過去十一回に亘り、最先端の科学技術、特にライフサイエンス、バイオテクノロジーの一端を
ご紹介しながら、それが人間、人間社会にどのような恩恵、変化(リスク)をもたらすかを考えて 来ました。紙面の都合上、ライフサイエンス、バイオテクノロジーのほんの一端にしか触れるこ とはできませんでしたが、それでも現在の生命科学が、組換え食品、クローン人間、再生医 療、不老長寿、不老不死など人類の永遠の夢に、まさに手が届くところまで来ていることは、ご 理解頂けたのではないでしょうか。その最先端生命科学のもたらす恩恵とともに、そのリスクに ついても折に触れ述べて来ましたが、最終回に当たり、「いのちの世紀」の生き方について、も う一度ご一緒に考えてみたいと思います。科学技術の進歩がもたらすリスクには、三種類あり
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ます。第一は、事故も含めて技術の未熟さゆえに起こるリスクです。第二は、それを意図的に 悪用する人為的なリスクです。第三は、少し解かり難いのですが、その科学技術あるいは、そ の普及が本来、内含しているリスクです。例え正しい使い方をしていても、科学技術利用の結 果として、必然的にもたらされるリスク(変化)です。第一のリスクは、ゼロにはならないものの 技術の進歩と共に、いずれは解消される筈です。第二のリスクは、人の意志に拠るリスクです から、法整備や国際条約締結などで本来回避されるべきリスクです。しかし、悲しいことに犯罪 者や犯罪国家を壊滅することはできません。第三のリスクは、まさに科学技術の二面性そのも のなので、科学技術を受け入れ、その恩恵を享受する限り、そのリスク(変化)から逃れること はできません。そのリスク(変化)をどのように受け留め、どのように対応する社会を形成でき
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るかも、また人類の智恵なのです。この地球上に人類が誕生して以来、技術の進歩により、人 類の生活は豊かになり、多くの恩恵を受けて来ました。石器を作る技術、土器を造る技術、火 を熾し管理する技術、作物を栽培する技術(農耕)、家畜を飼う技術(畜産)、酒や味噌・醤油、 漬物を作る技術(醸造)など、一般には科学技術とは呼ばずに文化と呼んでいますが、現代風 に言えば、いずれも立派な科学技術なのです。中でも農耕、畜産、醸造は、まさにバイオテクノ ロジーです。これらの技術は、人類に豊かな生活を約束し、定住生活を可能にするなどの計り 知れない恩恵をもたらしました。また、食糧確保における人的ゆとりは、新しい他の文化や技 術の発達をも促したのです。農耕、畜産、醸造などのバイオテクノロジーの人類にもたらした恩 恵は非常に大きなものでしたが、一方では、それらはそれまでの生活様式や社会構造を一変
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させたことも事実です。人々の間に貧富の差を生じさせ、身分階級を生み出しました。そのた めに人々の間に新たな軋轢や紛争も生じました。それらが必ずしも悪だとは言いませんが、明 らかに、それまでの倫理観や社会構造、人間関係に大きな変化をもたらしたのです。まさに先 に述べた第3のリスクです。科学技術の発展は、恩恵と同時に、変化あるいはリスクをもたら すのです。その技術のインパクトが大きければ大きい分だけ、また、得られる恩恵も変化(リス ク)も大きいのです。人類が経験した最大の技術革新の一つが、十八世紀末にイギリスに端を 発した産業革命です。蒸気機関、内燃機関などの発明は、手工業から機械工業への変化ば かりでなく、交通機関の発達など大変化をもたらし、人類社会を一変させるほどの恩恵をもた らしました。産業革命時の技術革新が、現在に至る大量生産、大量消費と言う資本主義社会 を支えて来5たことは間違いありません。今日、我々が物質的に豊かな生活を送っていられる
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のも、産業革命の恩恵なのです。しかし、百年を経て、化石燃料の大量消費による二酸化炭 素の排出と地球温暖化、様々な公害問題、地球環境破壊、資源枯渇など人類は、大きな危機 と課題を負う事態になっているのです。これらのリスクは、誰かが産業革命時の科学技術を悪 用したために生じた訳ではありません。本来科学技術の持つ「両刃の剣」が、百年経って顕在 化したに過ぎないのです。恩恵にだけ目を奪われていた人類に、自然が、あるいは「本願力」 が警告を発しているのかも知れません。農耕、畜産、産業革命に限らず全ての科学技術は、 恩恵とリスクと言う「両刃の剣」の側面を本来、有しているのです。ノーベルの発明したダイナマ イトは、鉱業や土木などの分野の発展において、人類に大きな恩恵をもたらしましたが、強力 な武器として殺人兵器にもなり多くの人々を殺傷しました。原子力も、人類に莫大なエネルギ
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ーをもたらしましたが、事故や兵器として、これまた多くの人々を殺傷したのです。この例から 科学技術自体が、本来持つ二面性のほかに、それを使う人間の問題も重要なことがお判り頂 けると思います。いくら原子力の平和利用と訴えても、それを武器として使おうとする国も、人も 決してなくなりません。人類は、地球上で最も賢い生物ですが、また、最も愚かな生物でもある のです。どんなに凶暴で強い生物でも、皆自然の摂理(「本願力」)に従って生きています。しか し、人類だけは、自然の摂理にさえ逆らおうとしています。一見、自然の摂理を超えたようにも 見えますが、いつか必ず自然(「本願力」)に拠って、厳しいしっぺ返しを食うことになるのです。 このことを故加藤辨三郎氏は、「鼓するものなしといえども、音曲自然なるがごとし」と言われて いるのではないでしょうか。さて現在は、ITとライフサイエンスの時代と言われ、どちらも革命
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とも呼ぶべき進展を見せており、第2次産業革命とさえ位置付ける人もあります。確かに携帯 電話、電子メール、インターネット、ブロードバンドなどの普及は、我々の日常生活を一変し、 良きにつけ、悪しきにつけ情報量の増大には戸惑うほどです。当然、人との出会い方やコミュ ニケーションの取り方なども、これまでとは全く違った世界になりつつあります。ライフサイエン スの方は、ITほど身近に実感としては感じられないかも知れませんが、ゲノム解読・解析、ゲノ ム創薬、遺伝子治療、組換え作物、クーロン牛、クローン人間、再生医療、不老長寿、不老不 死と話題と夢には際限がありません。現在、進行中のIT革命とライフサイエンス革命の特徴 は、大きく二つあると思います。一つは、人類の生活様式や社会構造、倫理観などを一変させ るような二つの大技術革新が同時並行で、且つ互いに密接に関連しながら起きていることで
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す。二つ目は、その進歩のスピードが、非常に速いことです。石器、土器、農耕、畜産などの技 術の進展、普及には何千年、何万年と言う長い年月が必要でした。産業革命にしても、何十 年、百年と言う歳月が必要でした。それに引き換え、IT革命は最新機器も1年、いや数ヶ月も すると使い物にならないくらいの猛スピードで進化を遂げています。ライフサイエンスも、ヒツジ での体細胞クローン技術が成功してから僅か数年しか経っていませんが、いつクローン人間 が誕生してもおかしくない程のスピードで進んでいるのです。スピードが速いということは、それ だけ早くその恩恵に浴せると言うことですが、一面、変化やリスクに対応するのが難しいことも 示してもいるのです。携帯電話を利用した犯罪、電子メールのウイルス感染、インターネットの ハッカーなど悪意を持った犯罪が後を断ちません。法整備やウイルスワクチンなどの対策も間 に合いません。また、IT革命は、場所や時間の障壁をなくしたため、国境を越えた国際犯罪
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組織や国際的テロ組織の存続形態さえも変えたのです。このような悪意を持った犯罪でなくと も、プライバシー保護の問題など大きな課題も残されたままなのです。プライバシーの問題と言 えば、個人のゲノム情報は究極のプライバシーと言えます。多くの人が先進医療の恩恵を受け るためには、個人のゲノムデータの収集と管理が必要ですが、それが結婚、就職などに際して の差別に悪用されないよう細心の注意が必要なことは当然です。現在、様々な法規制や対策 が検討されていますが、ハッカーなどの例からも判る通り悪意を持った犯罪行為に対しての万 全な対策はありません。個人データの匿名性などの対策は、創薬などの研究段階では有効で すが、個人ゲノムデータを実際に医療に応用する際には、どうしても個人を特定する必要があ るので有効な方法とはなり得ません。このことは今後の大きな課題です。クローン人間の是非
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については、この連載の第3回目で詳しく触れましたが、いずれ近い将来、理由はともあれ世 界の何処かでクローン人間が誕生することは間違いないと私は思っています。クローン人間と 雖も、生まれてしまえば普通の人間なのです。製作者を法で規制することも必要かも知れませ んが、それ以上に誕生したクローン人間にどのように対応すべきかを真剣に考えておくことの 方がより重要なのではないでしょうか。近代医療は長寿をもたらしましたが、その代償として、 現在、私達は、高騰する国民医療費、介護問題など高齢化社会への対応に追われています。 再生医療、遺伝子治療などの最新先端医療は、更なる長寿を可能にし、更なる高齢化社会を 招来するに違いありません。究極の再生医療は、人類の見果てぬ夢だった「不老不死」さえも 可能にするかも知れないのです。「不老不死」の実現した社会とは一体どんな社会なのでしょ
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うか。人生観、倫理観はもととより、自然の生命摂理さえも一変させかねないのです。科学技 術、ライフサイエンスは、夢の実現に手が届くところまで進歩しているのです。科学技術の進歩 は、誰にも、また、どんな法規制によっても止めることはできません。恐らく、「本願力」だけが 裁きを下せるのでしょう。しかし、「本願力」による裁きを受ける前に、私達一人一人が、「いの ちの世紀」の生き方を真剣に考えなければならない時が来ているように思います。科学技術に は必ず、恩恵とリスク(変化)、メリットとデメリットが付きものです。目先のメリットだけに目を奪 われることなく、また、無闇に「危険だ。恐い」と怖がることもなく、私達が一人一人が科学技術 を正しく理解し、最大限に恩恵を享受し、リスクを最小限に抑える智恵が必要なのです。密教 の教えの中に、「一念三千」と言う考えがあるそうです。つまり一瞬の思いの中にも、三千もの
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違った世界があると言うことです。曼荼羅は、「一念三千」を絵で表してもいるのだそうです。合 わせ鏡の中の蝋燭の炎のように、たった一つの炎も、鏡の中には無数の炎として映ります。科 学技術の映し出す一面だけを捉えるのではなく、内在する「一念三千」の世界をできるだけ多く 読み取り、「本願力」に適った世界を見付け出すことが、『「いのちの世紀」の生き方』なのでは ないでしょうか。いくら考えても、分からないものは分からないし、答えの出ないものは出ないと 思われるかも知れませんが、近代科学を知らなかったソクラテスも、プラトンも、釈迦も、キリス トも、マホメッドも、考えることによって現代科学によって初めて解明された真理にさえ到達して いるのです。「考えること」こそ、ヒトという生物の特徴なのです。個人としての人ばかりでなく、 人類と言う生物種自体も、また、「本願力」によって「生かされている」のです。一年間に亘るご 愛読ありがとうございました。<了> --
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