紙芝居 「佛光寺知ってるつもり」  9

「元治の兵火」によって焼け落ちた両堂などを
再建するのに大きなご功績のあられたのが
自らも26代ご門主を務められた「微妙定院真意尼公」(みみょうじょういんしんににこう)でした。

明治17年には御影堂、明治37年には阿弥陀堂を落慶されました。

それ以外にも佛光寺婦人会の結成など、さまざまな改革を実行され、現在に至る基礎を作られたのでした。
         
                     おわり
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