★「チャリティー狂言」
4月25日、みやこ福祉会の「みやこだ!法人認可だ!チャリティー狂言」が催され、京都コンサートホール(小ホール)の出入り口までいっぱいになるほどの満員の参加になりました。
みやこ福祉会といえば我が家とはとても深い関係、1982年「下京みやこ共同作業所」が本堂の北側に建てられました。
結婚し長男を出産して少し後だったような気がしますが・・・当時は社会的にまだ障害者問題の理解が浅かった時期に、義父は精力的に活動しそれの支えになったのは病気がちな義母と老齢な祖母の協力でした。
現所長のNさんは、我が家のリビングへ印鑑を借りに来たり2階にあったコピー機を使ったりしていた若き指導員のひとりです。仕事を通じて結ばれた2組のカップルが本堂で結婚式を挙げられました。
義父は来客に作業所を紹介する時、「うちの嫁もみやこです」と冗談を言っていたこともありました。
こうして約10年ほど我が家は「みやこ」とともに生活していたような気がします。
こんな事を思い出しながら観ていると、舞台では見覚えのある仲間や指導員の方の顔、顔、顔・・・。
皆さんがとても元気にされていてとてもうれしいです。(吉田神社での募金活動の狂言はよかった)法人化されこれから益々盛んに活動されていく事だと思いますが頑張って下さい。応援しています!
(2003・4・25)
★「仕事をやめてから・・」
長期休みが続いているような気になっていますが、仕事を辞めてしまったんですね。
「毎日何しているの?」と元職場の方々は思っておられるかもしれませんが、おかげさまで今のところ充実(?)した生活を送っています。
お花見、映画、博物館、お疲れさん会、最近入籍した友人のパーテイーなど・・・その場での出会いやお話、何か新しい事にチャレンジしたいとっている私にとって貴重な体験です。
一昨年の映画、「阿弥陀堂だより」を観ました。最初から最後までゆったりと流れていき、美しい自然とこころ優しい人たちばかりが登場します。
寺尾聰と樋口可南子の夫婦はさまざまな問題を抱えながら信州の山村に移り住むところから話が始まります。妻は優秀な医者でありながら心を病み苦しんでおり、阿弥陀堂でひとり暮らす91歳のおうめさん(北林谷栄)や夫の恩師(末期ガンを患っているが医者嫌い)、地元の子ども達と出会い、少しずつ癒されていきます。
ストーリー全体にほとんど刺激がなくはらはらすることもないのですが、何とも気の休まる映画なのですね。
「畑にはなんでも植えてあります。ナス、キュウリ、トマト、カボチャ、スイカ。その時体が欲しがるものを好きなように食べてきました。質素なものばかり食べていたのが長寿につながったのだとしたら、それはお金がなかったからできたのです。貧乏は有難いことです。」(おうめさんの言葉を
地域の広報誌のコラム阿弥陀堂だよりとして掲載している)
今私たちの生きる社会は「こうしなければならない」という事ばかりで生まれてから死ぬまでしんどいけれど、自分なりの「癒しの場」が必要であり、自分で見つけていくのだということを感じました。 法話度は「5」ですね。
(2003・4・24)
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フランスからのお客さんを
お花見で接待中 |
★のんびり、ゆっくり、そして・・・
退職してから3週間ほどたったのですが、最近の私は「ゆっくり」「のんびり」を連発、今までの反動かな?
毎日、新聞を読む時間が今までより長くなりました。目に止まるのはやはりイラクの事、この戦争でいったい何が解決されていくのでしょうか?
先日「戦場のピアニスト」を観ましたが、戦争は人々の命を奪っただけです。民間人を巻き込み生活のすべてを奪ってしまう、子どもの未来も・・・頭に包帯をまかれ両腕を失った12歳の少年は深夜に自宅を爆撃され家族もいなくなっていた、新聞の写真をみて泣いてしまいました。これ以上の残虐行為があっていいものでしょうか?
あちこちへ出かけていくと出会いも多いものです。外国から来て日本文化を学んでいる人、教師をめざす大学生、お寺に集う婦人の方々、各々自分を高めていこうと「集まりの場」に出かけていかれます。
ある人に「自分を高めていこうとしている人は素敵に輝いている」と言ったら「それは僕のことか?」と言われてしまいましたが、老若男女を問わず本当に必要なことだと思います。私もがんばらなくては・・・。
(2003・04・18)
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