2002年1月〜

2002/01/26  蒲生干潟など

 小春日和。せっかくの天気なので、久しぶりに走りに出た。気の向くままに、寄り道もペースも自由。用事もなくバイクを走らせるのは、やはり楽しい。久しぶりに七北田川コース、蒲生干潟まで。
 
日和山
 元祖「日本一低い山」全景。干潟の野鳥を観察するのに丁度良い。この日も三脚付きの単眼鏡持ったおじさんおばさんが数人。
日和山、山頂(?)
 大阪あたりの何とか言う山に抜かれて(抜いて?)、今では日本一ではなくなってしまったようだ。
蒲生の干潟
 サギ系の鳥とか、ガンカモ系のとか、カモメ関係とか。(名前知らないので)
 鳥たちがのびのび戯れていた(様に見えた)。
 
貞山運河の紹介パネル
 色あせてしまって見られたものではないが・・・旧北上川から松島湾を経て阿武隈川まで引かれた運河だそうだ。1500年代から1800年代まで300年もかけて完成したとのこと。今度はこの運河を辿ってみようかな。


2002/02/18  多賀城など

 今週も郊外まで出掛けてみた。
朝6:30に家を出て七ヶ浜を目指す。途中多賀城跡を通ったので立ち寄る。一人だと時間が自由で良い。
ここは、700〜800年代にかけて政庁があったところ。なにも調べていないから、語れない。でも、少し調べたりするととても面白いのだろうなあ。
 七ヶ浜では上のレポートで触れた貞山堀(運河)を辿ってみた。多賀城よりこちらを先に調べて見ようと思う。いつも見慣れた道路脇のつまらない水路が、実は伊達の殿様の時代に作られたものだったと知る。すると途端に意味深いものに思えるから不思議。明治潜穴の時も思ったけど、昔の人の営みは今に伝わっているのだ。今の私たちの営みも何百年後に何らかの形で残るのにちがいない。そう思うと、いい加減な毎日を送ってはいけないような気がしてくる。貞山堀の話は別にまとめてみようと思う。
外郭の南門から政庁の正門まで通っていた道。かなり立派な道だったようだ。
当時のたたずまいを少しだけ想像させてくれる。本当の姿は知るすべもないが、こうした営みの積み重ねで今があるわけだなあ・・なんて考えてみた。
政庁跡

左の階段状の道をのぼりきると政庁跡。復元模型が置いてあった。いろいろと説明板があったりして、親切。模型の後ろの赤茶けたところが南門。その後ろの方にある石段のところが政庁の正殿。


2002.02.24  北上川、モアイ その2

 温かくはなかったが、まずまずの天気。今年初めての本格的(?)日帰りツーリング。
あさ、6:40発。利府街道〜惣の関ダム〜大郷〜鹿島台〜東浜街道から志津川町。そこから海沿いを南下し北上町。
 元々の目的地は釣石神社。前回北上川沿いを走ったときに素通りしてしまった所。でもそれが志津川だったか北上だったか分からない。困ったことにツーリングマップルに載っていないのだ。行けば何とかなるだろう。遠い方から下ることにした。
 冬物処分で半額だった新しい冬物ジャケット。下にはTシャツ、スキー用のアンダーシャツ。ウールのベストにトレーナー。下半身はジーンズに、裏起毛のオーバーパンツ。スキー用の手袋。徐々に装備は充実し、寒いことは寒いが辛いことはなくなってきた。でも今回は靴が失敗だった。メッシュ部分に風が通って冷たい。やはりブーツが必要なのかなあ。この季節に遠乗りするのが悪いのだけど。
 車も少なく、気持ちよく走れた一日。走行距離201KM。約6時間の旅。
旭山にて(南郷町)

 志津川へ極力最短コースを行こうと思い、まずは旧北上川を目指すが、その途中で寄ってみた。
 バイクでは頂上まで登れず、途中から少し歩く。この上り坂があまりに急なので、息が切れる。しかし、あがってみると周囲に山がないため、田園、石巻湾、石巻の工場群など眺めは絶景と言って良い。山頂付近は芝生の広場なので、ピクニックにも良さそう。私のカメラでは広々とした眺望が表現できないため、写真は断念。代わりに山頂の神社。
 志津川には約2時間で到着。
 天気も良いので、いつぞのチリプラザ(公園)にてサンドイッチとコーヒーの朝食。朝食を買うコンビニがなかなか見つけられなかったが、見つけて見ればチリプラザのすぐ近くだった。当初は晴れていたし、着込んでいるのでさほど寒いわけではなかったが、しばらくしたら日が陰って、雪がちらつき始めた。せっかくくつろいでいたのだが、それどころではない感じに。どうやら釣石神社は志津川にはないようだし、北上町へ向かう。
 今回は写真を撮らなかったが、チリプラザのモアイ像については以前レポートしたとおりなので、そちらを参照願いたい。
せっかく来たので、モアイ像の所にある碑文をメモってきた。前回来たときに、これを読んだらイースター島へ行きたくなってしまったのだ。定年になったら行こうかと思っている(会社がつぶれなくて退職金がちゃんともらえたら・・・・・)。この文章は誰が書いたのかなあ。

 
 イースター島のモアイ

 チリ共和国のイースター島は、謎の文明を持つ南太平洋の
絶海の孤島である。
 佐渡ヶ島のおよそ4分の1というこの島は、ポリネシアで固
有の文字を持つただ一つの島である。
 その文字ロンゴロンゴは誰にも読めない。
 島には川がない。
 この小さな島には驚くべき数の巨像が林立している。
島民達は、これをモアイと呼び、かつては熱い祈りを捧げたと
いう。
どこか虚ろで、神秘的な面差しと足のない胴体だけの巨石像
モアイ、その数900体を超え、誰が、いつ何を表現しよう
としてつくったのか、謎である。
 ラノ・クレスの石切り場には、運搬の途中、または未完
成のままで、放置された300体近いモアイが散乱している。
 一体何が突然起こったのだろうか。
 木材になる樹木も少なく、ロープを作る材料もないこの
島で、どうやってモアイを運び、そして立てたか、今も謎で
ある。
 島の伝承では、モアイは魔力によって自分で歩いたという。
 島の最西端、オロンゴの断崖では、昔、向かいの島に泳い
で渡り、その年最初の海鳥の産卵を待ち、その卵を「鳥人」
にささげる儀式が行われたのだという。
 だが鳥人はもういない。
結局すべての秘密を知っているのは、何世紀もただ沈黙を
守り続けている巨像・モアイだけである。

 1991年7月27日
 
釣石神社の鳥居(北上町)

 釣石神社は北上町だった。
 この神社は入り口が分かりにくい。民家の庭先を入っていく感じである。たまたまその入り口の前の道路が工事中で覗き込みにくかったせいも有るとは思うが。
釣石(と言うのだと思う)

 今にも落ちそうだけれど落ちない巨岩。見たら、「おー」と唸るくらいの迫力はある。
 宮城県沖地震でも落ちなかったことから、合格祈願で訪れる人が多いようだ。丁度なにかの行事の日らしく、新しい飾り付けが色々あった。手前の石に巻き付いている帯状のものは、殆どが合格祈願の絵馬である。他に、名前から、大漁の神様でも有るらしい。
 夕方NHKのニュースを見ていたら、その飾り付けをしているところが紹介されていた。そう言えばカメラが来ていたっけ。
北上川河口

 前回来たときには北上川河口を間近で見たが、ただっ広い所なので写真にはうまく写せなかった。今回釣石の上に登ってみたら、なんとこんなに良く見えるではないか。この景色は期待していなかったので、得した気分だ。
 画面左奥。画面が切れるところから3M左に釣石がある。

 北上川のこのあたりは葦の産地である。刈り取って束ねたものが沢山置いてあった。

 ここからはまっすぐ帰る事にする。本当は床屋に寄りたかったが、そんな時間は無くなってしまった。昨日も、先週もまともに子供と遊んでやってないし、今日くらいは相手をしなければならない。釣り石神社を出るとき11時少し過ぎ。朝が早いので、既に4時間以上は走った事だし、もう十分だ。すこしは温かくなった日差しの中をすいすい走って帰った。