水曜の物語

 英語の水曜日(Wednesday)というのは、北欧神話のオーディン(Odin)が、ウォーデン(Woden)→ウエーデン(Weden)と変わり、それに「〜のを表す」esがついて今日の形になったと言われています。週のちょうど真ん中であるということで、水曜日に北欧の主神であるオーディンが配置されたのでしょう。
 一週間のそれぞれの曜日には、それぞれの国柄で名前が付けられています。ちなみにヒンドゥー語では水曜日は仏陀の日とされ、フランスやイタリアではローマ神話のマーキュリーから語源が来ています。また、名前とは関わっていませんが、天使たちも曜日ごとに、つかさどる天使が決められ、水曜日の主任天使は、天使たちのトップと言われる大天使ミカエルが配されています。ここではミカエルが悪の首領であるルシファーと戦った話をします。

 かって天使であったルシファーは、神に成り代わろうと天使の三分の一を引き連れ反乱を起こした。それに対して、神はミカエルを指揮者として天使軍を派遣する。
 当初は劣勢であった天使軍は、山を根こそぎつかんで放り投げるという奇襲戦法で優位に立った。そして数百万人が入り乱れての白兵戦となったとき、ミカエルは敵の首領ルシファーと出会う。

 両者は向かい合った。さながら剣豪同士が一騎打ちをするかのように。両軍はそのすさまじいばかりの気合いにそれぞれの戦いを中断し、彼らのために大きく場所を空けた。両者とも全く無駄な動きは見せず、ただの一撃で決着をつけるかのようににらみ合う。勝負は全くの互角に見えた。しかし、その武器には差があった。ミカエルの剣は神の武器庫からもたらされた、どんなに堅い剣をも一刀両断にする業物だった。
 ミカエルは一挙に決着をつけようと真正面から剣を振り下ろす。ルシファーはそれを自らの剣で受け止めようとしたが剣は真っ二つに切断されてしまった。さらにミカエルは目にも留まらぬ早さで剣を振りかぶり、再びルシファーにめがけて振り下ろす。この一撃はルシファーの右の脇腹を深くえぐった。この時、ルシファーは初めて苦痛を知り、身をよじって転々と転げ回ったという。

 堕天使とはいえ、天使の特性を持っている。簡単に死ぬことはない。傷口はしばらくすればふさがれるだろう。だが、ミカエルの剣はルシファーのプライドという、最も痛い部分を無惨にも破壊したのである。
 ルシファーはその美貌と知力によって、天使の中で最も高い階級である織天使の指揮官であった。神から最も愛された存在であり、それ故に生まれた傲慢が反逆を企てさせたのである。だが、その誇りはミカエルの剣の一撃によって破壊された。

 ミカエルとルシファーは実は双子の兄弟であった。それも瓜二つで、見分けがつかないくらいに似ている。だが、その兄弟が不倶戴天の敵なのである。ルシファーはミカエルによって地獄に鎖で繋がられ、ミカエルは天使のトップに君臨することとなる。

 天使が神に従わず、地獄に落とされるといった話は、イスラムの異端宗派イェージド教の伝説にも見られます。ただ、この天使の場合は後に許され、今度はかえって神の一番のお気にいりとなり、すべての天使の上において、孔雀王と名づけられます。さらにこの後、神と孔雀王は二つの火が一つになるように合流したとされています。
 またアダムをそそのかして、禁断の実を食べさせたのは、神の全権を持った孔雀王だったと、この伝説には書かれています。こういった点が異端とされるゆえんでしょうが、神と悪魔の役割が、人によって解釈が変わってくるというあたりは、ゾロアスター教の光の神アフラ・マズダーが、インドへ伝わったときにアスラーという、神に対抗する立場と変じたことなどと考え合わせると、文化や考え方の違いで、もとは同じ話であっても、話のとらわれかたは地域などによって、ずいぶん違ってくるようです。

 

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