「みやこのハッピートーク」    

                              AUG. 2004

★ソウルへの旅

●「冬ソナ」をはじめとするドラマや映画ファンが増え、本屋にはハングル講座の本がならび、ヨン様とデートすることを夢に見る女性がいるという「韓国ブーム」です。

夏休みは韓国ツアーで混んでいるというのに、この時期に・・・とは思いつつ、ハングルの先生Jさん(D大学に留学中の女性)に、「案内しますよ」と誘ってもらい、ソウルに行ってきました。

●京都駅からの「はるか」では、天王寺近くで事故の為30分以上遅れて、空港での手続きが混みあい、搭乗までほとんど待ち時間なしでした。「ハアーハアー・・」という感じで機内へ、ソウルへの飛行時間はなんと「はるか」に乗っていた時間より短い?・・・などと考えている間に仁川(インチョン)空港に到着しました。

ここで現地添乗員が迎えてくれるはず・・・出口でやっと見つけて「少し待って下さい」とのことで、待つことこれまた30分以上・・「いったいどうなってんの?」「来られるはずの方がまだで・・」遅れてきたのは母娘の旅行者で、どれだけ待たせたか理解できていないようなキョトンとした雰囲気です。

予想外の出来事に振り回されながらも、Jさんとの待ち合わせ場所でもあるソウル中心地のホテルに到着したのは、約束の時間の10分前でした。Jさんと会って、いよいよソウルの街散策に出発です。

●看板のハングルを次々読んでいくのだけれど、意味はなかなか理解できず「勉強不足」を思い知らされました。李朝時代の宮殿や博物館を見学し、古くから日本との関係が深かったことをあらためて実感しました。

ハングルの先生のJさんと

住職お気に入りの骨董屋通りの仁寺洞(インサドン)は、陶器、仏像などの古美術品店、筆房、雑貨屋が並び、特に路地に入るとまたまた良い雰囲気です。ここでは伝統的な韓国茶(ゆず茶)をいただいて満足!

Jさんの案内でソウル一の繁華街明洞(ミョンドン)へ向かい、夕食は焼肉店へ、Jさん大好物のトッポッキ(細長い餅を炒めたもの)も出てきて「オー、辛っ!」。
ドラマのロケもされたという

Jさんとの楽しい時間もあっという間に過ぎ、京都での再会を約束し、江南方面へ帰るJさんと別れてホテルへ戻りました。

2日目はオプショナルツアーで市内散策や、夜は漢江クルーズ(「東京湾景」のロケで仲間由紀恵も乗った?)や夜景を楽しみました。旅行社の案内役の方に詳しく説明してもらったのでよくわかったし、南大門(ナンデムン)市場(何でもそろうすごいところで、もう1度行きたい)では韓国のりを買うなど楽しめたかなという気がしています。

漢江クルーズ乗り場にて


次の日はロッテ免税店での買物、日本人女性がヨン様等身大の看板と写真をとったりしている姿を横目に、店内を一周したけど「安い」といわれるブランドは、私にはすべて高価、なかなか買えずウロウロしているあいだに、住職との待ち合わせ時間もせまってきて結局2,3品買ってしまいました。

旅行前に「ブラザーフッド」を読んでいたので、朝鮮戦争勃発時のソウルの様子を想像しながらの旅でした。アメリカ大使館前の厳しい警備は「イラク派兵反対」のデモがあるからとのこと、映画「シュリ」「JSA」を思い出しました。

3日間で「辛さ」にも慣れてきて、毎食食べるキムチに愛着が出て帰りの空港でゲット、でも韓国の食べ物をもっと味見するには時間不足(韓国でもやっぱり量は多かった)でした。

●昨夜のTVでの話、韓国映画・ドラマのルーツは、石原裕次郎、吉永小百合などに代表される60年代の日本の「青春映画」で、それが今に引き継がれているのだそうです。

「タブーを超えた愛」「一途な主人公」「ラストの悲劇性」・・・とあげられると「ウーン、なるほど」と頷けるものがあります。日本人が「郷愁」を感じるのはそのせいなのか・・・(「冬ソナ」にはハマレなかった)・・・でも映画やドラマで聞いた韓国語はうつくしいです。意味はわからないけどその響きには心に伝わるものがある・・・今回の旅行ではずっと韓国語を聞いていて勉強になりました。(まだしゃべることのできない私ですが・・・)

9月、Jさんが京都の戻ってきたらハングルのレッスン再開です。「日本に1番近い国の言葉を知ってわかりあえるようになりたい」という初心にかえってがんばりたいです!

★京都的豪雨とお盆

■夏の風物詩のひとつ、五条坂の陶器市には毎年足を運びます。この時期には職場仲間の私を含めた3人の女性で陶器市を楽しみ、その後ワイワイがやがやと飲んで食べて、すっきりして夏休みを迎えていたのです。(何故かその3人がいると「飲みにいくんか?」と聞かれ、「遊び人の3ばば」と言われていたらしい)

仕事をやめてからも、陶器市には「3ばば」として出かけていきました。ここしばらくは都合で私だけ陶器市には行かずあとの飲み会だけに参加する事もあったのですが、今年は岸和田の作業所からも出品しているので初日(7日)に、はりきって出かけました。

五条坂に着いた頃から曇り、遠くにはゴロゴロと雷鳴が聞こえます。五条坂の南側は「クラフト系」が多く並び、個性的な作品に目をとめながら歩いていたら、ぽつりぽつり降り始めてきました。

逞しい「3ばば」は少々の雨には負けないのですが、さすがに大粒の雨にはかなわず北側に渡って小走りで五条京阪の地下へ・・・地下の駅は私たちと同じように逃げ込んできた人で多くなり、電車で四条京阪駅までたどりつきました。

6時過ぎだったけどやや空腹ぎみで、「今からお店へ行こうか」などと話していたら・・・四条京阪の地下の駅はどんどん人が増えて階段にも並び始めました。降雨が地下に流れ込み水浸しです。大きな雷に耳をふさぐ女性、ずぶぬれになったTシャツを脱いで着替える若者、ヒールの高いサンダルをぬいで裸足で歩くギャル、浴衣姿の人も・・・。

誰もが早く地上に出て動きたいと思いあせっています。1度は外に出たもののあまりの激しい雨に、又地下に戻ってくる人もいました。もちろん「3ばば」もこの事態に身動きとれず、めずらしく無言のまま風雨がおさまるのを待ちました。

待つこと約1時間(後で聞いたら1時間に73ミリの豪雨だったらしい)「3ばば」はついに耐えられなくなり、地上に出て四条大橋をわたり阪急の地下へ、2分ほどの距離なのにきつくぬれました。阪急の地下を通って烏丸まで歩き、お目当てのお店に着いた時には7時半くらいだったかな?

■この豪雨が、お盆前の仏光寺本廟新墓地に大きな被害をもたらしました。9月以降の再造成工事に入る予定だった新墓地の擁壁が崩れ、とても危険な状態になりました。

私は総代さんのお電話で知り、早速新聞を開けると写真入で傾斜した地面や転倒した墓石の写真が掲載されていました。その後TVのニュースでも流され、お盆を前に「ちょっと早めに」とお墓参りをされた方々が悲しそうにお墓所をみておられました。ケガをされた方はなく何よりだったのですが、かなりショックな出来事です。

「お盆」にはお墓参りをされることが多いのですが、約100基のお墓がくずれており、しばらくの間は本堂か廟所前でのお参りになるらしいです。すぐに修復作業にかかられますが、予定されていた工事より時間がかかりそうです。明日から長女がお手伝いにいくので、様子を見てきてもらうことにします。

■こんなことがあって、私自身まだ大善院のお墓参りをしておりません。お盆を迎えるにあたり、住職はお参りにいかせせいただいておりますが、私にできる事と言えば・・などと思い、仏教の本など手にすることもあります。

その中でお盆のお参りで配らせていただいている「ひとりふたり」という冊子を読んでいると・・・住職の母方の祖父にあたる藤谷秀道師のことが書かれているではありませんか?

あちこちにその名を残される仏光寺派の学僧で、大善院に来られた時何度かお会いしたのですが、ゆっくりお話した事はないままでした。

次々と3人の愛息、愛娘を亡くされ、深い悲しみのなかで「南無阿弥陀仏」に気づいていかれたことが載っており、あらためてその生き方を振り返らせていただきました。真宗ではご先祖への供養というかたちではしませんが、秀道師の記事によって、日頃の私自身についてと気づかされたひとときでありました。



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