大気に甘い果実の匂いが交じるような、ある秋の夜。
そこは街はずれにある、ちょっとお洒落なレストラン。
屋外のテラスのテーブルで向き合う一組の男と女がいた。
あいにく月は雲に隠れていたけれど、ワインを飲みながら二人はすっかりいい雰囲気だった。
「ねえ、本当にロマンチックな夜ね。あなたとは今日初めて出会ったけど、とっても楽しかったわ」
女は高価そうなドレスに身を包み、長い髪をアップに束ねていた。古風な顔立ちだが現代風のメイクとのアンバランスが不思議な魅力を醸していた。
「僕もだよ。君のような素敵な人に出会えるなん夢みたいだよ。特にこんな夜は、ひときわきれいに見えるよ」
男はラフなジャケット姿。プレイボーイ気取りだが、どこか人の良さが滲み出ていた。
二人は昼下がりの動物園で出会った。ドレスを着て一人で動物の檻を珍しそうに覗き込む若い女に男が気づき、面白半分に声をかけると、ついてきたのだった。 それから二人で一緒に動物園をまわり、公園の遊具で遊んで、夜になってこのレストランへやってきた。
「せっかくの月夜なのに、月が隠れていて残念ね」
「もうじき雲間から顔を出すよ。そうすればもっとロマンチックな夜になる」
「そうね。そう思うと楽しみだわ」
女はコケティッシュな微笑を浮かべた。
実は女は、上品な見かけによらず、男たちに貢がさせることを一種の趣味にしていた。今日も貢いでくれる男を探して一人でうろついていたのだ。
ほんとはもっと金持ちそうな男を引っかけたかったのだが、たまたま今日、声をかけてきたのがこの男。あまり金持ちそうには見えなかったが、どことなく人が良さそうに見えて、ついていく気になった。
何かプレゼントさえもらえればさっさとグッドバイする気だった。 月さえ出ればこちらのもの・・・・。
「ところで・・そろそろ・・どこか二人きりになれるところへ行かないか? そこで君への最高のプレゼントを渡したいんだ」
男はワイルドな顔で笑いかけながらおもむろに切りだした。
実は男も見かけによらず、次から次へと女を餌食にするジゴロだった。
半日つきあって、ちょっと変わった女だと思ったが、そこそこ美人だし、着ているものからしてもけっこういい家の娘らしいし、とりあえず今日の獲物にしたかった。 月さえでればこっちのもの・・・・。
「あ・・・ありがとう。でも・・二人きりになるのは待って・・・」
女は困った。プレゼントはほしいが、月が出る前に二人きりになるのはまずい。
「どうしてだい。こんなに君が好きになったのに」
男も焦った。月が出る前に二人きりになってしまいたかった。
「だって、気持ちの準備が・・・」
女は時間を稼ぎたかった。
「二人きりになって是非、素敵なプレゼントを渡したいんだ」
なおも迫る男。
「そのプレゼントを先にくれたら二人きりになりたくなるかもしれないわ」
何とか先に貢がせたい女。
二人の思いは平行線。きまずい沈黙が二人の間に流れた。
その時、闖入者が現れた。近くの樹木に巣を作る一匹の大きな蜂がテーブルの上の花に惹かれて飛んできたのだ。花瓶の花においしい密がないとわかった蜂は、コースを変えていきなり女の顔の前に飛んでいった。
「きゃーーーっ!」
女の口から悲鳴が漏れた。
それを聞くやいなや、男はテーブルの向かい側から猛然と飛び出し、自分のジャケットを振り回しなながら、もう片方の腕で女をかばった。
新たな敵の出現に驚き、蜂は腹いせに男の腕を刺してどこかへ飛び去っていった。気がつくとテーブルのワインはこぼれ、腕を腫れさせた男とドレスをくしゃくしゃにした女とが残されていた。
「大丈夫?」
我に返った女が男を気遣う。
「うん・・・大丈夫と思う」
「でも腕がこんなに腫れてるわよ」
女の目は涙でいっぱいだった。
「それより、君こそワインでせっかくのドレスが台無しじゃないか」
「いいの、あなた私を庇って・・・そんなに・・・」
女はいきなりドレスの腕の一部を裂き、包帯代わりに男の腕を縛った。
「ごめんなさい。私・・・あなたに何てお礼を言えばいいのか」
「いや・・・僕こそ、君を誤解していたかもしれない」
二人はこの日初めて心の底から見つめあい、微笑みあった。
ちょうどその時、雲間から月が顔を出し、二人をやさしく包み込んだ。
同時にそれぞれがそわそわ落着かなくなった。
「ごめんなさい。私もう帰らなくてはならないの」
「僕も、ちょっと用事を思い出しだんだ」
「また会えるかしら・・・」
「いつか又、月夜の晩にね・・・」
「さよなら」
「さよなら」
なごりおしそうに、二人はレストランの出口で別れた。
女はちょうど通りかかった車を止めた。それを見送り、男は腕を押さえながら歩き去った。
女を乗せた車は、しばらく走ると音もなくスーッと浮かび上がり、月の光に吸い込まれるように空へ舞い上がっていった。
「姫様、今日の男はどんな貢ぎ物を?」
運転手が女にたずねた。
「何にも・・・」
答えながら女は嬉しそうだった。
「何にも? 姫様にしては珍しいですな」
初老の運転手は頭をひねった。
女は今日の男を思い出していた。必死に自分を守ってくれた男の姿を。
それだけで十分な贈り物だった。又、彼に会えるかしら?ちょっと野暮ったいところもあったけど、いい人だったわ。車はやがて小さなシルエットとなって月の中に消えていった。
男は月の照らす草原を、信じられないほどのスピードで走っていた。爽快だった。男の体中は剛毛に覆われ、いつしか服を脱ぎ捨て、4本脚で走っていた。
男は今日出会った女を思い出していた。最初は金持ちの鼻持ちならない女だと思っていた。月が出たら餌食にしておさらばするつもりだった。
しかし、女は涙をためて自分を見つめていた。 ドレスを破って包帯をしてくれた。男には珍しく、女をいじらしいと思えた。
又、どこかで会えるだろうか。ふとそんなことを思いながら、なおも走り続けた。
満月がそれぞれの夜を照らして煌々と輝いていた。
FIN.
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