と   東 方 見 聞 録

 「黄金の国ジパング」などといった記述がある東方見聞録は、当時の人々の間でも信用されなかったらしい。東洋の品を持って帰って、一時、羽振りがよかった時期、マルコ・ポーロは「イル・ミリオーネ(百万)」とよばれていた。最初は百万長者の意味だったが、後には、何かにつけて、「百万」の言葉をはさむ、ホラ吹きの意味となり、「ホラ吹きマルコ」だの、「いかれ頭のポーロ」だのと、子どもにまでからかわれて、みじめな晩年を送ったそうだ。

 1350年のヴェニス共和国での、ある葡萄酒密売者の処罰に関する議事録の中に、証人の一人として、「マルコ・ポーロ、百万」という記述があるらしい。マルコ・ポーロは、かわいそうにも、公文書にも書かれた、世間に認められる大ボラ吹きとなってしまっていたのである。