第1回 講習会の趣旨、「触って分かることと分からないこと」

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◆講習会のポイント
 
●作る側と触る側、見える人と見えない人とのコミュニケーション
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 その共通の基盤として、触知覚の基礎 
 (触る経験の大切さ、手の使い方、イメージ形成)
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 触知覚の特性をふまえた、図や模型の作製、説明の仕方
 
 
〈解説〉
 見える人たちにおける視覚の代行として、見えない人たちの場合には主に触覚が考えられています。しかし、点字や触図で伝えられるのは視覚情報のごく一部です。他方、触覚には視覚とは異なった特性があり、視覚では分からないようなことも触覚で分かります。このような、触ること一般、触知については、見える人たちばかりでなく見えない人たちの間でも十分に考えられているとは言えないようです。
 いっぽう、最近はバリアフリー化の流れの中で、いろいろな商品、駅をはじめとする交通設備、ミュージアムなどの公共的な施設で、見えない人たちにも点字だけでなく様々な形態での情報提供が行われるようになってきました。これはもちろん歓迎すべきことなのですが、触図や触知模型、また触ることのできる展示物について、触知の基本、見えない人たちの触知の方法・特性といったことを十分考慮しているとは言えません。
 この講習会では、触知覚の基本、見えない人たちの触知の方法や特性を理解したうえで、皆さんといっしょに様々な触図や触知模型作製のポイント、さらには(触図・触知模型の製作が難しい場合や、図・模型の提示だけでは不十分な場合)言葉や文章による説明の仕方を実例を通して考えて行きたいと思います。
 
 もうひとつ大切なことは、「触って知る」ということは、なにも見えない人たちだけに関係したことではないということです。本来、触知という行為は、生物としての人間が環境を知りまた環境にはたらきかけ、さらには自分の身体について知りコントロールするためにとても大切な基本のようなものです。そういう意味で、視覚に偏重しまた自分の身体感覚に疎くなっているように思われる現代の社会にあって、触知覚に注目し検討することには意義があると思います。
 
〈注意〉
 しばしば見える人たちは、見えない人たちの触覚は特別に優れていて、自分たちが触ってはとうてい分からないようなことでも分かっているのだろうと思い込んでいることがあるようです。点字をすらすら読んでいるのを見てそのような印象を持たれるかもしれませんが、点字を読むのが速いからといって、触図や実物その物を触ってそれを理解する能力が優れているとは限りません。
 触覚そのものの鋭敏さには見える・見えないの違いは影響しないようです。実際の触知能力には、手指の使い方、触覚情報を解釈するための豊かな触経験や様々な知識、想像力=イメージする力がとても重要です。(見える人たちの中にも、豊かな触経験やたくましい想像力で、素晴らしい触知能力を発揮している方がしばしばおられます。)
 
  *触知=手で〈触〉り、頭でイメージし〈知〉る。
  *私に限らず見えない人たちがいつも丁寧によく触っているとは限りません。日常生活では、例えば目の前にカップが置かれている場合、カップ全体をよく触ってからカップと判断しているのではなく、カップの取っ手や縁のごく一部の丸みに触れただけで、回りの状況とも勘案しながら、これはカップだろうと思うわけです。日常ではそれくらいの触り方で十分なことが多く、全体を丁寧に繰り返し触ってその物について知るというような触り方は、ちょっと特別なやり方であり、またそれなりに洗練され訓練された方法だと言えます。視覚の使い方は、日常生活でも教育の場でも自然に鍛えられているわけですが、触覚についてそのような洗練・訓練の機会はそうは多くないです。
 
 言いすぎかもしれませんが、基本的には見える人たちが触って分からないものは見えない人たちにも分からない、ということです。この講習会のひとつの課題は、触ってだれでも分かることから出発して、図や実物をどのようにすればよりよく理解できるようになるか、ということです。
 
 
◆私の自己紹介
 「視覚障害」と言っても、全盲から弱視まで、視力も視野も実際の見え方も様々です。また「全盲」と言っても、まったく見えない場合から、光覚があったりぼんやりと物の動きなどが分かる程度までいろいろですし、失明の時期や失明前の視覚の程度によって、どんな視覚経験を持っているのかも様々です。
 一般に、 3歳以前の失明では視覚経験の記憶はまったく残らず、また 3〜5歳の失明でも視覚経験の記憶はほとんど消失すると言われています。もちろんこれには個人差がかなりあるでしょうし、また失明してからの経過年数なども関係しています。
 私の場合は、親が生後3ヶ月で私の目の異常に気付いており、たぶん先天性の目の病気だったと思います。生後間もなくどのくらい見えていたのかはよく分かりませんが、私の記憶にかなりはっきり残っているのは、光の強い反射とか、明暗の区別くらいです。ぼんやりとですが、光と影の区別(自分の影が動いているのを見たような気がする)や明かるっぽい色と暗っぽい色の区別(赤、黄、青といった色の違いの記憶はない)などについて、なんとなく記憶があります。光覚は10歳くらいまで残っていたかも知れませんが、とても視野が狭くて、暗室で目を光の方向に向けた時だけ光を感じるくらいでしたので、ふだんの生活ではほとんど視力を意識することはありませんでした。
 そういう訳で、このような私が見えない人たちの触知の方法や特性について語る場合、それは主に全盲で視覚経験の記憶のほとんどない人たちのことについて語ることになります。このような人たちは、視覚障害者全体からすれば、かなり少数だということにも注意してください。
 今振り返ってみると、私なりの触知の仕方、動きや空間イメージの仕方にプラスにはたらいたものとして、幼児期に豊かな自然の中で近所の子どもたちと遊び回ったなかで培われた身体感覚、盲学校でのかなり孤独な生活のなかでの草や石との触れ合い、紙細工や粘土や編物などいろいろな手作業などがあるように思います。
 
*私がとくに〈触知覚〉のことについて興味を持つようになったのは、10年ほど前からです。きっかけは、私が地図を触っているところを見たあるボランティアが、私の触り方が珍しそうだと言ったことです。他の見えない人たちがどのように触り理解しているのだろうかと思い、調べたりするようになりました。
 
●触覚を中心とした私の見方と、回りの人たちの見え方との違い
エピソード1 木の形
 6歳ころ、妹とクレヨンを使ってお絵描きをしていた時のこと(色は妹に教えてもらい、クレヨンで描いた跡は触って微かに分かったので、輪郭はそれなりに自分で描いた)。私は木を、触った印象通りに、まず縦棒を描き、その途中から何本も枝分かれしているように斜め上や横にいくつも線を引いた。それを見ていた妹は「それは木じゃない」と言い、私の手を取って木を描かせてくれた。それは、縦棒の真中当たりから上にまず大きな円を描き、その中に細かくなにか描くようなものだった。触っては木のどこにもそんな大きな円はないのに……、とても不思議に思った。
 このような触覚印象と視覚印象との違いをそれなりに受け入れられるようになったのは、それから 10年近く経った、中学の終わりころ。視覚の場合、点と点の間に簡単に線を引いて全体の輪郭を直ちに〈見る〉ことができるらしい、そして、上の例では、整った形の木を遠くから見た場合、枝葉の先端を結べばほぼ円に近い形になるのだろう、と自分なりに納得した。(そのころには、直接触って得られた部分部分の情報を結び付けて、少し時間はかかるが、頭の中で全体的な形をイメージすることができるようになっていた。)
 触覚では、触れた物は存在するが、たとえ1ミリでも離れていれば存在しない、というのが直接の感覚体験。触覚では、存在と非存在が極めて明瞭に分割される。空白部(非存在部分)に線や面、さらに立体を想像できるようになるためには、イメージトレーニングが必要。
 
エピソード2 バケツの図
 小学5年か6年の算数の点字の教科書に載っていたバケツの図。その図は、斜め上から見た図をそのまま点図化したようなもので、台形の上と下に楕円形がくっついたような図だった。私の第一印象は、「これはバケツではない。というのも、バケツは触ってまず円いと感じるのに、その円はこの図のどこにもないではないか」。
 この図の台形の部分については、1日くらい考えて理解できた。バケツを縦に切った時の切り口の形を想像することで、納得できた。
 しかし、楕円形の部分については、いくら考えてもなかなか分からなかった。数年後ようやく、見る方向と円との角度によって、その〈見える〉形が、円から楕円、さらに一直線にまで変化して行く、ということに気が付いた。
 視覚では、見る角度によって投影される物の形は大きく変化するが、触覚では、触る角度によって物の形が大きく変化して感じられるということはほとんどない。
 
エピソード3 塩化ナトリウムの結晶構造の図
 高校の化学の教科書に載っていた図。これも斜め上から見た図をそのまま点図化したもので、 4角形の対角が切り取られたような6角形の図だった。私は、教科書の文章による説明から、すでに各イオンが立方体の各頂点に交互に配列しているような単純な立体構造を思い浮かべていたので、このような触って複雑そうに思われる点図とのギャップに驚き、またこのような点図はかえって思考を混乱させるのではと思った。
 立体物ないし立体的な構造の理解のためには、頭の中に立体を思い浮かべそれを様々に操作できるようになることが基本であり、かつそれで十分であって、平面の図による立体的な表現を理解できるかどうかはたいして重要なことではなく、ときには立体の理解をかえって混乱させるだけになることもあると思った。
 
*私がとくに「触知覚」のことについて興味をもつようになったのは、10年ほど前からです。きっかけは、私が地図を触っている所を見たあるボランティアが、私の触り方が珍しそうだと言ったことです。他の見えない人たちがどのようにして触り、理解しているだろうかと思い、調べたりするようになりました。
 
 
◆資料 触知について: 見えない人たちの文章から
 
●草山こずえ 「世界は私にふれる」
 私は「心の眼で見る」という言い方はごまかしだと思う。私が通っていた盲学校の校歌に「心眼更に明けよ」と言う歌詞があり、私はそこだけいつも口をつぐんで歌わなかった。2歳で失明した私には、「見る」ということがどういうことなのか、実感としてわからなかった。……それなのに、見えないということを直視し、世界の探究の仕方を教える代わりに、「君たちには心の眼がある」と言うのは嘘だ。
     (『彫刻に触れる時』協力ギャラリー・トム、用美社、1985より)
 
●小原二三夫 (兵庫県立近代美術館で、ザッキンの彫刻を触った時の感想)
 それは、両手を高く空に突き上げ、顔を空に向けて何かを訴え叫ぶかのように口を大きく開き、鼻らしき物が直角に大きく上に突き出し、胴体の真中にえぐれたような穴があるといったようなものでした。私の口からはつい「何か爆撃されたような、衝撃を受けたような……」と言葉が出ました。それを聞いてEさんは「ああ、やはり分かるのだなあ」とちょっと感激っぽく言いました。Eさんによれば、その作品は「破壊された町」と言う題で、ロシア生れでフランスで活躍したザッキンという人が、第2次大戦中ドイツ軍に爆撃されたオランダのロッテルダムを表すための記念として創ったそうです。私のまったく知らなかった作者が彫刻に込めた意図と私が触角から得た想像力とが符合したのには、一つの出逢いを感じました。きっと忘れられない経験になるでしょう。
 
●光島貴之
 見えない僕の触覚による形の認織はどうなっているのか。それは遠近感や表、裏という視覚による認識ではなく、頭の中で形を再構成し、存在そのものへ近づこうとする行為だ。視覚的にそれを瞬時にとらえることはできないが、一つ一つ触って部分から全体を想像していく。すると正面から見た平面的な形のイメージではなく、立体としての存在そのものが実感できる。
         (『毎日新聞』「世の中探見――美術鑑賞の方法」より)
 
●SK(大学生) 「ひととき――おもちゃや模型に魅せられて――」
 私の部屋はおもちゃや模型でいっぱいである。また、キーホルダーも大量にある。京都に出かけた時に金閣寺の小さな模型を買い、沖縄に行った時に守礼門やゴーヤーの形をしたキーホルダーを買って来た。こういうことを繰り返しているので、おもちゃや模型であふれているのである。
 我々視覚障害者は、触らないと物の形を知ることはできない。絵や写真で立体図を認識することはできない。だから、実際に見て分からないような建造物や、触ることができない危険な動物などのおもちゃや模型があると、たいへんありがたいのである。それにより、健常者と同じ情報を得ることができる。
 もちろん、おもちゃはかわいく作ってあったり百%の形になっていなかったりすることはあるが、それは、違う点を説明してもらえばよい。まったく0から説明されるよりは理解度は高いはずだ。おもちゃ屋でおもちゃを買うのが恥かしいという気持ちさえなければ、多くの物の形を知ることができる。……
 我々は図鑑を買って形が分かるわけではないし、観光地に行って全体像が認識できるわけでもない。それならば、このようなおもちゃや模型を利用するのもひとつの方向ではないか。おもちゃは実に大事だと思う。……
                (点字毎日第4132号 2003年3月16日)
 
 
◆触って分かることと分からないこと
 
〈触る体験〉
 受講者各自に、触ってもらういろいろな物を不透明なビニール袋に入れた状態で配り、それを次の三つの方法で触ってもらいます。
 @袋の上から触ってみる
 A袋の中に手を入れて直接触ってみる
 B袋から出して、見て触ってみる
 
●触って分かること(属性)
 (視覚で直接分かるものには○、視覚で分かりにくいあるいは分からないものには△を付ける)
 物の形 ○
 大小(体積) ○
 堅い・軟らかい △
 重さ △
 凸凹・粗滑 △
 弾力 △
 内部の様子 △
その他
 温度 △
 乾いているか湿っているか △
 粘りけ △
 液体の抵抗感 △
 圧力 △
 
※ △付きの属性についても、視覚でその物が何であるかを具体的に特定できれば、その物の持っている性質から、関節的に推測できることがある。
 
●触って分からないこと・分かりにくい物 ……
 色、明るさ、臭い、味など (これらはいずれも他の感覚器官で感じられるもので、触覚の適刺激ではない)
 大きすぎる物:建築物、樹木
 小さすぎる物(微細な構造):小さな虫、細胞、細かな模様
 熱すぎる物:炎
 冷たすぎる物
 動いている物:動物、機械
 壊れやすい物: シャボン玉
 不安定な物
 軟らかすぎて形の変りやすい物
 
●触ることのできない物 ……
 遠い所にある物(星、天体など)
 手の届かない所にある物・部分
 風景
 
●これら、触って分かりにくい物、触ることができない物を、どのようにして触って分かるようにするか
 
 
◆課題
 受講者各字(2、3人のグループでも良い)で、触知のための資料を作成し、それを第6回に発表する。
 
●作品例
 ・点図とその解説文:地図、植物、動物、人体、星座、絵画など
 ・地形模型:等高線に沿って厚紙あるいはスチレンペーパー・スチレンボードを切り、それを重ね合せて作る。土地利用の分布図などは、手触りの違う厚紙などを張り合わせて作っても良い。
 ・布と糸等をを使って地図や星座などを作る:広いものでも折りたたんで持ち運べる。
 ・幾何模型:正8面体、正20面体などを、厚紙あるいはスチレンボードで作る。様々な展開図も面白い。
 ・建築模型:厚紙あるいはスチレンボードで作る(全体の形だけでなく、各階ごとの組立式にして、内部の構造も分かるようにするとなお良い)。
 ・和紙で浮出し彫刻などを写し取る:和紙を濡らして糊を付けながら浮出し模型の表面にしっかりくっつけ、乾いてから慎重にはずす。
 ・石膏などによる立体模型:「かたとって」などの型取り材で、化石など原型の形を取り、その型に石膏を流し込んで作る。(簡易なものとしては「3Dメモリアル」がある。使い方については、下の参考も参照)
  *型取り材や石膏の使い方については次が参考になる: 真空成型法による立体教材作製ガイド
 ・市販のいろいろな組立てキットを利用する: 動植物、分子模型、DNAの二重螺旋構造などもある。
 ・その他、木や石で彫刻したり、太い針金や棒などを使って立体物を作っても良い。
 
 
[参考] 3Dメモリアルによるアンモナイト模型の作成例
 3Dメモリアルは、もともとは、子どもの成長の記念に、子どもの手を型取って、その石膏模型を作るための商品。
 型取り材120gと石膏300gが入っています。
 型取り材と水を混ぜる容器と、レプリカの原型を入れて型取り材を流し込む容器を用意します。私は不要の牛乳パックを使って、ほぼ同じ大きさの容器を二つ作りました。
 型取り材120gにたいして、水500mlを使います。私は長径6cmくらいのアンモナイトを原型としましたので、型取り材は全体の 4分の1くらいを使い、水は180cc入りのカップに半分強の量にしました。
 まず型取り材を容器に入れて水を流し入れます。すぐに小さなスプーンで強くすばやくかき混ぜます。つぶつぶのようなのがなくなり、全体が液状になったらすぐ原型の入っている別の容器に流し込みます。
 10分もすれば、型取り材はゼリーのように固まります。回りの容器を壊して、原型の入ったままゼリーのような固まりを裏返して初めの容器に入れます。ゆっくり気をつけながら原型のアンモナイトを型取り材からはずします(私はアンモナイトが下向きになるように持ち、上向きになっている容器の底を慎重に押しながらはずしました)。
 次に、原型の大きさを考えて石膏を用意します。私が使ったアンモナイトだと、全体(300g)の 5分の1もあれば十分の量です。この量にたいして、180ml入りのカップで 4分の1くらいの水(これは説明書に書いてある石膏と水の割合よりも水が多いです。そのほうが石膏がすぐに固まらずきれいに液状に混ざります)を加えてすぐに急激に混ぜます。とろとろの液状になったらすぐに原型をはずした空洞に流し込みます。石膏と水の割合にもよりますが、20、30分もすればかなり固まってきます。それから慎重に石膏部分を型取り材からはずします。そのあと紙などに包んで数日かけて乾燥するのを待ちます。これで完成です。
 
(2010年11月28日)