■ ストーリー的には私の苦手な内容でした。「自分の失われた半身はどこにいるんだろう」とか「本当の私を探す」とか、こういったテーマはめんどくさく思えてならんのです。探してどうすんだとも思うし。←身も蓋もない。ただし、主人公の「怒りの1インチ」(性転換手術の失敗でアレが1インチ:約2.6pだけ残ってしまったのですね。)こと、ヘドウィグ(ジョン・キャメロン・ミッチェル)は好き。
男に捨てられようが、自分が作った曲を持ち逃げされようが決してへこたれない。オカマの中のオカマ。なんなら、我が一人でスターになったくらいの勢いの年下の男をストーキングですから。かといって粘着質の嫌な奴でもないんですよ、これが。バンド仲間にも見捨てられ、ひとり夜の街に立つヘドウィグを、元彼で今や人気ロックスターのトミー・ノーシス(マイケル・ピット)が車で拾いに来るシーンが可愛くてねぇ。最初は「なんなのよ、あんた。」って感じなのが、トミーが自分のCDに「作詞・作曲、共作:ヘドウィグ」と書いて渡した途端、にっこり(笑)。ああ、なんて単純なんだろう!!つうか可愛い性格だと思いますね。ホントに。トミーもなんだかんだいっていい子だし。二人はとってもお似合いなのに、わずか1インチが邪魔をする・・・。
初めてトミーがヘドウィグのスカートに手を入れたシーンがおかしくも切ないんすよ。「今の何?」(あんたマジで女だと思ってたのか)と、とびのき逃げる彼に「私が好きなら私の股間も愛してよ!」と叫ぶヘドウィグ。この時ほど、東ドイツの藪医者を憎く思ったことはありません(涙)。なんでもっとスパっとやんなかったんでしょうな。モロッコに行けばヨカッタか・・・。
元が舞台劇(ミュージカル)だけあって、ストーリーの大部分は唄で表現されています。「切ったの残ったの」という話を田舎の食堂みたいなとこで、胃の中の物が逆流しそうになってる客にはお構いナシに歌い上げるヘドウィグはもはやかなりの男らしさ(笑)。サントラがヒットしたのも頷けますね。唄、上手いです。
最初は”イロモノ”にしか見えなかったヘドウィグを、稀に見る女らしく男っぽいオカマとして見事に演じたジョン・キャメロン・ミッチェルはこの作品の脚本、監督もやってる才人。(雑誌に載ってた素顔はものすごくフツーの人でした)これまで、私の最愛のオカマ役者は「プランケット&マクレーン」におけるアラン・カミングだったけど、ちょっと並んだかも知れません。
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