委員会の判断で小・中学校へ就学できるとする学校教育法施行令改正案を正式決定。今国会に提出、9月に施行、2003年度の就学者から適用の予定。(障害を補助する器具の使用、障害に対応した学校設備、経験のある教員の配置などの条件が整っていれば、普通校への就学を認める。また、障害のある児童・生徒の状態を適切に判断するため、教育委員会に専門家の意見を聞くことを義務付ける。)
 4月、「点字付き絵本の出版と普及を考える会」発足(点訳ボランティア、出版社、印刷会社、作家らが参加。世話人は「ふれあい文庫」代表の岩田美津子)
 4月25日、ユニバーサルデザイン絵本センター発足。UD絵本として、7月『てんてん』『でこぼこえかきうた』、2003年5月『ゾウさんのハナのおはなし』『チョウチョウのおやこ』2004年10月『なないろのくら』『おでかけまるちゃん』を刊行
 5月、桜雲会が『漢字実用化辞典』(全11巻)を出版。点字使用者が活字文書を書くさい適切な漢字を選択できるよう、漢字の使い分けを簡単な用例で示している。
 5月22日、「身体障害者補助犬法」が成立、施行は2002年10月1日(当初は公共交通機関や公共施設が対象。2003年10月からは民間施設にも義務付けられる)。
 5月、日盲社協点字出版部会が、「点字表示等に関するガイドライン」を発行
 5月、総務省が点字投票用紙に点字で選挙名を記載するのは可能との判断を示す。これを受けて、兵庫県加古川市は6月30日の市長・市議選で全国で初めて選挙名を点字で表記した点字投票用紙を使用。
 6月23日、岡山県新見市の市長・市議選で、全国で初めて電子投票が行われた(視覚障害者をふくむ障害者、高齢者にも高評)
 7月、日本盲人社会福祉施設協議会が『視覚障害者の安全で円滑な行動を支援するための点字表示等に関するガイドライン』を発行
 7月5日、改正ハートビル法が成立(デパート・ホテル・劇場など、新築の大規模建築物のバリアフリー化を義務付ける。施行は2003年4月1日から)
 7月13日、日本ビジネス点字検定協会が、第1回ビジネス点字検定および児童点字検定(ともに3級のみ)を実施
 8月8日、厚労省が2001年6月1日現在で行った身体障害児・者実態調査結果のうち生活実態などの調査結果を公表。推計で、点字ができる者32,000人(10,6%) 、パソコンを毎日あるいはたまに利用する者15,000人(5%)
 8月、ジェイ・ティー・アールが、中途失明者らが読みやすいLサイズの点字を打ち出す専用同時両面印刷プリンター「ESA2000/L」を開発、12月末より販売。(A4サイズ対応で、表18、裏17行のインターライン方式、1行あたり32マス。点字の点間は、1と2の間が2.7、1と4の間が2.4ミリとやや大きめ)
 8月、千歳市は、住基ネットで住民に割り振られる十一けたの「住民票コード」の本人への通知について、視覚障害者のうち希望者に対しては、点字の文書か録音テープのどちらかの方法で行う方針。(大阪しも希望者に住民票コード通知表を送付)
 8月、2001年7月の参院選で点字投票した際、間違った用紙を渡され投票を無効にされたとして、兵庫県明石市の視覚障害者が申し立てた人権救済について、兵庫県弁護士会人権擁護委員会は、選挙権の行使に著しい人権侵害があったと認定し、明石市選管に警告書を、総務省に勧告書を送付。
 9月、ケージーエスが点図ディスプレイ「ドットビュー」を発売(72mm×96mmの画面に768個(縦24×横32)のピンの凹凸で図形情報を表示。高速スクロール、表示画像の拡大・縮小が可能で、静止画だけでなくかんたんな動画も表示できる。なお、この4倍の大きさの大型点図ディスプレイは2年前から試作されている。)
 9月14日、障害者の人権問題の啓発や権利救済などを目的に「障害と人権全国弁護士ネット」が発足。
 9月、鉄道総研が、駅ホームの新たな点字ブロックとして「混合ブロック」を提案(従来の点状ブロックに線状ブロックの突起を1本加えた物)。
 10月、日本図書館協会が「障害者の情報アクセス権と著作権問題の解決を求める声明」を発表、「著作権者の権利保護を強調するあまり、障害者の情報アクセスを妨げるという不本意な結果が生じている」と憂慮を示す。
 10月、京都ライトハウス点字出版部が、カラークリスタルやシルバーメタルをシャツ・ハンカチ・ネクタイ・靴下などの布製品に接着させて、点字や識別マークを表現する「ドット・テイラー・サービス」を開始。
 10月21日、文部科学省の「特別支援教育のあり方に関する調査研究協力者会議」が中間報告をまとめ、障害種別にとらわれない学校を自治体の判断で設置できる「特別支援学校」の制度化を提言。
 11月17日、第3回点字技能検定試験実施(授験者数109人)。12月20日に結果が発表され、24人合格(合格率22.0%)
 11月、JR東海が、新幹線車両内のデッキの手摺りやトイレの扉の内外に、点字による号車番号や設備の案内を表示した触地図の設置を始める。
 12月24日、政府は、2003年度から10年間の障害者施策の基本となる新たな「障害者基本計画」、およびその前期5年間の重点施策の具体的な数値目標を定めた「障害者プラン」を閣議決定

●2003年(平成15年)
 1月、埼玉県は、ユネスコが提唱しているインクルージョンの理念および2002年4月の学校教育法施行令の改正をふまえて、障害児全員が健常児といっしょに授業を受けられるよう盲・聾・養護学校に加えて普通学級にも席を置く「2重学席」の2004年度実施を目指して検討を開始(埼玉県下の市町村教委が2001年秋に養護学校等への進学を勧めた児童生徒計671人の内、305人が普通校に進んだ)
 1月24日、文化庁が、ホームページ上の文章や写真などのネット著作物を、一定の条件下で、著作者に連絡を取らずに無料使用できることを表す「自由利用マーク」を制定。マークは@変更・加工なしならコピーやプリントアウト、無料配布可、A障害者のための使用、B学校教育、の3種類。Aでは、拡大や録音、リライト、さらには実費での配布や貸出、メール送信なども可能。
 2月、文化庁が、拡大教科書について、一定額の補償金を支払えば(ボランティア作成の場合は免除)、著作権者の許諾を得ずに掲載できる一般教科書の特例に準じた扱いにする方針
 2月、サン工芸が、京都ライトハウスと共同で「手すり用音声案内装置」を開発(手すりの点字表示板に隣接して取り付け、点字を読めない視覚障害者でもボタンを押すと音声で情報が聞ける)
 3月、京都ライトハウス点字出版部が、白杖や携帯電話等硬い素材に点字や凸模様を付ける「UV点字加工」を開始
 3月、全国視覚障害者情報提供施設協会が、『はじめての点訳(第2版)』に対応した「指導者マニュアル」を作成
 3月29日、点字技能師(点字技能検定試験に合格し日盲社協に登録済の者)らが、正しい点字の普及や視覚障害者の情報環境の整備を目的に「日本点字技能師協会」を設立
 4月、点字毎日が、月刊「ニュースがわかる」の点字版創刊。また、KGSと提携して、点字電子新聞の配信開始
 4月、日本郵政公社の発足に伴い、点字郵便物の表記が「盲人用」から「点字用郵便」に変更(無料扱いは継続)
 4月、高山市と飛騨高山観光誘致東京事務所が、「指と音でたどる飛騨高山観光マップ」を作成、視覚障害者に無料配布(A4版の簡単な触地図とCDのセット。触地図上の名所等には番号が付され、 CDでそのトラック番号を選べばその詳しい説明を聞ける)
 4月、名古屋盲人情報文化センターの呼びかけで5団体が協力して、視覚障害児のための「日本文学百選」を5媒体(普通サイズの点字、Lサイズの点字、カセットテープ版、文字と朗読を同時進行できるCD-ROM版、大活字版)で販売開始。来年中の完成をめざす。
 5月、大阪市交通局が、「触覚による乗車位置情報表示」(乗車車両と車両内の扉の位置を点と線で示した図形表示)を地下鉄車両に試験導入
 6月、日本信販が点字入りのクレジットカードの発行開始
 6月、国連の「障害者権利条約に関する臨時委員会第2回会合」が、「障害者の権利条約」を作成する必要があるとの認識で一致し、2004年内の条約起草に向けた作業部会を設置することで合意。
 7月、京都ライトハウス点字出版部が、ドット・テイラー方式で、折り畳んで持ち運べる布の触地図(京都市内全図、洛中、嵯峨野・嵐山の3枚1組、a3サイズ)を発売。さらに同じ方式で、2004年11月に日本地図(45cm×34cm)、2006年7月に世界地図(59cm×90cm)も発売。
 7月18日、改正公職選挙法が成立(施行は2004年3月1日)。上肢または視覚の障害程度が1級の重度障害者で自ら投票用紙に記載できない者につき、代筆による郵便投票が認められる。
 7月25日、盲学校やろう学校の教員、研究者らを中心に、全国盲ろう教育研究会発足
 9月、アスクが、小型軽量の点字表示装置「ASKKてんてん」を開発。2004年3月より国内販売開始 (行単位で表示するのではなく、円盤上の点字表示部分を回転させることで、ユーザーは指を動かすことなく連続して点字を読む方式)
 10月、オンキヨー株式会社と点字毎日主催の第1回オンキヨー点字作文コンクールの入選作が決まる。最優秀賞は、藤野高明「平和への願い」。
 10月、日本点字技能師協会が、『点字技能検定試験の対策――過去問題の正答と解説』を出版
 10月、名古屋盲人情報文化センターが、各界のリーダーたちの著した話題のビジネス書をシリーズ化して、バリアフリー出版開始(点字・テープ・デイジー・大活字版の4媒体)
 11月16日、第4回点字技能検定試験実施(授験者数86人)。29人合格(合格率33.7%)。第1回からの合格者総数は104人。
 11月、点字学習を支援する会・漢字学習グループ編『視覚障害者の漢字学習 (教育用漢字 小学1年)』が日本点字図書館より発行 (PC音声詳細読み、音訓読みとその語例、漢字の意味や字形・成り立ちの解説付き。弱視者用(拡大文字)と点字使用者用(UV点字と墨字併記)の2種。翌年以降も学年進行で発行され、2008年に小学6年までの教育用漢字1006字を提供)
 11月、共用品推進機構が、「アクセシブルデザイン標準化検討調査研究委員会」の活動の一貫として、「触地図(触図案内板・点字案内板)表記方法における標準化に関する検討小委員会」を設置
 12月、アメディアが、印刷物をコピーを取るようにセットして自動的に点字印刷するシステム「あっと点訳」を開発、2004年1月から販売開始

●2004(平成16)年
 4月、カナダのトロントで開かれた「国際英語点字協議会(ICEB)の総会で、統一英語点字コード(UEBC)が採択される (2004〜5年に、オーストラリア、ニュージーランド、ナイジェリア、南アフリカが、2010年にカナダが、2011年10月にイギリスが、UEBCの採用を決定。2012年11月、北米点字委員会(BANA)が、将来のアメリカの点字としてUEBCを採用することを決める(理数記号のためのネメメス・コードは存続))
 4月、一般の小中学校に在籍する視覚障害児のための拡大教科書が今年度分から無償給付となる。さらに6月、点字教科書についても今年度後期分から同様の扱いにすると文部科学省が表明。
 4月、名古屋盲人情報文化センターが、ラージサイズの点字を書くための携帯点字器「だいてん丸」を開発・発売
 5月、全国視覚障害者情報提供施設協会が、小中学生向けにビデオ版の『指で読む文字〜初めての点字』を製作、大活字より発売
 6月20日、JIS企画として、「紫外線硬化樹脂インキ点字 品質及び試験方法」が制定される。UV点字の強度や大きさ・高さ、それを評化するための試験方法が規定される。
 日本盲人福祉委員会の下に「視覚障害者選挙情報支援プロジェクト」が発足、全国の点字出版施設等が協力して7月の参議院比例区の選挙公報全文の点訳版を製作、それを19都道府県の選挙管理委員会が買取り視覚障害者に配布 (2007年7月の参議院選挙では点訳版のほか、音声訳および音声コード版も製作される)
 9月、日盲社協実施の点字技能検定試験が、厚生労働大臣が認定する「社内認定」として認可、公的資格となる
 10月、『中途視覚障害者への点字触読指導マニュアル』(澤田真弓・原田良實編著、読書工房)発行 (入門期におけるLサイズの点字を使った〈縦読み〉を推奨)
 10月、京都ライトハウスが、ラージサイズの点字で、点字の学習テキスト「ことばあそび」「思い出の童謡・唱歌」「暮らし上手のメッセージ」の3冊を販売
 11月14日、第5回点字技能検定試験実施(授験者数84人)。36人合格(合格率42.9%)。第1回からの合格者総数は140人。

●2005(平成17)年
 1月11日、一般校で学ぶ視覚障害児童生徒が使用する点字教科書の製作供給の確立や情報の共有などを目的に、全国の視覚障害者情報提供施設、点字出版施設、点訳ボランティア団体などが集まり、「全国視覚障害児童・生徒用教科書点訳連絡会」発足
 1月、ハウス食品が、ナチュラルミネラルウオーター「六甲のおいしい水」のペットボトルの底面に「みず」の点字を表示し、さらに肩口に漢字の「水」をデザインした立体文字(識別マーク)を施して発売
 2月20日、毎日新聞社が、「点字毎日」2週分を1枚のCDに収録した「点字毎日音声版」を創刊
 3月、「点字表示方法における標準化に関する検討小委員会」が、公共施設をはじめさまざまな場所に設置されている点字表示のJIS化のための素案をまとめる。
 4月22日、「点字楽譜利用連絡会」発足
 5月、日本点字図書館が、「ユニバーサルデザイン推進室(UDラボ)」を開設。触図製作及び関連事業、録音図書ネットワーク製作、DVDコンテンツの副音声製作の3事業を展開。
 5月、キングジムが、点字を知らなくても点字・墨字併記のラベルを作製できる「テプラPRO SR6700D」を発売
 9月、『パソコンで仕上げる点字の本&図形点訳 〜これなら教科書だって点訳できる〜』(長尾博著、畑中滋美作図)が読書工房より出版される
 11月13日、第6回点字技能検定試験実施(受験者数57人)。18人合格(合格率31.6%)。第1回からの合格者総数は158人。
 CWAJ(College Women's association of Japan)が、視覚障害学生対象の奨学金制度開始30周年を記念して、B4版の立体コピー図版15枚からなる絵本「Guri and Gura」を製作
 『日本の点字図書館22 平成17年度全国視覚障害者情報提供施設実態調査報告』によれば、回答のあった84施設の総職員数は734人(正規専任434、正規兼任57、非常勤247)、その内視覚障害職員は49施設で100人(正規専任61、正規兼任5、非常勤30)。

●2006(平成18)年
 4月、公共施設や設備における点字の表示原則や表示方法について定めたJIS企画「高齢者・障害者配慮設計指針−点字の表示原則及び点字表示方法−」(JIS T0921-2006)が公表される (各点の中心間距離は、1と2、2と3の点が2.2〜2.5mm、 1と4の点が2.0〜2.5mm、 1マス目と2マス目の 1の点間が5.1〜6.3mm、 1行目と 2行目の 1の点間が11〜15mm。各点の断面形状は、底面の直径が 1.3〜1.7mm、高さが 0.3〜0.5mm)
 5月、花王が、化粧品の容器や口紅の色を識別するための「化粧品点字シール」を作成、全国のデパート及びスーパーのビューティアドバイザーのいるソフィーナコーナーで無料で配布開始
 9月、国土地理院が、触地図原稿作成システムを試験公開 (日本全国の地図データが整備されている電子国土背景地図データから触地図記号を自動生成し、立体コピー用の原稿を作成。縮尺は1/2,500を基本とし、1/1,000から1/10,000までの12種類)
 9月、くもん出版が、点字付きの日本地図パズルを発売
 10月、ユニプランが、低価格の触覚ディスプレイ OUV3000を開発(2.5mm間隔で横64×縦48個のピンを配置)、プロジェクトゆうあいが販売
 11月12日、第7回点字技能検定試験実施(受験者数58人)。17人合格(合格率29.3%)。第1回からの合格者総数は175人。
 桜雲会が『てんじ手作り絵本 かいてみよう かんじ1』を編集発行(小学1年で習う漢字80字のうち40字それぞれについて、筆順などを丁寧に紹介。2008年には残りの40字を紹介した『てんじ手作り絵本 かいてみよう かんじ2』も発行)

●2007(平成19)年
 1月、小学館が、「てんじつき さわるえほん シリーズ」として、「きかんしゃトーマス なかまがいっぱい」と「ドラえもん あそびがいっぱい!」を出版 (色の違いを触パターンの違いで表現、一つの絵を前と横からの2方向で表現)
 9月、内閣府が、音声広報CD「明日への声」発行開始 (ほぼ隔月刊。2010年からは点字広報誌「ふれあい らしんばん」も発行)
8月、三菱化学メディアが、表面に点字を印刷したCD−Rディスクを発売(ディスクの規格・容量を表示)
 10月、「筑波技術大学情報・理数点訳ネットワーク」発足(情報系・理数系の点訳書を製作し、視覚障害学生が学ぶ大学等に学習資料として提供)
 11月11日、第8回点字技能検定試験実施(受験者数55人)。15人合格(合格率27.3%)。第1回からの合格者総数は190人。
 11月、日本点字委員会より『資料に見る点字表記法の変遷 慶応から平成まで』(日本点字委員会創立40周年記念事業)出版

●2008(平成20)年
 3月、点訳者の小林雅子・石井薫が、手引書『英語点訳ガイド−Textbook Written by Braille Transcribers−』を作成、全国の特別支援学校や大学などに無料で提供
 4月、ハングル点訳同好会「サランバン」が、『韓国語点訳のてびき(2008年版)』を発行 (2012年2月『改訂 韓国語点訳のてびき(2012年版)』発行。古文特有の母音や子音の表記を加える)
 6月、日本視覚障害社会科教育研究会(2007年2月発足)の監修で『基本地図帳−世界と日本のいまを知る』(全4巻)が視覚障害者支援総合センターより発行される
 6月、点字つきさわる絵本『はらぺこあおむし』(インドで製作された布の絵本)が偕成社より発売
 6月、大阪府の職員採用試験(大学卒程度)で、点字試験に音声パソコンを併用する受験が行われる
 8月、日本点字図書館より『アジアの点字』(田中徹二編)が発行される (日本語・韓国語・中国語をはじめ、ウズベク語・チベット語・ラオ語などアジア地域25言語の点字の考案・発展過程と点字コードについて解説) (点字版は2009年8月発行)
 8月、東京のボランティアグループ「紫会」が、『源氏物語』の英語版(エドワード・サイデンステッカー訳)の点訳を完成(全39巻)。米議会図書館には点訳本を寄贈し、日本点字図書館には点訳データを提供。
 9月、京都ライトハウスが、B6判(従来の点字本の半分の大きさ)の点字本シリーズ「はんぶんこ」の製作・販売を開始 (これまでに「新小倉百人一首」「おつきあいのマナーとタブー」「うたぼん〜みんなでフォーク編」「万葉集」など)
 11月16日、第9回点字技能検定試験実施(受験者数73人)。23人合格(合格率31.5%)。第1回からの合格者総数は213人。
 12月、視覚障害者支援総合センターが公募していた「ルイ・ブライユ生誕200年記念論文・エッセイ」の入選者が決まる(論文部門の入選は愼英弘「点字選挙公報に関する一考察」、エッセイ部門入選は窪田雅枝「点字との出会い」他3編) (2009年5月、これらの論文・エッセイの作品集『ルイ・ブライユ生誕200年記念作品集/点字エクササイズ63』が刊行される)

●2009(平成21)年
 3月、筑波技術大学が、難読の鍼灸用語を検索し読みと分かち書きを表示する「鍼灸・医学用語の点訳音訳辞書システム」を開発 (当初はCDで配布していたが、2013年10月よりインターネットで公開)
 3月、筑波技術大学が、『韓国語点字入門』を刊行(点字、活字、デイジー版、パソコンデータ版)、全国の点字図書館などに無償配布
 4月、筑波技術大学障害者高等教育研究支援センターが、マルチモーダル(活字・点字・音声・電子)図書『宇宙と私たち−天文学入門』(京都大学の嶺重慎教授らが執筆。点図51枚ふくむ)刊行、全国の盲学校や点字図書館などに寄贈。嶺重慎らはさらに、2011年に、『宇宙と私たち−天文学入門ジュニア編』(活字版は読書工房、点字版・音声版・電子ブック版は桜雲会)、2012年に、『ホシオくん 天文台へゆく』(活字版は読書工房、点字・、音声版は桜雲会)を刊行
 7月、ベストセラー絵本『しろくまちゃんのほっとけーき』が、点字絵本として発行元のこぐま社より出版される
 8月13日〜11月24日、国立民族学博物館で「点字の考案者ルイ・ブライユ生誕200年記念・・・点天展・・・」展開催。11月22〜23日にはシンポジウム「点字力の可能性―21世紀の新たなルイ・ブライユ像を求めて」が行われる。
  8月、第45回総選挙で、視覚障害者選挙情報支援プロジェクトが比例区の選挙公報全文の点訳版を作成、44都道府県の選管が買い上げ視覚障害者に配布(小選挙区の選挙公報全文点訳版は33都道府県選管が買い上げ配布)。
 9月、筑波技術大学の長岡英司教授と首都圏の六つのボランティア点訳グループ約90人が、中学・高校の各学年版の「チャート式数学」(数研出版。計6冊)を点訳(点字では全290冊)、希望者には無料で点訳版を提供。
 10月、大阪市が、保育師および保健師の採用試験で点字受験を認める
 10月31日〜11月1日、日本盲人福祉委員会と日本点字委員会の主催で、「ルイ・ブライユ生誕200年、石川倉次生誕150年記念 点字ビッグイベント」開催
 11月15日、第10回点字技能検定試験実施(受験者数75人)。15人合格(合格率20.0%)。第1回からの合格者総数は228人。
 11月、筑波技術大学障害者高等教育研究支援センターが、図形点訳ソフト「エーデル」の入門書『エーデルをはじめよう!』刊行(点訳者に無料で配布)
 11月、千葉県長南町在住の元小学校教師永嶋まつ子が、「石川倉次物語―日本点字の創始者―」を自費出版 (同町で石川倉次は青少年期を過ごしている)
 12月、川村智子著『楽譜点訳の基本と応用』が、明石書店より発行される

●2010(平成22)年
 1月、日本伝統文化振興財団が、点字と大きな活字の解説書がついた落語のCDを発売
 1月、日本盲人福祉委員会が、ルイ・ブライユ生誕200年・石川倉次生誕150年を記念して2009年度に行った「点字普及支援事業」で集まった寄付金などを元に、点字器や点字用紙などを21ヶ国に寄贈開始
 4月、視覚障害者情報総合システム「サピエ」運用開始 (ないーぶネットとびぶりおネットを統合して、点字データとデイジーデータを検索・ダウンロードできる)
 4月、東京ヘレンケラー協会が、新点字印刷システムとして、ドイツから、マールブルク自動製版機(点図も製版できる)、平板点字印刷機などを導入
 4月、梅尾朱美(全盲。1950〜)が、障害者自立支援法に基づく市の障害程度区分の判定を不服として、点字の訴状を名古屋地裁に提出、名古屋地裁はこれを受理 (2012年9月、同地裁は判決要旨を点字で渡す) (現在、愛知視覚障害者協議会会長。2014年『権利の芽吹きは足もとに』(かもがわ出版)刊行)
 9月、宇都宮地裁で行われた裁判員裁判で全盲の女性が裁判員に選任、冒頭陳述などの書類は点訳され、画像などは口頭で説明を受けて、審理に参加した
 11月1日、東京都中央区築地の楽善会訓盲院跡に「東京盲唖学校発祥の地、日本点字制定の地」記念碑が建立される
 11月14日、第11回点字技能検定試験実施(受験者数80人)。16人合格(合格率20.0%)。第1回からの合格者総数は244人。
 11月、愼英弘(四天王寺大学大学院教授)が『点字の市民権』(生活書院)を出版 (点字の歴史、点字教科書、点字と選挙権、点字内容証明郵便、点字の遺言書と訴状について解説)
 12月、全視情協が、一般の人たちがインターネットで点字を学習できる「ひとりで学べるたのしい点字」のページを公開

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◆ 2011〜


●2011(平成23)年
 1月、つつじフレンドより、点字音声PDA「ブレイルセンス」シリーズを使って各種の点訳辞書を引くことのできる Sense-dic が提供される(組み込まれている辞書は現在、国語辞典、小学新国語辞典、カタカナ用語辞典、四字熟語辞典、敬語言い換え辞典、日本語エスぺラント辞典、新英和中辞典、新和英中辞典、ジュニア・アンカー英和辞典、西和辞典、仏和辞典、独和辞典、和独辞典、伊和辞典、羅和辞典の15種) (2012年8月、Sense-dic バージョン2.0が提供され、新たに、哲学辞典、法律用語辞典、新法律学辞典、新撰古語辞典、和西辞典の5種の辞書が追加される。さらに、2014年6月にはバージョン2.4が提供され、ロングマン英和辞典、新約聖書ギリシア語小辞典、故事ことわざ辞典、同じ読みで意味の違う言葉の辞典(同音異義語)の4種が追加される)
 2月、総務省が、各都道府県選管にたいして、点字及び音声による選挙情報の提供について要請 (国政選挙や都道府県知事選挙では、選挙公報の全文を、点字版だけではなく、カセットテープ版、コンパクトディスク版及び音声コード付き拡大文字版で提供する、その他の地方自治体の選挙についても上に準じた措置を講ずるよう努める)
 10月、東京点字出版所が『手で見る動物図鑑』出版 (哺乳類21目51種、爬虫類4目7種、両生類2目5種の、計63種掲載。翌年『手で見る昆虫図鑑』出版)
 11月13日、第12回点字技能検定試験実施(受験者数74人)。24人合格(合格率32.4%)。第1回からの合格者総数は268人。
 12月、日本点字図書館より『いろんなかたちをさわってみよう 幾何学立体教材』(日本点字図書館点字製作課 編集 高村明良 監修)発行 (立方体や三角錐など13種の立体が本を開くと立ち上がるように工夫)
 
●2012(平成24)年
 3月、点字学習を支援する会より『視覚障害者の漢字学習(常用漢字 中学校編)』が発行される (常用漢字2136字のうち、小学校で学ぶ1006字を除く1130字を掲載)
 3月、指点字を体系的に学ぶことのできる『指点字ガイドブック 〜盲ろう者と心をつなぐ〜』(東京盲ろう者友の会編著)が発行される
 4月、日本盲人社会福祉施設協議会情報サービス部会より、視覚障害者向けの料理本『ひとりでできる家庭料理 ―五感で調理するレシピ集―』が発行される(墨字版の発売は読書工房より。点字版と音声版は、全国の点字図書館など同部会加盟施設・団体に寄贈される)
 5月、日本点字図書館より『ふれる世界の名画集』発行 (ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」、ミレーの「落ち穂拾い」、ムンクの「叫び」など、西洋の代表的な絵画12種を半立体化し、絵の理解を促す点字の解説を付す)
 6月、点字毎日が、全国視覚障害者情報提供施設協会(全視情協)と共同で、1922年5月の創刊号以来の「点字毎日」のバックナンバーのデータ化を開始する (全視情協の島根あさひ事業所が官民共同で運営する刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」の受刑者に点字を教え、その受刑者たちがデータ化作業を行う。点字データは、全視情協が運営する視覚障害者情報総合ネットワーク「サピエ」に順次アップされる予定)
 6月、韓国点字図書館の触る絵本『動物の秘密 タッチ・ミー』の日本語版が、   大活字文化普及協会と日本ライトハウス情報文化センターの協力で発行され、全国の盲学校や点字図書館に配布される (各動物について、浮出しの形、体表の触感、解説文がセットになっている。ワシ、シマウマ、熱帯魚、ゾウ、チーター、ワニ、ヘビ、シロクマ、カメを掲載。とくにワシの羽、熱帯魚の鱗、シマウマの縞模様、シロクマの毛は優れている。形は輪郭のみ。)
 7月、ギャラリーTOMとNPO法人視覚障害者芸術活動推進委員会が、『手で見る北斎― 冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』発行(1枚の絵を、波、富士山、船などのパーツごとに触図化し詳しく解説)。 (2016年には、触察本『で見る地震と津波』を出版)
 11月11日、第13回点字技能検定試験実施(受験者数72人)。14人合格(合格率19.4%)。第1回からの合格者総数は282人。
 ロゴス点字図書館が、1935年発行の『東京盲學校六十年史』の点字版(全9巻)を製作、全国の盲学校や主な点字図書館に寄贈。
 12月、日本点字普及協会(理事長:高橋實)発足 (2013年4月、NPO法人)
 
●2013(平成25)年
 東京光の家 栄光園が、『てのひらサイズ英語点字略字ブック』(B6版、23ページ)を発行
 3月、愛知県美術館が、文化庁の補助金を得て、視覚障害者対象の鑑賞学習補助ツール『びじゅつかんからやってきたさわるアートブック』を製作(2014年3月にも、同Aを製作。愛知県内の各地の美術館所蔵の絵画・彫刻・陶などの作品を触図と解説文で紹介している。)
 9月、筑波技術大学が、岡山ライトハウスが発行している弱視者向けに大きな文字で書かれた「解剖学教科書」の図版145枚を点図化し、そのデータを無料で盲学校などに配布。
 10月、日本漢点字協会より『川上漢点字・補助漢字編』(活字本 全1巻、点字本 全5巻)が発行される。
 11月10日、第14回点字技能検定試験実施(会場は、東京、大阪、札幌の3箇所。受験者数68人)。14人合格(合格率20.6%)。第1回からの合格者総数は296人。
 11月、常磐大学の中村正之研究室が、富嶽三十六景の全46作品の立体コピー図版(1枚の浮世絵を4枚セットの図版で表している)を製作、山梨県立博物館等に寄贈
 11月、福音館書店より、『てんじつき さわるえほん ぐりとぐら』が発売される
 12月、東京メトロと東京都交通局が共同で、 「東京メトロ・都営地下鉄 駅情報(デイジー編・路線触図編)」を発行 (路線触図編は、A4版縦見開きで、地下鉄線を1路線毎に掲載し、各ページにJR山手線・中央線・総武線を合わせて掲載)
 
●2014(平成26)年
 3月、全国視覚障害児童・生徒用教科書点訳連絡会より『教科書点訳の手引』が発行される
 4月、東京・高田馬場に「手と目でみる教材ライブラリー」が開館 (「モナリザ」「最後の晩餐」「神奈川沖波裏」等の絵を半立体的に翻案したレプリカ、視覚障害者用教材・教具、点字指導教材、手でみる絵本などを展示)
 6月、日本点字委員会が、英語の教科書については、UEB(統一英語点字)を、中学は2016年度用から、高校は2017年度用から学年進行で採用することを決める。(ただし、一般文章中ではUEBは原則として用いない。)
 7月、日盲社協点字出版部会の「自治体広報啓発委員会」が、点字広報について、全国の都道府県・政令市・東京23区・その他の市計855自治体にアンケート調査を行う。733自治体が回答、点字版の広報を発行しているのは326自治体(都道府県:40/43、政令市:20/20、23区:15/20、その他の市:273/672)。これらのうち、全文点訳をしているのは138自治体。
 11月16日、第15回点字技能検定試験実施(会場は、東京、大阪、福岡の3箇所。受験者数80人)。16人合格(合格率20.0%)。第1回からの合格者総数は312人。
  
●2015(平成27)年
 2月、全国視覚障害者情報提供施設協会が「点訳ナビゲーター 点訳者のための点字表記検索システム」を公開、運用開始
 3月、桜雲会が、『おとがでるえほん かいてみよう きいてみよう かんじ1』を制作・発行 (音声ペンがセットになっていて、ペンで紙面をなぞると、その漢字の書き順・読み・意味などを読み上げる。2016年3月には『おとがでるえほん かいてみよう きいてみよう かんじ2』も発行)
 4月、花王が、日本工業規格(JIS) S0021「高齢者・障害者配慮設計指針−包装・容器」における洗髪料及び身体用洗浄料容器の触覚識別表示についての2014年5月20日改正文に従って、全身洗浄料の容器に触覚識別表示として「一直線状の触覚記号」(通称:ライン)を採用
 5月、京都ライトハウスが、女性向け点字雑誌「京きらら」を発刊(隔月刊)
 7月、日本ライトハウス情報技術センターより、福井哲也著『エッセンシャルガイド 統一英語点字 UEB で何が変わるか』が出版される
 7月、TOEIC(Test of English for International Communication)の公開テスト(一般受験者を対象として定期的に実施される試験)で、点字受験ができるようになる (年2回(7月・1月)、7受験地(札幌・仙台・東京・名古屋・大阪・広島・福岡)で受験できる。なお、筑波技術大学では2011年度より、視覚障害者特別措置として、TOEICの団体特別受験制度(IPテスト)を行っている)
 9月、横浜市立盲特別支援学校が、ボランティアの協力を得て、『くもんの学習小学国語辞典』改定第4版(村石昭三監修、2011年、くもん出版)を点訳、同校ホームページで公開(全28巻。神奈川県下の100人ほどの点訳ボランティアが協力して1年足らずで完成。ホームページからダウンロードできる)
 10月、日本ライトハウス情報文化センターが、児童向け点字雑誌『アミ・ドゥ・ブライユ』を創刊(隔月刊。無料で、希望する学校や個人に配布)
 11月8日、第16回点字技能検定試験実施(会場は、東京、大阪、札幌、福岡の4箇所。受験者数82人)。19人合格(合格率22.1%)。第1回からの合格者総数は331人。
 12月、筑波技術大学が、「数学&情報処理点訳ガイド」の点訳版(全3巻)とPDF版を公開
 
●2016(平成28)年
 11月13日、第17回点字技能検定試験実施(会場は、東京、大阪、盛岡、福岡の4箇所。受験者数83人)。18人合格(合格率21.7%)。第1回からの合格者総数は349人。
 
●2017(平成29)年
 2月、講談社より『点字つきさわる絵本 あらしのよるに』(文:きむら ゆういち 絵:あべ 弘士)が出版される (ヤギは枠線で、オオカミはざらざらの面で示して区別。また、裏表紙には、ヤギとオオカミの特徴を説明する触図がある)
 3月、総務省が、マイナンバー・カードの発行申請で視覚障害者専用の申請用紙の見本を作り、全国の自治体に通知 (自分の名前と申請日を点字で記入する署名欄およびその位置が触って分かるように用紙の左右に切れ込みを入れ、また弱視者が記入欄を判別しやすいよう枠線を太くしている)
 6月、BL出版より『さわってたのしむどうぶつずかん』(長瀬健二郎監修 ドーリングキンダースリー社作)が発売(動物の浮出しの輪郭とともに、毛の温かさやうろこのなめらかさなど各動物を連想させるテクスチャーも表現)
 11月12日、第18回点字技能検定試験実施(会場は、東京、大阪、札幌、下関の4箇所。受験者数86人)。25人合格(合格率29.1%)。第1回からの合格者総数は374人。
 12月、日本点字普及協会が、読む形の点字通りに書ける凸面点字器「トツテンくん」を開発(左から右に書き、紙の表側から点字を読める。発売元は読書工房)
 
●2018(平成30)年
 1月、宮城県視覚障害者情報センターより、『家紋と名字』がサピエにアップサレル。400余の家紋をエーデルで点図化、各図とも、模様の部分の図とともに輪郭図も付け、さらに図の詳しい説明文も添えられている。
 3月、京都のしらかわよしこさんが、8点用点字板(14行、両面書き)とCDラベル用円形点字版(2行、外周52マス、内周39マス)を開発
 3月、国土社よりシリーズ『『手で読む 心でさわる やさしい点字』の刊行が始まる(監修は日本点字委員会。(1)点字を読んでみよう、(2)点字を書いてみよう、(3)点字をさがしてみよう、(4)点字をささえる人びと)
 11月11日、第19回点字技能検定試験実施(会場は、東京、大阪、名古屋、福岡の4箇所。受験者数87人)。21人合格(その内3名が盲ろう者で、初の合格。合格率は24.4%)。第1回からの合格者総数は395人。
 

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◆参考文献と URL

【主な参考文献】
 『日本点字100年の歩み』阿佐博、日本点字制定100周年記念事業実行委員会、1990
 『道ひとすじ――昭和を生きた盲人たち』 <道ひとすじ−昭和を生きた盲人たち>編集委員会、あずさ書店、1993
 『日本盲界ことはじめ』下田知江、毎日新聞社点字毎日、1991
 『特殊教育の発展とその経緯――行政とのかかわりを背景に』大河原潔、第一法規、1990
 『特殊教育百年小史』文部省、1978
 『資料に見る点字表記法の変遷 慶応から平成まで』(日本点字委員会、2007)
 『点字の市民権』(生活書院、愼英弘、2010)
 『盲人の歴史』谷合侑、明石書店、1996
 『視覚障害者(児)の教育・職業・福祉――その歴史と現状』谷合侑、日本盲人福祉研究会、1989『点字の市民権』(愼英弘、生活書院、2010)
 『点字技能ハンドブック――視覚障害に係わる基礎的知識』谷合侑・黒崎恵津子著、視覚障害者支援総合センター、 2000
 『点字の履歴書――点字に関する12章』阿佐博、視覚障害者支援総合センター、2012
 「点字毎日」毎日新聞社
 「JB ニュース」 日本盲人会連合

【主な参考 URL】
  バリアフリーの情報ページ、毎日新聞「ユニバーサロン」:
http://www.mainichi.co.jp/universalon/
  共用品推進機構:
http://kyoyohin.org/index.php

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(2019年1月15日更新)