住職「ややマジ感話」 ーー(5)

 
 「 ハンセン氏病をめぐる講演と
           映画『あつい壁』」の上演を見て」

 12月に2日間にわたって、上記の会が催された。
今年は「ハンセン氏病」をめぐって、「らい予防法違憲判決」が出され、国が控訴を断念したという記念すべき年ではあるが、いまいち感心や知識をもちきれていなかったというのが正直なところであった。今回は映画と一緒ということで、参加してみた。

 講演は、富山国際大学の藤野豊氏。これが30分ぐらいで、見事に簡潔にして要領を得たレクチャーをしていただき、20世紀初めからの「ハンセン氏病」者への国の隔離や差別、人権無視の施策の数々や、今回の判決の意義、そして一度は控訴を断念しながらも、施策の「検証会議」に、原告をはずそうとしているなど、まだまだ国の態度が後退する危険性があることなどを報告していただいた。

 そして映画「あつい壁」
これは1968年に熊本県で自主制作された映画だそうだ。ハンセン氏病の子供達の地元小学校への入学をめぐって昭和28年に起こった「同盟休校」などの事件を扱いながら、その中で犠牲になっていったある少年の家族に焦点を当てた映画だった。
そういう意味では「重い」映画だが、きっちりした脚本と演出、子役の熱演などによって、見事に「普遍的な」映画に仕上がっていた。

 何の問題もなく暮らしていた4人家族の父親が、ある日突然「らい菌」に感染していることを宣言される。職場をやめさされ、療養所に「隔離」されることになる。
母親は住み込みの女中。中学生の信夫、小学生の信次兄弟は、感染者の子供ばかりの住む寮に住むことになり、家族はばらばらに。親が感染していても、子供は感染しているとはいえないのに、ここの子供達は地元の小中学校へ通えず、寮内の分教場で勉強せざるを得ない。

やがてある年から寮の子が地元の小学校へ通えることになるが、その小学校の一部のPTA会員らの猛反対で、逆にそちらの子供たちが「同盟休校」として学校へ通うことをやめてしまう。
信次の、かっての担任の若い女教師が、その新しく通う生徒等を担任するために転校してきたり、それを応援する組合の教師達の運動もあり、PTAは真っ二つに割ればがらも何とか収束に向かうが、その中で、母親の再婚問題や、かっての担任女教師のところへ自主的に勉強に来ていた信次は、たまたま教師の家族の差別的な言動を聞いてしまい、ふらふらと夜の町をさまよう。
 そして、中学を卒業してパン工場で働いている兄・信夫のところへ、弟が列車事故で死んでしまったという知らせが入る。

 葬儀の席で泣き崩れる女教師に、分教場の老教師(笠智衆・特別出演)は「この子を死なせてしまってのは、あなたであり私でもあるかもしれない」と重い問いかけをするところで映画は終わる。

ストーリーだけでは、重い映画ということのなるが、中山節夫監督の演出は手堅く、脚本も自然だし、何より子役の兄弟、特に最後は死んでしまう信次役の少年が、普段はとても明るく、表情も豊かで名演技だった。
地方で作られた自主制作映画でありながら、佐藤忠男氏も述べているように「映画」としての完成度がとても高いように感じた。

いずれ、あまり知らなかった(知ろうとしなかった)問題を投げかけられて、単に「かわいそう」とかでなく、自分自身の中にある「差別性」=(声高のイデオロギーでなく、人間としての当たり前の感情としての)を問いなおされる機会ではあった。そして今も「オーム真理教」の子供達の就学問題をめぐって同じようなことが繰り返されていることを見るとき、それは正に時代や問題を超えて「普遍的な」テーマを突きつけられているようにも感じたのだった。
 決して特別な人の問題ではなく、映画のように本当にいつ誰に起こってもおかしくなかったのだということを知るだけでも、もっと多くの人たちに見られるべき映画であろう。
                                             (12月24日)


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