「みやこのハッピートーク」    

                                 AUGUST 2003

★「命を支える事業」−アフガニスタンー

今年の夏も中村哲医師アフガニスタンから戻ってこられ京都でも講演会が開かれました。

中村医師は1984年パキスタン北西部ペシャワールに赴任、アフガニスタンで戦乱の中、診療所をつくり、診療活動に携わりながら1000本の井戸を掘って用水路を開く作業に取り組まれています。
「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞の受賞が決まったそうでファンのひとりとしてはたいへんうれしいことです。

私達が想像もできないくらいの大旱魃、そして「アフガン空爆」、アフガニスタンの人々が今生存の危機に直面しているということを中村医師は日本に住む私達に著書や講演、ペシャワール会(アフガンでの医療活動を支援する)の会報でアピールしてこられました。

数年前、ある女医さんが「子育てをしながら医者としてがんばってきたがこれからは家族のためにではなくひとりの人間として医療に専念したい」と、「国境なき医師団」に参加しているという手記を読んでから、私自身の仕事観、人生観が変わっていきました。

その女医さんの姿に自分自身を重ね合わせ、紛争地域での医療活動は人々の命を直接救うもので、ひそかに医者になろうかと本気で考えていました。また教師だったらどんな活動ができるかなどアフガニスタンなどの中東地域やソマリア、エチオピアなどアフリカに思いを馳せていました。

そんな時中村医師の存在を知ったのです。スライドや写真で説明されたアフガニスタンはテレビで報道されるものとは違い、政治や教育というよりは「生きるための生活」に欠かせない「水」が不足しているということでした。

今、日本の若者たちが中村医師の水利事業に参加しているとのこと(元タリバン兵や米軍協力者も含まれているとか)、この見返りを望まぬ「命を支える事業」がアフガニスタンの人々を救うことになり、「つるはしをもって理不尽な暴力主義と対決したい」と語られた中村医師の静かな口調はどっしりと響きました。

今回参加した講演は、クーラーのない畳の部屋で蝉の声を聞きながら、座布団を敷き縁側、玄関まで数十人が中村医師を囲みお話を聴くというもの、暑くなった京都で私の気持ちも「熱く」なりました。
 (8月12日)

★「ホテル ハイビスカス」

先日知人に上記映画のチケットをいただきました。
2日に公開されたのですが、もうすでに観ておられたようです。
沖縄の映画で新聞にもあらすじが紹介され、楽しみにしていたのうれしくなりすぐ観に行ってきました。

原作のマンガ「ホテル ハイビスカス」を沖縄出身の監督が映画化したものです。
ホテルと呼べるかどうかわからないユニークな家が舞台で、主人公美恵子(小学生)の家族はインターナショナル、父、母、姉、兄、(姉と兄は父親がそれぞれ違うアメリカ人)そしておばあ、おばあはもちろん「ちゅらさん」で有名な平良とみさんです。

さらに本土からやってきた居候の能登島君が加わってより一層複雑になるのかと思っていたら、なんとかなりシンプルなのです。なんといっても美恵子が面白い、(沖縄中の小学生数百名余りの中から選ばれた女の子だそうです) とても子どもらしく明るくて素朴、かなり気が強いのだけどまだお母さんを恋しく思う年頃です。

この女の子が、米軍基地に入り込むは、ひとりで父親を探しにいくは、とにかくじっとしていない、彼女の好奇心はどんどん広がっていきます。沖縄の中にあるいろいろな問題が「家族」を通して浮き彫りにされていきます。

「ナビィの恋」は大人向け、この映画は子どもといっしょに観たらより楽しいだろうと思います。沖縄には仕事(修学旅行の引率)で何度か訪れたことがあり美しい海に感動しましたが、映画に出てくるパイン畑など北部の風景も沖縄らしさがでていてよかったです。

  (8月8日)


★「
オーストラリア ホームステイ」

ボーイスカウトの関係でここ何年か外国のスカウトを受け入れてきました。今年はオーストラリアからの訪問でした。(昨年韓国のスカウトを受け入れた奮戦記をお読みの方はわかっていただけると思います)

今回は2泊3日のステイで、リーダーの50代のグレンダと、16歳のスカウトでカーラセーラ、カーラは車椅子を使っての生活です。
季節の違う南半球からの旅ですが、3人ともほとんど疲れ知らず、すごいパワーです。

買い物がしたいということで2日目は京極へ、土産物屋をあちこち見て回りながらプリクラや彼女達の希望でファーストフードの店にも立ち寄りました。

三条京阪にできた新しいビルにもいきましたが、車椅子にはちょっと動きづらくてすぐUターン、京都の街は道も狭く車椅子を押して歩くにはまだまだ不十分です。

帰りに寺町も100円ショップにいくと、ここでは3人とも目をキラキラさせてショッピング、大好評でした。(昨年の韓国のスカウトにもここは人気だった)ちょうちんやお箸、髪飾りにすだれ、何でもあるので土産物には最適なのです。

私はすっかり歩き疲れたのですが、3人はまだ元気があり郵便局で日本の切手を買い、その後大丸へ、やっと家に到着したら夕方になっていました。

夕食はベジタリアンのグレンダにあわせて泉仙の精進料理を本堂でいただきながら、住職の篠笛やそれぞれの国の歌を歌って国際交流、食後は恒例(?)のご近所の方を誘っての花火をしました。

ホームステイ受け入れの前に英会話の先生からいろいろ教えてもらってちょっとは話せるようになっていましたが、やっぱりネイティブイングリッシュはなれるまでに時間がかかり聞き取る事に精一杯でした。(ちなみに私の呼び名はMIYAでした。)

でも昨年よりはしゃべれるようになっていたので、事前学習の甲斐があったかな。
オーストラリアに1ヶ月いったらもっとうまくなるでしょう!
冷蔵庫が壊れたりしてアクシデントもありましたが、3日間が無事終了しほっと一息ついているところです。 (8月2日)
   



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