「ケンタウロス」という言葉の意味はギリシャ語ではもともと「牛殺し」という意味だったそうだ。それがなぜ半人半馬の怪物の名に付けられることになったのか。実はギリシャ中部のテッサリア地方の山の民がよく馬に乗っていて牛を追いかけていた、その姿を見た人々がこれをケンタウロスと呼んでいたらしい。どうやら怪物ケンタウロスのイメージはその馬に乗った人の姿から生まれたみたいである。
ケンタウロスは上半身が人間で下半身が四本足の馬の姿で知られているが、必ずしもその姿をしているというわけではなく、竜と人間の半人半獣のドラゴンケンタウロス、ロバと人間のオノケンタウロス、獅子と人間のレオントケンタウロス、魚と人間のイクテュオンケンタウロスなどがいる。要するに人間と獣の二つの部分からなる動物は全てケンタウロスと呼ぶらしい。こうしたものと半人半馬のケンタウロスと区別するために、特に馬のケンタウロスをヒッポケンタウロスという呼び方をすることがある。
ギリシャ神話のケンタウロスは、最初の親族殺しとなったイクシオンと,ゼウスが妃ヘラの姿に似せて送った雲(ネフェレ)との交わりによって、あるいは両者の子ケンタウロスが牝馬と交わって生まれたという。野蛮かつ好色な種族で、テッサリア地方のペリオン山に住んでいた。複数形はケンタウロイとなるが、複数形があるくらいで彼らは徒党を組んで行動することが多い。近隣のラピタイ族の王ペイリトオスの結婚式に招かれたおり,酔っぱらった数人のケンタウロスが花嫁や他のラピタイ族の女を犯そうとして両族間の戦闘となって敗れたことはよく知られており、アテネのパルテノン神殿や、アポロン神殿にレリーフが彫られている。
中世の神学者はこの血の気の多い好色な動物を、もっぱら悪魔の仲間に分類している。パリ国立図書館にある14世紀の「フォーヴェル物語」という道徳物語の挿絵では、罪に汚れたアダムとイヴが、それぞれ二本足の男女のケンタウロスに化身させられてる。また、ダンテはその著書「神曲」の中で、あらゆるケンタウロスを地獄に追い落とした。
プリニウスは「博物誌」で、クラウディウス帝の時代に蜂蜜で防腐処置を施され、エジプトからローマに運んでこられた、一匹のケンタウロスを見たと語っている。その姿は下半身が四本足だったということであるが、もちろんこれは動物をつなぎ合わせるなどして人為的に作られたものだろう。