「みやこのハッピートーク」    

                              JAN. 2005

「生きていくこと」

★10年前、冬休みのスキーで膝靭帯を損傷して松葉杖での生活を送っていた私は、1月17日にN病院に通院予定で仕事を休むつもりで欠勤届を出していました。

早朝、大きな揺れに目をさましましたが、テレビをつけるまでは事態がよく飲み込めないままでした。もちろん家の電話も頻繁に鳴っていました。「もしもし・・・みやこさん?そちらは大丈夫?パリの・・・ですけど・・・」ええっ、パリですって?もうパリに日本の状況が知らされているのかしら・・・・・。

被害状況が報道されるにつれ、大阪、兵庫方面の親戚も心配ですがすぐには連絡できませんでした。N病院でも、医療チームをつくるべくあわただしい動きをしておられました。ケガのために自由に動けなかったので、このような大きな災害に逃げ切れるだろうかという不安が今でもつきまとっています。あれから10年!この時期になると、今でも膝に痛みを感じます。
 
★久しぶりに映画三昧、「レディ・ジョーカー」「父と暮らせば」を観てきました。
 
「レディ・ジョーカー」は高村薫氏の小説を映画化したもので、「グリコ・森永事件」からヒントを得て描かれています。「レディ・ジョーカー」と名乗る犯人グループが大手ビール会社の社長を誘拐して身代金を要求する、犯行後、社長の身柄は解放されるが、次の人質は「350万キロリットルのビール」だということ・・・さらに驚くことに、犯人グループには「レディ」と呼ばれる車イスの少女がいた・・・。
 
犯人グループ、ビール会社とその家族、警察の捜査本部と、登場人物は3つに分けられており、そのなかのどろどろした人間関係や抱える問題の大きさに圧倒されます。高村氏の他の作品にもこうした傾向はありますが、映像でみるとさらに刺激的で引き込まれて行きます。
 
特養老人ホームでの主人公の兄の孤独な死、ビール会社社長の弟が電車で飛び込み自殺、捜査本部刑事は部下が犯人グループの1人と知りピストル自殺、とすさまじい場面や、貧困、差別、障害、国籍などの問題を背負いながらの生活をしていく人々、硬直した組織の中で地位や面目を保ち体制を守ろうとする人々、それぞれがどのように生きていくのかという様子を見比べながら、「生きていくこと」の意味を感じさせてもらいました。

サスペンスというよりは「2・1ゼネスト」や「総会屋の企業寄生」などと社会的背景が色濃く描かれた作品です。
 
「父と暮らせば」は、広島で原爆の被害にあって父(原田芳雄)を失い一人暮らしをしている娘(宮沢りえ)が、勤務する図書館にやってきた原爆資料をあつめている青年(浅野忠信)に惹かれていくという流れで進んでいきます。

青年にはほとんどせりふがなく、登場回数も少なく、存在感だけをクローズアップさせています。大半が父と娘のやりとりで、舞台をみているようでした。
 
実は、父は青年に恋する娘の「応援団」としてあらわれた非現実的な存在です。娘が幸せになることにためらいを感じて「あの人とは もう会えない」と突っ張った時、父と娘は本当に生と死に向き合ったあの8月6日のことを思い出していきます。
 
「太陽が2つ、目の前にあったような温度で焼かれたんじゃ・・・」という父は、建物の下敷きになり、娘の力では助け出せないことがわかった時、娘にその場から去るようにいいます。娘は今でも「父を置き去りにした」ことがひっかかっており、「私だけが幸せになったらいけんのじゃ」と・・・。
 
父と娘の会話は、「レディ・ジョーカー」とは別の角度から「生きていくこと」の意味を問うています。生と死の境目にたった時、目前で髪の毛が燃えていく父をおいて自分だけ生きることができるのか? 「思い出したくもない」という娘の気持ち、しかし青年を愛しているという気持ち・・・人は「つらさ」を背負いながら生きていくのかなあ・・・。

原爆瓦熱風で曲がりくねってしまった薬ビンもたくさん出てきました。、一瞬にして人も物もこんな風になったしまったのかと、想像すると怖いです。(イラクのことを考えてしまいました)
 
2本とも「生死」をテーマにおいた法話度の高い内容です。「父と暮らせば」の宮沢りえさんは、「たそがれ清兵衛」「伊エ門茶」のCMと同様きれいで魅力的です。

★新年おめでとうございます。


★元旦の朝、大晦日の雪が残っていて境内はしっとりと落ち着いた雰囲気でした。早朝本山のお勤めから戻ってきた住職とともに、本堂にお参りした後、お雑煮おせちをいただき、しばらくして年賀状が届いたら、ポストまで取りに行って・・・とシンプルに過ごしています。

親戚からいただいたお餅を、もう暮れから食べ始めるという、すっかりお正月モードになっており、ゆったりとしているのですが、実は今年の目標は「新しいプロジェクト」にむけて頑張ること、私にはちょっと大きすぎてるかな・・・「そのわりにはのんびりしているっていうじゃあ〜ない?!」

20年前のお正月、私は最大級にせりだしたおなかをかかえていました。当時は6人家族で、元旦には親戚もいっしょにお雑煮をいただく習慣もあって忙しく動いていました。産休に入って太り始め、お正月においしいものを食べた?・・・ことも影響したのか、予定日前に「塩分ひかえめ」の警告がだされ、その2週間後に長女を出産しました。

出産直前のおなかを抱えて。
ちなみにとなりは、ゴジラの衣装を着た、20年前の住職。

昔から変わってはったんやね。
生後10ヶ月ぐらいの長女と
共に・・。
この頃は文句も言わず・・。


★大善院に移り住んでから、電車通勤となったり長男の保育園送り迎えや家事など、妊娠中の身体にはきつかったのでしょう、3ヶ月目くらいにはつわりも強くなって期末試験の監督をし終わった教室で貧血を起こし倒れてしまったのです。

ちょうどローカを通りかかった男性の先生に背負われて4階から1階の保健室まではこばれました。その後4,5日入院するなど調子を崩しました。安定期を迎えたので、2学期からなんとか仕事にも復帰していったのです。

結婚して共働きで子育てして・・・「なんとかなるさ」と甘く構えていたのですが、しんどさが身にしみた時期でした。

その長女ももうすぐ20歳の誕生日を迎えます。今学校の課題制作、バイト、成人式の予定を計画したりと、大忙しの毎日。「自立」への道を歩んでいるのかなあ・・・ところで国民年金は誰の口座から納められるのでしょう?

★元旦の新聞に、「戦後還暦 日本は今」として中村哲氏と鶴見俊輔氏の対談が掲載されていました。医者の中村氏がアフガニスタンで干ばつ対策のために井戸を掘り、運河をつくっておられるという話はテレビでも放送されました。

「アフガニスタンで、明日の食べ物がないところに突然やってきて、鉛筆を配る」国際貢献や「日本は今、年に3万5千人の自殺者をだしている、・・1種の内戦状態なんですね」という言葉には、「今私がここで平和を願う気持ちをもう1度問い直しなさい」との意味が含まれているように感じました。2005年のスタートにあたり、尊敬する中村氏の言葉にふれて、I,m happy!

スケジュール帳に予定を書き込んでいると、早くも1月はしっかりうまってしまいました。最近抵抗力が低下したのか疲れやすいのですが、息切れしないようにがんばります。今年もどうぞよろしくお願いします。(1・1)


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