■アイルランドはダブリンで”ソウル・バンド”を結成しようと盛り上がる、ジミーと友人。まずはメンバー探しなんですが、ジミーの家にオーディションを受けに来る人たちがケッサクです。私はソウル・バンドって具体的にどんな音楽をやるのか知らなかったのですが、玄関先で「好きなミュージシャンは?」と聞かれ、バリー・マニロウと答えたひとに大ウケ。いくら音楽に疎い私でも、さすがにバリー・マニロウでないことは分かる気がします。他にもたくさんの人がオーディションを受けにくるのですが、その中にカルチャークラブのボーイ・ジョージに激似の人がいたんだけど、あれ本物じゃないよね。(実物はあの1.5倍はあると思うんだけど)
■オーディションやスカウトで集めたメンバーは、どいつもこいつも実にやっかいです。ボーカルのデコは太ってるし。ヴィジュアル系じゃないので別に構わないのですが、それにしても下品です(人間が)。しかし唄は上手い。ものすごく上手いのです。顔さえみなきゃ彼の歌で泣けるかも知れません。トランペット担当のジョーイは、メンバーの平均年齢をひとりで上げているオッサンで、ついでにデヴィッド・シーマンにそっくりです。嫌すぎます。しかもそんなオッサンが“ジョーイ・ザ・リップス(唇のジョーイ)と呼んでくれ”なんてぬかすんですよ!!(誰が呼ぶか)。おまけに、過去に数々の大物ミュージシャンと共演したことがあると言い出したりして大変にうさんくさいのです。他のメンバーも似たり寄ったりのよせ集めで、ジミーのいう「ソウルバンド」の意味がもひとつ分かっていません。もちろん私も。そこでジミーはみんなを集めビデオを見せます。それがジェームス・ブラウン。ゲロッパのおじさんです。非常に分かりやすいのはいいのですが、一様に戸惑いを見せるメンバー。「俺たち、こんなのやるには白すぎやしないか」というメンバーの疑問に、ジミーは答えます。
「アイリッシュは欧州の黒人だ。中でもダブリンっ子は黒人の中の黒人なんだ。だからこういう音楽をやるのに相応しいんだ。」
説得力があるようなないような、なんとも微妙な言葉です。でも分かる気もします。ただ、そういうジミーが一番色白だったりするのですが。
■寄せ集めで始まったバンドが練習を重ねていくうちにそれっぽくなり、ライブも盛況。しかしバンドとして成功しつつある裏でメンバー間は次第にぎくしゃくしていきます。コーラスの女性3人は1人の男を巡り大喧嘩(しかもそれがジョーイだったり。萎)、デコはレコードを出さないかと誘われたことを自慢気に吹聴し、他のメンバーとこれまた掴み合い。こんなバンド辞めてやるーー!!!と楽屋では一触即発の彼らですが、アンコールの声に応え舞台に上がった途端、活き活きと演奏し歌います。ステージ上のメンバーの楽しそうな笑顔は決して作り物ではないことが伝わってくる、いいライブなのです。しかし、演奏している間は見事にまとまっている彼らもステージを降りればやはりわだかまりの根は深く、デコとドラムの男(名前忘れました)の大喧嘩を機についに解散。マイナーレーベルとはいえ、デビューも決まりかかっていた矢先だっただけに、ジミーの失望は大きく「勝手にしろ」とつぶやき去っていきます。
■そんなジミーを追いかけてきたジョーイ。傷心のジミーに彼は言います。「バンドの成功がなんだ。お前は何かを成し遂げた。みんなの新たな地平を拓いたんだ。」
トラブルの元のお前が言うなや・・・といまひとつ有難さに欠けますな。ジミーの地平は閉じてるし(この時は)。ですが、その後新たなバンド活動、またはソロ活動を始めたメンバーもいて、それまでなんとなく暮らしていた彼らの事を思えば、たしかに“新たな地平”は開けたのかも知れません。結婚して普通の生活を送っている人、違う職業に就いた人についても同様。決して音楽を忘れていないと思うから。
最後は大団円というわけにはいかなかったけれど、とても後味のいい映画でした。それに細かいシーンでアイルランドを感じられるところも好きです。たとえば、オーディションを受けに来た青年が演奏するバイオリンに合わせてジミーの家族がリバーダンスを踊っていたりとか、パブでもライブでも結婚式でさえも飲むのはやはりギネスだったりとか。小さいシーンががしみじみ楽しい映画でした。
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