資料1
触知について: 見えない人たちの文章から

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●熊谷鉄太郎 (ニューヨークのメトロポリタン・ミュージアムを訪問し、ロダンの作品に手で触れた時の感想)
*熊谷鉄太郎: 1883〜1979年。 3歳半で天然痘で失明。盲人牧師

 ロダンの彫刻をぎっしり陳列してある大広間の入口に一つの大きな裸体像が寝かしてありました。「これを足の方から触っていってご覧なさい」と言われるままに両手で触れて見ると、どこもかしこもだらりと下がった筋肉のだらしなさ、とくに下腿後側の筋肉や大腿部の筋肉等、まるで生きた人間とは思われないのです。「まあ、なんてだらしないんでしょう「と言えば、「まあ、ずっと終りまで触ってご覧なさい」と小室牧師は言います。―腰から上のほうはだんだん仰向けの姿勢になっています。胸から喉の辺りまで来た時、「ああ、これは死人ですね」と思わず叫びました。
 「そうです、これはロダンの傑作の一つで『殉教者』という名高いものです」と説明してくれます。さらに、その顔の辺りを触れていると、この冷たい金属を通して何かしら熱いものが伝えられて来るようです。言うまでもなく、殉教者の燃えている信仰の炎なのです。私は触覚にまで訴えるロダンの芸術の力に強い感動を覚えたのです。私の発明した「触覚芸術」という言葉は、この経験から出たものであります。

(『薄命の記憶――盲人牧師の半生』熊谷鉄太郎、平凡社、1960より)

●光島貴之(1954年生れ。強度の弱視、10歳ころ全盲。美術作家)

 見えない僕の触覚による形の認織はどうなっているのか。それは遠近感や表、裏という視覚による認識ではなく、頭の中で形を再構成し、存在そのものへ近づこうとする行為だ。視覚的にそれ瞬時にとらえることはできないが、一つ一つ触って部分から全体を想像していく。すると正面から見た平面的な形のイメージではなく、立体としての存在そのものが実感できる。

(『毎日新聞』「世の中探見――美術鑑賞の方法」より)

●小原二三夫 (兵庫県立近代美術館で、ザッキンの彫刻を触った時の感想)

 それは、両手を高く空に突き上げ、顔を空に向けて何かを訴え叫ぶかのように口を大きく開き、鼻らしき物が直角に大きく上に突き出し、胴体の真中にえぐれたような穴があるといったようなものでした。私の口からはつい「何か爆撃されたような、衝撃を受けたような……」と言葉が出ました。それを聞いてEさんは「ああ、やはり分かるのだなあ」とちょっと感激っぽく言いました。Eさんによれば、その作品は「破壊された町」と言う題で、ロシア生れでフランスで活躍したザッキンという人が、第2次大戦中ドイツ軍に爆撃されたオランダのロッテルダムを表すための記念として創ったそうです。私のまったく知らなかった作者が彫刻に込めた意図と私が触角から得た想像力とが符合したのには、一つの出逢いを感じました。きっと忘れられない経験になるでしょう。

●草山こずえ 「世界は私にふれる」

 私は「心の眼で見る」という言い方はごまかしだと思う。私が通っていた盲学校の校歌に「心眼更に明けよ」と言う歌詞があり、私はそこだけいつも口をつぐんで歌わなかった。2歳で失明した私には、「見る」ということがどういうことなのか、実感としてわからなかった。……それなのに、見えないということを直視し、世界の探究の 仕方を教える代わりに、「君たちには心の眼がある」と言うのは嘘だ。

(『彫刻に触れる時』協力ギャラリー・トム、用美社、1985より)

●長棟 まお 「手による認識」
*長棟まお: 1956年生まれ。随筆家、仏教文学研究者。著書 「ナム・ワルサボウズ」(戯曲) 日新報道 1985年。 2001年から、テディ・ベア展「ながむねまおのぷふふ展」開催

 先般ラマ教の寺院の現状を体感したくてチベットへ旅行した際、牛糞を円く伸ばしてべたんべたんと壁に張り付けてあるのに出くわした。いわゆる第3世界と呼ばれている地域にはよくある光景らしいが、私にとっては初めてのことだったのでこれを見逃がす手はないと思いつかつかと歩み寄ると、仲間たちが一斉にざわつくのが聞えた。本当に触る気なのかというのである。聞けば見たところその牛糞はまだ乾いていそうにないと言う。湿っていると汚くて、乾いているなら大丈夫というその感覚も不思義だが、何より驚かされるのは彼らが触ることを見ることよりもずっと特別な行為として位置付けているという点であった。私は内心、これは良いことを聞いたぞ、それならば手触りだけでなくぜひ軟らかさも試さなければと思い、普通ならけっしてそういうぞんざいな触り方はしないのだけれども、人差指をぴんと伸ばして思い切りその壁に突き立ててみた。するとどうだろう。指先はめり込むどころかわずかの弾力さえ感じられないではないか。まるで軽石か干からびた地面のようなのだ。この感触のいったいどこが湿って見えるというのか?私はこの糞の固いことを大声でみなに告げた。そしてさらに仰天するはめになった。これほど予想に相反した事実を目の当たりにしながら、ほとんどの人がそれを確かめようともしないのだ。
 多くの目の見える人たちがむやみに物に触らないのはおそらく視覚に頼り切っているからだろう。見れば分かる、見た以上は分かった、と、そう信じているのだと思う。しかし今回のように、その頼みの視覚が実際とは逆の印象をもたらしたことが分かったのちにも、まだ触ろうという気にならないこの欲の無さはどうだろう。現に今の今目に見る世界と手に触れる世界とがまるで別のものなのだということが立証されたにもかかわらず、いくら前者を満喫しているからとはいえ、後者には頑なまでに踏み入ろうとしないこの潔さはいったいどういうことなのか?むろん、ここに引いた例がかなり特殊であることはひゃくも承知している。「だって物が物だもの。もし糞などでなかったら、触っていたかも知れないよ」と反論される読者も多くあろう。しかしはたして本当にそう言えるだろうか?せっかく触ろうと思えばいくらでも触われる状況に居合わせながら、自分でもそれと気付かぬうちに、その触覚の醍醐味を惜し気もなく放棄してしまっているというようなことが、視覚的な世界に生きる人たちには案外多いのではあるまいか。
 もとより私はここでなにも視覚に比して触覚の優位性を論じようとしているのではない。重ねて言うが、これら2つの感覚が個々に織りなすことのできる世界はまったく別のものなのだ。その独自性に甲乙をつけることは、あたかも赤と青とはどちらがより有益な色であるかを決めようとしているに等しい愚行であると思う。したがって、かりに今指から血を吹きそうにしながら触察に徹している人がいたとして、その様子を見ただれかが「目が見えてさえいれば文字通り一目瞭然なのに」と心から残念に思ってくれたとしても、それは事態を正確にふまえた上での感想であるとは言い難い。目が見えてさえいればその物がもつ視覚的な特徴が見えてくる。ただそれだけのことなのだ。少くとも事物を認識するという一点において、事態はそれ以上にも以下にも変化するものでない。いっぽう、触覚だけでは今自分の買おうとしている服が麻かレーヨンかを判断することさえできない人たちの様子を見て、私が「絶対に目を開けない覚悟で4、5年も暮らせばおいおい見分けがつくようにもなるだろうに」と同情するというのもまた相当におかしな話であろう。彼らにとっては品質表示のタッグを読むことのほうがはるかに楽なのだから。
 ある特定の事物を認識するためにどの感覚をどう駆使するかはまったく個人の身体的個性と才覚と意欲とに依拠する問題である。だから基本的には誰が何をどう見ようとつべこべ言う必要はないのだが、やはりせっかく手のある人はたとえ目が見えていてももっと積極的に触ることを試したほうが良いと思う。私はそれをよく耳にする「視覚障害者への正しい理解を促す一助」とやらにするために勧めるのではない。まったく訓練されていない指でにわかに物に触れたとしても、そこから得られる情報量はおそらく高が知れたものでしかないだろう。そういう希薄な情報をもって「理解の一助」になどされてははなはだ困るのである。私が触ることを勧めるのは、ひとえにこの世の中のほとんどのものが触覚的個性を持っているからなのだ。以前栃木県で見たサンショウウオはちょうど冷蔵庫から出したての椎茸の煮物そっくりだし、風を受けてぽろぽろと落ちて来た柿の花はまるでベルベットで作ったミニチュアの茶巾鮨のようだった。そういう鮮烈な触覚感の悉くを知らずに人生を終えてしまうのはいかにも口惜しいではないか。

『手は何のためにあるか』山田宗睦ほか共著、風人社、1990年

●長谷川貞夫 「視覚障害者と図書館、博物館、マルチメディア」
*長谷川貞夫: 元筑波大学付属盲学校教諭。六点漢字、テレサポート、日点評議員 (弱視、成人後全盲)

博物館の個人的体験

 私の個人的体験を述べると、もし触れない場合でも同伴の説明者が説明をよく読み、展示物の大きさ、形状、特徴などを要領よく説明してくれると頭の中にイメージが浮ぶものである。
 以下私の博物館についてのささやかな体験からの意見を述べる。

 沖縄に行った折、再建直後であった琉球王朝の首里城を見学したことがある。同伴の人の上手な説明と、滑らかな太く円い柱に触ることにより、朱色に塗られた三層の首里城を頭の中に想像することができた。私は中途失明者であるが、失明前に首里城も、またその写真も見たことがない。しかし、失明前に見たことのある建物のように、朱色に塗られた三層の姿が今でも思い浮かぶのである。その像が実際とどのくらい異なるか私にはわからない。

 平成5年に世田谷区立美術館で大英博物館展が催された。かなり入場者が多く会場は混雑していた。同伴者はよく説明してくれたが、あまりにも展示物の種類が多く、また周囲が混雑して騒がしく落ち着いて説明も聞けず、そのためか印象に残っているものが少ない。しかし、見学を終えて会場の外へ出たところ、エジプト文字解読の手がかりとなったロゼッタストーンのレプリカだけがポツンと置かれてあった。そこには他の見学者がいなかったので、そのレプリカを自由に触れることができた。縦横80cm、厚さ10cmぐらいのものであった。表面の比較的に滑らかなところに何行かずつ文字が刻まれているのがはっきりと指でわかった。どの行がエジプト文字で、どの行がそれに対応するギリシャ文字などであるかは、もちろん私にはわからないが、この横書きの文字が、それらがエジプト文字解読のきっかけとなった文字の行であることはわかった。
 大英博物館展では、会場の外に置いてあったこのロゼッタストーンの印象だけがはっきりと残っている。それだけでも行った価値があった。たとえレプリカであっても実際の物に触るのがいかに大切であるかということである。

●SK(大学生) 「ひととき――おもちゃや模型に魅せられて――」

 私の部屋はおもちゃや模型でいっぱいである。また、キーホルダーも大量にある。京都に出かけた時に金閣寺の小さな模型を買い、沖縄に行った時に守礼門やゴーヤーの形をしたキーホルダーを買って来た。こういうことを繰り返しているので、おもちゃや模型であふれているのである。
 我々視覚障害者は、触らないと物の形を知ることはできない。絵や写真で立体図を認識することはできない。だから、実際に見て分からないような建造物や、触ることができない危険な動物などのおもちゃや模型があると、たいへんありがたいのである。それにより、健常者と同じ情報を得ることができる。
 もちろん、おもちゃはかわいく作ってあったり百%の形になっていなかったりすることはあるが、それは、違う点を説明してもらえばよい。まったく0から説明されるよりは理解度は高いはずだ。おもちゃ屋でおもちゃを買うのが恥しいという気持ちさえなければ、多くの物の形を知ることができる。……
 我々は図鑑を買って形が分かるわけではないし、観光地に行って全体像が認識できるわけでもない。それならば、このようなおもちゃや模型を利用するのもひとつの方向ではないか。おもちゃは実に大事だと思う。……

(点字毎日第4132号 2003年3月16日)


(2003年11月11日)