■ 様々な理由で町から逃れてきた人々が作った安住の地=村(ヴィレッジ)。町と村を隔てる森には「語ってはいけないものたち」と呼ばれる肉食の怪物が住んでいるが、村人が森へ入らない限り彼らが人間を襲うこともないはずだった。しかしある日、そのルールが破られ・・・というお話。途中で「ん?もしや?」と思ったまんまのオチでした。もうひとひねりくらいあるかと思ったけど。以下ネタばれ↓
「嘘も方便とは言うけどこれはちょっとなぁ。大人世代にはそこまでやる理由があっても、子供世代には迷惑な話ですよ。だって村には娯楽がなんにもないんだよ。おまけに薬もない。だから町でなら助かるはずの命が簡単に失われちゃったりする。彼らが安全に暮らすには絶対に村の存在を知られてはならないとは言え(そりゃそうだ。あんなとこに勝手に住んでるんだもんな)、やっぱり身勝手な話だと思う。最初から「これしかない」と言われるのと、たくさんあるうちのどれかを選べと言われるのは全然違うもん。」
「しかも平和だと思い込んでいた村である日事件が起き、どうしても町へ行かなくてはいけなくなる。村を代表して森を抜けるのがヒロインのアイヴィー(ブライス・ダラス・ハワード/ロン・ハワード監督の娘さんなんだってね。顔そっくり)。「愛のために行かせて欲しい!」という彼女にだけは森のからくりを教えるのだけど、それだってアイヴィーが盲目だからでしょ。目が見えないなら、町へ行ってもそこがどんな所であったか後々誰にも話すことができないもんね。だったらいっそ、誰か大人世代が行けばよかったのに。目が見えない娘さんを一人で森にほっぽり出す方がよっぽど危険じゃないの〜?(マジで死にかけてたよ)。ま、いくら策を練ったところで、いつか森の怪物をものともせず町へ出ようとする若者が現れるでしょうが。そうしたらあの村はどうなるんだろう。やはり楽園は失われるのかな。つうかどこに住んでもひとがいる限りまったくの平和、楽園なんてありえないって話ですな。」
某映画サイトさんで、アイヴィーは果たして「怪物の正体がノア(エイドリアン・ブロディ)だと」わかっていたのか否かという議論がなされていたんですが、わかってた派にもそうでない派にもなるほど!と思える理由があって面白い。映画を見た後で、ああだこうだ言えるのがシャマラン作品のいいところですね。だから何度トホホ〜な目にあっても見に行ってしまう。あとエイドリアン・ブロディはハマリ役でした。
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